最高の仲間と挑んだ4度目の東京箱根間往復大学駅伝(箱根)。 超スローペースな展開となったことしの1区で、武田はどのように戦ったのか。そして大手町で仲間を待っていたときの心境とはーー。激動の2日間と、今後についてじっくり語っていただいた。
※この取材は1月11日に行われたものです。
80点の走り
最愛の同期と箱根路を駆け抜けた
――箱根が終わってから、どのように過ごされていますか
昨日から練習は再開しました。今は軽く1時間程度ジョグをするくらいですね。
――このあとに控えている大きな大会は
大きい試合は、3月のニューヨークシティハーフマラソンしかないですね。
ゆっくり体を使っていこうというイメージでやっています。
――箱根の疲れはいかがでしょうか
見えない疲れは残ってると思うのですが、足に違和感などはないので、順調に疲労は抜けているのかなと思います。
――この時期になりますと、4年生は退寮になります
毎日みんなと過ごしていたので、寂しい気持ちもありますね。徐々に慣れていこうと思っています。でも、授業で会った時に話したりしますね。
――では箱根のお話に移らせていただきます。12月24日の直前取材では「1、2区のどちらかを走りたい」とおっしゃっていましたが、実際に1区を走ると決定したのはいつごろでしょうか
29日の区間エントリー発表の日の朝に、監督(相楽豊駅伝監督、平15人卒=福島・安積)から伝えられました。
――そのときのお気持ちは
永山(博基、スポ2=鹿児島実)が万全でなかったので、僕が2区だろうということは思ってました。そこで1区と言われたので、少し意外な感じでしたね。
――箱根までの調整は具体的にどのようにされましたか
上尾ハーフ(上尾シティマラソン)でいいレースができていたので、それを再現するというかベースにして、練習の中身だとか、ジョグの時間なども決めながらやっていました。
――箱根の前日はなにをされて過ごされましたか
本当にいつも通りというか。永山とは一緒にご飯を食べたり話したりしましたが、ほかは1人の時間を過ごしました。
――1区の選手は3時起きというのを耳にしたのですが、そういういつもと違うことをするのは緊張されますか
1週間前から寝る時間と起きる時間は調整していってたので、そんなに苦ではなかったのですが、心配な部分でもありましたね。
――武田選手は試合前にルーティーンなどありますか
前日の夜ご飯を食べたあとに甘いものを食べることと、当日はひげを剃るのがルーティーンです。(箱根の前日は)多分シュークリームかプリンだったと思います(笑)。
――では、箱根前のご自身の調子はいかがでしたか
調子が上がっていたのは感じていたので、良い状態で大会を迎えられたと思います。
――ことしはかなりスローペースな1区となりました。どんなレース展開でも対応できるのがご自身の強みとおっしゃっていましたが、そちらはいかがでしたか
予想外すぎるほどのスローペースだったので接触があったりして、イライラするというか、もやもやしたものはあったのですが、僕で良い流れを作るのは(勝利への)絶対条件だったと思うので、そこは落ち着いていこうと思っていました。
――服部弾馬選手が序盤でスパートをかけてきました
そういう走り方をする選手なので、あまり焦ってはいなかったです。でも5キロ過ぎのことでしたので、「こんな早い段階でスパートするのか」とは思っていました。
――途中集団の中で接触も何度かありました
ペースが遅かったので足が詰まるというか、みんながけん制し合って体がぶつかるという感じでした。
――武田選手も転びそうな場面があったと思います
何度か転びそうになったのですが、走っているときは足をくじいて痛めることはなかったので、そこは焦らずカリカリしないようにしようと思っていました。
――レース終盤、についにスパートがかかりました。その時のお気持ちは
六郷橋の前で仕掛けようと思っていたので、気持ちに余裕がなくなってしまい、うまく対応できなかったと思います。
――では最後は気力で粘ったのでしょうか
本当に体が動かなくてしんどかったのですが、なんとしても青学さんの前で渡さなきゃいけないという思いはありました。秒差になってしまいましたが、そこだけは譲れないものはありました。
――では、ご自身の走りはどうお考えでしょうか
ああいったスローペースになってしまったので、前との差とかタイムに関してはうまく走れたのかなとは思いますが、青学大さんとほぼ同着で渡すことになってしまいそれが往路優勝を決めるポイントになってしまったと思うので、そこは反省点ですね。
――ご自身の走りに点数をつけるとすれば
80点ですね。スローペースということがわかっていたにも関わらず、自分から仕掛けることができなかったのは、選手としての弱さを感じた部分でしたので、80点だと思います。
――4回目の箱根となりました。最後の箱根はいかがでしたか
1区を今回初めて走ったのですが、初めて耳が痛くなるというか、応援がすごすぎてなにも聞こえなくなるということを感じました。それに今までで1番多くの友人や家族が現地に来てくれて、周りのいろいろな要素から最後なんだな、と感じることがありました。
――1区の声援はやはりすごいものなのでしょうか
6時に現地入りしたのですが、その時で何列にも観客の人がいるのが見えました。やっぱり1番声援が多い中で走れるのが1区なんだなと思います。
――部員日記を読ませていただきました。「インパクトのある走りができなかった」と書かれていましたが
個人としては区間賞を目指していたので、秒差で届かなかったのは悔しい気持ちが大きかったです。いつも通りといえばいつも通りなのですが、やってやったぞという走りはできませんでしたね。
笑顔で迎えよう
――ご自身が走り終えた後、2区の永山選手、5区の安井雄一選手(スポ3=千葉・市船橋)や同期の走りを見ていかがでしたか
万全じゃない状態の永山や長距離に不安があるような選手もいましたが、必死に前を追って走ってくれました。持っている力を全部出してくれたと思います。
――結果として往路は青学大と33秒差となりましたが、そのときのチームの雰囲気はいかがでしたか
往路優勝は狙っていたので、近いようで遠いと感じた部分はありました。でも33秒差だったので、申し訳ないのですが「復路に頼んだ」という気持ちは大きかったです
――復路を応援していましたが、見ていていかがでしたか
復路全体を見てしまえば、決して良くなかった結果ではあると思います。しかし井戸が最後必死に前を追っている姿や、前日復路のメンバーとも連絡を取ったときに「僕らが必ず勝ってきます」と言ってくれたので感謝の言葉を掛けたいなと思いました
――復路のゴールで平和真選手(スポ4=愛知・豊川工)と一緒に10区の清水歓太選手(スポ2=群馬・中央中教校)を待っていた姿は印象的でした。その時の気持ちを教えてください
もちろん、3番もしくは4番になってしまうような位置できたので残念な気持ちはありましたが、復路のメンバーが必死に最後までタスキを運んできてくれたことに関して感謝しています。やはり最後まで力を振り絞ってきてくれたので笑顔で迎えようと平と話していて、それができて良かったと思います 。
――チームとして優勝を目指していたと思うのですが、3位という結果についてはいかがでしたか
今まで正直トップ争いすらできない結果が続いていたので、その差は埋められました。自分たちの進歩は感じた部分が大きいのですが、やはり青学大や東洋大は純粋に強いなと思いました。
自分に自信を持って
六郷橋を下り、最後のスパートでは粘りを見せた
――箱根についての取材は以上です。続いて、高校は早実出身ということで、早実を選んだ理由を教えてください
早稲田大学で駅伝をやりたいから早実を選択したわけでありません。もともと千葉県内の高校に決めていたのですが、早実の顧問の先生からお話をいただき練習を見学しに行きました。雰囲気がとても良くのびのびとできる環境だったので、陸上の楽しさを忘れず、競技に打ち込めると思い選択したのが大きいです。
――早実の陸上生活が終了し、早稲田大学競走部で競技を続けようと思った理由は何ですか
箱根駅伝を走りたい気持ちが一番強かったからです。
――早実陸上部のときの練習と大学の競走部の練習を比較して、変化したことがあったら教えてください
まず、高校時代は朝練習がなかったので最初は戸惑った部分が多かったです。それに慣れていくのも大変でしたが、目指している場所や自分のやるべきことは変わりませんでした。競走部に入り、雰囲気についてはさほど変わらないです。強いて言うなら監督が怖く、OBもいるので高校の時より大学の方がそういう面では厳しいという感じがします。
――競走部に入ってみて最初の印象はどのような感じでしたか
スポーツ推薦で入ってくる選手が多くレベルも高いです。また、一般入試他いろいろなかたちで入ってきた選手もいて面白いなと思いました。
――競走部での4年間を終えて、卒業後はヤクルトで競技を続けるということですが、ヤクルトを選んだ理由を教えてください
今まで早稲田からヤクルトに入部した選手がいなかったので、道をつくりたいと思ったからです。また、練習を見学したりコーチと話したりしたときに、とても共感する部分が多かったです。早稲田の選手が誰もいない状況の中に自分が入り、いろいろな選手にもまれたりレベルの高い選手と練習したりして、よりレベルアップしたいなと思ったのが大きな理由です。
――ヤクルトでの目標など決まっていましたら教えてください
具体的な目標はまだ決まっていませんが、マラソンで日本代表になることが1番の目標です。
――ヤクルトで憧れの選手はいらっしゃいますか。また、理由も教えていただきたいです
高宮祐樹さんです。東京マラソンで日本人トップをとったり、駅伝でも主要区間を走ったりして、きちんと上位でかえってくる選手です。必ず結果を残す選手なので1番身近な目標になるかなと思います。
――先ほど、3月にニューヨークシティーハーフマラソンを控えているとおっしゃいましたが、目標などありましたら教えて下さい
かなりレベルの高い大会なので自分がどこまでできるか、力試しのつもりでいるのが大きいです。あと、貴重な初めての国際大会での経験になると思うので、
純粋に会場の雰囲気や強い選手と走れることを楽しみにしています。
――今の段階で何かやられていることはありますか
英語を少しずつ頑張ろうかなと思っているのですが、上手くいっていないです(笑)。英語の歌の歌詞を見ながら聞いたり、留学に行っていた友達に質問をしたりして勉強しています。
――これからの後輩に向けてのメッセージをお願いします
1年間を通して平がとても背中を引っ張ってきてくれて、いろいろな改革もしてくれました。なんとなく強くなる方法は1人1人が分かったと思うので、自分に自信を持って、期待してこれからもやっていってほしいと思っています。
――一緒にやってきた同期の皆さんへ一言お願いします
「愛しているよ」の一言に限ります。
――最後になりますが、今後も早稲田を支えているファンの皆さんへ一言お願いします
これからも早稲田の応援を宜しくお願いします。
――ありがとうございました!
(取材・編集 鎌田理沙、木村綾愛)
◆武田凜太郎(たけだ・りんたろう)
1994年(平6)4月5日生まれのA型。174センチ、57キロ。東京・早実高出身。スポーツ科学部4年。自己記録:5000メートル13分58秒83。1万メートル29分04秒20。ハーフマラソン1時間1分59秒。2014年箱根駅伝3区1時間4分00秒(区間5位)。2015年箱根駅伝7区1時間4分09秒(区間5位)。2016年箱根駅伝3区1時間4分11秒(区間5位)。2017年箱根駅伝1区1時間3分59秒(区間3位)。