大学駅伝デビュ―となった全日本大学駅伝対校選手権や上尾シティマラソン(上尾ハーフ)では好調な走りを見せ、東京箱根間往復大学駅伝(箱根)での更なる飛躍が期待された太田智樹(スポ1=静岡・浜松日体)。しかし箱根路は思ったよりも険しいものだった。強い向かい風、迫りくる東洋大。芳しくない状況下においても太田は自分のペースを貫き、8区を走り切った。初の大舞台を終えたいまの心境や2年目に向けての意気込みを伺った。
※この取材は1月18日に行われたものです。
「特別意識することなく、いつも通り」
穏やかな様子で質問に答える太田
――箱根後の期間は何をされていましたか
実家に帰って地元の人と遊んで、その後インフルエンザにかかっていたので1週間ほど帰省を延ばしてもらって、家でずっと寝ていました。
――その後の体調はいかかですか
昨日からやっと走ってという感じですね。久々に走ったので体がバキバキです。
――お父様が箱根を走ったことがあると伺いましたが、帰省されたときにお父様とは何か話しましたか
いや、特に何も話さなかったですね。
――お父様以外の家族の方とも話しませんでしたか
特にはなかったですね。普通の話をしました。
――現在の調子はいかがですか
やはり全然走っていなかったので、今は元の体に戻すことを優先してやっています。
――それでは箱根関連の質問に移らせていただきます。去年12月24日の公開練習の際に、「集中練習では先輩に食らいつくことができた」とおっしゃっていました。その手応えでは箱根に自信を持って臨むことができたのではなかったでしょうか
4年生の先輩方は強いので途中ちょっと抜けてしまった部分はあったのですが、ある程度自分の中では練習は積めてきたと思っていました。前半シーズンで駄目だったときに比べれば自信を持ってスタートラインに立てたのではないかと思います。
――事前対談の際に「疲れが抜けていない」とおっしゃっていましたが、体調面で不安はありませんでしたか
治療も何回か行って、練習の方も集中練習からメニューを落として疲労を抜くという感じでやっていました。体自体はそんな悪い状態ではなかったかなと思います。
――当日のエントリー変更で8区に決まりましたが走ることは事前に決まっていたのでしょうか
ある程度「お前で行くから」という話は聞いていたのですが、確実に走ると決まったのはやはり当日だったので、それまでは走る可能性があるという認識で調整とかはしていました。
――実際に8区を走ると聞いたときの気持ちはいかがでしたか
後半の遊行寺が一つのポイントになってくると周りの人からも聞いていたし、僕自身も思っていたのでそこが1つポイントだなと思いました。
――8区は風の影響を受けると聞きますが、実際に走ってみていかがでしたか
序盤からずっと向かい風でした。海沿いを抜けた街中では弱まるかなと思っていたんですけど、走っている途中はずっと向かい風という状態でした。
――初めての箱根ということでしたが、箱根に向けて特別に対策されたことはありましたか
特にないです。走る時間帯も1区や6区より早いわけではないので起きる時間等もいつもと一緒でした。「特別」というのは周りがいろいろ言うのであって、特別感はあったはあったんですけど自分の中ではいつもの試合と一緒の雰囲気で行くのが一番良いかなと思って。特別に意識することはなくいつも通りの感じで行きました。
――1年生では太田選手のみの出走でしたが、それについてはいかがでしたか
特にはないですね。先輩たちも「1年生だから気楽に走ってこい」というように気を遣ってくれたのですが、それは1年生だからこそだからなのかなと思っていて。これが上級生になったらそういうことも言われずに、しっかりチームの主格として逆の立場にならないといけないのかなとすごく感じました。
――当日はその言葉の通りに臨むことができましたか
そうですね。やはり自分の中ではいつも通りに臨むことができました。
――当日のコンディションはいかがでしたか
特にいつもと変わりなく迎えました。
――普段通り行けそうだな、と
そうですね。正直本当に緊張して、前日に「緊張で眠れないってこういうことなのか」と感じるくらいの緊張でした。やはりそれだけ特別な場所だと思ったのですが、応援も多いことを聞いて、どうせ走るのなら楽しんでいつも通りやるしかないな、と思えて逆に腹をくくれたのかなとは思います。
――眠れないときはどのように過ごしていらっしゃいましたか
ずっと目をつぶっているしかないですね。もうすごく心臓がドキドキして目が覚めちゃうし…ああなるのは初めてでした。
――高校のときとは全然違いましたか
全然違いますね。あまり緊張しない方でしたが、結構しちゃいました。
――やはり沿道の応援は力になりましたか
そうですね。早稲田のファンも多いですし、名前で呼んでくれる人もいて、応援してくれる人がいると走っていてやる気が出てきますし、応援があってこその駅伝かなと思います。
――当日の太田選手は体が引き締まった印象を受けたのですが減量とかはされたのでしょうか
特にはしていなかったですね。普通に授業もあって、毎日同じように過ごしていました。
「情けない走りをしてしまった」
初の箱根では、実力不足を痛感した
――当日のレースプランは
さっきも言ったのですが、やはり遊行寺が一つのポイントになってくると思っていました。前半でいかに余裕を持ち、後半の遊行寺の上り坂でしっかり体を動かせるか、というのが重要だったので前半はゆっくり落ち着いてやろうと思っていたのですが、風が強くて思った以上にそこで力を使ってしまい、後半に力を残せなかったというのが1つの反省点です。天候を読んでもう少しレースプランを変えることができたらまた違ったのかなとは思っています。
――初めての箱根ということで力んでしまったということはありましたか
前日は緊張したのですが、スタートラインに立ったらそんなことは言っていられなかったので逆に腹をくくれたというか。緊張は前日ほどではなかったですね。
――仲の良い井戸浩貴選手(商4=兵庫・竜野)とのタスキリレーとなりました
井戸さんの最後のレースがあの箱根駅伝で、最後にタスキを渡せるのが自分ということで嬉しかったです。一年間すごくお世話になって一緒にタスキ渡しはしたいなとずっと思っていたので、それが実現できてすごく嬉しかったです。
――井戸選手も部員日記の中で書いていらっしゃったように、中継所での笑顔が印象的でした
タスキ渡しは笑顔でやろうかなと思っていました。思ったより井戸さんが笑顔ではなかったのでやっぱりきついんだろうな、と思いながらも(自分は)走っていない状態で元気でしたし、笑顔でもらおうと意識していました。
――前を走っていた青学大の下田裕太選手の走りをどのように意識していらっしゃいましたか
(下田選手は)去年も区間賞を取っていて、走り方を知っている分、自分との力の差もすごくありました。ですが一緒に走るわけではないから、まずは自分の走りをしっかりしようと思って走る前から特別に意識はしなかったですね。
――区間14位という結果はご自身ではどのように受け止めていらっしゃいますか
本当に情けない走りをしてしまったなと素直に思っています。区間14位という順位だけではなくて、タイムだけ見ても悪いので、最低限の走りもできなかったという点で自分の力がそれまでなのかなという感じですね。
――一時的なものではなく、もともとの自分の力不足によるものだということでしょうか
そうですね。上尾ハーフでは初めて20キロを走ったのですが、集団だったから走れたものでした。(箱根では)1人で走ったときの実力が出ると思っていて、(今回)1人で走ったときに実力が出せなかったというところで、それがあくまで自分の実力だと思ってこれからまだまだ力をつけないとな、と思いました。
――総合3位という結果はどのように捉えていらっしゃいますか
往路の順位からしても最低限2位はいけた順位なのですが、自分のところですごく詰められてしまったのが3位になってしまった原因ということで本当に申し訳ないという気持ちが大きいです。
――後続の東洋大が迫ってくるのは分かりましたか
いや、分からなかったです。
――それでも特段後ろを意識することはなく走られたのでしょうか
はい、そうです。
――監督車から掛けられた言葉で印象に残っている言葉はありますか
特に印象に残ってないですね。最初の方は結構聞き取れたのですが、きつくなってくることに加えて、周りの応援も遊行寺の辺りは多かったので全然聞こえず、あまり覚えてなかったですね。
――レース後に何か先輩とお話しはされましたか
自分のせいで3位になってしまったのが申し訳なかったので謝りに行ったのですが、「お前だけのせいじゃないよ」と声をかけてくださいました。「そうは言われてもな」と自分の中で思っちゃったんですけど、この思いを来年につなげるしかないなと思いました。
芽生えた早大の主力としての意識
――太田選手の部員日記の中に、相楽豊駅伝監督(平15人卒=福島・安積)や4年生から「来年からはお前が主力になれ」と声をかけられたと書いてあったのですが、それを言われたときどのような気持ちでしたか
もともと入学したときに相楽さんから僕と新迫(志希、スポ1=広島・世羅)でしっかり引っ張っていけるようになれ、と言われていました。まだ1年だしすごく意識していたわけではなかったのですが、箱根が終わって、4年生が抜けて、いざ自分たちが2年生になるという立場を考えたときに言葉の重みを改めて感じました。早大の主力になるのは簡単じゃないし、かといってならないとチームとしてもこれから成り立っていかないのかなと痛感したので、今こういう状況ですけど2年3年と学年が上がるにつれてどんどんチームの主力になっていかないとなと思っています。
――主力になるにあたってご自身に何が必要になると考えていらっしゃいますか
全部ですかね。このままでは来年も春から全然駄目だと思うので、まずは自分をしっかり見つめ直して基本的な部分からでも少しでも変えていかないといけないと思います。高校のときとかみたいに誰かに言われて変えるだけでは大学生では遅いと思うので、しっかり自分からどんどん新しいことにチャレンジして変化を加えていければ良いと思っています。
――新チームの雰囲気はいかがでしょうか
一学年ががっぽり抜けてしまったので人数も少なくて個人的には寂しいなと思っているのですが、その穴を全員が感じていると思うのでみんなで埋めないとなと思います。
――春からは1年生が入ってきて先輩となりますが後輩にどのように接しようと考えていらっしゃいますか
まずは去年自分が1年生だったときを思い出していきたいです。最初は何も分からず、緊張していて、先輩も怖かったからあまり先輩と関わりたくないなと思っていた自分がいました。言葉だけではなく、練習している姿からでも競走部という部分を教えてあげられる、新1年生を引っ張っていける存在にならないとな、と思っています。
――これからどのようなポジションで部に貢献したいと思われますか
ことしは1年生という立場で何をやっても許されていたというか、失敗しても「次があるよ」というようにいろいろ先輩からも優しい言葉をかけてもらっていました。ですが2年生となると自分の経験もあるし、去年した失敗を繰り返す訳にもいかないので去年はチームにいるだけという感じだったのですが、(これからは)どんどんチームに食い込んでいけるような、そして良い影響を与えるような存在になっていきたいと思います。
――香川丸亀国際ハーフマラソンに出走する予定と伺ったのですが、どのような位置づけで臨まれる予定でしょうか
インフルエンザにかかってあまり走れていなく、試合まであと3週間しかないため走るか分からないのですが、先々の試合より今の状態をしっかりもとに戻すということを考えています。
――タイムを狙うというよりは調子を整えるスタンスということでしょうか
そうですね。でも出場するからには招待という立場も頂いたのでタイムは狙いたいですし、出ないならまた次の試合に向けてしっかり準備していきたいなと思っています。
――調子を元に戻すということでしたが具体的にどのような練習をされていますか
復帰したばかりなのでジョグから始めています。いきなりやってしまうと体も対応し切れなくて変に痛みが出てしまうとかもあるので徐々に(走る時間の)分数を延ばしながら、焦らずじっくりやっていこうという感じです。
――来季のトラックシーズンに向けての目標を教えてください
去年は関カレ(関東学生対校選手権)で失敗してしまっているのでまずは関カレでみんなに貢献するというのが一つあります。あとは自己ベストが遅い方なので、ある程度更新してチームの平均タイムを上げられるように、この冬は体作りから始めて春先の準備まで考えてやっていきたいと思います。
――駅伝シーズンの目標を教えてください
まずは去年走れなかった出雲(出雲全日本大学選抜駅伝)を走るのと、箱根に関しても失敗してしまったので失敗をしないように一つ上のランクの走りができたらなと思っています。
――最後に読者の方へ一言お願いします
箱根では失敗してしまいましたが、この経験を生かして来季からまた一つ強くなったワセダを見せられるように頑張ります。
――ありがとうございました!
(取材・編集 茂呂紗英香)
◆太田智樹(おおた・ともき)
1997(平9)年10月17日生まれのO型。175センチ、60キロ。静岡・浜松日体高出身。スポーツ科学部1年。自己記録:5000メートル14分05秒92。1万メートル29分27秒92。ハーフマラソン1時間02分48秒。2017年箱根駅伝8区1時間8分32秒(区間14位)