【連載】『頂を目指した男たち』第5回 光延誠

駅伝

 チームのために、そしてお世話になった4年生のために。自らの走りで早大の総合優勝へ貢献するべく、二度目の東京箱根間往復大学駅伝(箱根)で光延誠(スポ3=佐賀・鳥栖工)が挑んだのは、復路のエース区間9区。2位でタスキを受けた光延は区間順位1桁の力走を見せるも、終盤に東洋大にかわされ、3位に後退する悔しい結果となった。あれから1ヶ月。来季最上級生としてチームをけん引していく立場になる光延は、何を思い、何を目指すのだろうか。

※この取材は1月24日に行われたものです。

「(箱根後最初のレースで)結果を残せたことは良かった」

自身の走りを振り返る光延

――1月22日に行われた都道府県対抗駅伝について先にお伺いします。3区で出走されて、区間4位で16人抜きという結果を残されました。ご自身の走りを振り返っていかがですか

 箱根では練習ができていたにも関わらずあんな結果になってしまい、「1年間何をやっていたんだろう」と思いながら箱根が終わってから数日過ごしていましたが、自分が最上級生となり、トップバッターとして(箱根後)最初の試合で結果を残すことを掲げて臨みました。自分の持ち味である積極性を出していけば結果につながるんじゃないかと思って走りました。

――当日のコンディションはいかがでしたか

 みぞれが少し降っていて、向かい風だったんですけど、もらった位置がとてもいい位置だったのでした。前を向いて走っていこうというのは最初から決めていましたし、(次の区間を走る)中学生が少し緊張気味だったので、最年長の僕がいい流れをつくって渡したいという気持ちはありました。

――タスキを渡した後、倒れ込む様子が映っていましたが、全力を出し切れましたか

 そうですね。調子もペースも良くて、このチャンスを逃したら次につながらないと思ったので、全て出し切ろうと思って走りました。

 

――同じ3区で永山博基選手(スポ2=鹿児島実)ら早大の選手も出場されていました

 箱根みたいな緊張感はなくて穏やかな感じで、洋平さん(鈴木、スポ4=愛媛・新居浜西)とか田口さん(大貴、平27スポ卒、現日立物流)もいたので、ぼく自身もあまり緊張することなく走れました。自分の前を鹿児島の永山とかが走っていて、後輩だけには負けたくないという気持ちがありました。先にタスキは渡されてしまったんですけど、二人ともいい位置でいい結果で渡せたので、今後もこの勢いでトラックシーズンやロードシーズンに臨めたらいいと思います。

――箱根が終わってからは都道府県対抗駅伝を1つの目標にして練習されていたのですか

 そうですね。自分自身箱根がああいう結果で悔しくて、4年生に本当に申し訳ないとずっと思っていました。都道府県対抗駅伝で走ることは箱根の前から決まっていましたが、そこでしっかり自分の走りをしてチームを引っ張っていける選手になりたいと思っていたので、結果を残せたことは多少なりとも良かったんじゃないかと思っています。

――解散期間中に帰省はされましたか

 1月4日の朝練習が終わってから地元の福岡に帰りました。

――リフレッシュはできましたか

 そうですね。地元の友達と遊んだり、佐賀の嬉野温泉に行ったりしたので心身ともにリフレッシュはしましたね。

「20~30%しか(力を)出せなかった」

――では箱根についての質問に移りたいと思います。12月の区間エントリーでは光延選手は補欠に回っていましたが、補欠に入ることに関して何か監督から言葉を掛けられたりはしましたか

 監督には言われていないんですけど、何としてでも走って4年生を優勝させてあげたいと思っていたので、とりあえず状態をキープすることと調子を上げていくことをやっていこうというのは思って練習に臨んでいましたね。

――区間エントリーが発表されるまでは、走るならばどの区間になるかは分からない状態だったのですか

 いえ、12月20日くらいにある程度監督からこの区間とこの区間を見るようにというのは言われていました。自分は7区と9区を見るように言われていて、両方の区間の準備はしていました。

――走るならば復路ということは決まっていたのですか

 そうですね。

――区間エントリー発表後、箱根までの期間はどのような調整をされていましたか

 往路と復路で分かれて練習をしていました。僕は復路の練習をやっていたんですけど、状態も良かったので、井戸さん(浩貴、商4=兵庫・竜野)と共に復路の選手を引っ張るかたちをとって、自分自身にもプラスになるような練習をするように意識していました。

――往路の1月2日はどのように過ごされましたか

 朝、凜太郎さん(武田、スポ4=東京・早実)と永山のところを見て、その後自分も練習があったので練習に行って仕上げをして、平塚に行きました。

――往路のメンバーの走りを見て、どのようなことを感じられましたか

 僕が移動している時は洋平さんと安井(雄一、スポ3=千葉・市船橋)の区間で、差も結構縮まっていました。自分は皐平(鈴木、教3=愛知・時習館)と移動していて、「明日いけるぞ」という話はしていました。

――当日のエントリー変更で9区に入られましたが、9区を走ることが決まったのはいつ頃でしたか

 1月2日に6区以外の選手は一旦集合して、そこから小田原か平塚に分かれるってなった時に、監督から9区に回ってくれという指示を受けました。

 

――復路のエース区間と言われる9区を任された時の心境を覚えていらっしゃいますか

 走るとしたら7区か9区ということでどちらも準備していたんですけど、復路のエース区間ということで少しプレッシャーもありました。でも練習はできていたので、自信を持ってスタートすることだけを考えて前日、当日過ごしましたね。

――井戸選手が昨年9区を走られていましたが、何か9区を走る上でのアドバイスはいただきましたか

 横浜駅の辺りが高速道路の下で気温が下がるからそこだけ注意しろと言われていたんですけど、給水の際に頭から水をかけてしまって、体が冷え切った状態だったので、もう少し聞いておけば良かったなと思いました。

――復路の当日、コンディションは良い状態で迎えられたのでしょうか

 そうですね。状態も良くて集中練習も完璧にこなせていたので、自信を持ってスタートできる状態ではありましたし、8区が1年生の智樹(太田、スポ1=静岡・浜松日体)ということで、どんな位置でタスキをもらっても自分が青学大さんとの差を詰めるということだけを意識してアップとかを行っていました。

――当日は気温がかなり高かったですが、暑さについては

 暑さは結構感じていて、レース前に監督からも水分補給だけは気を付けるように言われていました。自分としてもそこだけが心配だったので、こまめに水分補給をするようにはしていました。

――実際に初めて9区を走ってみての感想を聞かせていただけますか

 横浜駅のところがとても声援が多くて、すごく力をもらったんですけど、全く力が出せなくて申し訳なかったです。でも復路のエース区間を走ることができていい経験にはなったので、絶対に来年に生かせるようにしていきたいと思っています。

――タスキをもらった時点では前を行く青学大の背中が見えない状態でしたが、走りづらさはありましたか

 そうですね、僕は前が見えないよりも見える位置で追う方が得意なので。自分のペースを守ることだけに集中して走っていたんですけど、あまりペースが上がらずに焦った部分はありました。

――タスキをもらった時点では3位だった東洋大の野村峻哉選手が差を詰めてきていることに関してはどのように感じられていましたか

 早大のサポートの選手がボードを出していたので、そのボードを確認しながら走っていたんですけど、残りの距離が少なくなるにつれて秒も結構詰まってきていたので、焦りはありました。

――終盤で東洋大に並ばれた時、どのようなことを考えながら走っていらっしゃいましたか

 次の区間が清水歓太(スポ2=群馬・中央中教校)だったので、後輩に負担を掛けることはしたくなかったんですけど、僕と東洋大さんのペースが全然違ったので、付いていくことすらできずに負担を掛けてしまったのは申し訳ないという気持ちです。先輩として何もできず、10区を走る歓太には申し訳ない位置で渡すことになると思いながら走っていました。

――レース中、ご自身のペースがなかなか上がらなかったとおっしゃっていましたが

 井戸さんの去年の記録を参考にしながら走っていて、僕が走った時は結構遅かったので、これはまずいぞと思いながら走っていました。一時東洋大さんとの差が詰まった時には焦りも感じましたし、それ以上に青学大さんとの差が一番気になりましたね。

――東洋大に並ばれてからも青学大との差のことは意識されていたのですね

 何としてでも2位で渡したいという気持ちはあって、そのまま東洋大さんと前を追えたらいいなという思いではいたんですけど、東洋大さんに付くことができなかったので、走り終わってからは自分自身情けないという気持ちだけでしたね。

――振り返ってみて、当日はご自身の力の何割程度出すことができましたか

 自信を持って臨んであの結果だったので、20~30%しか出せなかったんじゃないかなと思います。

――100%の力を出し切れていたら、その後のレースの流れも変わってきたのではと感じている部分もありますか

 そうですね。自分が区間賞を獲るような走りをすれば流れが変わったと思いますし、智樹にも歓太にも負担を掛けたので、復路のメンバーの中では自分が1番駄目だったんじゃないかなと終わってから感じましたね。箱根が終わった後、ことし1年間は悔いのないようにやっていこうと思いました。

――9区区間7位という結果についてはどのように捉えていらっしゃいますか

 最低でも区間3位以内で走ることを目標にやってきたので、納得はしていないです。

――チームの最終成績3位という結果については

 自分が2位でタスキを渡せていれば2位でゴールできましたし、後輩にも負担を掛けなかったと思います。抜かれたことはやっぱり僕の責任なので、ことしは自分が流れを変えられる選手になりたいと思いました。

――区間は違えど2度目の箱根の出走となりました。昨年と比べて気持ちの面などで何か変化は感じられましたか

 去年は初めての箱根で声援のすごさとかに圧倒されながら走っていましたが、ことしは去年に比べると冷静に走れたんじゃないかなと思います。

――悔しさも残る中で、その点はプラスの部分だったということでしょうか

 そうですね。舞い上がらずに冷静に走れたことはプラスだったんじゃないかなと思います。

「流れを変えられる選手に」

ラストイヤーでの飛躍を誓った

――ことしは最上級生になられますが、最上級生として何か意識をしたり、こんなところでチームを引っ張っていきたいと考えていることはありますか

 今シーズンは4年生の姿がチームそのものでした。自分はそれを超えるチームを作りたいと思っていて、それに向けてこの1年間やっていきたいと思いますし、4年生が結果を残せば下の学年も付いてきてくれるので、今の3年生が結果にこだわってどの試合でもいい結果を残せばチームも強くなってくると思います。この1年間は結果にこだわってやっていきたいですね。

――2017シーズンの光延選手ご自身の目標は決まっていらっしゃいますか

 トラックでは関東インカレ(関東学生対校選手権)、全日本インカレ(日本学生対校選手権)で表彰台に立つことです。あと、日本選手権に出られればチームの雰囲気も変わるんじゃないかなと思うので、5000メートルで日本選手権の標準記録を切りたいと思います。駅伝シーズンでは区間賞を最低でも1つは獲って、主要区間で流れを変えられる選手になることを目標にやっていきたいと思います。

――目標を達成するために強化していきたい点は何でしょうか

 自分の持ち味であるスピードを磨くこと。あとは、これまで自信を持ってレースに臨めていたかと言われると臨めていなかったので、もっと距離に対する不安をなくして、自分に自信を持ってレースに臨めるようにやっていきたいと思います。

――最後に読者の方に向けての一言をお願いします

 箱根では早大の応援がとても力になりました。自分が応援して下さっている方に恩返しができるのも残り1年なので、自分自身悔いのない1年にして、これまで応援して下さった方々にいい結果報告ができるように頑張っていきたいと思いますので、これからも応援よろしくお願い致します。

――ありがとうございました!

(取材・編集 小川由梨香)

◆光延誠(みつのぶ・まこと)

1995(平7)年7月18日生まれのB型。167センチ、51キロ。佐賀・鳥栖工高出身。スポーツ科学部3年。自己記録:5000メートル13分53秒08。1万メートル29分03秒47。ハーフマラソン1時間03分44秒。2016年箱根駅伝7区1時間6分13秒(区間14位)。2017年箱根駅伝9区1時間11分50秒(区間7位)。