【連載】箱根事前特集『臙脂の誇りを取り戻す』第18回 宍倉健浩

駅伝

 「自分が任せられた区間は『宍倉さんだから大丈夫でしょう』とチームから思われるような存在になる必要がある」。新型コロナウイルスの影響で多くの大会が中止になった今年、東京箱根間往復大学駅伝(箱根)は宍倉健浩(スポ4=東京・早実)にとって唯一の公式戦である。全日本大学駅伝対校選手権(全日本)も教育実習と日程が被り、出場できなかった。しかしそれも箱根への強い思いに変え、調子は上向きだ。ここまでの振り返りとともに、今の気持ちを語っていただいた。

※この取材は11月28日に行われたものです。

目標は「チームを引っ張る、チームから頼られるような存在」

12月20日の合同取材にて

――早大競技会では1万メートルの自己新記録更新がありましたが、改めてそれについてどのように感じていますか

 あの記録会でタイムを狙うということは9月からずっと相楽さん(豊駅伝監督・平15人卒=福島・安積)と話していました。そこでしっかりタイムを出せたというのは一つ自信に繋がったかなと思います。あの記録会はとてもコンディションも良く、先頭の引っ張るペースもとても良かった中で好記録が出ただけであって、実際他の人や他大学と競って勝負するとなった時はまだまだ勝てる力があるわけではないので、ここから1ヶ月間しっかりハーフでも他大学と戦って勝負できるような力をつけていかなくてはと思っています。

――5000メートル、1万メートルと自己新記録更新が続いています。要因は何だと考えていますか

 ひとつは教育実習があったこともあり、タイムを狙いにいくために必要な練習、自分のための練習を考えて、良くも悪くも自分のためだけ、他の人に左右されずに練習ができたというのが大きかったかなと思います。あとひとつは今はやっている厚底のシューズは自分の中でも大きいなと思います。あのシューズをうまく使いこなせた人は自己記録更新に繋がるような、あれがひとつ要因になっているのかなと思います。

――その後のコンディションはいかがですか

 試合で一回出し切っているので、今結構疲労もあってきついです。ここから3週間は鍛錬期という期間に入るので、けがしない程度に追い込みながら3週間体力作りをしていこうかなと思っています。

――集中練習ではどのような点を重視していますか

 今まで5000メートル、1万メートルで記録を狙うためにスピードと最低限のスピード持久力というのを意識して練習していましたが、ここからはハーフになるので、20キロ走るための体力というのはもう一段階レベルアップしなくてはいけないなと思っています。そのためのまず土台作りと、それを作った上での最後実践的にどうスピードに繋げていくかというのを両方意識して仕上げていきます。

――宍倉選手の強みはどんなところだと考えていますか

 気持ちですかね。気持ちで負けないという感じです。

――今年一年が始まる時に何か目標は立てましたか

 ひとつは関東学生対校選手権(関カレ)で勝負することです。入賞、表彰台を目指していくという形でトラックシーズンは関カレを目標にしていました。もうひとつは1万メートル28分20秒というタイムも狙っていました。これは秋シーズンのコンディションがいいタイミングで記録を狙いにいくことを想定していました。駅伝は、最初は出雲全日本大学選抜駅伝(出雲)、全日本、箱根と全部出られるはずだったので、3大駅伝でしっかり全部区間3位以内でチームを引っ張る、チームから頼られるような存在というのは意識していました。

――箱根後の冬季練習を振り返っていかがですか

 冬季練習はだいぶ順調にできたかなと思います。ただちょっと箱根を走ってから疲労が抜け切らないまま練習を再開したというのもあり、途中で1回練習を抜く期間をつくりました。でも全体を通して見ればしっかり練習できたので、そのままいけば春シーズンはタイム狙えるなという練習はできていたと思います。それこそ中谷が走った1万メートルの記録会(2月16日の第3回早大長距離競技会)がありましたが、その時の5000メートル通過も練習より速いの14分10秒台で入っていて、調子良くいけていました。

――コロナの影響での解散期間はどのような練習に取り組みましたか

 解散してすぐは関カレがまだあるかもしれなかったので、関カレに向けて自分で練習を組み立ててやっていました。関カレがないと決まってから、一回目標がなくなって、そこから何を目的に練習すればいいのかを明確にしないまま練習をだらだら続けていました。特に目的のない練習を日々こなすだけとなってしまって、そこからの1、2ヶ月は惰性で練習していたかなという部分はあります。

――6月の部員日記で「自由な時間がある中で何をしていいかわからなくなった」というお話がありましたが、難しかったところはそういったところですか

 難しかったところは二つありました。一つは何をしてもいいような状態、本当に自由だし、どこを目的にして、何を目標にしてやるというのも全部自分で決められるような状態で、引き締めきれないというか、覚悟を持って大会に合わせるということがしづらかったです。もうひとつはあの時期はランナーに対しての風当たりというか世間的な目が厳しい部分があり、僕らはマスクして練習ができないので、マスクを外さざるを得ないのですが、それで走っていると周りから嫌な目で見られたり、時には怒られたりしていて。走る時間や場所を工夫してはいましたが、それでも言われたりしたのでそこはとても難しかったです。

――部としての練習の中でモチベーションを保つ方法はありますか

 寮に戻ってきてからは大会があるか無いかわからないんですけど、ある前提でやっていくしかないという話もあって、早大競技会も途中途中挟んだりして、そういうところでタイムを狙いにいける状況は作れていました。チームのモチベーションとしてはある前提でやっていこうという形でやっていました。

――6月の部員日記ではいつもの倍濃い時間にして取り戻す、と書いていましたがここまで振り返っていかがですか

 自粛期間の最後の方と帰ってきてから、ずっとアキレス腱を痛めていて、1ヶ月くらい全然走れなくて。夏走り始めたのですが、検査はしてないのでわからないですがたぶん貧血だったみたいで、練習をやってはいるのですがつけないみたいな状態で、かなりきつい時期が7月から3か月続きました。練習できるようになってきて、教育実習いく直前の1万メートルを5000メートルまで引っ張る予定でしたが、結局引っ張りきれなかったので、そこら辺もかなり状態的には悪かったのですが、そこで1回教育実習に入ってリフレッシュできたのもあってそこからはいい練習ができたかなと思います。

――そういう状況の中で夏の所沢の合宿はどのような練習に取り組みましたか

 その所沢の合宿期間が自分としては一番しんどい時期で、みんなと同じメニューをやってもできない状態でした。別に足が痛いとかではなく、ただただつけないという状態で、1万2000メートルとか1万6000メートルのペース走も、4000メートルとか6000メートルで限界が来てしまうという状態が1ヶ月くらい続いていました。なので合宿期間はただきつい状態で、充実した練習もできていなかったし、耐えるだけの期間でした。

――チームとしては合宿が例年通り行えなかったことについてどのように受け止めていましたか

 そんなに悲観的になっている人はあまりいなかったかなと思います。たしかに暑くていい練習ができたかと言われるとそういうわけではないですけど、暑い中で練習したことで、逆に涼しくなったらどんどん状態が上がっていくという考え方もできるので、みんな悲観的になりすぎていなかったです。今与えられた環境でどうやって練習していくかとか、この環境でこの練習したら強くなれるみたいなことを監督からも言われましたし、自分たちでもそういう話が出たりしながら練習していました。

――トラックの各大会や出雲が無くなった時にどう感じましたか

 自分は関カレが無くなったのが結構きつかったです。トラックシーズンは関カレを目指していたのもあったので、そこで1回気持ちがきれてしんどくなりました。出雲に関しては関カレが無くなった後に自粛期間中にそういう情報が入ってきていて、出雲も無くなるんじゃないかというふうに言われていたので、ある程度覚悟はしていました。出雲が無くなったり、教育実習の期間がずれて全日本に出れないということもわかったりしていたので、そこら辺は受け入れて納得して、むしろ箱根1本に合わせて、箱根では絶対結果を出そうという気持ちを持っていました。

――教育実習中は練習はどうしていましたか

 早実の高校生が部活をやっているので、そこに一緒に参加して、一緒にできる部分は一緒にやって、引っ張ってあげながらプラスで自分でメニューをやったり、全然別のメニューをやりたい時は一緒に同じ練習をして刺激をもらいながら一人で練習したり、うまく高校生と刺激をもらったり、与えながらやっていました

――教育実習中、高校生と一緒に練習をして、気づきを得たことはありますか

 自分が高校時代やっていたことを改めて思い出しました。高校時代はあまり指導者も介入してくるわけではなく、メニューは出してもらうものの自分でアレンジもできたりして、自分で必要なことを考えつつやっていました。ポイント練習以外は全部フリーというのもあって、1日1日の練習を全部自分で考えて、何を目的にしてやるかというのをずっと考えていたので、そういうことを思い出すきっかけになりました。そこを意識して改めて自分のための練習というのをやって、調子が上がっていったかなという感じです。

「全員で強くなる」

11月21日の早大競技会1万メートルで好走を見せた

――箱根に向けてチームの雰囲気はいかがですか

 今みんな記録も出たので、戦えるぞという気持ちになってきていて、メディアでもずっと3強と言われていたのが最近5強という話もちょっと出始めているくらい、勝負できるかなというふうに自分達も感じ始めています。そこに関してはすごく良い雰囲気なのかなと思います。ただ冷静に考えてみるとまだ全然、優勝を狙えるチームかというとそこまではいっていないと個人的には思っています。例えば去年もうまくいかなかった山とか、それぞれ各区間レベルをあげないといけないというふうに考えると、自信を持つことは大事ですが、そこで自惚れちゃいけないなと思うので、そういう話もしていかなきゃなというふうに思っています。

――早大競技会のインタビューで方向性がバラバラだったり、組織的にうまくいっていない部分があって、チームとしてどうひとつになるかというところを問題にあげていましたが、その点について現在はどう見ていますか

 やっとタイムが出て箱根で良い順位が狙えるという気持ちがみんなに少しずつ出始めているので、良い方向に変わりつつあると思います。ただやっぱりまだ自分が出られればいいとか、チームのことを考えてない部分がないわけではないので、チーム全員、トップの一番速い人から10番目、補欠に入る16番目、メンバーに入っていない人も含めて全員が全員強くなる、優勝を狙うという気持ちにまだなりきれていないかなと思います。

――4年生としてチームをまとめる上で意識していることはありますか

 みんな競技に対してはそれぞれ考えて自分でできるチームだと思っています。あとはみんなで戦うという気持ちが足りなかったり、モチベーションがなくなりかけてたりとか、自分勝手な行動をしてる人がいるとか、そういう部分の方向性をしっかり正して、同じ目標に向かって同じベクトルを向けられるようにするというのが4年生の役目かなと思っています。

――チーム内で好記録が続出していますが、その要因についてどのように考えていますか

 一つは自粛期間もあって、自分で考えて練習する期間が今年はあったので、多分今まで考えて練習していなかった人も考えざる得ない期間が強制的に生まれました。自粛期間が終わってこっちに戻ってきてからも、それぞれみんな自分に必要ことを考えてできたというのがみんなの記録が良くなった原因かなと思います。もうひとつは中谷、直希(太田・スポ3=静岡・浜松日体)が日本選手権の参加標準記録を切ったことです。同じ練習、そんなに大差ない練習をしていたわけなので、同じくらいのタイムが狙えるという気持ちになる人も多分出てきてもおかしくないかなと。現に自分はそれくらいの気持ちで思っていたので、そういう記録を出した人が出てきたおかげでチームに火がついたと思います。二人だけでなく井川(龍人・スポ2=熊本・九州学院)とか辻(文哉・政経1=東京・早実)も含めてですけど、そういう結果がみんなの競争心に火をつけて、タイムを狙いにいけるという気持ちにさせた要因かなと思います。

――箱根でご自身に求められている役割は何だと思いますか

 自分はやはり最終学年の4年生なので、とりあえず自分が任せられた区間は『宍倉さんだから大丈夫でしょう』とチームから思われるような存在になる必要があると思っています。逆に、自分の口からはどんな順位で持って来てもいいからと言えるくらい、自分の区間でなんとかするから、あとは気楽に走っていいよと特に1年生に対してそれくらい言えるような存在になりたいです。

――宍倉選手にとって箱根とはどんな存在ですか

 小さい時から箱根というのは見てきて、箱根駅伝で走っている人かっこいいなというふうに思っていたので、憧れの舞台のひとつではあります。その憧れの舞台で走れるというのが楽しみという気持ちと、あと他大学に勝つという勝負ができる舞台といいますか、みんなが本気で目指して、どの大学も本気で目指してきて、そこで真剣勝負ができる舞台という感じです。

――希望の区間はありますか

 5区以外ならどこでもいいです(笑)。

――今年の箱根にかける思いを聞かせてください

 今年コロナの影響もあって、自分はこれが最初で最後の公式戦になります。大学陸上の締めとして、総まとめとしていい結果で終わりたいなと思っています。

――吉田匠駅伝主将(スポ4=京都・洛南)はどのような主将でしたか

 真面目ですかね(笑)。ふざけたりするタイプではないんですけど、なんでも真面目に取り組むので、そういう姿勢で引っ張っていく主将なんじゃないんですかね。

――箱根までに詰めたいポイントはどんなところですか

 今年は混戦だと思うので、ミスしたチームが負ける、逆にミスしなかったチームが勝つかなと思います。そのミスというのは本当にちょっとしたことから生まれるのかと思って、それこそ2年前の吉田の交通事故だったり、練習中の捻挫とかけがとか、そういう小さいことで足元をすくわれる部分があると思います。練習はそれぞれしっかりやると思うのでその他の部分で集中力を切らさず、緊張感を持って生活できるかというのが大事なのかなと思っています。

――箱根への意気込みをお願いします

 大学最後で、自分達4年が引っ張ってきたチームの集大成なので、自分たちが笑顔で終われるように、どんな結果になっても最後自分たちがやり切ったと言えるようなレースにしたいなと思っています。みんなで出し切って終わりたいなと思います。

――ありがとうございました!

(取材 橋本和奏・編集 佐藤桃子)

◆宍倉健浩(ししくら・たけひろ)

1998(平10)年6月19日生まれ。東京・早実高出身。171センチ、53キロ。スポーツ科学部4年。5000メートル14分01秒43。1万メートル28分16秒95。いい結果を出した時の自分へのご褒美は「おいしいものを食べる」という宍倉選手。実に4年ぶりとなる5000メートルの自己ベストと、1万メートルの自己ベストを更新した時はスシローのいちごパフェを食べたそうです!