早大競走部には数多くの学生スタッフがいるが、男子マネージャーは選手から転向してきた者が多い。鈴木皐平主務(教4=愛知・時習館)、中山智裕マネージャー(スポ4=長野・佐久長聖)も例外ではなく、ランナーとしての気持ちを持ちながら、選手を献身的にサポートしてきた。様々なことがあった四年間。そのの締めくくりとなる東京箱根間往復大学駅伝を控えたお二人の、熱い思いを語っていただいた。
※この取材は11月29日に行われたものです。
「勝てる組織のマネージャーでいたい」(中山)
マネージャーについて、冷静に語ってくれた中山
――この対談の組み合わせなんですが、鈴木主務が中山マネージャーを希望されて実現しました。普段から仲がいいのでしょうか
鈴木 そうですね、僕は最初マネージャーで中山がプレーイングマネージャーだったんですが、僕一人ではできなくて日々いろいろ甘えている部分がありますね(笑)。僕はスタッフをやる時点でマネージャーに決まったんですが、中山は少し違う感じです。
――一緒にいるのも4年目となると、いかがでしょうか
鈴木 4年は全体的に仲が良いですね。1年生でマネージャーを決めるときとかは若干バチバチしたんですが、(僕は)最初からスポーツ推薦じゃなかったから…。
中山 試走のときはいつも一緒にいます(笑)。
鈴木 そうだね、なんだろうね(笑)。確かに試合の帯同とかでドライブするときは大体しゃべっていますね。僕が運転して、中山は選曲が上手いんで、ウォークマンに曲がたくさん入っているんですよ(笑)。あとは寝ないので、横にいてくれて助かります。僕は寝るんですが(笑)。
――それでは、お二人が陸上を始めたきっかけを教えてください
鈴木 僕は中学の時もともと野球部で、中2の駅伝シーズンくらいから先生に誘われて、そこから野球と陸上を両方やるようになりました。駅伝も真面目にやっていったので、最後の中3の駅伝での仲間というのが今でも付き合いがあるくらい仲良くなって。中3のちょうどその年に早稲田大学が三冠したというのもあって、高校では陸上をやりたいなと思うようになりました。早稲田に行きたい、どこなら行けるかと考えたときに時習館高校があったので、そこに入学しました。
――2011年に早稲田が学生三大駅伝で三冠したのはやはり影響があったのですね
鈴木 そうですね、でないと高校も違うところに行っていたかもしれませんし、ひょっとして野球をやっていたかもしれません(笑)。でも野球は今でも好きです。
中山 僕は親の影響で小学校1年生のときに陸上教室に入ったのがきっかけです。中学2年生で長距離に転向して、マネージャーになるまでずっと陸上をやっていました。
――中山さんが早稲田に進学された理由を教えてください
中山 高校で陸上をやっているうちに「強い大学で陸上をやりたい」と思うようになりました。あと僕は浪人をしたのですが、浪人している選手がいるのが早稲田かなと思って、早稲田を志望するようになりました。
――鈴木主務は早稲田キャンパスに通われていますが、練習と授業の兼ね合いで大変なことはありますか
鈴木 僕、実は当時(選手時代)寮外生で、力がなかったので寮にも入れなかったので、練習場所が遠かったのがつらかったですね。マネージャーになってから、2年生までは授業ばっかりで、マネージャーなのにグラウンドにいない罪悪感はそのときありました。週に2日くらいグラウンドに行けない日があって、朝練しか見れないとかありました。選手ならその分自分で練習すればいいんですが、マネージャーがグラウンドにすらいられないというのは罪悪感でしたね。
中山 実は僕も寮生じゃないんですよ(笑)。すぐそこ、寮から歩いていける距離にマンションを借りて通っています。寮飯もいただいているし、なんなら仕事がある日はこっちにとどまったりします。最初の1年生の時点で競技力がないと寮に入れないのですが、そのままそのマンションに居ついちゃいました。
鈴木 河合(祐哉、スポ4=愛知・時習館)も寮じゃないですよ。河合とかはそこで上手く生活リズムが確立しちゃったんで、変に変えたくないんだと思います。僕が寮の余った部屋にいさせてもらっています(笑)。
――1年生で入部した時の、目標などはありましたか
鈴木 僕は箱根(東京箱根間往復大学駅伝)を走りたいというのが一番でしたね。でも入って「これはとんでもないところに来てしまった」と思いました。高校も強豪校じゃなかったので、上下関係などの温度差、あとは練習の違いがありましたね。最初のうちは大変でしたね。本当に毎日、一日過ごすのが精いっぱいで。中山は佐久長聖高校なので、今より厳しい生活だったと思いますが…。
中山 僕は高校から厳しかったので、むしろこっち(大学)の方が過ごしやすいとは思いました。ただ僕はケガが多くて、入学時に立てた目標に追いつけない自分が嫌でした。そういう意味でつらっかたですね。
――それでは、マネージャーに転向された経緯を教えてください
鈴木 正直、足が遅かったからですね(笑)。同期が今の8人になったときに、今駅伝を走ってる安井(雄一駅伝主将、スポ4=千葉・市船橋)、藤原(滋記、スポ4=兵庫・西脇工)、光延(誠、スポ4=鳥栖工)、石田(康幸、商4=静岡・浜松日体)の4人と谷口(耕一郎、スポ4=福岡大府大濠)は力がずば抜けていました。中山も実績はあったのですがケガが多くて、僕と河合に関しては当時力不足というか。この二人と河合を入れた三人でマネージャーを決めるという流れになって、単純に僕が一番走れなかったのでマネージャーになった、という感じです。
中山 確かにそういう選び方もなくはなかったとは思うけど、(マネージャー業は)誰でもできるというものでもないし。
鈴木 確かに三人ともそこそこ勉強はできたので、仕事もできるんじゃないかというのもありましたね(笑)。
中山 同期がこの人数になるまでいろいろあって、本当はもっとたくさんいて、マネージャーになりたいという人もいたんです。そこからこの8人になったので、皐平は「単純に足が遅かったから」とか言うんですが。
鈴木 そう言ってもらえるとありがたいですね。だから入ったときは夢にも思わないわけですよ、まさかこの中でマネージャーになるとは。僕はケガはしなかったのですが、慢性的なオーバーワークになってしまっていて。「やばいやばい、やらなきゃ」って思っていた時期はきつかったですね。
――その、マネージャーのお仕事を具体的に教えて頂いてもいいでしょうか
鈴木 この質問、先輩の山下さん(尋矢、平28スポ卒=静岡・浜松西)に「就活で聞かれたら困るよ」と言われていて(笑)。向こうが聞きたいことに対して自分たちの答えが広すぎて…。なんだろうな。
中山 ざっくり言うと、サポートと部の運営だと思います。サポートっていうのは、練習中のタイム計測だったりです。部の運営は、会計だとか事務仕事がありますね。
鈴木 ソフト面とハード面があるなと思いますね、僕のイメージだと。
――選手と一緒にジョグをされたりもしますか
鈴木 そうですね、中山はそのときに1年生を見てくれていたりしますね。
中山 ジョグをするときに話を聞くというか、来てもらうのを待つというよりは自分たちから行こうとは思っています。
鈴木 自分たちで「あいつどうかな」って話しながら、行ってもらったりします。下に井上(翔太、スポ3=愛知・千種)や田村(スポ3=埼玉・早大本庄)もいますし、試合や練習後はそういう話になりますね。あとは同期が部屋に来ることもあるので(笑)。でも僕は話を聞くだけで誰よりも競技力はないので、自分ができる範囲でアドバイスをしています。
――部員日記を拝見しましたが、新迫選手(志希、スポ2=広島・世羅)の日記に鈴木さんのお名前がたくさん出ていました
中山 めっちゃ慕われていますよ。
鈴木 まあなめているだけですね、あそこの二人(新迫、太田智樹、スポ2=静岡・浜松日体)は(笑)。思っているものは強いので、少しでも力になってあげられたらなと思います。
――女子マネージャーの皆さんとは、どのようにお仕事を分けているのでしょうか
鈴木 正直彼女たちの方が仕事はできるんですよね。1年生のときからマネージャーになりたいから入ってきているというのもありますし。細かいことは彼女たちの方ができますし、あと「あれどう?」って聞かれて「悪い、やってなかった」って思い出させてくれることもあります。特に同期には助けられていますね。あとは全体的に女子部員が少ないので、女子マネージャーに相談に行くこともあるのかなと思います。
――マネージャーとしての理想像はありますか
鈴木 江口さんや山下さんにかわいがってもらったというのはあるので、困ったときには「あの人たちならどうするかな」と考えることはあります。いろいろなマネージャーさんがいるとは思うのですが、直接あのお二人に関わらせてもらったので。
中山 4年生で男のマネージャーだったという人を僕は直接知らないので、皐平を支えようと思いました。あとは単純に、どういうマネージャーであるかというよりは自分たちの代で納得のいく結果で終われるようにしていきたいと思っています。正直選手への思いというのが強くて、どうやってこの気持ちを抑えながらマネージャーをやっていたのですが、勝てれば結果オーライだなと思って。答えになってないかもしれませんが、勝てるチームのマネージャーの一人でありたいです。
鈴木 僕も結局そこになってしまいますね。結果至上主義なのかもしれないんですが、勝てる組織のマネージャーでいたいですね。
――やはり選手が勝ってくれるのはうれしいですか
鈴木 それが一番ですね。それが僕らのやりがいじゃないですけど、そこが一番ですね。
――今季で一番うれしかった試合は何ですか
鈴木 関カレ(関東学生対校選手権)かな、やっぱり。康幸は僕と一緒の本キャン生で彼もスポーツ推薦じゃないんですが、相楽監督(相楽豊駅伝監督、平15人卒=福島・安積)にも一番怒られてて(笑)。一番挫折もしているので、彼が一皮むけてくれたのはうれしかったですね。
中山 関カレは印象的でしたね。
鈴木 あとは全日本(全日本大学駅伝対校選手権)であいつら(太田、新迫)がしっかり走ったのもですね。新迫はこの前八王子(八王子ロングディスタンス)でもそこそこ走れたので、ホッとしますね!
中山 皐平は絶対うれしかったよね。
――中山マネージャーから見て、鈴木主務はいかがですか
中山 本当に大変だと思います。僕たちが把握できていないところでも頑張ってくれているので、感謝しています。あと仕事の面以外で、皐平は選手に寄り添っている印象が強くて、そういうところがすごいなと思います。皐平ってすごく信頼されているんですよ。仕事ができるからというより、話をちゃんと聞いてくれるからだと思います。僕はそういうことができないので。
鈴木 中山は最初マネージャーを決めるときに「中山は選手として残したい」という話がすごいあって、競技力の面では僕なんかよりみんなからずっと認められていました。僕が2年生のときに仕事がパンパンで中山に甘えてしまっていた部分があって、すごく申し訳ないなと思っていました。二人でやるのが当たり前というか、「これよく一人でできていたな」と思うので助かっています。あと中山は人の懐に入るのがうまいというか、僕より(相談に乗る選手の)幅が広いと思います。
――マネージャーのつらいところは
中山 選手ではないので自分の結果がなく、みんなの結果で評価もされます。ことしは今のところ満足できていないので、つらいというか。選手と一緒になって悩むこともあります。
鈴木 中山と一緒ですね。対校戦で得点がとれるわけでも、駅伝で区間賞がとれるわけでもないので、そうなるとチーム全体の結果を見たときに、「力足らずかな」と思ってしまうことがあります。僕はチームの順位が僕らの順位になると思うので、難しいですね。仕事自体は毎日楽しくやらせてもらってるので、仕事のつらさは最初のうちだけでしたね。眠いとかはありますが(笑)。
――選手からマネージャーになって気づいたことはありますか
中山 コーチ(駒野亮太長距離コーチ、平20教卒=東京・早実)の気持ちです。僕は選手のとき相楽監督のチームじゃなかったから分からないんですが、コーチとはケガが多かったこともあり仲が悪かったんです。
鈴木 仲悪かったね、でも今は本当に仲いいんですよ。
中山 駒野さんが全然練習を見てくれなくて、故障は絶対悪というか。普段の練習を見てくれていないのに怒られるのが嫌だったのですが、マネージャーになってコーチの思っていることも分かってきました。
鈴木 僕は主務もやらせてもらったので、単純に関わる人が増えました。監督をはじめマスコミの方、メーカーの方と挙げるとキリがないのですが、自分の視野が広がったというか、少しは頭が柔らかくなったかなと思います。根拠はないですが、今だったらもう少し選手としてもやれたのかなと思います。みんな言うよね、これは。
「スタートラインに立たせるまでが自分たちの頑張りどころ」(鈴木)
選手への気持ちを語る鈴木主務
――今季の試合を振り返って、マネージャーとしていかがでしょうか
鈴木 まあ落ち込むよな、あれは。
中山 練習ではもっといいんですよ。もったいないなと思うことがあって…。
鈴木 きょうの練習でも悪くなかったですね。単純にデータだけなんですが、夏合宿でも学生駅伝三冠した時より、上の方はできていたりするんですよね。
中山 悪く言えば弱いチームなのかもしれませんが、可能性はあると思います。箱根にぴったり合わせられるか、それができなかったら「ことしは駄目なんだ」と思ってしまいますが、まだ分からないので。
鈴木 本当に練習も駄目で試合もだったら弱いんですが、練習でできているのに試合で出せないメンバーを見ていると、「もっと行けるのにな」と思ってしまいます。変に真面目すぎるのかもなあ。
――ことしは真面目な選手が多いですか
鈴木 そうですね。新迫とか頑固ですが練習に関しては、やることはやりますね。
中山 悪いことがあると真面目に悩んでしまうのがありますね。
鈴木 藤原とか安井もそうですね。光延も意外に落ち込むんですよ。
中山 光延は繊細ですね(笑)。
――では、全日本の直前に光延選手がケガで戦線離脱されたときは、どうだったのでしょうか
鈴木 落ち込んでましたけど、少し上から言うと「成長したな」と思いました。昔だったら落ち込んだ気持ちをもろに出して、ものけの殻みたいになるんですが、今回の全日本はケガした時点で箱根に向けて練習を変えてもよかったのに、前日の調整までしっかりやってて。安井もそれを分かってて「あいつ腰痛いんだろうな」みたいなことを話していました。彼なりにやっていたのかなと思います。ああ見えて一番駅伝で失敗しているので、何とかしたいという気持ちがあるんじゃないかと思います。
――箱根でも、光延選手は涙を流している印象が強いです
鈴木 あれはつらいですね。目が合った瞬間に泣きだすんですよ…。光延は私生活でも一番一緒にいるので。
――それでは、いまの4年生の雰囲気はいかがでしょうか
鈴木 まとまってきていると思います。へたに仲が良すぎても良くないのかなと思いますが、まとまりはあると思います。康幸とか藤原とか結構自由にやるやつもいて、安井も多分最初の方はイライラしていたと思うのですが。
中山 今までで一番まとまっていると思います。走力的にも今までで一番高いレベルでまとまっています。僕たちの場合少数精鋭で、関わらない選手がいたら駄目だし、本人たちもそれを分かっていると思います。
鈴木 選手もお互いの信頼関係があると思うんですよね。安井も谷口や河合にすごい期待していますし。その点は負けて終わるようなチームではないと思っています。あいつらがいなかったら僕もやっていなかったと思うので。
――箱根が1カ月後に迫っておりますが、マネージャーとして意気込みをお願いします
鈴木 僕としては、選手依存でなってしまうかもしれませんが、スタートラインに立たせるまでが自分たちの頑張りどころかと思っています。なので、あと1カ月が僕たちの勝負なので、それまで自分たちにできることはやろうという気持ちです。
中山 同じくです(笑)。自分も走るくらいの気持ちで、やりたいと思います。
鈴木 理想は(4年生の)6人全員が走ることです。個人的な感情ですが(笑)。6人走ったら泣くなあ。同期は少なくて一緒にいた時間が濃いので、さみしくなるなあと思います。
――ありがとうございました!
(取材・編集 鎌田理沙)
箱根への意気込みを、色紙に書いていただきました!
◆鈴木皐平(すずき・こうへい)(※写真右)
1995(平7)年5月15日生まれ。愛知・時習館高出身。教育学部4年。選手から慕われているという鈴木主務。取材中も近くの席にいらっしゃった太田選手や新迫選手になんども話しかけられていました。多くを共にした同期や、かわいい後輩と挑むレースも箱根が最後。悔いなくマネージャー業を全うされることでしょう!
◆中山智弘(なかやま・ともひろ)(※写真左)
1995(平7)年9月29日生まれ。長野・佐久長聖高出身。スポーツ科学部4年。名門・佐久長聖高から早大に進学された中山マネージャー。選手として高い意識があっただけに、マネージャーに転向した直後は気持ちの整理がつかなかったそうです。しかし現在はマネージャーとして、チームを勝たせるために最善を尽くしているのだそう。箱根では納得のいく結果で、有終の美を飾ってほしいです。