【特集】箱根前特別企画『恩師』第1回 関村亮先生(安井雄一駅伝主将)

駅伝

 「僕の人生を変えてくれた先生」。安井雄一駅伝主将(スポ4=千葉・市船橋)がそう断言するほど大きな影響を受けた、まさに『恩師』。それが、千葉県松戸市立常盤平中学校時代の陸上部顧問・関村亮氏だ。関村氏に出会い、安井の人生はどう変わってきたのか。どのような道を歩み、ここまでたどり着いたのか。貴重なお話をたくさん聞くことができた。

※この取材は10月13日に行われたものです。

「他の見本となるような選手でした」

安井選手の『恩師』に当たる関村氏

――安井選手が陸上部に入部したときの印象はどのようなものでしたか

 本人は実はサッカー部に入ろうかなと迷っていたりもして、特に目立って速いという訳でもありませんでした。最初の記録会でも新入生の中で一番速いという訳でもなかったのですが、陸上に対する姿勢というのはすごく前向きで、淡々と自主練だとかに取り組んでいました。家族もサポートしてくれていて、非常に熱心に練習に取り組んでいたというのが印象的でした。

――では最初から群を抜いていたということはなかったのですね

 そうですね。最初は1年生でギリギリ県大会に出られるか出られないかという本当に微妙なラインで。通信(全日本中学校通信大会千葉県大会)に対しても県総体(千葉県中学校総合体育大会)に対しても、標準記録をギリギリ切れたという感じでした。飛びぬけて常に一番だったということはなく、市内大会でも優勝するとかもなかったですし。県でギリギリ入賞するかなというのが1年時の印象です。

――走りの特徴というのは何かありましたか

 スピードが特に速い選手ではないので、とにかく一定のペースで走るというのが彼の持ち味ですね。スピード勝負で最後の100メートルとかでダッシュをして勝ち切るというタイプではなく、常に先行して一定のペースで走り切るというのが彼の特徴だと思います。中学校の大会でも常に前でレースをしていて、最後までそのペースで走り切っていました。なので地方の記録会などに行くと、最後までダントツで走り切ったりもしていました。言い方は悪いかもしれないですけれども、最後まで駆け引きなく思い切ったレースができるというのが彼の大きな特徴だと思います。

――特に力を入れた指導などはありますか

 中学校の指導なので走るのが好きになる、というのがポイントだと思っていました。彼は特に筋トレや補強を好き好んでやるタイプではなかったので、できるだけ長い距離を踏ませて、高校、大学と進学する上で体幹だとかフォームの改善を組み合わせることによって競技を続けてほしいなと。なので中学校で力を入れたのはとにかく距離を踏む、距離に対する抵抗をなくすということです。ちょっと言い方はあれですが、それで彼らの中の距離に対する感覚は少しおかしくなったかもしれないですね(笑)。他の中学校ではやらないような30~50キロの距離走を1キロ5~6分くらいでとにかく長くゆっくり時間をかけてやる。だけども他の学校よりも補強や筋トレに時間は割いていない、という感じでしたね。中学トップレベルの選手がやるようなインターバルの練習は、千葉県内の合同練習のときに一緒にやらせてもらっていました。

――安井選手も「関村先生から陸上を楽しむという気持ちをインプットしてもらった」とおっしゃっていました

 ガチガチした指導というのは高校や大学で、管理された状況でされると思ったので、そういったことを最初からやってしまうと走るのを嫌いになってしまうかなと。なのでとにかく色々な場所に連れていきました。たぶん(関東近郊の)一都七県は練習や大会でロード走に出かけたと思います。

――中学3年間を通してみるとどのような選手だったのでしょうか

 1年生の後半から2、3年生と競った練習ができていたのでかなり練習を踏めて、力がついてきているなというのはありました。なので学年が上がるにつれて、特に2年生から3年生になるときには部長というのも考えたんですけども、実は彼は中学校時代部長はやっていないんですよ。本来であれば一番速い選手が部長というのがいいとは思うのですが、彼はやるとなると全て真面目に考え込んでしまうタイプなので、あまり負担になって本来の走りができなくなるのが嫌だな、走りに集中してほしいなと思いました。2年生の春シーズンでは(3000メートル)8分台を出したのですが、残念ながら全国大会に行くことができなくて。そういった部分でも3年生に上がる時に走りに集中して頑張ってほしいということで、部長にはつけず、とにかくチームを走りで引っ張っていってほしいんだと伝えました。走りに対して自信を持って練習に取り組んでほしい、先輩がいなくても自分が引っ張る練習をしてほしいなと。そういったかたちでチーム全体を安井くんが引っ張って練習を続けていくことができました。

――3年生になるころには全国トップレベルの選手にまで成長されましたが、そこまで成長できた要因というのは何でしょうか

 一番大きな要因というのは良いライバルが多かったことだと思います。彼自身、ずっと千葉県内でトップに立ったことがないんです。中学校時代は(千葉県我孫子市立)安孫子中学校にいた高森くん(健吾、東洋大)が常に強くて、ずっと県内で2番の選手でした。安井くんは予選から全力で行くので、千葉県の通信の大会記録は彼が持っているのですが、優勝はしていないという少し変わったことになっています(笑)。そういった部分で目標になる選手が常にいたので、追いつけ追い越せというかたちで切磋琢磨できたのが良かったのではないかなと思います。

――部内ではどういった立ち位置、キャラクターの選手でしたか

 和気あいあいとしたチームだったのでふざけるときはふざけていました。ただ、練習に取り組む態度だとか、レースに取り組む姿勢というのは他の見本となるような選手でした。食事の採り方や、家でのアフターケアの仕方といった部分では人一倍気を使っていたと思います。例えばシューズ一つに対してもしっかり渇くように工夫をしていたりとか、バナナ1本にしても専用のケースを持ってきたりとか(笑)。そういう部分は本当に他の見本となるような姿勢を示してくれたなと思っています。

――関村先生から見た安井選手の強みや武器はどういったところでしょうか

 さっきと重なってしまうかもしれませんが、自分でレースをつくれるというのが一番大きなポイントかなと思います。勝負の世界だと、最初は駆け引きをしてスローペースで入って最後の1~2キロだけダッシュをして後半のスパート勝負で決まってしまうようなレースもあると思うんですけれども、そういった駆け引きなく最初からキロ3分ペースならそのペースで突っ込んで、ずっとそのペースで押していける。上手くレースペースをつくれるというのが彼の一番の武器じゃないかなと思います。

――逆に心配だった部分はありましたか

 常に負け続けてしまった部分というのがあって。彼は中学校でも高校でも(チームとして)全国駅伝に出場していないので、そういった部分で出場している子たちと比較されてしまうとか、出ていないということがマイナスにならなければいいなと思っていました。だけども個人では全中(全日本中学校選手権)もインターハイ(全国高等学校総合体育大会)も出ているので、自信をつけてほしいなと常に思っていました。

――中学3年間で印象深かったできごとは何かありますか

 中学時代は本当に学年が上がるにつれてトップを目指せる選手だったなと思っています。ただ1年時の冬に原因不明の高熱を出したり、2年時林間学校の疲れから県大会で思ったような走りができないということがあったり。すごく力はつけていたんですけども、重要なレースで結果が出ないということがありました。でもそういう部分を3年生で克服して、しっかり全中で1500メートル、3000メートルと入賞して、1月の全国都道府県駅伝(全国都道府県対抗男子駅伝)では先ほどの高森くんと中学生区間を走って2人とも区間賞を獲りましたし、千葉県の3000メートルのレベルが非常に高い時代を常に先頭で引っ張ってくれたなと思います。特に広島の都道府県駅伝で、全国の中で区間賞を獲れたというのは自信になったでしょうし、翌年の高1での山口国体(国民体育大会)でも少年Bの3000メートルで優勝できたというのはすごく自信につながったのではないかなと思います。

――中学卒業後は船橋市立船橋高校に進学していますが、高校選択については何か相談を受けるということはありましたか

 先輩たちが進学先を悩んでいる姿も見ていたとは思うんですけども、家族の方も本人も、寮というのは考えていないようでしたし、自宅から通えて陸上の練習やアフターケアの時間をきちんと確保できるところということで、公立高校の市立船橋高校さんを選んでいました。2年生のときからインターハイに出場していて、3年生からは顧問の先生が変わりましたけれども、その中でもチームのキャプテンとしてきちんと務め上げていたなと思っています。

――少し重複してしまいますが、高校での活躍というのはどのようにご覧になっていましたか

 実は安井くんが高校に進学したのと同時に、僕も高校の教員になったんです。ですので、高校の大会では千葉県総合スポーツセンターの競技場で見ることができていました。常に間近で活躍を見ることができていましたね。あとは市立船橋高校の鈴木(勝男)先生が「こういう記録を出したよ」という報告をしてくださいましたので、活躍というのはすぐに知ることができていました。

――中学時代から変わらないなと思った部分や、逆に違ってきたなという点はありましたか

 レース勘という部分に関しては本当に変わらないなと思っていました。最初から力強い走りで駆け抜ける、という部分は中学、高校、そして今も変わっていないと思います。逆に、体幹を鍛えたりフォーム改善をしたりしていく中で今までの走りと変わってくることはあったと思うので、そっちばかりを気にしてタイムが落ちてしまうということがないかなというのがとても心配ではありました。中には中学校で伸びきったゴムではないですけれども、中学がピークという風になってしまう選手もいるとは思うのですが、高校進学時に「全然伸ばし切っていないから大丈夫だよ。(中学では距離を踏む練習ばかりやっていたので)5000、1万が走れなかったら先生のせいにしてもいいけど、そこから先は自分で責任をもってやりなさい」という話はさせてもらいました。彼はきちんと自分自身で磨きをかけて、高1の国体では優勝できましたね。今まで勝てなかった相手に初めて勝てたという部分ですごく自信につながったと思うし、全中では勝てなかった相手に6カ月間で勝負できるようになれたというのは彼にとってすごくよかったのではないかなと思っています。

――高校時代にも相談を受けたり、連絡を取り合ったりというのはありましたか

 そうですね。普通に会場に行けば話ができるという環境だったので、大会で話しかける、もしくは向こうから話しかけてくるということはありました。大学に入ってからも、高校の合宿が2年間たまたま菅平だったので、そのときに峰の原のクロスカントリーコースの近くで声をかけさせてもらったりしていました。去年からは私がこちらの中学校に移動になったのですが、(安井くんは)夏休みに戻ってきてくれて中学生に話をしてくれたりもしてくれています。そういった意味ではずっと交流がありますね。

――早大を進学先に選んだことについてはどのように思われていますか

 それはもう最終的に本人が決めたことですので。本人が一番満足できるところで活躍する、というのが一番ですので進学に関して僕が早大にしろとか、別の大学にしろとか言うことは全くしていません。たぶん高3のときに顧問の先生が変わられたというのも若干影響しているとは思うんですけれども、そういった中でベストを尽くして、いまでは早大のキャプテンということでチームを引っ張っているということで、すごく嬉しく思っています。

「世界と競い合えるようになっていってほしい」

――安井選手は1年時から東京箱根間往復大学駅伝(箱根)に出場していますが、教え子が箱根を走るというのはどのような気持ちですか

 教え子の中には他にも箱根を走っている選手はいるんですけども、去年からは特に山上り、重要な区間を任されていますよね。中学校のときにもあのコースを実は走ったことがあるんです。でもジョグで走るのとは全然違うと思いますし、レースで走る姿を見ることができて、とても嬉しく思っています。

――お話にもあった通り安井選手は5区を任されていますが、中学時代から山上りに必要な力や適性のようなものを感じたことはありますか

 正直チームの中でも山道や上りに強いといった印象はなかったのですが、やっぱり距離に対しての抵抗がないという部分で、一番距離が長い5区(※第93回大会から変更されるまでは最長区間)が向いていたのかなというのはあります。例えば最初は同じタイムで走っていたとしても、距離が長くなればなるほどタイム差というのは出てくると思うので、そういった部分で強みを生かせる区間だったのかなと思います。山道うんぬんかんぬんというより、距離の部分で向いているのかなと。ゆくゆくは就職先でもマラソンというのは考えていると思いますが、距離に対する抵抗がない、距離が長くなってもペースが衰えないというのが彼の一番の強みだと思っているので楽しみです。

――5区は厳しいコースで、メンタル面の強さというのも重要だと思いますが、その辺りは昔から感じられていましたか

 そうですね、負けん気は強かったですし。中学校のときには安孫子中学校に個人でもチームでも負けて県内2番で、言い方が悪いですが極端な話1年遅く生まれてくれば同じタイムでも全国に行けたので、本当に運が悪かったといいますか。その中でも一生懸命、自分の走りや設定タイム通りの走りがしっかりできるという子だったので、メンタル面の心配はありませんでした。

――大学での走りや活躍を見ていて、何か思うことはありますか

 フォームが汚いということもないですし、走りが大きく変わったなと思うこともないので、あとは本当に自分らしい走りを心がけてほしいなと思います。例えば誰かに言われたからフォームを変えてタイムが遅くなったなどということがあれば本末転倒だと思うので、のびのびと陸上競技や駅伝を楽しんでほしいなと思っています。

――早大では駅伝主将を務めていますが、その点に関してはどのように思われていますか

 さっきも言いましたけれども、やると決めたからには一生懸命やれる、だけども二個も三個も背負わせて全部やり切ろうとすると疲弊してしまうと思ったので中学時代は部長職を外したという経緯があります。でも進学していく中で陸上を続けてこられたことというのは自信になったと思いますし、そういった自分の経験を生かしてチームを引っ張っていけると思います。今度の箱根でもうまくチームをまとめてほしいなと思っています。

――先日の出雲全日本大学選抜駅伝(出雲)はどのようにご覧になっていましたか

 たぶん本人的にも満足はいっていないと思うのですが、出雲のアンカーは10キロちょっとと、とても短いので。大学では20キロ、30キロなどの長い距離の練習もたくさんしてきたと思いますし、何度も言っているように距離が長くなって力を発揮できるタイプの子だと思いますので長い距離の区間で頑張ってほしいなと思っています。たぶん区間4位だったからといって落ち込むようなタイプではないと思いますし、一喜一憂しないで箱根ではきちんと自分の走りをしてほしいなと思います。

――安井選手から恩師として名前が挙がったことについてはいかがですか

 (指導をしたのは)3年間だけだったのですが、本当に嬉しく思います。僕は安井くんが入学したときにたまたま常盤平中学校に赴任になって、3年間一緒にやって、卒業のタイミングで高校に移動、そこから5年間高校というかたちだったんですね。そういった意味ではずっと試合の様子を見ることができて本当によかったと思っています。これから先も2020年の東京オリンピック、年齢的にはその次が勝負かなと思うんですけども、そういう舞台でも活躍してほしいです。活躍する姿を見られると僕も非常に嬉しいですね。

――改めて、これからどんな選手になっていってほしいですか

 さっきと少し重なってしまいますが、これからはマラソンで日本の中でリードして、世界と競い合えるようになっていってほしいなと思います。将来的にはオリンピックの舞台で勝負できるような、そんな走りを期待しています。

――では最後に、安井選手へメッセージをお願いします

 中学校時代から箱根を一緒に見に行ったりだとか、5区のコースを試走したりだとかしたこともありましたね。学生生活の集大成というかたちになると思うので、ぜひ悔いを残さないレースをしてほしいです。本人も狙っているとは思いますけれども、もし5区を走るとしたら、ゴールテープを切る瞬間を見たいと思っています。安井くんの追っかけをできる最後のチャンスなので、間近でレースを見られればと思います。駅伝で一度も勝ったことがないと思うので、ぜひゴールテープを切るところが見たいです。

――ありがとうございました!

(取材・編集 太田萌枝)