好きな食べ物はメロンパン。そんなお茶目な素顔とは対照的に、正月、天下の険、箱根の山に勝負を挑んだ安井雄一(スポ2=千葉・市船橋)。迫り来る他大の選手に物怖じせず、マイペースを貫き無事に芦ノ湖までエンジのタスキを運んだ。2度目の東京箱根間往復大学駅伝(箱根)を終えていま思うこと、上級生としての今後の役目、そして見据える自身の将来の目標について伺った。
※この取材は2月11日に行ったものです。
「責任を感じる」5区の山上り
笑顔で質問に応じる安井
――箱根から1カ月ほどが経過しましたが、現在の調子はいかがですか
箱根が終わってからなかなか疲れが抜けなくて、ケガをしてしまいまして、あまり良い練習が積めていないのですけれども、2週間後の東京マラソンには出る予定なので、今はケガも治りましたし、それに向けて練習中です。
――フルマラソンに向けて距離の練習は積めていますか
今から積んでいくという感じです。
――オフの期間はどんなことをされていましたか
地元の友達とご飯を食べに行ったり、あとはお買い物に行ったりと、いつもできないようなことをして楽しんで過ごしました。
――東京マラソンを走るために、意識的に取り組んでいることはありますか
マラソンは42キロということで、僕も経験したことのない長さなので、無駄のない走りをして、効率よく走ることで、走り切ることができると思っていますし、今はフォームを特に意識して練習しています。
――2015年のトラック、ロードシーズンをそれぞれ振り返っていかがですか
トラックもロードも自分の思っている走りはできなくて、トラックでも目標としていたタイムは出せませんでしたし、ロードでも学生三大駅伝を走るということが達成できなかったので、悔しい面が多いかなと思っています。
――ここからは箱根の話に移らせていただきたいと思います。2度目の箱根でしたが、どのような意気込み、目標を持たれていましたか
今回は5区の山上り区間ということで、きょねんよりもプレッシャーと言いますか、責任を感じる部分はすごく大きくて、きょねん以上に緊張しました。2回目だったのですけれども、走る前はきょねんよりは余裕があったので、落ち着いてスタートできたことは成長かなと思っています。
――レース直前はどのように過ごされていましたか
いつも通りということを試合前には心がけているので、いつも通り過ごしました。
――安井選手はメロンパンがお好きだということですが、直前は甘いものなどの食事制限はされるのでしょうか
どこから仕入れた情報なのでしょうか(笑)。さすがにお菓子を食べ過ぎたりすることは良くないのですが、そこまで我慢はしていないですね。好きなものは我慢せずに食べています。
――メロンパンもいつも通り食べていましたか
はい。食べていましたね(笑)。
――渡辺康幸前駅伝監督(平8人卒=現住友電工監督)から言われて前々から山上りを意識されていたと思います。昨シーズンはそのことを頭に入れて、レースや練習に取り組んでいたのでしょうか
トラックシーズンは意識せず、トラックに集中していたのですけれども、山上りはスタミナがやはり重要なので、夏頃からはスタミナを意識して走る距離を長くしたりしましたし、坂ダッシュなどにも取り組みました。
――5区を出走することはいつ頃決まりましたか
ずっと前々から言われていたのですけれども、最終的に決まったのは(箱根の)2週間くらい前ですかね。区間エントリーの日に監督(相楽豊駅伝監督、平15人卒=福島・安積)に「頼むぞ。」と言われたので、その時から構えて準備していました。
「本当にきつかった」けれども「100%出し切れた」
――当日の朝のコンディションはいかがでしたか
朝はすごく調子良くてと言いますか、そこまで悪いところもなく、順調だなというイメージでした。
――ことしは例年より少し暖かかい気候でしたが、その点についてはいかがでしたか
やはり山上りは寒いというのが特徴なのですけれども、スタート前はすごく暑くて、服装をどうしようかということも考えたのですけれども、何が起こるかはわからないので、寒さ対策はしっかりして山上りに向かいました。
――これまで5区を走られていた、山本修平前駅伝主将(平27年スポ卒=現トヨタ自動車)からアドバイスはありましたか
今大会前にアドバイスをいただくということはありませんでしたが、修平さんが在学中は、「多分来年からお前だから。」と言っていただいてアドバイスは頂いていたのですが、とにかくきついということを強調されていましたね。
――実際に走ってみて、山上りはきつかったですか
はい。本当にきつかったです。
――青学大の神野大地選手や日大のダニエル・ムイバ・キトニー選手など、注目度の高い選手がいらっしゃいましたが、他大の選手は意識されましたか
そうですね。神野さんはやっぱり神なので、置いといて…じゃないですけれども(笑)。区間3番くらいには入りたいなと思っていたのですけれども、及ばずという感じでしたね。
――当日、レース前後で他大の選手とお話しをすることはありましたか
レース前はなかったのですけれども、レース後には話した選手もいました。
――当日はどのようなレースプランだったのでしょうか
2区のブレーキがあって、そこから情報があまり伝わってこなくて、ワセダがどうなっているかわからない状態でアップしていたので、シード権争いくらいなのかなと思っていたのですけれども、永山(博基、スポ1=鹿児島実)とか(武田)凜太郎さん(スポ3=東京・早実)がすごい順位を上げてきてくれたので、相楽さんからは周りを気にせず自分の走りを設定していこうと言われたので、しっかりとマイペースで行こうと思っていました。
――タスキをもらう直前までワセダの順位がわからなかったということですか
そうですね。
――そういった状況はよくあることなのでしょうか
そうですね。もちろん、ある程度は情報が入ってきてはいたのですが、(3区が終わった時点で)今、凜太郎さんが11位でつないだという情報で途切れていて、永山が何位くらいでくるかということはわかっていなかったですね。7位で来たのでちょっとびっくりしましたね。
――給水時に掛けられた言葉などは覚えていますか
いろいろと声を掛けていただいたのですけれども、正直、きつくてあまり覚えていないです。ただ、上りの最高点の時に短距離の北村さん(拓也、スポ4=広島皆実)から給水をいただいたときは、「こっからだぞ!お前のやってきたもの出していけ!」と熱く声をかけていただいて、すごく嬉しかったです。それだけは覚えています。
――日大のダニエル・ムイバ・キトニ―選手が8人抜きをして後ろから迫っていました。後方は気にされていましたか
気になりましたね。最初は東海大の宮上(翔太)さんが来ているということを沿道からすごく言われていて、抜かれるのかなと思っていたのですけれども来なくて、最後は、今度はキトニーが来ているという声が聞こえてきて、嘘でしょと思いましたね(笑)。わーっと思って焦ったのですけれども、キトニーさんも失速したみたいで、なんとか逃げ切れてホッとしました。
――途中、後ろを振り返ることはありましたか
何回かは気になって振り向いたのですけれども、監督車がどんっと大きくあって、あまり後ろを確認することはできませんでした。
――沿道の声援がかなりの情報源になるということでしょうか
そうですね。相楽さんからも後ろからいろいろと言っていただけるのですけれども、声援の大きさもすごいですし、風が強かったので、聞こえにくくて、沿道の方がむしろ距離が近いですし、何秒差で誰が迫ってきているのかなども言っていただけて、助かりました。
――タスキリレーの際、4区の永山選手から声を掛けられましたか
永山からは、「よろしくお願いします」と言われたような気がするのですけれども、向こうが多分疲れていたので、はっきりとはわからなかったです。
――案外、声は聞き取れないのでしょうか
そうですね。歓声がすごいので、全然聞こえないですね。
――箱根では、耳が痛くなるほどの歓声だということをよく聞きますが、実際はいかがでしたか
痛くなりますね。
――目標は区間3位とおっしゃられていました。5位という順位に関してはどう思われていますか
ダメだったというわけでもなく、良かったというわけでもなく、なんとも中途半端な5位ということだったのですけれども、自分の中では100%出し切れたので、これが実力だったのかなと思います。
――事前取材の際に、タイムは最低でも80分とおっしゃられていましたが、タイムに関しても100%出し切った結果ということでしょうか
そうですね。もうあれ以上は(良いタイムを)多分出せなかったなという感じです。
――相楽駅伝監督からはレース後何かお話はありましたか
相楽さんからは、「後半に足が止まったな」ということと、「スタミナが足りなかったぞ」ということと、「来年は1時間20分を切れる」ということを言っていただきました。
――それでは、来年も5区を走るということでしょうか
うーん。ちょっと…という感じですね(笑)。きつかったので。
――平地区間を走りたい気持ちの方が大きいということでしょうか
そうですね。今回山を走っていて、途中本当に苦しくて、「こんなところ一生走ってやらねえ」と思って走っていましたね。やっぱり僕は箱根で2区を任せてもらえるような選手になることが目標なので、僕は2区志望なのですけれど、監督が決める采配についていくだけだと思っているので、あとは監督に任せます。
――翌日には同じ学年の光延誠選手(スポ2=佐賀・鳥栖工)や藤原滋記選手(スポ2=兵庫・西脇工)が控えていましたが、往路を終えてから何か声を掛けるということはありましたか
全部が終わってからなのですけれども、光延も藤原も初めての箱根で、藤原は前もいない状態でなんとか淡々と走ることができたのですけれども、光延は多分自分でも思うような走りができていなかったので、今回の悔しさが来年に繋がると思うので、「来年は区間賞を取ってくれよ」と声をかけました。
――ようやく3選手が揃われての今回の箱根となりましたが、その点はいかがですか
とても嬉しかったですし、むしろ出雲(出雲全日本選抜大学駅伝)、全日本(全日本大学駅伝対校選手権)と出られなくて僕が出遅れていたので、やはりこの3人で来年、来年はワセダを背負っていかなければならないですし、主力として続けられるように頑張っていこうと改めて思いました。
「夢はマラソンで日の丸を背負うこと」
果敢に天下の険に挑んだ
――ことしは3年生となり上級生になります。チームをこのようにしたいという理想はありますか
今は平さん(和真、スポ3=愛知・豊川工)が主将で、やはり平さんが作るチームを自分たちが全力でフォローしていきたいですし、3年生は一番余裕があるといいますか、2、3年生は余裕がある時期だと思うので、4年生に着いていくだけではなくて、1、2年生の指導もしっかりと行って、まとまりのあるチームを作っていきたいと思います。
――安井選手は将来的に箱根で2区を任される選手になりたいということでした。ワセダのエースを目指す上で、ことしのご自身の役割は何だと思いますか
具体的にはまだ決めていないのですけれども、3年目ということで、今まで1、2年生と失敗してきたトラックシーズンでは、チーム内上位5人ぐらいには入れるタイムを出していきたいということと、学生三大駅伝をしっかり全部走るということが役目かなと思っています。
――春からは新しく1年生が加入します。下の代から刺激を受けるということもありますか
今の1年生とは、いろいろと話しますし、結構僕から積極的に話しかけに行ったりしています。1年生はみんなすごく努力家で、コツコツといろいろなことをやっているので、そういうところは見習いたいなと思うこともあります。
――2週間後にはフルマラソンに出場されるとのことですが、具体的な目標はありますか
今回はまずマラソンを経験するということが第一で、完走というわけではないですけれど、マラソンの長さを知るということがまずの目標です。タイムとしては2時間20分から25分くらいでゆっくりやりたいかなと思っています。
――将来的にはマラソン選手になりたいということでしょうか
そうですね。僕の夢はマラソンで日の丸を背負うことなので、東京オリンピックももう4年後に迫ってきていますし、やはりマラソンでオリンピックを目指すからにはそろそろ始めていかないといけないなということは感じていて、やろうと決めている次第です。
――最後に、2016年のシーズンはどうのような1年にしたいですか
この3年目は結果と勝負にこだわりたいと思っていますので、内容も大事ですけど、まずは勝ち切ることを第一に、とにかく勝負にこだわっていきたいかなと思っています。
――ありがとうございました!
(取材、編集 井上莉沙)
◆安井雄一(やすい・ゆういち)
1995(平7)年5月19日のO型。170センチ、56キロ。千葉・市船橋高校出身。スポーツ科学部2年。自己記録:5000メートル14分09秒39。1万メートル29分07秒01。ハーフマラソン1時間2分55秒。2015年箱根駅伝8区1時間6分05秒。2016年箱根駅伝5区1時間21分16秒(区間5位)