【連載】『頂』第2回 太田智樹

駅伝

 全日本大学駅伝対校選手権(全日本)で快走を見せた太田智樹(スポ1=静岡・浜松日体)。しかしその活躍の裏ではトラックで結果が奮わなかった歯がゆさや、出雲全日本大学選抜駅伝(出雲)で出走がかなわなかった悔しさを抱えていた。その思いを乗り越え、幼少の頃から見てきた東京箱根間往復大学駅伝(箱根)への出場が現実味を帯びてきた今、初の箱根路へ向けた心境とは。

※この取材は11月30日に行われたものです。

「チームとして戦う意識を持つ」

ルーキーイヤーを振り返る太田

――本日はどのような練習を行いましたか

 きょうは5000(メートル)を3本のポイント練習でした。

――最近の調子はいかがですか

 上尾シティマラソン(上尾ハーフ)が終わってから疲れて休んでいたのですが、最近少しずつ練習に入っています。体は少ししんどい部分があるのですが、今は集中練習に入っている状態で休む訳にはいかないので、ここから箱根に(調子を)上げていきたいなと思います。

――上尾ハーフでのコメントでも疲れが残っているとおっしゃっていましたが、全日本での疲れを引きずっている状態なのでしょうか

 そうですね。全日本が終わってから2週間しかなく、その中で上尾ハーフの前に1週間ポイント(練習)があったんですけどちょっときつくて(練習量を)減らすというかたちをとってもらいました。上尾ハーフはある程度走れたのですが全日本、上尾ハーフと2つやって、その疲れが残っているのかなという印象ですね。

――疲れを抜くために今やっていることはありますか

 座っているなら足もある程度緩んでいるので空いている時間があれば授業中でも自分でマッサージしています。あとは学生トレーナーさんにお願いしてマッサージを受けたり、自分で治療に行ったりしています。

――現在どのような点に重点を置いて練習していますか

 前回の上尾ハーフで初めて20キロを超えるレースをしたのですが、後半で一気に差をつけられてしまったという点が一番の課題だと感じました。そこで15キロを過ぎてからの後半の5キロ6キロでしっかり落ちずにペースを押せるように、もう一度夏合宿の走り込みではないのですが、それに似たような脚作りを意識してやっています。

――脚作りが大事になると前にもおっしゃっていましたが、それに関してやっていることはありますか

 まずはポイント練習にしっかりつくという前提で、ポイント練習の間のジョグでいかに距離を踏めるかというのをやっています。あとはジョグ以外でも補強が一番つながってくると思うので、それもやっています。

――何か気分転換にされていることはありますか

 教職をとっていているので6限があり、あまり思いきり別のことをやれる時間がなく、疲れているので動画見ながら、音楽聞きながら、テレビ見ながらベッドの上でゆっくり過ごすというのが毎日続いています(笑)。寝すぎるのも良くはないのですけど、どうしてもどこか行く気にはならなくて、ご飯を食べる時くらいしか動きたくないですね。

――今のチームの雰囲気は

 前半は個人的なレースが多かったんですけど駅伝シーズンになってから、特に最近では集中練習に入ったこともあってチームとして戦う意識を持つために調子を上げていこうという意識がすごく強いです。その中でも4年生がチームを引っ張ってくれて練習とかでも引っ張ってくれているので、それに僕ら1年生も食らいついていくし、2年生、3年生もだんだんと上の学年を意識し始めたような雰囲気も出てきて、良いのではないかなと思います。

「夏合宿で距離に対する不安をなくすことができた」

――ここからはシーズンのお話に移ります。まず、トラックシーズンで印象的だった試合は何ですか

 良いレースがなかったのであまり印象に残っていないのですが、いろいろな思いがあったのは出雲市長距離記録会です。出雲市長距離記録会で走ると決まったのは(出雲の)直前で自分自身も出雲に出る気でいた中で突然外されてしまって。当日はチームとしても良くなく、自分も走っていたらどうだったんだろうと考えました。そのような中で臨んだ出雲市記録会では、今まではずっと後ろの方でレースを進めてそのまま下がっていってしまうということが多かったのですが、途中で前に出て集団を引っ張るという場面を見せられて自分の中でも一つ成長したというか、変われた部分が見せられて良かったのかなと思います。

――入学後すぐの早稲田大学競技会で1万メートルの自己新記録を更新されていましたが

 (早大競技会は)練習の一環のような感じでペースメーカーもいて、ある程度の記録は出せる状態だったので最低限の走りではあったと思います。そこで自己ベストを出せたというのが大学のスタートとして良かったのですがその後がうまく続かなかったことがことし自身の反省だと思います。

――記録が残せない苦しさがあったと思いますが、どのように乗り越えられましたか

 高校のときに1万メートルの選抜に出て結果が出ていたということがあり、それが自信なのか過信になっていたのかは分からないのですが、大学入ってからどこかで1万メートルを走れるだろうという気持ちが自分の中にあって、それが一つ駄目だった原因ではないかと思っています。前半シーズンでレースが全て終わってから周りを見てみると他の1年生が強かったり、4年生も結果を出していたり、チームメートも自己ベストを出している中で考えさせられる部分があって、やはりこのままではダメだと思っていました。一つ夏合宿で距離に対する不安をなくすことができたというのが大きかったのかなと思います

――今お話にも上がった夏合宿を振り返って

 二次合宿からAチームでやらせてもらえるようになったのですが周りの選手はほとんど全カレ(日本学生対校選手権)があって全カレに向けた練習をしていて、Aチームの中で全カレに出場予定がなかったのが僕と安井さん(雄一、スポ3=千葉・市船橋)と光延さん(誠、スポ3=佐賀・鳥栖工)の3人でした。3人で精神的にも肉体的にも苦しい中最後までやることができて、そこが一番ことし変われた部分だったのではないかと思います。

――夏合宿での具体的なエピソードはありますか

 二人部屋で安井さんと一緒の部屋だったのですが、毎日夜は「きつい。全カレ組うらやましいな。」と愚痴を毎日お互いに言い続けていました(笑)。光延さんも体がきつかったので3人で「もうダメだ」「あと何日もあるよ」という感じで言っていました。でもなんだかんだで最後までできたので良かったのかなと思います。

――安井選手、光延選手とお互いに話していたことで支えられた部分もあったのですね

 そうですね。みんなで苦しみながらも、今思えば何だかんだで楽しかったのかなとおもいます

――先程出雲市記録会が印象に残っているとのことでしたが、そこからどのように全日本まで切り替えていかれましたか

 出雲を走ったメンバーと走れなかったメンバーには差があったので、まずは走ったメンバーに少しでも食らいついてやろうという思いでいました。出雲を走った人とは違って5000メートルのトラックレースだったので、ダメージも少なかったこともあり、出雲を走っているメンバーが休んでいるときに逆に走ってやろうと思っていました。いかに出雲で走ったメンバーとの差を埋めるかというのを考えていました。

――全日本に出走が決まりましたがそのときの気持ちはいかがでしたか

 直前までは安堵(あんど)感があったのとやっと走れる楽しみとがありました。ですがいざ当日になると、(自分は)7区で朝宿舎を出る時間がみんなより遅くテレビで1区、2区、3区と見ていたのですが、4年生が先頭で走っているのを見ると緊張してしまって、焦りました。

――自分が走るときはどのように気持ちを切り替えたのでしょうか

 最後の自分の中での情報が(藤原)滋記さん(スポ3=兵庫・西脇工)が青学大との後ろ30秒差で「やばいやばい」となっていたのですが、井戸さん(浩貴、商3=兵庫・竜野)が付き添いでそのときにいろいろとアドバイスをもらい、「ここで走れなくてもお前のせいじゃないから」と言って気を遣ってくださったので、自分の走りをするしかないと開き直ることができたのかなと思います。

――1位で来ることは予測していなかったのでしょうか

 いや、来るだろうなとは思っていました。ですが僕は高校時代に都大路(全国高校駅伝)も一回も走ってなく、駅伝を走るときも大体1区で自分が一番で持っていく場面が多かったんです。間の区間を走ることがなかったので1位で(タスキを)もらうことは経験が薄すぎて、いざ1位で来ると「こういうことか」と感じて。テンションが上がりました。

――全日本では最後に青学大との差を伸ばし、理想とされている粘りの走りが体現できたと思いますが

 自分の中では後ろの状況が全く分からず、詰まっているのか離れているのか分からない微妙な距離だったので、とりあえず自分の中で大体このペースでいこうと決めていたペースをしっかり守って走ろうというのがありました。井戸さんからラスト2キロ上げられるか上げられないかで変わってくるとアドバイスとして言われたので、最初の5キロはある程度早く突っ込んでいって中盤リラックスして後半で上げようというのが自分の中のプランでした。それを守ろうと思って守れた結果がああなったのかなと思います。途中に知り合いの人がいて、後ろ離れているよと言ってくれたので安心して走れたのかなと思います。

――走っている最中に周りの声は聞こえるものですか

 応援してくれる声はすごく聞こえるんですけど、後ろの差を言ってくれる人はもちろんいないので後ろがどうなっているか分からなくて気になっていました。ですがやっぱり1位を走っているからには後ろを振り向いたら駄目だなと思って振り向けなかったので、前を見て走ろうと思って走っていました。

――高校時代の成績もあり、ルーキーとして注目される一年だったと思いますがいかがでしたか

 僕らの代は周りが強くて、僕なんか特にあまり目立たないタイプなので、そんなに意識はしていなかったんですけど、やっぱり周りが活躍すると自分も悔しいなと思うし、実際チームメートに新迫(志希、スポ1=広島・世羅)というスーパールーキーがいて、それにあった結果も出していたので自分も頑張らなきゃという思いがありました。ある程度後半は盛り返すことができたのですが、上尾ハーフでも自分より前に1年生が3人もいて、自分には足りない部分がまだまだあると感じました。ルーキーと呼ばれるのはことし一年だけであり、これからは実力で見られていきます。実際自分の中ではここからが勝負だと思っているので2年、3年、4年と良くなっていくような年になっていければ良いのかなと思います。

――同学年には負けたくないとのことですが、特に注目している選手はいますか

 いや、大体みんな強いので負けたくないです。

――やはり同じ一年生だからということでしょうか

 そうですね。でも一番身近にいる新迫には身近に感じているからこそ負けたくないですね。チームメートだから(新迫が)結果出してくれたら嬉しいのですが素直には喜べない部分があるので負けたくないなとは思います。

――新迫選手とはどのようなお話しをされるのでしょうか

 お互い先輩にお世話になっていることが多いので二人という時間が入学当初に比べると少なくなったのですが普通にご飯に行ったりはしますね。陸上の話もしますけど、どうでもいいことも話すので普通に仲の良い友達ですね。一緒に寮に住んでいるから身近に感じすぎてあまり特別感というのがなくなっています(笑)。

――寮での生活にはやはり慣れましたか

 慣れたは慣れたのですが、慣れても朝はきついです(笑)。

――春の対談の際にも朝がきついとおっしゃっていました

 いまだに朝はきついです。最近特にきつくて、夏はまだ起きられたんですけど最近は起きたら絶望感しかないです(笑)。もっと寝ていたいなと思いますね。だから自分の中のギリギリまで粘って、アラームも二度寝したときのために4回くらいかけています。

――なかなか体は起きないですか

 そうですね。ある程度は体に染みついてはきているんですけどどうしても体は起きないです。難しいですね。先輩から2月は(朝が)一番寒いから覚悟しておけと言われます。静岡は雪も降らないし暖かいは暖かいんですよ。この前雪が降ったときは初めての雪で僕はとても楽しかったのですが、みんなは全然面白くなかったみたいで少し浮いてしまいました。

「4年生と笑って終わるためにも優勝したい」

全日本では初めてエンジのタスキを掛けた

――箱根まであと1カ月ですが今の心境をお聞かせください

 上尾ハーフをしっかり走れたからと言って箱根で走れるわけではないので、集中練習でしっかりポイントを外さずに距離を踏んで、上尾ハーフで残った課題を消化していかないと箱根ではもちろん戦えないと思っています。トラックと違って個人ではなく、チームとして戦うので外してはいけない部分はとても大きいです。練習でピークを持ってくるのではなくて本番でピークを持ってこられるように、この1カ月間を使っていきたいと思います。授業もあっていろいろ大変ですがそれを含めての実力だと思うので、そういった部分も抱えながらこの1カ月間は上り調子になっていくようにしたいと思います。

――大学に入学するまで箱根を見る側でしたが、今まではどのような思いで見ていらっしゃいましたか

 僕の親が箱根を走ったことがあり、それを聞かされていたので、当時陸上はやっていなかったのですが小学校くらいから正月は(箱根を)見ていました。去年は特に大学が決まっている状態で見ていたので見方が変わり、いざ走るとなるとこういうものなのかな、あれが自分だったらと思いながらテレビを見ていました。全日本で特に見る側と走る側では全然違うと感じたので、心配と楽しみがあります。

――入学してからここは強くなったと言える部分はありますか

 そんなに変わっていないと思います。ポイント練習は指示を与えられるんですけど、その間のジョグの日はやはり高校と違って何も与えられないので、そういうところで高校の時よりは考えた練習ができるようになったのかと思います。

――同学年の雰囲気はいかがでしょうか

 正直、新迫と僕とその後ろとの差がすごく開いてしまっています。言い方は悪いのですが、僕らより下の人たちが頑張ってくれないと学年としてこれから困っていくということで、最近はこれから2年生になるという自覚も持ち始め、1年生に対して陸上の話もするようになってきました。きょうの練習も1年生を減らしてはいたのですが、ある程度走れるようになってきたので、1年生全体も割と良い感じになっているのではないかと思います。

――先輩とはどんな話をされますか

 井戸さん(浩貴、商4=兵庫・竜野)と趣味が合うので4年生の中だと一番井戸さんにお世話になっているのかなと思います。あとは高校の先輩だった(石田)康幸さん(商3=静岡・浜松日体)がいる3年生では安井さんとかにもお世話になっているのでよくご飯連れて行ってくれて、たまに部屋に来てくださったりします。本当に良い先輩に恵まれたなと思います。

――監督やコーチに言われて印象に残った言葉はありますか

 よく駒野さん(駒野亮太長距離コーチ、平20教卒)に「目、垂れてるな」と言われます。「それは仕方ないんですけどね」みたいな話をしょっちゅうします。「きょう(目)垂れてないじゃん」みたいな(笑)。

――春にお話を伺った際に、1区を走りたいとおっしゃっていましたが、その思いは今も変わらないでしょうか

 今も1区を走りたいとは思っているんですけど、やはり平さん(和真、スポ4=愛知・豊川工)とか(武田)凜太郎さん(スポ4=東京・早実)とか永山さん(博基、スポ2=鹿児島実)などがいます。自分は高校では「1区なんだろう」と思っている部分があったのですが、出雲や全日本を見て改めて1区の大切さを知り、一番調子が良い選手がいくのだと思いました。その先輩方に練習で負けているようでは走れる訳がないので、実際どこの区間でも行くつもりではいるのですが、特に1区を意識した練習をしたいなと思っています。

――走る上での信念はありますか

 特にないですかね。音楽聞いてリラックスして…。それくらいですかね。シーンとした空気がレース前だと緊張してしまうので好きではなくて、周りにうるさいと思われているのかなと思いつつ、付き添いの人としょっちゅう話しています。それくらいですね。

――箱根を走る上での個人の目標を教えてください

 やはり一番はチームに貢献することなのでそれに見合った走りをしたいと思います。

――チーム内でのポジションは

 縁の下の力持ちですかね。目立たないけど走っていたみたいな。目立つ人はたくさんいるので影に隠れて頑張っています。

――箱根への意気込みを教えてください

 全日本では2位になって全員が悔しい思いをしましたし、いろいろお世話になっている4年生にとっては最後の箱根になってしまうので、4年生と笑って終わるためにも優勝したいと思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 茂呂紗英香)

箱根への意気込みを書いて頂きました!

◆太田智樹(おおた・ともき)

1997(平9)年10月17日生まれのO型。175センチ、60キロ。静岡・浜松日体高出身。スポーツ科学部1年。自己記録:5000メートル14分05秒92。1万メートル29分27秒92。ハーフマラソン1時間2分48秒。教職を取っている中で練習もしっかりこなす文武両道な太田選手。しかし出身地である静岡県では雪が降らないため、東京で初雪が観測された際は思わずはしゃいでしまったというお茶目な一面も。仲間と切磋琢磨(せっさたくま)し合い培ってきた実力を出し切り、チームに貢献します!