1年時から学生三大駅伝のメンバーに名を連ねながら、出雲全日本大学選抜駅伝(出雲)は1区区間19位、全日本大学駅伝対校選手権(全日本)は5区区間14位と結果を残せなかった半澤黎斗(スポ2=福島・学法石川)。今季は原因不明のけがなどに苦しめられたが、復帰後は順調に練習を積み、東京箱根間往復大学駅伝(箱根)初出走をかなえた。しかし、6区区間19位とまたしても失速し、チームの力になることはできず。この結果をどう捉え、今後に向けてどのような展望を描いているのか――。
※この取材は1月22日に行われたものです。
チームを3位争いに導けなかった責任
質問に答える半澤
――箱根後の解散期間はどのように過ごされましたか
1週間くらいは筋肉痛で動くのがきつかったので、ゆっくり過ごしました。あとは都道府県駅伝の福島県チームが地元で合宿をしていたのであいさつをしに行ったり、お世話になった人にあいさつしに行ったり、休みつついろいろなことをしていました。
――周囲の方々から声を掛けられたことなどはありますか
「まずは箱根を走れたことが良かったね。また来年もあるから、またしっかり頑張って来年も走ってほしい」ということを言われました。
――小学校5年生の時に東日本大震災で被災され、それ以降会えていない地元の方もいらっしゃるとお聞きしたのですが、そういった方々から箱根を走ったことで反響があったりしましたか
成人式があったので、そこで震災ぶりに会った友達とかもたくさんいて、みんな「見てたよ」と言ってくれたので良かったです。
――ここから箱根の話に入っていきますが、6区を走ることが決まったのはいつでしょうか
話はけがをしている最中からしていました。復帰したら6区を目標にしてやっていくというのを相楽さん(豊駅伝監督、平15人卒=福島・安積)と話していたので、準備を始めたのはけがが治ってからなのですが、(6区に)いくというのを決めたのは割と早かったかなと思います。
――ご自身の中で、6区の下りに対しては得意という意識があったのでしょうか
そうですね、やっぱり他の選手と比べてスピードにある程度自信を持っているので、そういう部分では自分の特徴を生かせる区間なのかなとは思っていました。
――当日のインタビューでは「万全の状態」だったとお話しされていましたし、昨年12月の取材の際にも「順調」というお話をされていました。箱根前の期間は順調に練習が積めていたということでしょうか
そうですね、けがが治って復帰してからは自分でも納得のいく練習が積めていたので、当日は自信を持ってスタートラインに立てました。
――当日の緊張などはいかがでしたか
緊張はしていたのですが、いい緊張感というか、緊張しすぎてはいませんでした。みんなともしっかり会話できて、周りを見ながらアップとかもできていたので、気持ちの部分でもすごくいい状態だったと思います。
――目標タイムはどのくらいでしたか
最高で、一番良くできて58分半だったのですが、最低でも59分台前半でいきたいというのは監督と相談して決めていました。
――前日の往路が9位に終わり、目標の『総合3位以内』とは少し差のある状況でした。そのあたりはどのように受け止めていましたか
タイム差的には前の明治と1分半くらい、明治と3位がそんなに差がないという状況だったので、6、7区で明治に追いつくことができれば3位争いもできるなと思っていました。そのため自分の区間でできるだけ前との差を詰めるというのは意識していました。
――10位の拓大とは20秒、その後ろの東洋大、中央学院大とは30秒程度の差でしたが、どのように考えていましたか
前とある程度差があって後ろがだいぶ詰まっていたので、自分としては一番走りづらい位置だったのですが、東洋大の今西さん(駿介)がすぐに来るのはわかっていたので、それを想定したレースプランを立てていました。
――最初の上りで今西選手に抜かれ、芦之湯のポイントは区間15位での通過でした。この約5キロを振り返っていかがですか
自分の中で決めていた設定タイムとそんなに変わらなかったので、あまり自分が遅いという感覚はなかったです。ただ割と気持ち的にも体力的にも少しきついなという感覚はありました。
――その後の下りでも苦しい走りとなりました。振り返っていかがですか
下り始めて2、3キロで中央学院大に追い付かれました。レースプランの中では東洋の今西さんに追い付かれることは想定内だったのですが、中央学院大と拓大にも追い付かれるというのはあまり考えていなくて。そこで追い付かれて、ペースが違った時に焦ってしまったというか、一気にペースが崩れてしまった感じがあります。
――中央学院大の武川流以名選手に抜かれた際は付いていったのでしょうか
そうですね、一度リズムを合わせたのですが、中央学院大の武川君は僕とスタイルが違っていて。大股で広く(ストライドの)幅を取って走るスタイルだったのですが、僕は狭い歩幅で足をなるべく多く回転させて下っていく走り方なので、そこで少しリズムを合わせてしまった時に、自分の走りがかみ合わなくなってしまったなと思います。
――最後の3キロでは拓大に抜かれました。振り返っていかがですか
自分が今区間順位はどれくらいで走っているかとか、ゴールタイムがどれくらいでいくかというのは見ていなくて、前に早く渡すだけことに必死でした。後ろに運営管理車の相楽さんが来てからは1秒でも早く渡すことだけを考えていたので、あまり後ろの大学との差は気にする余裕がなかったというか。最後は結構きつかったですね。
――小田原中継所に飛び込んだ時はどのような気持ちでしたか
結果的に抜かれてしまって、明らかに区間順位が悪いのは最後走っていてわかっていたので、悔しいという感情の前に、申し訳ないなという感情がすごく大きくて。ただ待っていた創士(鈴木、スポ1=静岡・浜松日体)がすごくいい表情をしていたので、あとは任せるしかないと思って渡しました。
――その際声掛けなどはされましたか
いや、もう限界を超えていたというか、きつかったので何も言ってあげられなかったのですが、気持ちでは「頑張ってくれ」と思って渡しました。
――1時間0分49秒、区間19位という結果についてはいかがですか
まずは本当に申し訳ない気持ちと、あとはふがいなさと情けなさというのが本当に大きくて。本当に毎回になってしまうのですが、自分がやってきた練習の成果や自分が出せるはずの力を出せずに終わってしまったのが一番悔しくて。「こんなもんじゃない」というのは自分の中で思っていますし、ただ周りの応援してくれている人たちからは厳しい声が出るのは当然で、そういう人たちの期待に応えられなかったというところでは申し訳ないなという気持ちが強いです。
――ここまで学生三大駅伝では自分の力を発揮できずに終わってしまうことが続いていますが、ご自身ではどのように考えていますか
自分の中の今の一番大きな課題でもありますし、それをどうやって克服していくかが一番大切になってくると思います。この冬のシーズンでじっくり考えながら、まずはトラックシーズンにいいスタートが切れるようにということを考えつつ、これから克服していく方法などを相楽さんや同期のみんなと話して考えていきたいと思っています。
――今年は超高速レースとなり、区間賞の東海大・舘澤享次選手は58分17秒の区間新記録をマークしました。同じ6区を走った選手としてどう感じましたか
数年前から6区は他の区間と比べても格段にレベルが上がっていて、今年でいうと58分台を出さないと全く勝負できないという区間になっています。過去のデータを見て取り組んでも通用しないというか、これまでの常識を打ち破らないと戦えないのだなと感じました。
――走り終わってからはどのようにレースをご覧になっていましたか
7区の創士が本当に助けてくれて、後輩ながら安心して、頼もしいなと思いながら見ていたのですが、復路7、8、9、10区と早稲田は強い選手を置けたので、「自分がもっとやっていれば」という気持ちを持ちながら見ていました。
――チームの総合7位という結果についてはいかがですか
自分のところで明治との差を詰めていれば最後明治がしていた3位争いに加われたな、と思うと自分の責任が大きいなと思います。シード権獲得が目標のチームではなかったので、そのチームの足を引っ張ってしまったことが本当に悔しかったです。
――初めての箱根でしたが、実際に走ってみて感じたことなどはありましたか
やっぱり本当に応援してくれる方が多くて、沿道にいる方たちも本当にこれは駅伝大会なのかっていうくらいすごい声援を送ってくれますし、走っていてこんなに興奮したレースというのは初めてで、ここで走れることって幸せなんだなと感じました。結果は本当に悪かったのですが、それとは別に、ここを走ることに意味があったなと。また1年間後あの舞台で走りたいなと思いました。
――レース後相楽駅伝監督からはどのようなお話がありましたか
「元をたどれば夏のけがや、トラックシーズンにうまく練習を積めなかったことなどたくさん課題は出てくるけれど、そういうのを言い訳にしてしまうとこれから先強くなれないから」という話をして。「これが今の自分の実力だから、それをしっかりもう一度反省して分析して、来年絶対リベンジするぞ」というふうに言われました。
――2年生からは全学年中最多の4人が出走されましたが、レース後学年の中で話し合ったことはありますか
解散期間が終わって新チームが始動して、自分たちの学年としてはやはりチームの中心になっていかなければいけないですし、また今年も駅伝3位以内というのを目標にしましたので、それを達成するための中心に自分たちがいるために、もっと
頑張らなければいけないという話はしました。
――学法石川高の同級生である法大・久納碧選手も今回出走されましたが、レース後お話されたことなどはありますか
彼もすごく苦しい走りとなって自分と同じ区間19番(1区)だったのですが、学法石川高校としてすごく注目されている中で自分たちの学年はあまり活躍できていないというか、実力を発揮できていないままいるので、このまま腐らないように、今年の4年生のようになれるようにまた頑張っていこうと話しました。
結果にこだわりリベンジを
山下りの6区に挑んだ
――4年生が引退されて新体制となりましたが、練習の雰囲気などはいかがですか
去年と比べてになってしまうのですが、この1月、2月はすごくだらけてしまうというか、箱根というみんなが一番目標にしている大会が終わって気持ちが切り替わりづらいのですが、今年はそれをなくそうということで新しいルールを増やしたりだとか、ミーティングの回数を増やしたりだとかというところで、全員が駅伝3位以内という目標に向けていいスタートを切れているのかなと思います。
――今年は3年生となり、上級生としての役割も出てくるかと思いますが、どのように考えていますか
4年生が中心となってまとめてくれるとは思うのですが、Aチームにいる人数も僕たちの学年は多いですし、先ほども言ったようにチームの中心になっていかなければいけない立場だと思うので、自分たちが中心となってやっていくんだという気持ちでやっていきたいと思います。
――専門は1500メートルだと思いますが、トラックシーズンの目標はありますか
この2年間自己ベストを出せていないので、まずは自己ベストを出すというところです。今までトラックシーズンは高校時代とは違ったアプローチでやっていたので、一度少し戻すというかやり方を変えて、少し多めに自己ベストを狙うレースを入れて、タイムを出して自信を付けるというのをやっていきたいなと思います。
――新入生にも中距離の強い選手が入ってきますが、それについてはいかがですか
今年、飯島さんなどの中距離の強い4年生たちが抜けてしまったので、また中距離の強い早稲田というのをトラックシーズンで見せていくために、自分がしっかり引っ張っていきたいです。頼もしい新入生が入ってきますので、一緒に頑張っていければいいかなと思います。
――今年は学生三大駅伝全てに出場できますが、個人として目標はありますか
出雲、全日本、箱根と1回ずつ走らせてもらって、本当に全部悔しいというか、チームに迷惑をかけてしまった部分が大きかったので、まずはチームの力になれるようにしたいです。あとは、それぞれ自分が走った区間でもう一度リベンジしたいという気持ちがあるので、まずはそれまでに自信を付けて、レースでしっかり力を出せるようになってから、自分がチームの力になれると思ったら、その時にはしっかり走りたいなと思っています。
――すると、今のところは来年の箱根も6区を走りたいということでしょうか
いや、1年生の時からずっと1区を走りたいと言っているので1区を走りたいのですが、このまま終わりたくはないのでまた6区というのも視野に入れつつやっていきたいと思います。
――どちらもスタートの区間ですね
そうですね、スタートがやりたいですね(笑)。
――今後出走されるレースは決まっていますか
まずは9日に唐津のロードレース(唐津10マイルロードレース)に出場する予定なので、そこで自分の力を見て、それから次のレースを決めていきたいと思っています。
――最後に今年の抱負をお願いします
1年目、2年目と本当に悔しいシーズンになって、周りの同期は活躍していますので、置いていかれないように、今までのリベンジも兼ねて結果にこだわってやっていきたいなと思います。
――ありがとうございました!
(取材・編集 池田有輝)
◆半澤黎斗(はんざわ・れいと)
1999(平11)年12月3日生まれ。165センチ、54キロ。福島・学法石川高出身。スポーツ科学部2年。自己記録:1500メートル3分44秒57、5000メートル13分58秒08、1万メートル29分25秒05。2020年箱根6区1時間0分49秒(区間19位)。