【連載】『箱根路の足跡』第2回 藤原滋記

駅伝

 東京箱根間往復大学駅伝(箱根)初出場にしてアンカー10区を任された藤原滋記(スポ2=兵庫・西脇工)。思うように走れずもがいた昨年から、ようやく自分らしく走れるようになったこの一年だった。ほどなく、高校時代からの先輩、三浦雅裕(スポ4=兵庫・西脇工)も卒業する。『三強』と呼ばれる青学大・東洋大・駒大の牙城を崩し、次こそは総合優勝を果たすべく、上級生として何ができるのか――。その胸の内を語ってもらった。

※この取材は2月10日に行われたものです。

「三浦さんの分も」

飛躍を遂げた2年目を振り返る藤原

――箱根から1ヶ月が経ちましたが、最近の調子はいかがですか

やはり箱根にしっかり合わせてやってきたため少し疲れも残っているので、今は次の立川ハーフ(日本学生ハーフマラソン選手権)に向けてしっかりと調子をもう一回上げていくというような感じで練習しています。

――具体的にどのように練習していますか

そうですね、長い距離の練習から、次のトラックシーズンに切り替わるのでその移行ということで、量よりも質を上げるような練習をしています。

――区間エントリーが発表された時はどのようなお気持ちでしたか

2日前くらいに(監督から)10区はお前でいくということを言われていて、心の準備はしっかりできていたので、後はしっかりと走るだけだという心境でした。

――箱根は初出場でしたが、全日本大学駅伝対校選手権(全日本)との雰囲気の違いなどありましたか

全日本でも沿道の人の数がすごく多いと思ったんですけど、箱根はやはりそれ以上に沿道の方の応援というのが大きくて、自分の周り(の友人など)も箱根走った後「箱根見たよ」とか言ってくれて。本当に大きい大会だなということを感じました。

――箱根には西脇工高時代の選手も多く出場していましたが、昔の仲間の走りを見て感じるものはありますか

駒大の中谷(圭佑)選手だったり、高校時代に一緒に走った選手が頑張っている姿を見ると、自分もやはり負けていられないという風なことを思いますし、今回で言えば4年生の三浦さんが出場できないというのを聞いたときは、やはり自分もすごく三浦さんと走りたいという思いだったので、すごく悔しくて。三浦さんの分も頑張ろうと思ったレースでした。

「勢いを引き継ぐ」

――レース前日はよく眠れたでしょうか

あまり緊張して眠れないということはないので、いつも通り落ち着いて眠れました。

――本番前のルーティンなどありますか

毎年親からお守りが送られてくるんですけど、それを試合会場に持って行くというのは毎試合決めていて、あとは決まった音楽を試合前に聴くというのがルーティンになっていますね。

――中継所で待機しているときにチームメイトから何か声をかけられましたか

高田さん(康暉、スポ4=鹿児島実)と伊澤さん(賢人、スポ4=栃木)が会場に来てくれて「楽しんでこいよ」と声をかけてくれたので、自分的にも気持ちが楽になって走ることができました。

――9区の井戸浩貴選手(商3=兵庫・竜野)からタスキを渡される時、声をかけられていたようでしたが、どのような言葉でしたか

ちょっと覚えてないですね(笑)。

――井戸選手は区間賞を獲得しましたが、走りに刺激を受けたり感じるものはありましたか

区間賞を持っている選手ですし、やはり良い勢いでタスキをつないでくれたので、その勢いを引き継ぐというか、その勢いを潰さないように走りたいなと思いました。

――10区はどのようなレースプランで臨みましたか

10区は長丁場で単独で走ることは予想できていて、当日気温がすごく高かったので前半突っ込み過ぎるというよりも、しっかりと23キロ通してイーブンで走ることを考えていました。

――当日は気温が高く、更に昼に向けて上昇していきましたが影響はありましたか

自分的には暑さには苦手意識は無くて、前日から水分を多めに、こまめにとるように準備していたのでその面での不安要素は無かったですね。

――10区はビル風の影響を受けると聞きますが、実際に走ってみていかがでしたか

そうですね、でもビルが多いのは中間地点くらいなんですけど、気温のわりには冷たい風が吹いているなという感じはしましたが、そんなに影響はなかったですね。

――給水はうまく取れましたか

4年生の先輩がしてくれたんですけど、すごく力強い給水してもらったんで自分も力をもらって、走っていて一人ではないのだなと感じさせられました。

――全日本では最短区間を走られましたが、距離の違いなど感じましたか

自分自身は長い距離でも戦えるというのがあったので、短い区間の方が実際は不安があってスピードには自信が無かったんですけれど、相楽監督(豊、平15人卒=福島・安積)から「良いコンディションだ」という言葉をかけて送り出してもらえたので、そんなに不安要素も無く走ることができました。

「チームを引っ張る存在に」

悔しさの残る中でゴールテープを切った藤原

――1月21日付けの部員日記を拝見しましたが、1年生時の「思うようにならない部分」というのは具体的にどのようなことなのでしょうか

ことしで箱根走れたんですけど昨年はエントリーまでで、1年間自分の力を発揮できないことが続いて、入学して環境の違いとか練習量とかなかなかついていけなくて。そこで少し歯車が狂うというか、なかなかチームの主力を選手と一緒に走ることができない時期が続いたんですけど、2年目からはだんだん適応してきたというか、自分の走りをすることができるようになったので、それが全日本、箱根というかたちでつながったという風に思っていますね。

――監督車の相楽駅伝監督からはどのような声かけがありましたか

「すごく成長したぞ」とか10キロで「きょうは本気出せ」とか冗談半分で言って下さったんですけど、すごくそういう監督からの言葉が自分の中でも力になったので、相楽監督には感謝しています。

――相楽駅伝監督はコーチから監督に就任されましたが、接し方などの変化はありましたか

選手とそんなに年も離れていないですし、身近というか選手とのコンタクトを大事にしてくれているので相談とかも言いやすくて。監督ですけれど距離が近いので頼りやすい方です。

――相楽駅伝監督率いる新チームでの1年間を振り返っていかがですか

いろいろ相楽さんになってから新しいトレーニング取り入れたり、学生、高田さんを中心に新しい取り組みを取り入れてきた中で全日本4位、箱根も4位ですけど、それでも『三強』といわれる大学に少しずつ近づいてきたなという思いはみんな感じていると思うので、「来年こそは」という思いでまずは『三強』を崩していきたいです。

――4年生が抜けてしまうことについてはどのようなお気持ちですか

そうですね、やはり4年生は1年間走れなかった時にいろいろ相談に乗って下さった方が多いので、偉大な先輩でしたし先輩方が抜けるというのは自分も寂しいですけれど、頼ってばかりではいられないので次はその立場になれるように、上級生としてチームを引っ張っていけるような存在になりたいです。

――それは記録の面や、練習中の声かけなどでも、ということでしょうか

そうですね。自分は今まで引っ張ってもらうというような意識が強かったんですけど、来季は3年生になりますし自分から引っ張るという意識を持っていきたいと思っています。

――それでは、トラック、ロードそれぞれの今後の目標を聞かせて下さい

トラックの部分では成績が残せていないので、春からのトラックで1万メートルまずはしっかり28分台を出してインカレで活躍するということ、ロードでは学生三大駅伝の経験を生かしてチームのエースというか核になれるようにやっていきたいなと思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 曽祢真衣)

◆藤原滋記(ふじわら・しげき)

1995(平7)年10月16日生まれ。176センチ、56キロ。兵庫・西脇工高出身。スポーツ科学部2年。自己記録:5000メートル14分08秒36。1万メートル29分24秒07。ハーフマラソン1時間3分23秒。2016年箱根駅伝10区1時間11分45秒(区間6位)