前回の東京箱根間往復大学駅伝(箱根)は1区でチームに流れをもたらす走りを見せた中谷雄飛(スポ3=長野・佐久長聖)。全国都道府県対抗男子駅伝では、強豪集う最終7区で区間2位、長野県チームの優勝に貢献すると、その後はトラックで自己ベストを連発。日本選手権1万メートルにも出場し、持ちタイムを27分台に乗せた。また、全日本大学駅伝対校選手権(全日本)では、3大駅伝初となる区間賞を獲得。今季ここまで『エンジのエース』として申し分ない活躍をみせている中谷。飛躍を遂げた1年についてじっくりとお話を伺った.
※この取材は11月28日に行われたものです。
本当に色々な部分で視野が広がった
12月20日の合同取材にて
――解散期間で長野へ帰られた時期は、どのように練習を行っていましたか
なるべく人混みを避けつつ、練習できる時間を探して、1日大体2回練習するのを目安に、諏訪湖の周りを走りこんでいたという感じです。
――練習内容等は、ご自身で決められていたのですか
解散期間が4月の初めぐらいからで、戻ってきたのが6月の中旬ぐらいでしたが、4月中は、僕が考えていたメニュー、今までの経験から直感で考えていたメニューをやっていました。5月からは、ある程度練習が出来ていたので、監督と相談して出してもらっていて、僕がそれに上手く後付けで出来るところは工夫しながらやっていました。
――あの時期は中々先が見通せない状況だったと思いますが、何かネガティブな感情を抱くことはありましたか
あまりそういう感情を抱くことはなかったです。やはり、一緒に練習が出来る選手が地元に何名もいらっしゃったというのもありますし、OBを集めてタイムトライアルというのも計画してくださり、それに向けてしっかり練習をしようという感じだったので、大学にいるときと変わりなく練習が出来ていたかなと思います。
――自粛期間中、いつもと違う環境での練習となりましたが収穫はありましたか
高強度の練習は地元の方と一緒に出来たというのはあるのですが、基本的なジョグなどは一人でやることが多く、そういう部分で自分を上手く律しながらやるという部分は重要で、そこを上手くやり抜くことが出来た点は成長や収穫を感じられたかなと思います。
――「Sugar Elite」にはどのような経緯で参加されたのですか
大迫さん(傑、平26スポ卒・現Nike)が「Sugar Elite」の要項を発信されてから、僕の憧れの選手であることから行きたいなという考えを持っていたので、監督にその旨を伝えたら監督も「行った方がいいのではないか」という風に言ってくださって、僕のいきたいという思いと監督の思いが2つ重なって参加が実現しました。
――合宿中は何を目的とした練習に取り組んでいましたか
それぞれのコンセプトがしっかりと決まっているという印象を僕は受けませんでした。しかし、トラックで行った練習は、1つ1つの質がものすごく高くて。特にスピードがものすごく速かったので、そういったところで普段自分が行っていた練習とは差を感じました。
――何か大迫選手と直接コミュニケーションをとる場面はありましたか
今まで高強度の練習をやった次の日は、中々疲労が抜けなくて、練習ができない、走れないということが多かったのですが、大迫さんにそれを相談して、高強度の練習を続けていくためには、どういうことをするべきなのかということを伺った時に、具体的に、「もっとこうするべきなのではないか」とか、「こういう取り組みをすれば次の日の疲労が最小限に抑えられて、練習の継続につながる」という風に教わることが出来たので、そこは、僕自身にとって、とてもためになることを教えていただけたなと思います。
――その合宿を経て、どのような収穫がありましたか
練習に対する準備の仕方だったり、セット練習のようなパターンもあったので、そういったところに着目すると、このような自分にとって新しいやり方があるのだなと感じたりしました。本当に色々な部分で視野が広がってそれが僕自身の今の刺激にもなっているかなと思っています。
練習を継続しつつも身体をいい状態で保つことが出来ている
――日本学生対校選手権(全カレ)1万メートルでは、いい状態だったにも関わらず苦い結果に終わったことについて、当時の心境は
本当に何が起こったのか、見当がつかない状態で、練習に関しては非常にいいものが出来ていたので、どうしてあのような結果になったのかはしっかりとした答えは見いだせていません。ですが、練習の強度を上げすぎて疲労が残っていて、レース中にそれが爆発してしまったのかなと、今振り返ればそんな感じかなと思っています。
――そこからはどのように切り替えたのですか
しばらくは、あまり走りたくないという気持ちが正直なところでした。ですが、そのレースが終わってから合宿が菅平の方であって、走りたくないという気持ちも引きずっていましたが、走らなければ先につながらないということも理解していたので、そこは割り切って、ひたすらにがむしゃらに走りこんだという感じです。
――その後のトラックゲームズ in TOKOROZAWAでは、自己ベストを更新しました
僕の中では、1万メートル27分台を目標にしていたので、ちょっと物足りない感じはしましたが、最低限日本選手権の標準記録は突破出来たので、ゴール後は、少しホっとした気持ちが湧いてきました。
――レース直後のコメントからは、結果が出た安心感というものが感じられたのですがいかがですか
エンジのユニホームを着た時のレースでは、あまりいい結果が出せていなかったので、そうしたレースで結果を出すことが出来てよかったというか、そのような感情が現れていたのかなと思います。
――続く全日本大学駅伝対校選手権(全日本)でも区間賞を獲得しましたが振り返っていかがですか
状態も良かったですし、練習も継続して出来ていたので、区間賞は1つ目標にしていました。中々3区のレベルが高くギリギリで区間賞となったので、そこはまだまだ自分の力が足りないなと感じました。しかし、チームの順位もしっかりと上げることが出来ましたし、1つ自分に与えられた仕事がしっかり果たすことが出来たのでそこは良かったかなと感じています。
――レース後に相楽豊駅伝監督(平15人卒=福島・安積)からはどのような話をされましたか
ひとまず区間賞を獲得できたことに対して「よかったね」という風に声をかけて頂いたのですが、特にマイナスなことではなく、プラスのことを言っていただいたかなと思います。
――2戦ともに中谷選手本来の強さを発揮できたように思いますがいかがですか
トラックゲームズの方は、少し守りに入ったかなと思ったのですが、全日本はしっかり攻めの走り、自分らしい走りが出来たかなと思っているので、次の日本選手権や箱根でもそれを出せたらいいのではないかと思っています。
――練習が継続して積めている要因は、何かありますか
練習量はすごく増えていますが、身体に何かしらのアクシデントが起きづらくなったというのは、ケアだったり、食事だったりを見直したかなというのはあると思います。あと、何かしらのアクシデントが起こった時にそこでやりすぎるのではなく、少し控えておこうと、ひどくなる手前で少し抑えようと、そういうところを徹底していたからこそ、練習を継続しつつも身体をいい状態で保つことが出来ているのかなと思います。
――下級生時は、無理してしまうことがあったと
そうですね。やはり、練習の途中で痛みが出たときに、何とかなるだろうと最後まで走ってしまって、痛みが悪化したというのはありました。高校時代からすごく負けず嫌いのところがあったので、練習を途中で止めてしまうことは、僕個人として許せない部分があって、そういう部分も影響していたかなと(笑)
――下級生時は、トラックで納得のいく走りが出来なかったと思いますが、その時期を今振り返っていかがですか
やはり、1年生の時はビッグレースが何個かあったので、今振り返っても悔しさを感じる部分が大きいし、特にU20世界選手権のレースはもったいないなと感じることもあります。ですが、そういう経験をしたからこそ、まだ頑張ろうと思える自分がいるので、今となってはあのような経験をしたことは、悪くないと感じてもいます。
――この一年で最も成長したと感じる部分はどこですか
難しいですね…。気持ちの部分でゆとりをもって出来ているかなという感じで、あとは、上級生になってチームの主力、エースという自覚が少しずつ芽生えたかなと、その部分ではまだまだ負けたくないという気持ちも増しているという部分が成長したかなと思います。
――日本選手権に出場できることにより、ご自身の将来的な目標により近づいたのではないでしょうか
そうですね、競技は大学卒業後もやる予定でいますし、元々、大学4年目にあるはずだった世界陸上が社会人1年目にずれてしまって、そこは目標として強く意識していて、今年と来年の日本選手権は僕にとってすごく大きな意味をもつ試合になってくるので、これまで走ってきたトラックレースの中でも重みのあるレースだなと感じているので、今回出場することはこの先のキャリアに大きく結びつくものだと思います。
――ご自身のどのような部分が、伸びしろや弱点だと捉えていますか
他の選手に比べると僕は走行距離が少なく、少ない距離の中でもポイント練習の質を求めてやっている部分があるのですが、どうしてもそれだけではカバー出来ないなとここ2年間ぐらいで感じています。月ごとに走行距離は徐々に増えていっているというのも現状ですが、まだまだ足りてないと感じているので、もう少し下地づくりをきっちりとやると、後半の走りの伸びにつながるなと感じているので、そこを伸びしろだと考えて強化していきたいなと思っています。
やるからには勝ちにいきたい
取材後の12月4日には日本選手権1万メートルで27分台をマーク
――現在の調子や脚の状態はいかがですか
最近は、強度の高い練習をやってきたこともあり、疲労も少しあるので、今は日本選手権に向けてその疲労を抜く感じです。脚の状態は特に何もないので、このまま維持できればいい走りが出来ると思います。
――日本選手権が終わってからは、箱根に向けてどのような練習を積んでいく予定ですか
監督から伝えられていることは、日本選手権が終わってから合宿のようにしっかりと走りこんでいくぞということです。今までは1万メートルに照準を合わせてやってきた部分をその倍の20キロというところを見据えて、あとスピードをつけるという部分ではトラックでやってきたところが生きると思うので、練習量でも、ポイント練習の質と量ももちろん上がってくると思うんですけど、ベースのジョグの部分をしっかりと増やしていくという段階にもっていくと思います。
――箱根について伺っていきたいと思います。「駅伝」に対する中谷選手の捉え方に変化はありますか
駅伝が1つの大会、という認識は、あまり変わっていませんが、今年はメンバーを見ても、上位争いに絡めるという印象を受けるので、やるからには、しっかりと走って、悔いを残したくないなと思っています。しっかりと勝ちに行きたいなという思いが大きいかなと感じています。
――中谷選手から見て、現在のチームの状況はいかがですか
故障者もそれほどいないですし、本当に近年の状態からすれば一番、過去三年間でいいのかなと思っています。このままうまくチーム全体の雰囲気も上がっていって、故障者も出なくて、という感じでいけば、面白い戦いが出来ると思っています。
――中谷選手の同期である太田直希選手(スポ3=静岡・浜松日体)や山口賢助選手(文3=鹿児島・鶴丸)も力をつけていますね
そうですね、直希は、地道にストイックにやっているなという選手だったので、伸びるだろうと感じていましたし、一緒に練習をやっていて僕自身刺激を受けていますが、まだまだ負けていられないなと思いを湧かせてくれる選手だなと思っています。山口に関しても、本当にここ最近の勢いと伸びがすごくて、そういった勢いのある同期の存在のおかげで、僕自身まだまだ頑張らなければならないなと感じさせてくれています。
――2年連続で1区に出走していますが、今回の希望区間は
あまりこだわりはないですが、1区に関してはもう走らなくていいかなと(笑)。1年目は、不完全燃焼に終わっていて、2年目は、納得する走り、全てを出し切った走りが出来たので、それで負けたならしょうがないというふうに思うことが出来ました。もちろん順位に関しては悔しいですが。単独走も得意なので、往路の中間区間、3区か4区に挑戦できればいいのではないかという風に思っています。
――最後に箱根駅伝での意気込みを改めてお願いします
チームでは、3位以内を目標にしているので、それを達成できるように、僕自身何区を走るのかはまだ全然分からないですが、任された区間をしっかりと走って、全日本同様に区間賞とチーム順位をトップに押し上げられる走りを目指して頑張りたいなと思います。
――ありがとうございました!
(取材・編集 青山隼之介)
◆中谷雄飛(なかや・ゆうひ)
1999(平11)年6月11日生まれ。169センチ。長野・佐久長聖高出身。スポーツ科学部3年。高校時代から世代トップを突っ走ってきた中谷選手。1学年下の井川龍人選手(スポ2=熊本・九州学院)と死闘を繰り広げた高3時の全国高校駅伝1区について、「あれで負けたらしょうがないというぐらい、追い込まれたレースだった」と語りますが、結果は区間賞。中谷選手の勝ち切る強さが垣間見えたレースでした。箱根でも気迫のこもった走りに注目です!