【特集】箱根前特別企画『恩師』 第2回 足立幸永先生(藤原滋記)

駅伝

今季の全日本大学駅伝対校選手権で主要区間の4区に出走するなど、最上級生となりチーム内での存在感を増している藤原滋記(スポ4=兵庫・西脇工)。中学生のころから同世代の中で際立つ存在だった藤原は、高校駅伝の強豪・西脇工業高に進学し一流選手の道を駆け上がった。今回は当時藤原の指導にあたった西脇工業高陸上部監督の足立幸永氏に、藤原が高校3年間でどのように成長を遂げたのか、また藤原の現在の姿と将来像は恩師の目にどのように映っているのか、という2つのテーマを中心にお話を伺った。

※この取材は11月8日に電話で行われたものです。

「非常にクールで、よく言えば中学生離れした大人びた感じでした」

初めて藤原選手の走りを見たのはいつでしたか

藤原が中学2年生のときですね。選手勧誘の際にやっぱり抜けていたので。非常に体の使い方がうまくてそれからずっと注目していました。

走りの特徴、強みはどのように感じましたか

非常に上下動の少ない走りと積極体な走りができるのが一番特徴でしたね。

初対面の印象はいかがでしたか

意外とクールで、あまり表情を変えない子だったかなあという印象があります。非常にクールで、よく言えば中学生離れした大人びた感じでしたね。

藤原選手の弱点についてはどのように感じていましたか

疲労がたまってくるとなかなかふんばることができなかったので、体の疲労をためないようには気を付けながら指導したかなという感じですね。

藤原選手のどのような点を伸ばそうと考えて指導されていましたか

負けず嫌いなところですね。メニューは全員が同じメニューをやるんですけど、その中で藤原は1年生のときから上級生に食らいついてチャンスがあれば前に出てやろうという感じで、その負けず嫌いさをとにかく殺さないように、どんどん攻めていくように指導しました。

10年先を見込んだ指導をしているという記事を拝見しましたが、当時の藤原選手にはどういった将来像を思い描いて指導されていましたか

やっぱり将来はタイプ的にはマラソンもできるタイプだったので、まず高校は成長過程の途中なのであまり無理はさせない、距離もあまりふまない。その分骨格をとりまく筋力アップ、内臓をとりまく筋力のアップなどそういうものを心掛けて、体づくりを中心にやったかなという感じがしますね。

日頃の練習への取り組み方や生活の様子をどのように見ていましたか

1年1年明るくなっていったかなという感じがします。すごく笑顔がいっぱい出るようになったし、すごく自信がついてきたんだろうなという感じを受けました。そこの印象が1番強いかなと思います。

藤原選手は3年時に全国高校駅伝で1区で出場していますが、やはりチームのエースとして信頼していたましたか

それはもう1区は藤原しかいないというように思っていたし、本人もそのつもりでしたね。

高校3年生になった藤原選手はエースとしてどのように部を引っ張っていましたか

あまり口数が多いタイプではなくて、黙ってキャプテンやサブキャプテンやマネージャーが言うことを実践していくタイプだったかなと思います。ただ、後輩への練習に関するアドバイスなどはよくしていたと思いますし、自分の背中で引っ張るという感じだったかなと思います。

高校3年間で藤原選手を叱ったことはありましたか

それこそ疲労がたまって体を思うように体を動かせないときに心を鍛えるという意味では叱咤(しった)激励というのはありましたが、それでも苦しいなりになんとか走ることができていたので、あの子に対してそんなに叱った記憶というのはないですね。

藤原選手は長いロードレースで安定した結果を残していますが、この素質は当時から感じていましたか

それはもう高校時代からこの子は最終的にはマラソンをやるべきだなというのは思っていましたね。

高校時代に競技面や精神目で特に成長したと感じる部分はどこでしょうか

精神的に安定したことかなと思います。もともと持っている負けず嫌いな性格を、どういう状況のなかでもきっちり攻め抜くという精神的な心の強さにつなげられて、この面で大きく成長したんじゃないかなと思います。印象に残っているのは、3年生の近畿のインターハイのときですかね。前日に強烈に雨が降って次の日が強烈に熱くなったんですよね。その時に予定したペースでつっこむのは暑いから抑えていってもいいぞという指示をしたんですけど、本人が「いや、予定通りいきます」と簡単に言ってのけた時に、すげえなというふうに思いました。それがやっぱり印象に残っていますね。

藤原選手の早大進学に際して、アドバイスなどはしましたか

いや、もう本人は早大一本だったんじゃないかなと思います。いろんなところから声がかかりましたけども、僕も早稲田に預けるのが一番だと思っていました。当時は監督が渡辺康幸くん(前駅伝監督、平8人卒=千葉・市船橋)で指導方法もよく分かっていたので、藤原をしっかりと伸ばしてもらえるかなと思っていました。

今でも駅伝などでの藤原選手の結果をチェックしていますか

もちろんチェックしていますし、連絡もきますよ。

走りや結果を見て感じることは何かありますか

今のほうが距離を長く踏むからだと思うんですけれども、いい時と悪い時、疲れがたまって結果が残らないときの差が大きくて、もっともっと行けるはずだと思っています。もうちょっといってほしいなという気はしています。

トラックの5000メートルで高校時代のベストを更新できていなかったり、ケガに苦しむことも多い藤原選手の姿をみてどのように感じていますか

記録は別にどうでもいいんですけどね。いい記録を出したから強いという事でもないし。長い距離に適性があるのでそこを伸ばしてくれればそれでいいなと思うんですけども、やっぱり故障が多いということ自体がケア不足なのかもっと自分でできることがあると思うので、睡眠時間とか食べ物であるとかマッサージとかストレッチとか、そういうケガをしない気配りをもっともっとやってほしいなと思います。

先ほど連絡を取り合っているという事をおっしゃっていましたが、どのようなお話をされますか

むこうから「今度何区走ります」とか結果がどうでしたといった連絡があったときに話をするくらいと、ことし教育実習でうちに来てくれたので、いろいろと話をしていました。

最後の箱根を迎える藤原選手に伝えたいことは何でしょうか

やっぱり健康管理に注意して最後という心構えをしっかりもって、お世話になった早稲田に貢献できるように調整して頑張ってほしいと思います。

早大を卒業してSUBARUで競技を継続する藤原選手に、今後どのようなキャリアを歩んで行ってほしいと考えていますか

まずはやっぱりマラソンで、普通の人は東京オリンピックとか言いますけど、マラソンで挑戦してほしいなと思います。それとSUBARUの監督がうちの卒業生なので、監督も西脇工業、選手も西脇工業というのでそういう縁でいい結果が残ればうれしいなと思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 大庭開)