【連載】箱根事前特集『燕脂の挑戦』第14回 三上多聞

駅伝

 三上多聞(商4=東京・早実)が最終学年にして、ついにチャンスをつかもうとしている。今夏の強化合宿ではBチーム落ちを経験し、全日本大学駅伝対校選手権(全日本)では補欠に回るなど唇をかむ思いを重ねてきた。しかしその後は徐々に状態を取り戻し、東京箱根間往復大学駅伝(箱根)の10枠争いに名乗りを上げた。ひたむきに努力を重ねてきた苦労人は新春、『結実』の時を迎えられるか。

※この取材は12月4日に行われたものです。

『速さ』と『強さ』

今季を振り返った三上

――前回の箱根を終え、どのような思いで一年をスタートしましたか

 チームが13年ぶりにシード落ちしたということで。その戦いに自分自身が関われなかったというのが、すごく悔しかったです。次は4年生になるので、自分自身が活躍してこの屈辱を晴らしてやろうという気持ちでやってきましたね。

――「自分が出走して活躍してやろう」と

 まあそれもあるんですけど、それよりもチームを変えていきたいというか。復活した早稲田の中心にいたいなと、そういう思いです。

――3月の日本学生ハーフマラソン(学生ハーフ)では自己ベストを更新しました

 全てがうまくはまったレースでしたね。それまでは毎レースどこかが悪くて。例えば、レース展開だったり持久力だったりスピードだったり、どれかが欠けていたので。それらがどれ一つとして欠けることなく、全てがはまったレースだったのかなと思います。けがでなかなか走れていなかった中、僕がああいったかたちで走れたというのは、自分で言うのも何なのですが、(チームに)衝撃が走ったというか刺激になったのかなと思います。

――5月には初めてエンジのユニホームを着てハーフマラソンに参加しました

 それまでは『数字』を出すために走ってきたという感覚が強かったのですが、このハーフマラソンで初めて『強さ』を求められたレースだったと思います。『速さ(数字)』と『強さ』って全く別物なんだなと感じましたね。

――三上選手の考える『強さ』とは

 どんなコンデションでも結果を出せるというのが強さだと思いますし、あとは競ったら絶対に負けないというのも大事かなと。どんな状況でも、何に対してでも対応できるのが強さだと思います。例えば、関カレ(関東学生対校選手権)は特殊なコースでした。1周1.5キロくらいのコースを何周もして、しかもアップダウンも激しくて。そんなコースでハーフを走ることなんてなかなかないですし、加えて気温も30度近くあって。そんな中でも東洋大さんであったり、東海大さんあたりのメンバーはしっかり勝ち切ってきました。そういった面で学生ハーフは、うまくはまって勝てただけなんだなと思い知らされましたね。

――5000メートルで自己記録をするなど充実したシーズンだったと思います。トラックシーズンを総括していかがですか

 充実は……。正直もっと出せるかなと思っていたので。まだ(走りに)ムラがあるなと思っています。でも去年までは、調子の悪い時に(1万メートルに)31分も掛かってしまうような選手でした。そういう意味で実力の底上げはできてきていると思うので、一つ収穫だったと思います。

――そんな中でも、毎年自己ベストを着実に更新してきましたね。その要因は

 正直3年の秋までは、全然結果が出ていなかったと思っていて。けれども、その結果が出ていなかった中でも、地道に練習を重ねてきたのが最近力になってきているのかなと思っています。めちゃくちゃしんどい時期もありましたけど、そういった日々の積み重ねが、学生ハーフだったり、ここ最近の自分の実力ベースの底上げにつながっていると感じています。

――夏合宿ではBチームで練習を積みました

 夏はなかなか調子が出なくて…。それで2次合宿が始まる直前くらいに相楽駅伝監督(豊、平15人卒=福島・安積)から「Bチームで修行してこい」と言われました。Aチームでは質の高い練習をどんどんやっていくというスタイルだったんですけど、Bは基礎を徹底して磨き上げる時間の割合が多いので、自分を見つめ直すというか。初心にかえって、もう一度泥臭く練習することができたと思うので、プラスに捉えられました。もちろんBチームに落とされたというのは、マイナス要素も少なからずあったと思うんですけれども、Bチームでの練習が最近の自分のベースになってきているのかなと感じています。基礎基本をがっちり固めることができたので良かったです。

――夏を経ての具体的な収穫は

 2次(合宿)は人と競い合うような練習があまりなくて、3次合宿や箱根予選会前の集中練習期間からふるいにかけるような練習が増えてきました。そこでスポーツ推薦で入学してきた人たちと競ったり、場合によっては勝てたりしています。去年は全く歯が立たなかったので、そういったところで成果を感じています。

復調の秘訣は『メンタルトレーニング』

――箱根予選会は学内9位でした

 練習の成果を出せなかったという感じです。予選会とはいえかなり注目されている大会で、独特な雰囲気がありました。その雰囲気にのまれてしまう自分がいましたね。これまで早稲田は43年連続で箱根のタスキをつないできていますし、それを自分たちの代で途絶えさせてしまったら、早稲田の歴史に汚点を残してしまうので。そういった意味での重圧をすごく感じました。

――これまで気持ちが落ち込む期間もあったと思います

 すごくもやもやしていて。箱根予選会の1週間後に全日本がありました。自分は補欠という中、同期が活躍している姿を見て複雑な気持ちになりました。もちろんチームが復活したというのはすごくいいことですし、全体としては良かったのですが、自分がその一員になれなかった、汚名返上できなかったというところに混沌(こんとん)としていました。チームとして良かった喜びと、自分が出られなかった悔しさと半々でしたね。

――上尾シティマラソンまで、どのようにして気持ちを立て直しましたか

 もやもやしている時に相楽さんから「メンタルトレーニングをやってみないか」と提案していただきました。早稲田の選手は定期的に希望者だけやるんですけど、それにカウンセリングというかたちで参加させていただきました。その時にメンタルを高める方法を実践しました。目を閉じて、自分と対話したり、自分の活躍している姿を想像したり。いろいろな方向から自分を見つめるトレーニングなのですが、それをしたことで吹っ切れたというか。結果は出ていなかったんですけど、プラス思考になれました。自分が箱根に出て走っている姿を想像したら、すごくワクワクしてきました。そこからやってやろうという思いになって、吹っ切れましたね。上尾の結果にも全然満足できてはいないんですけど、調子が悪い中で最低限の走りができたのかなと思っています。

――その上尾では「最初突っ込んで粘る」というレースプランだったそうですが、このプランで望んだ理由は

 最近の三大駅伝ってスピード勝負になっていて、みんな相当なペースで突っ込んでいますね。そういったメンバーに離されないように。むしろ勝っていかないといけないので。そういった意味も込めて、突っ込みました。今年に入ってからは、ただ数字を出すだけでは駄目だと思ってやってきたので、「こういうレースプランをして勝つ」というのは相楽さんと相談しながらやってきましたね。

――出場した早大メンバーの中でトップでした

 んー、早大の中での順位にはこだわっていませんでしたね。主力選手が出ていなかったので、トップを取って当たり前だなと。それよりも「他の大学の選手とどれだけ戦えるか」という点を意識していましたね。

――ゴール後、駒野亮太長距離コーチ(平20教卒=東京・早実)に言われたことは

 「前半速いペースで走った中で、後半足が止まることなくまとまられたのは良かったと思うけど、立川の結果からすると物足りない」と。「その殻を突き破るレースをしてほしかった」と言われました。調子が悪かったといえ走りやすいコースだったので、自己ベストを更新しなければいけないと思っていましたし、それだけ高いレベルを求められているというのは、駒野さんの言葉を聞いて再認識しました。上尾で力を見せられなかった分、集中練習で見せていきたいなと身が引き締まる思いでした。

「僕は非エリート組。自分が箱根で活躍すれば希望を与えられる」

上尾シティマラソンでは学内トップを占めた

――現在の調子は

 かなり良くなってきています。上尾の時に比べ、かなり良いんじゃないかというところまで上がってきています。これまでの3年間の集中練習は歯が立たないような状態で苦手意識があったんですけど、今は着実にこなせているので、これまでの練習の成果を感じていますし、自信も徐々に付いてきています。

――箱根まで1カ月を切りました

 自分は意識し過ぎると、いつもと違うことをしてしまうので(笑)。焦っちゃうタイプなので、あえて平常心でやっています。

――希望区間はありますか

 上りが得意な方なので、5区とか。まだそこまでの強さはないんですけど(笑)。あとは8区とか。あと谷口さん(耕一郎氏、平30スポ卒)とか小澤さん(直人氏、平31スポ卒)とか4年生の一般組が締めてきた区間である10区に続きたいという思いもあります。けれどもいざ走るということになれば、どの区間でも他大に勝てるような走りをしたいと思っています。

――4年生としてどのような役割を果たしたいですか

 僕は非エリート組、いわゆる一般組というところからやってきた身なので、自分が箱根で活躍すれば(同じ境遇の後輩たちに)希望を与えられるというか。僕自身も谷口さんとかに希望を与えられてきたので、そういう影響を与えられるような走りをして、後輩たちに何か残したいと思っています。

――箱根に懸ける思いは

 10年間競技を続けてきて、ずっとここに憧れてきました。僕の半生が懸かっているといっても過言はないので(笑)。ここまでやってきて、自分がエンジを着て箱根路を走るチャンスが今目の前に迫ってきているので、これまでの陸上人生を懸けてやろうというのが思いです。

――共に励んできた同期はどのような存在でしたか

 いろいろ紆余曲折あって。時には対立して、時には仲良くて。そういったことを経て、かけがえのない仲間になったと思います。

――その中でも、太田智樹選手(スポ4=静岡・浜松日体)はどのような駅伝主将でしたか

 ガツンと引っ張っていくというか。厳しい方だったと思うんですけど、強気な姿勢で引っ張って、結果と言葉でも引っ張っていく主将でしたね。

――三上選手の走りの『強み』とは

 地道に走り込んできた成果って、レースの終盤に出てくると思っていて。どんなに疲れていても足が動くというか。どれだけきつくても粘りの走りができるというのは、この四年間で得た強みだと思っています。

――箱根まで詰めていきたいポイントは

 監督やコーチから求められているというのもそうですし、自分がそうなりたいというのもあるのですが、全日本のメンバーに割って入るような選手になりたいと思っています。これからはふるいにかける練習がどんどん増えていくと思うので、そこで(実力を)示していきたいと思っています。

――最後に、箱根に向けて一言

 『不撓(ふとう)不屈』の粘りの走りで、箱根路を駆け抜けます!

――ありがとうございました!

(取材・編集 石﨑開)

不撓不屈の精神で、最初で最後の箱根路に挑みます!

◆三上多聞(みかみ・たもん)

1997年9月10日。168センチ、54キロ。東京・早実高出身。商学部4年。自己記録:5000メートル14分35秒94。1万メートル29分46秒49。ハーフマラソン1時間3分46秒。早実高出身の三上選手。高校時代は、今秋大ブレークを果たした野球部・田口喜将選手(商4=東京・早実)と仲良しだったそう。「2年間クラスが一緒だったんですよ。自分と同じくスポーツを頑張ってきた仲で。一緒に文化祭の準備をしたり、一緒に帰ったりしていましたね(笑)」と懐かしそうでした。一方で最近は、早稲田にある『ダルシムカリー』というカレー屋さんに足しげく通っている三上選手。「自分が引退して落ち着いたら、田口と一緒に行きたいですね」と笑顔で話してくださりました!