【連載】『箱根路の足跡』第6回 佐藤淳

駅伝

 早大の絶対的下りのエース三浦雅裕(スポ4=兵庫・西脇工)の名前がない――。まさかのエントリー変更に誰もが驚きを隠せなかった。タスキをつなぐことすら危ぶまれた中、この窮地を救ったのは『上り要員』と目されていた佐藤淳(スポ3=愛知・明和)。驚きと混乱、そして不安を拭えないままスタートした自身初の東京箱根間往復大学駅伝(箱根)を振り返っていただいた。

※この取材は2月10日に行われたものです。

「気持ちが切れていました」

1カ月前の『アクシデント』を語る佐藤

――箱根が終わって約1カ月が経ちましたが、いまの体調はいかがですか

一度も山下りをしたことがなかったので、ダメージがどれほどのものか分からなかったのですが、終わった後は初めてこんなに足がボロボロになるのかというくらい筋肉痛と疲労感が残っていました。1週間くらいは私生活もまともに歩くことができなくて、山下りは過酷だなと思いました。いまはもう1カ月たったので、箱根の疲労感は抜けましたね。

――6区の選手は走った衝撃で足の皮がむけてしまうこともありますが、その点はいかがでしたか

他大の選手は血まみれになっている人もいましたが、僕はシューズが合っていたのか、走り方のせいなのか、マメとかは1つもできなかったです。その点では良かったのですが、筋肉痛が一番辛かったです。

――筋肉痛はどのようなものでしたか

脚全体が痛くて、辛かったです。

――箱根後は実家に戻りましたか

はい、1回帰りました。

――全日本大学駅伝対校選手権は地元・愛知県で行われますが、やはり箱根は周囲からの反響も違いましたか

そうですね、みんなから来る連絡の量がすごかったです。

――事前取材では「調子はあまり良くない」ということでしたが、レース直前はいかがでしたか

レース前は調子も上がってきて、しっかりと走れる自信はありました。

――区間エントリーでは控えに回りましたが、その後はどのような調整をしていましたか

復路は全員外すと言われていたので、その中で僕は8区、10区を想定して自分でネットでコースを調べたりはして準備をしていました。

――箱根では交代できる選手は1日4人までとなっていますが、やはり6区以外の選手を全員変えるということでしょうか

そうですね、三浦さん(雅裕、スポ4=兵庫・西脇工)以外は誰が走るか分からないと言われていました。三浦さんは山下りの絶対的な存在なので、「6区以外は誰が入るか分からないから準備するように」ということでした。

――1月2日はどちらで練習をしていましたか

その日はこっち(所沢)で練習をしてから、昼くらいに移動という流れでした。

――その時はどの区間に行く予定でしたか

まだ言われていませんでしたが、山に行くことは考えていなかったです。8区、10区だと小田原や新宿なので、昼過ぎに出ればいいかという気持ちでいました。山に行くことを言われた時はちょっとびっくりしました。

――では6区行きを告げられたのはいつでしたか

最後の練習が終わってコーチにあいさつをしに行った時に言われました。ちょっと動揺しましたね。

――その時はやはり予想外だったと思いますが、その時は三浦選手のことは聞いていましたか

僕らも全く聞いていなかったので、最初は三浦さんが走ると思っていたので、たぶんことしも走れなかったなという気持ちでした。

――ご自身の中では6区行きを告げられた時には走ることはないだろうと思ったということでしょうか

(三浦さんが)足に痛みがあるとは言われていましたが、最終学年ですし無理してでも走るなと思っていたので、一応(6区に)行くだけかなと思って。たぶんことしも箱根はなかったなと気持ちが切れていました。

――6区を走れと言われたのは箱根に着いてからなのでしょうか

そうですね、周りから聞こえてくる噂で三浦さんの足が厳しい状況だということが聞こえてきたので、本当に僕がいくのかなと思っていました。その後走ると分かったのは、三浦さんと僕が一人ずつ監督に呼ばれて、「お前いけるか」と言われた時には、あした走るんだと思いますか。

――監督からはどのようなことを言われましたか

設定タイムとかも設けていないから、とりあえずタスキをつないでくれればいいよということと、走ってくれてありがとうと言われました。

――コースの下見なども前日に行われたのでしょうか

車で軽くコースを回ったのですが、道が混んでいて、(次の日の)朝も早いですし、夕方過ぎに(宿泊場所に)着いてしまいました。ご飯を食べて、早く寝ないといけなかったのに渋滞巻き込まれてしまったので、時間がないということで引き返しました。

――区間によって1週間くらい前から起きる時間なども調整していくのが通常ですが、8区などを目標にしていた佐藤選手にとっては6区の時間に合わせることはかなり大変だったと思います

それが一番きつかったですね。6区の人たちは1週間くらい前から3、4時に起きていくので。僕は8、10区で普段通りの生活をして、前日(1月2日)もいつもの時間に起きていて、当日3時前に起きたので体がきつかったです。

――三浦選手からは何かアドバイスありましたか

コースの特徴やきつい所など、大事な所は教えてくれました。「お前は走力があるからラスト3キロも止まらないから大丈夫だよ」と最後まで声を掛けてくださって、不安を少し消してくれたので感謝しています。

――特に三浦選手から言われたことは何でしたか

やはりラスト3キロが一番きついと言われているので、そこで頑張ればタイムも順位も上がるからと言われました。下りに関してはいまさら言うこともないから、急な傾斜に恐怖はあると思うけど、そこをうまく乗り越えて攻めていけと言われたので、心強かったです。

――登りを中心に練習をしていた佐藤選手にとって、下りに対する恐怖はやはり大きかったと思います

そうですね、かなりありましたね。

――やはり足への負担が大きいことが懸念されると思います

(6区は)特殊すぎる区間なので、800メートル下った後に足がどうなるのかも体験したことがなかったので、とりあえずタスキをつなげなきゃと思っていました。平地なら崩れても気合いでタスキをつなげられるなと思っていましたが、下りとなるともし本当に足がダメになったらどうしようというのは頭によぎって。でも、とにかくタスキはつなごうと思って走りました。

――登りの5区は想定していたので走るイメージもあったと思いますが、そのコースを下るとなるとまた違いがあると思います

そうですね、5区の山登りは下見で何回も行っていたので、コースは分かっていましたが、その逆となると平坦(なコース)なら予想はつきますが、5区と6区では別物だと思いました。監督からも言われましたが、「5区を分かっていても、6区のコースを把握したことにはならないよ」という感じで、5区を分かっていても6区を走る人にとっては意味がないので。下りと登りでは全然違うので、この景色見たことあるなくらいしか思わなかったです。

――箱根の中継番組で解説の瀬古利彦さん(昭55教卒=現DeNA陸上部監督)が「佐藤選手は下りをやりたいと言っていた」とおっしゃっていましたが、本当でしょうか

言ったのかな(笑)。みんなに「下りやりたかったの?」と言われました。逆に僕は下りが少し苦手なイメージだったので。瀬古さんがそうおっしゃるなら言ったのかもしれません。

「自分が思っていたより走れました」

――初の箱根は緊張しましたか

みんなからも「期待してないからリラックスして走ってこい」みたいに言われていたので(笑)。緊張はあまりしていなかったですね。それよりは不安の方が大きくて。でも、タスキをつなげれば、タイムもそんなに期待されていないので。

――スタート直後の登りでは順位を1つ落としましたが、その時はどう思われましたか

身体が動かなくてきついかなと思っていました。でも、日大さんが少し前にずっといてくれたので、それを目標に追いつこうと走れていました。ターゲットになっていましたね。

――6区は途中まで監督車がいない中で行われますが、その中でのレースではどのようにペースをつくっていましたか

ある程度5キロ、10キロの目安は言われていたので、時計を見て走っていました。

――実際そのタイム通りに走れましたか

最初の5キロは監督から言われていた一番遅いタイムで、やっぱり少し厳しいかなと。でも、下りに入ってからは日大さんに追いつこうとして走って、10キロの時は良いタイムに戻ったので、結構下れているなと思いました。

――ご自身が考えているよりも下りを走れたという感覚はありましたか

そうですね、自分が思っていたよりは走れました。

――レースでは日大、日体大との駆け引きはありましたか

日体大の選手に追いつかれた後すぐに抜かされたので、僕は追いつこうと必死に走ったのですが、付けなかったです。

――ラスト3キロはかなり苦しい表情をされていました

下っていますが、登りに感じました。

――レース後半は監督車も付いてきますが、何か声を掛けられましたか

日体大の監督車がすぐ後ろにあったので、全く声を掛けてくれなかったです(笑)。

――日体大の監督はかなり声を出していました

そうですね、「テレビ車に付いて行け」みたいな感じでした。僕と日体大の間があまり開かなくて、僕の後ろにずっと日体大の監督車がいたので。

――佐藤選手自身アームウォーマーを途中で取ったりと、レース後半はかなり暖かったと思います

最初山の上は寒かったですが、山を下りていくうちに暖かくなっているなとは感じました。

――例年になく暖かい中での箱根でしたが、そこはいかがでしたか

まだ朝早かったので、暑いと言っても大したことはなかったです。気温が上がる前で、そこは気にならなかったです。

――結果的に区間6位、60分23秒でレースを終えましたが、その結果についてはどうお考えですか

監督からは「62分台かかると思っていた」と言われて、「仕事を果たしてくれた」と言われたのですが、一回も走っていなくて基準も分からないので、どう反応していいのか分からないところがありますね。

「完全燃焼で終われるように」

急きょの代役を見事に務めあげた

――来年はチーム唯一の6区経験者となりますが、上りと下りどちらをやりたいですか

僕の中では上りももういいかなという感じで(笑)。平地でしっかりと勝負したいなという気持ちがあります。下りは誰もいなかったら、頭の片隅に入れておこうかなと思います。

――ことしの新チームも1月4日からスタートしましたが、相楽監督からはどのようなことを言われましたか

監督も1年目だったので、監督ご自身もまだまだ成長の途中だからということをおっしゃって。だからこれからもっと強いチームになっていけると思っているから、この一年しっかり頑張ろうと声を掛けてくださいました。

――最後に大学生活最後の一年の目標を教えてください

大学で陸上は辞めるので、最後しっかりと完全燃焼で終われるように一年頑張っていきたいと思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 杉田陵也)

◆佐藤淳(さとう・じゅん)

1994年(平6)4月12日生まれのO型。168センチ、48キロ。愛知・明和高出身。スポーツ科学部3年。自己記録:5000メートル14分16秒38。1万メートル29分20秒04。ハーフマラソン1時間2分49秒。2016箱根駅伝60分23秒(区間6位)