【特集】箱根前特別企画『要』第5回 平和真選手

駅伝

 早大が最後に先頭を独走した駅伝は、2016(平28)年の全日本大学駅伝対校選手権(全日本)までさかのぼる。この年は強力な4年生がチームの軸として活躍したが、中でも主将としてひときわ存在感を放っていたのが平和真(平29スポ卒=現・カネボウ)である。平選手はどのようにチームを引っ張ってきたのか。そして、今の平選手にとって早大で過ごした4年間はどのように映るのか。当時についてさまざまなお話を伺った。

※この取材は11月28日に行われたものです。

4年生のつながりを意識

――まず大学時代の平選手について伺います。早大に入学したきっかけはなんですか

 それはユニホームでしょうね。今も変わりませんが、高校1年生の時から、テレビで駅伝を見てあこがれを持ったのが最初で。大学の名前もとても有名だし、陸上が強いというのも分かってたから、高1で早稲田を目指したという感じですね。

――早大に入学してから3年生までは決して順風満帆ではありませんでしたが、その原因はありますか

 高校3年間は先生の言うことを聞いて順調に強くなっていったけれど、大学になって自分に任される部分や自分で考えないといけないことが増えてきたり、自主性とか自立性が大事になってくるところで順応できなかったことが一番だと思います。

――駅伝主将になった経緯や理由はありますか

 小さい頃からキャプテンとか集団をまとめ、引っ張っていくことは割と好きで。大学も自分が1~3年の時は駅伝で一つも勝てなかったし、自分がキャプテンをして最後の年にどれか一つでも勝ちたいなという気持ちがあって立候補した感じですね。

――どのような主将を目指されていましたか

 口で人に対してどうこう言うのは簡単だけど、背中で引っ張るキャプテンがかっこいいなと思って。普段どれだけヘラヘラしていても試合になったらちゃんとしたり、やることをちゃんとやる、そういう主将に憧れを持っていて、そういう人が引っ張っていくべきだなと思っていました。だから僕はそういう引っ張り方がしたいと思って、口でつべこべ言う前に、まず自分がちゃんと試合で結果を残して、それに自然とみんながついてくればいいかな、くらいのスタンスでやっていましたね。

――チームづくりで意識したことはなんですか

 変にまとめようとすると逆にうまくいかないと思ったので、4学年でまとまろうというよりは、まず最上級生の4年生がまとまろうという考えになっていて。チームのみんなを集めるのは難しいけど、一学年は10人くらいだから、そこで集まるのは結構簡単ですし。だからよく4年生で集まって自分たちができることを話し合ったり、4年生のチームワークを強めていきました。4年生全員でチームを引っ張ってそれに後輩がついてきてくれればいいなと思っていたから、4年生のつながりを一番意識していましたね。

――先ほどお話のあった4年生の横のつながりについて、具体的にお願いします

 僕らの学年は割とみんな仲が良かった方で、1年生の時から誰かの誕生日にみんなでプレゼントを渡したり、仲の悪い同期があまりいなかったから、そこは最初から恵まれていた部分でした。でも仲が良いだけでは駄目だから、ミーティングではちゃんとしてなかったり下級生の見本になっていない人がいたら突いたり、たまには厳しいことを言ったりしました。たくさん話し合ったおかげで横のつながりが強くなっていったと思います。

――監督やコーチとのコミュニケーションで意識していたことは

 確かにコミュニケーションも大事だけど、監督も多分、勝ちたいという気持ちがあれば選手はちゃんとやってくれると信じていると思う。僕らがちゃんと練習していたり、やることをきちんと押さえているところを見たらあまり何も口出ししてこなくて、やりたいようにやればいいよ、みたいなスタンスだったと思いますね。だから僕から監督に相談することは特になかったし、逆に監督から「どうしたい?」とかはたまに聞かれて、それを学年にしっかり持ち込んで話し合いをして決めていた部分はありますけど、そんなに「コミュニケーションを取らなきゃ」とか、監督と良い環境をつくらなくてはというのは意識はしませんでしたね。

――主将ををやる中で一番つらかったこと、きつかったことは何でしたか

 年明け前にキャプテンに決まっているのに3年の箱根を走れなかったことと、4年生のシーズンインが遅れたことですね。その二つは自分の中で気にしてたし、よく覚えています。チームとして新体制が始まったトラックシーズンで、本来結果を残すべき立場の自分が故障で出遅れたことはまずいなとは思いました。年度の初めは焦ったと言えば焦りましたね。

――つらいときに支えてくれた存在はいましたか

 4年生はみんな支えてくれましたね。そもそもキャプテン就任時から自分一人でやっていける自信はなかったし、一人で頑張るのがキャプテンだとは思っていませんでした。もちろんチームのトップに立つし、口では引っ張っていくと言うけど、自分の中では4年生全体で引っ張って行きたいと思っていて、それは新しいチームが始まる前から皆に伝えていました。それで周りが察してくれて、僕がうまくいってなかったら話を聞いてくれたり、ミーティングで「平の役目が多いからここは俺らがやろうか」と言ってくれたり、そういうところで助けてくれましたね。

――反対に、一番うれしかったことは何ですか

 場面場面でうれしいなと思ったことはありましたが、何かの結果がうれしかったり、最終的に一年過ごして達成感を得られたとは思わなかったですね。駅伝で一つも勝てなかったし、どちらかというと悔しい思いが大きかったので。でもチームが終わって、同期や周りから「お前がキャプテンで良かったよ」と声をかけてもらえたことはうれしかったし、達成感ではないけど充実してたな、やってよかったなとは思いました。でも結果に対してのうれしさはないですね。

――駅伝主将に就任したことで変わったことは何かありましたか

 たぶん自分で意識してなくても、自然に色々と変わっていったとは思います。出る1レース1レースに真剣に臨むようになったし、絶対に外せないという緊張感を持てるようになりました。競技以外でも、やはり寮でもみんなに見られる立場だから、生活面でも正す部分が多かった気はします。

「優勝を目指して頑張った過程がとても大切だった」

――箱根の直前には集中練習などがありますが、その期間を振り返っていかがでしたか

 今振り返ると違う感情が入ってきますが、練習強度も当時の自分からすると強かったし、きつい練習も多かったからもちろん憂鬱になることもありました。でも最終的な目標が2日、3日(箱根)にあるのでやらないといけなかったですし、練習だけでなくチームの雰囲気や一人一人の状態を把握することも大事だったので、やることが多かったです。自分だけ良くてもチームは勝てないので、色々と考えていました。きつかったですね。

――その頃のチームの雰囲気はどうでしたか

 毎年16人のエントリーが決まった頃からは一人一人に緊張感が出てくるし、雰囲気は自然とつくられていきましたね。

――最後の箱根を振り返っていかがでしたか

 結果的に言うと優勝できなかったことがすべてで、そこに関してもちろん当時は悔しかった部分もあります。粗探しをすればいくらでも見つかるし、スポーツなんてたら・ればばかりなので。でも今では優勝を目指せるくらいのすごく良いチームだったなと思うし、優勝を目指してみんなで頑張った過程がすごく大切だったと思いますね。

――4区の鈴木洋平選手(平29スポ卒=現・愛三工業)への笑顔のタスキ渡しが印象的でした。あの時の心境を教えてください

 優勝争いをする青学大に前を行かれて状況的には良くなかったし、走る前は「(相手が)何秒前にいるから追いかけないといけない」とか、「俺の役目はこうだ」とかいろいろ思ってはいました。でも走り始めたらそういうのがスッとなくなって、自分の走りに集中して。中盤から後半はきつい所もあったけど、「こんな応援の中で広い道路を気持ちよく走れるのもこれで最後か」と思い始めました。そして自分の区間が終わる時に洋平が見えてきて、本格的に「これで最後だ」と思ったら自然と笑顔になった感じですかね。

「大学での失敗が今に生きている」

4年時の箱根では3区区間2位の好走を見せた平選手(朝賀祐菜氏 撮影)

――早大に入って良かったことは何ですか

 自分としては、大学の頃に苦労したおかげで色々な知恵を持ってたり、コントロールの仕方を知っていると思います。早稲田は自主性を大事にしている大学だから、自主性に任せられたことで当時は失敗しましたけど今はそれが生きているし、糧になっていますね。早稲田でなくても失敗してたかもしれないけど、大学の時に自由にやらせてもらったりたくさん失敗できてよかったなと思います。

――そういった点が実業団生活に生きているということですか

 そうですね。

――他に実業団での生活に生きていると感じたことはありますか

 具体的に言うと、自分の調子の上げ方や気分の操り方とかですかね。当時は走りたくなければ走らなくて良いこともありました。今思えば甘かったなとは思うし、でもそれが駄目なことに気付けました。「大学の時に駄目なことをしたから、今度はそれをしないように」という感じで生かされています。今、大学の時の自分のことを振り返ったら、すごい駄目な選手だと思います。でも大学生の時の自分がそれに気づけたかと言えばそうではないし、今日まで陸上を続けてて初めて、過去の自分に対して感じられたことだと思うから、そこは仕方ないですね。

――競走部の良いところは何ですか

 やはり対校戦は長距離以外の種目も含めて行われますが、長距離だけの大学は若干寂しそうでしたし、応援やいろんな種目でみんなが頑張っている所を見られてすごく楽しかったです。あとは短距離と長距離でお互い刺激しあえるところも良かったですね。1~2年の時は短距離で日本代表になった先輩もいて、日本のトップや世界で活躍してる人がいると勉強にも刺激にもなるから、それはすごく良かったことです。

――先輩やチームの雰囲気はどうでしたか

 それぞれ1年ごとに違うけど、楽しかったですね。基本的に仲が良かったし、ワイワイしてました。誰からも怒られなかったし、むちゃくちゃ厳しい人もいなかったですし。

――平選手から見て、監督やコーチはどんな方ですか

 相楽さん(豊駅伝監督、平15人卒=福島・安積)は見守ってくれている感じです。もちろん言いたいこともたくさんあって、首を突っ込みたくなる場面も多かったはず。でも僕らに任せてくれて、我慢強く見守ってくれたと思います。もちろん選手から相談したら乗ってくれるし、試合でうまくいかなかった人に対しての話しかけ方は上手だったし、優しい人でした。駒野さん(亮太長距離コーチ、平20教卒=東京・早実)は相楽さんより年が近いから陸上以外の話も楽しかったし、Aチームの選手は色々と話していました。でもやはりCチームの選手とか、箱根を目指しているけど力がそこに到達してない人には厳しい部分もあるように見えましたね。喋りやすかったし、陸上以外の話もできたし、相楽さんには言えないようなことも言える人でした。

――同期とは普段の生活ではどのような雰囲気でしたか

 みんな仲良かったですよ。授業も一緒に取ってたし、そのまま学食を食べに行ったし。練習の前に寮から歩いていく時はそこで一緒になった人と喋りながら行ってましたし、何なら一緒に行こうぜとなる時もありました。食事の時も一緒だから、本当にずっと一緒にいた感じですね。

――早大では4年生が強いとチームも強いとよく言われますが、その理由はどんなところにあると考えていますか

 早稲田に限らず、4年生が強いチームはどこも強いと思います。精神論はあまり好きではありませんが、学生スポーツは最終学年の人が強いと思いますね。最後の年だからこそ絞れる力もあると思うし、それができるのは4年生しかいないから、4年生の力は勝つうえでものすごく大事だと思います。それに先輩がちゃんとやってたり結果を残していると、後輩も「頑張らないと」とか「ああいう先輩になりたい」と思ってくれるはず。だから4年生さえよければ皆が付いてくるし、4年生自身も強いからトータルで強いですよね。もちろん下級生が強ければ上級生の刺激になることはあるけど、総合的に言えば4年生が強いチームが強いのではないですかね。

「シンプルに頑張ってほしい」

――今の競走部について伺います。現チームのここまでの流れをどう見ていますか

 やはり他の大学がどんどん強くなってきてるのは確かだし、そこよりも出遅れてるとは感じています。他大学で大学から強くなった選手には絶対そのきっかけや原因があると思うし、早稲田にはちょっと頑張ってほしいという気持ちはあります。早稲田の選手は高校の時から強かったし、勝ってほしいなという気持ちはありますね。

――早大がこれからの箱根を戦う上で、チームに必要なことは何ですか

 すごくシンプルに言うと、強い人の人数ではないでしょうか。10人で走るので、強い人が6人いるチームと3人しかいないチームでは前者の方が強いに決まっていますよね。そこをメンタルで補うのは難しい話ですし、優勝を狙うならそれだけの実力を伴わせないといけません。それから色々なこと、調子を上げるとか雰囲気をよくするとかもですね。やはりシード権や一つでも良い順位を取るなら、流れや太田(智樹駅伝主将、スポ4=静岡・浜松日体)、新迫(志希、スポ4=広島・世羅)の4年生の頑張りは必要になってきます。彼らが走るとチームとしても良くなるし、いいリズムができるのではと思います。

――太田智駅伝主将へのアドバイスはありますか

 もう今さら何もないけれど、やはり最後は自分の走りに集中して、楽しむこと。そこだけ意識してほしいですね。そこまでの過程ではチームのことを見たり気を利かせないといけないけど、当日はもう本当に最後だし自分のために走ってほしいと思います。

――チームに向けてのアドバイスは何かありますか

 あまり偉そうなことは言いたくないし、説教なら直接したいけど(笑)、シンプルにとにかく「頑張ってくれ」しかないですね。自分の「頑張れ」という言葉に詰め込まれた色々なことを汲み取ってください、みたいな(笑)。

――現在はカネボウで活躍を続けていらっしゃいますが、大学と実業団で環境に変化はありましたか

 自分が強くなりたいと思って練習できるから、そこはすごくいいと思いますね。大学の時は(練習を)「やらなければ」というところもありましたけど、社会人になってからは自分が強くなるために練習や自制しないといけないところを考えるようになったので、考え方の順序が良くなりました。

――最後に、これからの目標をお願いします

 来年の東京オリンピックもですが、とにかくまずはオリンピックか世界陸上で代表になることですね。その目標を達成したら、また次の目標を決めるという感じで。また、この大会に出て何位を取るという目標はあまりないのですが、マラソンにも挑戦したい気持ちもあります。

――ありがとうございました!

(取材、編集 名倉由夏)

現在はカネボウで競技を続ける平選手。今年は日本選手権5000メートルに6位入賞を果たした

◆平和真(たいら・かずま)

2017(平29)年スポーツ科学部卒業。愛知・豊川工高出身。学生時の自己ベスト:5000メートル13分38秒64。1万メートル28分46秒04。ハーフマラソン1時間2分14秒。箱根成績:1年4区2位55分03秒。2年4区9位56分31秒。4年3区2位1時間3分32秒。卒業後はカネボウに入社。19年日本選手権5000m6位、18年東日本実業団駅伝6区区間賞などの結果を残し、チームの主軸として活躍しています。次戦は元日に行われる全日本実業団対抗駅伝。箱根前日に上州路で見せる雄姿が、後輩への最高のエールになるでしょう!