鈴木創士(スポ2=静岡・浜松日体)の2年目は決して順調なものではなかった。新型コロナウイルスの影響で多くの試合が中止になり、さらには自身のけがも重なった。しかし、レース後の反省を繰り返し次のトレーニングに生かすなど、地道に練習を重ね、現在は調子も右上がりだという。2度目の箱根路ではどのような走りを見せてくれるのか。現在の心境に迫った。
※この取材は11月28日に行われたものです。
新型コロナウイルスの影響を受け
12月20日の合同取材にて
――新型コロナウイルスの影響で今年は部活動停止があり、前半は思うように練習ができなかったと思いますが、振り返ってみていかがですか
みんなで練習ができない期間が長く続いたので苦しかったです。
――トラックレースの多くの大会が中止になりましたが、どのように感じられていましたか
やっぱり関カレ(関東学生対校選手権)は一つ大きな目標にしていたので、そこでなくなってしまったのは穴が空いた感じがしました。
――今年は調整の難しさなどを感じることはあったのでしょうか
他大学の選手が靴とかの影響もあると思うんですけど、(いい)記録を出していく中で自分も頑張って記録を出さないとという思いもあって、コロナなども相まって大変な思いはしました。
――シーズンが始まる前に、トラック種目で今季の目標などを立てられていれば教えてください
シーズン前は、関カレのハーフ(マラソン)で入賞することが大きな目標でした。あとは、世界ジュニア(U20世界陸上競技選手権大会)3000メートルに出られる機会がありそうだったのですが、結局選考会とかもなくなってしまって。世界大会に出られたらいいなという思いはありました。
――競走部の解散期間中はどのように過ごされていたのでしょうか
基本的には練習して、ゴルフとか趣味を楽しんでいるのが大半でした。
――練習は家の周りで行なったのでしょうか
そうですね。家の周りでトラックがあるところが離れたところになるので、車で行ったりして練習はしていました。
――練習が制限される中で意識的に取り組んでいたことはありますか
やっぱり一人でできることはジョグとかが基本になってくるのでそれを大切にやろうということは思っていました。
――ではその自粛期間で強化したポイントや鍛え直したポイントあれば教えてください
特に筋力トレーニングを見直して、幸いにも家に(筋トレ用の)機材があったのでそれを使って1から筋力を基礎構築しようという思いでやってみました。
――その筋力トレーニングの効果を実感する場面というのはあったのでしょうか
1回菅平に合宿に行かせてもらえる機会があったんですけど、昨年に比べて上り坂が強くなったこと、風が強い場面だったり、普段よりもイレギュラーな環境に強くなったという印象は受けました。
――練習スタイルや意識の部分で、再集合してから特に変わったと感じる部分はありますか
ただ走るということを変えて、妥協に近いんですけど、なるべく効率よく練習できたらいいなというのをコロナ期間に考えてやっていたので、それを今でも実践して続けています。
「悔しいの一言に尽きます」
11月21日の早大競技会では1万メートルで自己ベストを更新した
――今年は所沢で夏合宿が行われましたが、昨年と比べて練習メニューなどの大きな違いはありましたか
午前練習がなくなったので、二部練習で朝と午後だけという形になって、比較的走る距離が少なくなったと思います。
――合宿中はどのようなことを意識して取り組まれていましたか
その1日2回の練習の中で練習回数が少ないで1回で少しでも長く距離を走ることです。あとは午前中はちょっとでも距離積めたらよかったんですけど、すごく暑かったのでトレーニングなどをしつつ、午前中は寝るのではなく運動をしようと心がけていました。
――合宿を終えての収穫や手応えなどはありましたか
合宿期間はすごく暑い中で走ってきたというのは一つ自信にもなりましたし、最後の方はけがをしてしまったのですが、そこまで走れてきたというのは今の練習が継続できているということに繋がっているのではないかと思います。
――けがのお話ありましたが、けがはもう完治されているのでしょうか
はい。
――具体的にどのあたりをけがしてしまったのでしょうか
ハムストリングスなんですけど、実際は梨状筋症候群って言って、坐骨神経を圧迫する神経痛ですね。それが実際はハムストリングスが痛くなって、なぜ痛くなったのか分からない状態が1週間ぐらいあって、いろいろ勉強もしたのですがなかなか治らない状況が続いて辛かったです。
――今年の全日本大学駅伝対校選手権(全日本)では7区を任され、区間9位という結果でした。ご自身の走りを振り返っていかがでしたか
最低限、むしろそれ以下(の走り)という感じでした。他の青山学院大の神林(勇太)選手(4年)であったり、他大学のエースの選手と走って、しっかりついて行けなかったというか、そこに入って戦うことはできなかったというのは、収穫でもあり、その時はすごく苦しい思いをしました。
――試合後のインタビューでは課題が多く見つかったと話していたが、具体的にはどのようなことだったのでしょうか
当日も暑かったのでその暑さに負けてしまったり、根本的な力不足を感じました。
――課題克服のために、その後どのようなトレーニングを行いましたか
トレーニングの頻度を一旦減らして、走る距離を少し増やして、練習後の流しの本数を多めにやったり、ストライドを伸ばす、スピードを伸ばすなどいろいろなことを試行錯誤して行なっていました。
――2回目の全日本でしたが、去年初めて出場した時との違いなどは感じましたか
区間が変わって、7区に置かれたということは期待されているんだなというプレッシャーを背負いながら、自分もしっかり仕事をしなければいけないと思ったのですが、去年と同じような良くもなく悪くもなく微妙な結果になってしまったなと感じます。
――今年の全日本では3位でタスキリレー回ってきましたが、いかがでしたか
僕のところで1位になって、アンカーの山口さん(賢助、文3=鹿児島・鶴丸)に回すという展開が理想だったと思うのですが、それができなかったのが悔しいです。
――練習の際に、選手やコーチ、監督など誰かにアドバイスをもらうことはありましたか
そうですね、結構僕は相楽監督(豊、平15人卒=福島・安積)にも駒野コーチ(亮太、平20教卒=東京・早実)にもズカズカ言ってしまうタイプなので、結構意見も求めますし、自分から意見を言うこともよくあります。時々、五味トレーナー(宏生、平19スポ卒)っていう大迫傑さん(平26スポ卒・現ナイキ)とかのトレーナーさんも時々来てくれているので、どういうことしたらいいかなど、聞いたりします。
――その中でご自身で印象に残っているアドバイスはありますか
たくさんあるんですけど、ここ最近で1番で言うと、自分が結構走れなかった時に、こういう論文があるよだったり、フォームこうしてみたらなど、相楽監督からよく言われて、とりあえず1回やってみて、今も良い感触は得られているのでいい意見を頂いたと思います。
――先日の早大競技会では1万メートルで自己ベストが出ましたが、ご自身ではどのように感じていますか
悔しいの一言に尽きますね。自己ベスト出した中で、まだまだ20秒切るところが見えてた状態の中で、何もできなかった自分というのはすごく悔しいです。ただ、明治大学の選手と一緒に走って、同じ大学の井川(龍人、スポ2=熊本・九州学院)であったり、宍倉さん(健浩、スポ4=東京・早実)であったり、多くの選手に負けてしまったのが何よりも悔しいですね。
――ご自身で課題などは見つかったのでしょうか
根本的な力不足と、ビデオなどを見るとストライドが開いていないなと感じたので、体全身を使って動かしていくという取り組みを今はしています。
――ではそのレースの中で収穫などはあったのでしょうか
靴のおかげというのもあると思うんですけど、最初の5000メートルを14分10秒で入ってそれがすごく楽だったと思います。それは今までのスピード強化や筋力トレーニングをしてきた成果だなと思います。
「優勝しか見えてないです」
――東京箱根間往復大学駅伝(箱根)に向けて集中練習の様子はいかがですか
感触はいい感触は得られています。この期間は少しでも多く練習して、少しでも速くなるためのことをしなければいけないと思うので、もっともっとと思いながらやらないといけないと思ってます。
――現在、意識して取り組まれているトレーニングはありますか
先ほど言ったような体全身を使って走るような動きですね。あとは、昨年度は1キロ2分55秒で20キロを楽に走れるようにするというのを大きな目標にしてやってきたのですが、2分55秒じゃ戦えない世界になってきているので、2分50秒で10キロまで行って、残りを2分55秒で我慢できるように、アベレージで2分52秒くらいで行けるように取り組んでいます。
――今年はハーフマラソンを走る機会が少なかったと思いますが、長い距離の対応についてご自身ではどのように考えていますか
全日本で17.8キロを走って、苦しかったのですが我慢はできるという感触は得られました。もともと長い距離は得意ではあったので、恐怖とかはないです。
――2年生になり、走力の部分で成長したなと感じる部分はありますか
骨格的に筋力がついたと感じます。前回の箱根駅伝を経て自分が引っ張らなければいけないという意識も芽生えましたし、もっと頑張らないという面でちょっと積極性が増したと思います。あとは基礎的な体力も上がっていると思います。
――では意識の部分で変わったというお話ありましたが後輩が入ってきて、自分の行動で何か心がけていることはありますか
後輩にはとにかく優しくしています(笑)。特に栁本くん(匡哉、スポ1=愛知・豊川)はわが子のように可愛がっているので、不満なくいい生活を送っていると思います(笑)。あとは、普通に強い後輩たちが入ってきて、ビクビクしているというか(笑)。負けられないなと思いながら過ごしています。
――現在のご自身の強みと感じている部分はどこでしょうか
自分の持ち味は粘り強さに尽きると思います。
――チーム内でライバルとして意識する選手はいらっしゃいますか
やっぱり井川ですね。今日もチームに2年生が2人しかいないので、分けられてしまうことが多いんですけど、一緒になった時は競り合って意識することが多いです。
――他大学のトップランナーと競っていくと思いますが、意識する選手はいますか
他の大学の選手はそんなにいないんですけど、(駒沢大の)田澤くん(廉、2年)であったり青学の岸本(大紀、2年)とか東海の松崎(咲人、2年)とかはすごいなと思いながら見てます。特に田澤くんには勝ちたいなと思います。
――前回の対談で、世代トップを目指したいというお話ありましたが、今も変わっていないでしょうか
変わっていないです。世代トップを取って陸上を引退したいです。世代トップだけ最後取らせてくれと思ってます(笑)。
――前回の箱根では区間2位の好走でしたが、箱根に対してのイメージはいかがでしょう
本当にいい思い出しかないですね。苦しかったですが、その分努力した成果も出ました。箱根駅伝はテレビの中にあるスポーツだと思っていたのが、実際自分が走ってみて、こんなに観客が多くてきらびやかなものなんだなと、普通の試合とは違った特殊な(大会という)イメージが強いです。
――今回走りたい区間はありますか
特にはないので、どこでも大丈夫です。
――走る区間というのは直前に言い渡されるものなのでしょうか
本当に直前ですね。去年は結局7区と言われたのは2日前、3日前ですね。僕が走るのが復路だったので、箱根駅伝(往路)当日からすると、1日前か2日前だったと思います。
――7区と言われた時はどう感じましたか
特にどの区間を走りたいという欲がなかったので、よし頑張ろうと思いました。
――箱根に向けてご自身の調子はいかがですか
調子は1回どん底を味わって下がるところがないので、右肩上がりで今やってこれています。
――そのどん底というのは今年どのあたりで、1番悪いなと感じられていたのでしょうか
9月あたりですかね。夏場ですごく走れていて、よし行けるという状態から、一旦けがとかを挟んで全然だめになってしまいました。そこから全日本を経てだいぶ取り戻して、この前の早大競技会と満足はできていませんが、右肩上がり来ている感触はあるので、箱根に向けてあげていければいいなと思います。
――復調のきっかけはありましたか
普通にけがをしなくなったというのと、練習をコツコツ積み上げてきたので。1回どん底だったのでもう下がないという思いが強かったです。
――箱根での目標を教えてください
箱根は区間新記録、区間賞で、チームは優勝しか見えていないです。優勝だけしてきます。
――では最後に箱根への意気込みをお願い致します
区間賞目指して頑張ります!
――ありがとうございました!
(取材・編集 松下瑞季)
◆鈴木創士(すずき・そうし)
2001(平13)年3月27日生まれ。174センチ、52キロ。静岡・浜松日体高出身。スポーツ科学部2年。自己記録:5000メートル14分06秒58、1万メートル28分40秒24。ハーフマラソン1時間5分07秒。積極的なコミュニケーションが結果につながっているという鈴木選手。実力者ぞろいのチームメートと高め合い、優勝へ向けひた走ります!