東京箱根間往復大学駅伝(箱根)で10区に登場したのは小澤直人(スポ4=滋賀・草津東)。シード権獲得を託されたアンカーは、序盤からの積極的な走りやゴール手前での中大とのデッドヒートで見る者の心をつかんだ。箱根出走の夢を果たし、陸上競技生活に終止符を打った今、早大での4年間を振り返っていただいた。
※この取材は1月16日に行われたものです。
「(箱根は)注目度が全く違う」
4年目にして学生三大駅伝初出場を遂げた小澤(写真は出雲)
――念願の箱根出走を果たしましたが、ご家族や地元の方から反響はありましたか
実際に走るとみんなに伝わったのは当日の区間変更で、その変更は僕からは言えなかったので、メディアに出た時点でLINEとかメッセージが今までとは比べ物にならないくらいすごく来て、注目度が全然違うなと思いました。
――10区での出走が決まったのはいつごろでしたか
往路が終わった後ですね。それまでは知らされていなくて、復路全部の区間でいけるように準備してくれと言われていました。
――10区はご自身が希望されていた区間でしたか
10区とかは上級生がしっかりしなきゃいけない区間だと思っていたので、4年生の責任として走りたいなと考えていました。
――10区で自分に求められているのはどのような走りだと考えていましたか
出雲(出雲全日本大学選抜駅伝)、全日本(全日本大学駅伝対校選手権)と残念な結果に終わってしまって、なんとしても箱根は3位以内という思いでやってきましたけど、展開的にシード圏外にいて、10位まで1分10秒くらいの差で来たので、やっぱり最後自分がシードをとって後輩につなげる走りをしたいなという思いで走りました。
――昨年は6区での出走の可能性が高かったが、6区への思い入れはありましたか
今年は渕田(拓臣、スポ2=京都・桂)が夏調子悪くて、走るとしたら自分かなと思っていたんですけど、渕田が復活してきてくれて自分は他の区間に回れました。絶対走りたいというわけではなかったんですけれど、下りは得意な方なので生かせる区間だとは思っていました。
――出雲のレース前は緊張でふわふわしたような感じだったとおっしゃっていましたが、箱根前も同じように緊張しましたか
箱根前は緊張というよりはすごいプレッシャーの中でやっていたので、練習からすごくきつかったです。
――事前取材で、上尾シティマラソンで足の皮がめくれてしまったとおっしゃっていましたが、その後の集中練習の消化具合はいかかでしたか
及第点くらいでずっとできていて、周りがポイント練習に合わせている中で、自分はそれ以外のジョグとかで負けないようにしていました。ポイント練習の結果は周りから見たらそんなに良くなかったかもしれないですけど、それ以外の部分で箱根に向けて量を積んでいたので、そこには自信がありました。
――集中練習への向き合い方は昨年と違いましたか
去年はポイント練習でいっぱいいっぱいになってしまって、他のところで疲労で距離を積めなかったのですが、今年は夏から距離を踏めていたので、去年に比べると余裕がありました。
――集中練習の時のチームの状態は、前の二つの駅伝の時と比べていかがでしたか
危機感を特に僕たち4年生は強く感じていて話し合いもしましたし、集中練習での競り合いもバチバチな感じでやっていたと思いますし、いい意味でピリピリした雰囲気だったのかなと思います。
――10人のメンバーに入る手応えを感じていましたか
上尾で、最後抜かれてしまったんですけどずっとチーム2番手で走っていて63分台で走れたので、長い距離には自信がありました。集中練習ではちょっと遅れたりしたこともあったんですけど、間のジョグとかでしっかり練習を積めていましたし、集中練習が終わってから箱根までの2週間くらいで調子が一気に上がっていったので、そこで多分走れるかなと思いました。
「ひとつでも上を目指そう」
懸命なスパートで中大を追った小澤(右)。わずかに届かなかったがその力走は見る者を魅了した
――前日のレースを受けて、翌日に向けてどのような気持ちを抱きましたか
復路のメンバーで最低シードを取らなきゃいけないと思いましたし、3位までも全然見えなくはない位置で、僕たちは復路が強みでもあったので、5人でしっかり上を目指してやっていこうと思いました。
――シードまでどれくらいの差で来ることを想定していましたか
出来れば5番とかそれくらいで来てくれたらよかったですけど…。想定していたというよりは、来たところでやるべきことをやらなきゃいけないと思っていました。
――走る前に相楽豊駅伝監督(平15人卒=福島・安積)やチームメイトから何か声を掛けられましたか
監督には「シードまで1分ちょっとまで来てるからなんとかお前でシードを取るぞ」と言われて、僕もその気持ちでいましたし、後押ししてもらいました。同期が中継所に来てくれてスタートを見届けてくれて、それがすごく力になりました。
――タスキをもらったとき、10位との差については、どのように感じていましたか
拓大の選手だったり強い選手が前にいたので、難しいなと思って。でも自分が消極的なレースをして終わるよりは、積極的に前に行ってそれで追い付けて抜かせたら万々歳だし、もし始めから積極的に行って追い付けなくても悔いはないというか自分のためだと思ったので、最初から10位を走る拓大とその前だけを見て走りました。
――「積極的に走る」ということ以外に具体的なレースプランはありましたか
一心不乱というか…。後半に貯めて途中からペース上げていくとかそういうことは考えていなくて、とりあえず10位と思って走っていました。
――6キロ過ぎで明大をかわした際は、様子をうかがうことなくすぐに抜かしましたが、何か意図がありましたか
明大が11位を走っていて、その前が僕の狙っていたところだったので。坂口(裕之)も強い選手ですけど明らかに動きが悪かったので、自分が行くしかないと思いました。彼が引っ張ってくれたら本当は一番良かったんですけど。
――中大の選手に終盤までピッタリとつかれる展開になりましたが、走りにくかったですか
18キロくらいまで後ろに付かれましたね。結構ストレスでしたし、コース的にずっと向かい風だったので自分がかなり良い風よけになったと思います。特にラスト5キロは突風というかビル風が強くてかなり苦しかったです。
――どこかでスパートをかけて引き離そうと考えていたのでしょうか
自分が引いて垂れてくれたらうれしかったですけど、自分もペースが落ちてしまって。良いペースメーカーになってしまったかなと思います。そこが力不足だったと思います
――ゴール前のラストスパートで中大を追い込んだシーンが印象的でしたが、そのシーンについて振り返っていただけますか
11位も12位も変わらないですけど、一個でも上を目指そうと思って最後の力を振り絞りました。
――ゴール後は涙が溢れましたが、どのような思いでしたか
シードを取れなかったことについてすごく申し訳ないという気持ちが強かったです。10位が見える位置まで来たのに最後また離されてしまったので、それがすごく申し訳ないというかみんなの期待を裏切ったんじゃないかという気持ちでした。
――10区は箱根駅伝の中でも特に応援の声が大きい区間ですが、応援は聞こえましたか
知らない一般の方も、前と詰まってるぞとか40秒まで来てるぞとか言ってくれて、それが結構ありがたかったです。
――監督車からは指示がありましたか
声援がすごくてあまり聞こえなくて、何か言ってるなくらいでした。
――ゴール後に清水歓太駅伝主将(スポ4=群馬・中央中教校)や井上翔太マネジャー(スポ4=愛知・千種)から声を掛けられましたか
よく頑張ってくれたとかありがとうって言ってくれて、はっきりとは覚えていないですけどすごく嬉しかったです。
――区間7位というご自身の結果についてはどのようにとらえていますか
自分自身としては普通かむしろ悪いくらいの走りだと思っていて、でも周りは印象に残ったとか感動したとか言ってくれました。悔いはないですけど満足のいくレースではなかったと思っていて、結構自分を責めてしまった部分もあったのですが、周りから言っていただいたことで救われた部分がありました。
――卒業後に陸上競技に関わっていく予定はありますか
自分で走るとか、教員をやるつもりでいるのでもしかしたら部活とかですかね。今までやってきたことを還元できたらいいなと思います。
――競技から離れることには寂しさがありますか
今は結構やりきった感があるので、そんなに寂しさはないですね。箱根を目指してやってきて、仮に出られなかったとしても悔いはないくらいの過程を経てやりきれたので未練はないです。
――早大での4年間で一番印象に残っているレースは
3年までは怪我が多くてあまり試合に出られなかったのですが、4年では三大駅伝全部走れましたし、一番充実した練習ができて自己ベストも出せて、4年目のシーズンが一番印象に残っているし楽しかったなと思います。
――4年目で結果が残せた理由をどのように考えていますか
このままで終われないという危機感とか4年生としての責任とかいろいろな気持ちが僕を動かしてくれて、結果につながったと思います。あとは、大学に入ってから質・量ともに高校とは段違いで、ケガを繰り返していたのですが、4年目になってようやく適応できたかなと思います。
――同期の皆さんへの思いを聞かせてください
同期の中で今まで僕が一番結果を残せていなかったので、永山(博基、スポ4=鹿児島実)や歓太もそうですし、今シーズンの望のインカレ入賞とか西田(稜、政経4=東京・早大学院)の急成長とか車田(颯、スポ4=福島・学法石川)の復活が、僕にとって一番刺激になっていたので、成長させてくれたことに感謝しています。
――ありがとうございました!
(取材・編集 町田華子)
◆小澤直人(おざわ・なおと)
1997(平9)年3月29日生まれ。180センチ、63キロ。滋賀・草津東高出身。スポーツ科学部4年。自己記録:5000メートル14分08秒52、1万メートル29分34秒44。ハーフマラソン1時間3分42秒。2019年箱根駅伝10区1時間11分58秒(区間7位)。