ことし4月、駅伝監督に就任した相楽豊駅伝監督(平15人卒=福島・安積)。就任1年目から新たなトレーニングなどを取り入れ、チームのレベルアップを図っている。東京箱根間往復大学駅伝(箱根)で目指すはもちろん5年ぶりの総合優勝。大一番を前に、悩みながらも真っすぐに目標へ進んできた1年間を振り返っていただいた。
※この取材は12月1日に行われたものです。
「高いレベルで練習をこなせた」
今季を振り返る相楽監督
――渡辺康幸前駅伝監督(平8人卒=現住友電工)から体制を引き継いだのはいつですか
一応任期としては4月1日から(駅伝監督に就任する)ということになっていましたが、年明けてから渡辺監督の方から「自由にやっていいよ」と言われていたので、実質的には1月から取り組んでいました。
――箱根が終わった後すぐに交代したということですか
そうですね。箱根の翌日(1月4日)にミーティングをやって、そこからスタートしました。
――では、今シーズンを振り返っていただきます。日本学生ハーフマラソン選手権ではなかなか結果が出なかったと思いますが、いかがですか
やはりユニバーシアードの選考レースであって、比較的あの大会は得意としていて、前年度も入賞者を出しています。日の丸をつける選手を出したいということチームの目標として取り組んでいたので、結果としては全く絡めず非常に悔しい試合でした。
――次の大きな大会として関東学生対校選手権(関カレ)がありましたが、トラックよりもハーフマラソンで得点を重ねていました。その大会の結果についてはいかがですか
チーム全体としては複数入賞者を出そうというのが1つと、できるだけ表彰台に多くの選手を上げたいということを目標として立てていました。その中で、井戸(浩貴、商3=兵庫・竜野)が表彰台に立ちましたし、ハーフマラソン以外でも3000メートル障害と5000メートルで複数入賞出したところでは1つの目標は達成できたかなと思います。しかし、5000メートルや1万メートルでは他校とエースと戦った時にいまいち勝ち切れないなという課題も残った大会でした。
――春には全日本大学駅伝対校選手権関東学生連盟推薦校選考会(全日本予選)もありました。多くの雑誌などで早大はトップ通過と予想されていましたが、実際には4位という結果で終えました。この試合についてはいかがですか
チームの持っていた課題の1つとして、スタートラインにベストなメンバーがベストの状態で立てないということがずっとあって、この大会についても平均タイムはダントツトップでしたが、そのタイムを持っている選手が実際には出られていない。理由は故障なのですが、そういうところでスタートラインに立つ前に負けていたというか、苦しい状態だったのかなと思います。あともう1つとしては、3組目まではトップで運んでいた中で、4組目のエースの組で一気に溝を開けられてしまい、チームが抱えていた学生トップクラスのエースがいないということが目立った大会だったと思います。
――具体的にはどの選手がベストな状態ではなかったのでしょうか
1万メートルの(ベストタイム)上位8人で言うと、武田凜太郎(スポ3=東京・早実)や、あえて回避した平(和真、スポ3=愛知・豊川)、あとは柳(利幸、教4=埼玉・早大本庄)も出場しましたが、タイムから言えば後半の組にいくべきところを1組目に回してしまいました。全体的にベストな状況ではなかったと思います。
――この大会の後に何か指導はされましたか
やはりベストなメンバーがベストな状態でそろわないことは勝負以前の問題だということと、エースになれる人間が出てきてほしいと思って1月から取り組んできましたが、見ているとスーパーエースが出てくることは難しいのではないか。だから、夏合宿でエースがいないけれども、全員駅伝ができるチームを作ろうと言いました。
――7月のホクレンディスタンスチャレンジではベストタイムが続出しました。この大会についてはいかがですか
全日本予選で悔しい思いをした分各自が頑張ってくれて、自己記録を出してくれたことは良かったのですが、記録を出すための条件が整った試合でしたので、少しでも全カレ(日本学生対校選手権)や日本選手権の参加標準記録に挑戦させたいな思っていました。そこからすると少し物足りなかったなと思います。
――柳選手が日本選手権の参加標準記録まであと一歩のタイムを出したことに関してはどのように考えていましたか
故障で出遅れましたが、しっかりと出場した2戦で高いレベルのタイムを出してこなしてくれましたので、夏に向けて収穫が得られたと思います。
――夏合宿は全体を通してどのようなことを強化されましたか
ことしの箱根の敗戦理由としては、ベストなメンバーがそろわなかったこともありましたが、箱根前の集中練習を例年より質も量も落としたかたちにしたのですが、それすらこなせなかったという現実がありました。さかのぼってみると例年に比べて走行距離がだいぶ少なかったので、まずは集中練習をしっかりこなせる体を年間通して作っていかないと間に合わないよという話をしました。そこでトラックシーズンが終わって、走行距離の最低ラインを決めて取り組ませていたので、夏合宿もスピードは捨てて、距離に特化しようということで練習をしていました。
――どの選手も距離を踏む練習に重点を置いていたということでしょうか
そうですね。月間ではなく合宿ごとに細かく距離の目標ラインを示して、それをみんなが取り組むというかたちにしました。全体的に練習量が増えた合宿になりました。
――夏の時点では例年よりも距離を踏んでいたと
そうですね。1番多い年よりは少ないのですが、メリハリをつけて合宿中は練習をして、間の期間は休みなさいと指示していたので、月間の距離としてはそこまでではないのですが、メリハリをつけることができたと思います。
――ことしから体幹トレーニングを取り入れられていますが、そのことについて詳しくお聞かせください
もともと速く走るためのトレーニングは独自で行っていたのですが、故障者が減らないという現実があったので、故障を減らすトレーニングを探していたところ、うちのトレーナーさんがそういうことをできる用意があるということでした。高田(康暉駅伝主将、スポ4=鹿児島実)がずっとお世話になっていて、試しにグラウンドに来てもらってお願いしたところ、内容や狙いがすごく僕が欲していたことにマッチしていたので、継続してお願いしました。
――チームではなく、もともとは高田駅伝主将のトレーナーの方ということでしょうか
昔からチームとしてではなく、個人的に矢澤(曜、平24教卒=現日清食品グループ)や山本修平(平27スポ卒=現トヨタ自動車)などが個人でお世話になっていたみたいですが、チームとしてお願いしたことは初めてです。
――夏合宿などを通じて伸びたなと思う選手はいますか
代表的なのは藤原(滋記、スポ2=兵庫・西脇工)だと思います。うちのトレーナーがやる動きづくりが合って、ランニングフォームももともと彼が持っていたいいものをさらに引き出した走りになりましたし、本当にこの半年で一番変わったのではないのかなと思います。
――トレーナーの方をチームに呼んでからはチーム全体でもフォームが良くなったと感じますか
特にBチームから下の選手から伸びてくる選手が増えまして、チームの競争も激化しました。あとは動きづくりの成果ではないですが、故障者が本当に減りました。夏合宿も7月中は故障者ゼロという状況がしばらく続きまして、こういう状況はなかなかなかったので本当にお願い通りの成果が出だしてきたと感じられる合宿でした。
――全カレを振り返っていかがですか
合宿の合間の試合なので調整が難しいのは例年通りなのですが、その中でもみんなには他大のエントリーを見ても、日本一を決める大会ではありますがやはりどこの大学もベストなメンバーが出ているわけではないですし、どこの大学も合宿中なのでベストな状態で出てくるわけではないから、夏合宿で成長したという手応えを感じられるような成果を見せてくれということで送り出しました。そういうところで中村(信一郎、スポ4=香川・高松工芸)があのような走りをしてくれて、合宿ではみんな同じような力で競っていたので、多くのメンバーが勇気づけられる試合だったと思います。
――出雲全日本大学選抜駅伝(出雲)は6位という結果でしたが、レース後は率直にどのように思いましたか
やはり悔しいなと思いました。夏合宿で強くなっているという手応えもありましたし、三大駅伝の中でも距離的にも苦手なレースだなとは思っていましたが、勝つかどうかは別として戦えるのではないのかなという自信は少しあったので、内容を見ても先頭とずっと1分くらいで推移していたところで、そこは力がついたと思う反面、6位というのは悔しかったです。
――出雲では戦えるのではないかという自信が持てるほど、充実した夏合宿であったということでしょうか
最後の合宿でもこれまでと比べても、高いレベルで練習をこなせたメンバーが多かったです。しかし、ことしは変えた部分が多かったので私の中でも戦えるけれどもどれくらい強いのかなというところは手探りでもあったので、力試しではないですが、どれくらいの位置にいるのかなということを測りたかったです。自信半分、不安半分みたいな状態で臨みました。それでも6番というのは予想していなかったです。
――出雲は3、4年生だけのメンバー構成となりましたが、その意図を教えてください
直前まで合宿をしていたので、上級生の方が練習をやり慣れていて元気なメンバーが多かったので。下級生は疲れも見えていたので、意図的に外したというよりは、調子のいいメンバーを選んだらそうなってしまった感じです。
――1区の武田選手は粘るも6位でタスキリレーになりました。早大にとって1区は鬼門ですが、この結果についてはどのように考えていますか
たしかにここ何年かは1区から出遅れることが続いていましたし、武田は夏合宿から調子が良かったので送り出しました。結果的には6位になりましたが、エースが集まっていたので、満足はしていませんがそれなりにかたちにしてくれたと思いますし、ことしのチームはみんな同じくらいの力があるので、武田があれくらいできれば他のメンバーもある程度できるのではないかと、かすかに思えることができました。
――出雲では選手のみなさんも悔しさをあらわにされていましたが、全日本大学駅伝対校選手権(全日本)までにどのように切り替えていきましたか
私自身も悔しいというのが本音でしたが、内容を見ると先頭がずっと見えるところでレースすることができていて、正直勝てなかったのは弱いのですが、うちがダメだったというよりは山梨学院大や東海大などが力をつけて上位が接近している印象を受けました。全日本ついては距離が伸びて人数が増えるということで、ことしのチームは同じような力のメンバーが数多くいるので、もう少ししっかり戦えるだろうという自信があったのと、出雲では要所で競り負けていた部分があったのでそこは改善しようとみんなにも話して取り組んだので、出雲はショックでしたがどうしようないなというよりは、次は何とかなるけれど上積みしなければ勝てないなという必死さを持って練習に取り組んだ3週間だったと思います。
――毎年、全日本の2週間前に早大記録会を行っていましたが、ことしはそれを実施しませんでした。その狙いは何ですか
もともとやっていなかったのですが、2週間前にある程度実戦を想定したレースのペースに近い練習をしていたのですが、全日本に出始めた当時は弱いチームでもあったので、やっている練習で1万メートルのベストタイムになる選手が続出したので、それなら記録会にしようということでやり始めました。昔は競走させなくて、一定ペースでついて行ってほとんどの選手が自己ベストという状況でした。最近はそこで記録が欲しくなって、そこで頑張りすぎたために全日本本番にピークが合わないことが時々あって、その典型が昨年でした。なので、かなり早い段階からたぶんやめるということは伝えていて、その代わりに密度の濃い練習をしていました。
――全日本では中村信選手がトップと秒差なしで1区を走り切りました。中村信選手を1区に起用した理由は何ですか
夏合宿からずっとチームを引っ張ってくれていて、全カレでも優勝して、一番力もありましたし調子も良かったです。1区というと昨年の箱根はレベルが高くて、揺さぶりもあったと思うのですが、それを経験していたので出雲終わった時にメンバーはリセットして考えた時に力もあって調子も良い、経験値もあるというところで決めました。
――永山博基選手(スポ1=鹿児島実)や藤原選手など、駅伝初出場の選手たちも好成績を残しました
そうですね。できるだけ箱根までにたくさんのメンバーを経験させたいという思いがあって、出雲を走らなかった選手も、走った選手と同じような練習を同じようにやっていたので、自分たちも戦えるという自信があったと思います。意図的に出雲から変えたということはありませんでしたが、出雲から調子を落としていた選手を外していったらあのようなメンバーになって。初出場でしたが、俺らもやれるという自信を持てたと思うので良かったと思います。
――4位という結果に関してはどのようにお考えですか
やはり悔しいというのが第一声ですね。先頭の見える位置でレースができたことは手応えを感じられましたが、優勝争いに加われたかと言われればできませんでしたし、あの展開に行ったら3位は守らないといけなかったのですが、最後は駒大さんに力負けしてしまいました。出雲と同じように手応えは半分感じられましたが、まだまだ力が足りないと痛感した試合でした。
――高田駅伝主将のいないチームを誰が代わりに引っ張っていましたか
やはり夏合宿始まるところで高田と中村と柳に4年生が引っ張ってくれと話して、出雲で高田を外した時には3年生に穴を埋めろということを言いました。全日本の時には中村や柳がいたので引っ張ってくれと。上級生を中心に日替わりで盛り上げ役をお願いしたかたちです。
――上尾シティマラソン(上尾ハーフ)の入賞者数は大学で1番多かったですが、このレースを振り返っていかがですか
明確な課題を持って臨んだ大会だったので、課題や内容については一定の成果がありましたが、順位やタイムで言うと物足りなかったです。入賞者が複数出たことは頑張ってくれたと思いますが、主力がみんな出てきてないですし、うちは主力を出していたので、春からのトレーニングの成果を垣間見ることができた部分はありましたが、まだまだだなと感じられたレースでした。課題を見つけられたことは収穫だったと思いますが、悔しいなと思った試合でした。
――1年生の永山選手、清水歓太選手(スポ1=群馬・中央中教校)が初ハーフマラソンとなりましたが、どのような印象を受けましたか
永山については全日本の後に体調を崩したので出場させるか悩んでいたのですが、少し落ち着いて本人も箱根前に20キロ以上を経験したいということで、少し強行出場に近いかたちで出しました。15キロくらいまではしっかりレースを作ってくれたと思います。清水の方は順調にいっていて1万メートルでも自己記録を出したのでもう少し言ってくれると思っていたのですが、思ったより崩れ方が大きかったです。
――トライアル in 伊勢崎ウィンター競技会(伊勢崎)で復活した高田駅伝主将などが1万メートル記録挑戦競技会に参加しましたが、いかがでしたか
高田はもともと上尾に出ないと決めた時点で伊勢崎と、この記録会でレース感を思い出して集中練習に入ろうと話していました。思ったよりも状態が良かったので速いペースでトライさせたのですが、最後は練習不足が出て力負けしてしまいました。車田(颯、スポ1=福島・学法石川)は少し故障が長引いて夏合宿も遅れ気味でやっていたので、年内にどこかに出られるかなと思っていたのですが、故障期間中もしっかりトレーニングしていて復帰後に早く戻ってきて、予想以上にしっかりと走ってくれました。
――高田選手が伊勢崎で5000メートルを2レース走りましたがそれは監督の指示でしょうか
そうですね。もともと学連記録会に出るのに2週間くらい前に速いペースで何かやりたいと思っていて、ちょうど上武大や東洋大も2レースは知る選手がいる試合があるのを知って、挑戦させました。
「まだこのチームはやれる」
――コーチに就任された経緯を教えてください
現役時代に主将をやっていたのですが、最後の箱根前に故障して、その年は主力が他にもケガをして、シード落ちをしました。この年は史上まれに見る惨敗でした。卒業した後は福島県で教諭をしていたのですが、自分たちがワセダを弱くしてしまったということはずっと引っかかっていて、箱根などは時間の許す限り応援に行くことを繰り返していました。シード権を取ったら僕たちが後輩に背負わせた荷物もチャラになるから、シード取るまでは応援に行こうと思っていたのですが、なかなかシード権が取れなくて。それで教員2年目の時も箱根に手伝いに来ていて、山の付き添いで渡辺監督と同じ部屋に泊まっていたのですが、そこでコーチをやらないかというお話をいただきました。シード権を取るまでは僕らの責任だと思っていたので、そういったところで立て直すところまでは手伝うということで引き受けました。
――コーチ就任と同時に早大の職員になったのでしょうか
最初はアルバイトというかたちで、時間を切って指導していました。練習には朝練習と本練習をフルタイムで出るというかたちです。2007年の秋に正職員になったので、最初に2年間はアルバイトですね。
――いまはどのような立場で監督をやられていますか
いまは(大学職員の方は)お休みをいただいています。
――駅伝監督就任の経緯を教えてください
コーチをしている間も何回か区切りはあったのですが、結果的に10年間渡辺監督の下でやらせてもらって、渡辺監督と一緒に身を引くというかたちもあったと思うのですが、最後の駅伝もあのような結果で終わってしまって、まだこのチームはやれるのではないかと思ったのと、このまま身を引くのは悔しいと思ったので、もう少しかたちにしたいなという思いがありました。渡辺監督からもこのチームはまだやっていけると思うけれど、引き継げるならお前しかいないというようなお言葉もいただいたので受けることにしました。
――渡辺監督のお言葉が最終的な後押しだったのでしょうか
そうですね、すごく大きかったです。監督から辞めておけと言われていたら辞めていたのと思うのですが、まだこのチームをかたちにしたいというのが2人の共通の思いとしてあったので、引き継ぐことにしました。
――コーチ時代から変わったことはありますか
責任感はダイレクトに感じる立場になりました。もちろんコーチ時代も気持ちを入れてやっていましたが、結果や試合の分析はある意味一歩引いて客観的に見ることができていた自分がいたのかなと思います。(駅伝監督になってからは)学生とより近い立場、思いで率直に悔しい嬉しいということを感じるようになりました。練習も前は週末が中心でしたが、いまは全ての練習に出ているので、学生のコンディション把握や細かい話もお互いできるようになったので、そこも前と変わりました。
――ルールなどで変えた部分はありますか
ミーティングが増えたのですが、自分から指示したのではなく、高田を中心に学生全体でやるものや、あるグループでミーティングをしたりしています。
――中村信選手をはじめ、メンタルトレーニングをしている選手もいますが、どのようなきっかけで始めたのでしょうか
すごく偶然なのですが、競走部の同期にそういうことをやっている人がいて、たまたま監督になったので手伝えることがあればやってくれるということで、彼の仕事のついでに希望者がいればやってもらっています。中村は全日本の予選が終わった時に、練習は高いレベルでできるのに試合になるとだめだよねという話があったので、それを紹介しました。トレーナーさんにしても、メンタルトレーナーさんにしても、自分からというよりは良いタイミングで教えてもらったというかたちですね。
――中村信選手以外にどなたがメンタルトレーニングを受けていますか
佐藤淳(スポ3=愛知・明和)、小澤直人(スポ1=滋賀・草津東)、清水あたりですね。基本的には希望者のみ役立たせるようにしていて、いまはまだ興味があって自分の方から改善したいと思っている選手に対応したいと考えています。
――昨年までは3人体制で指導をされていましたが、ことしから駒野亮太コーチ(平20教卒=東京・早実)と2人体制になりました。1人分の目が抜けたことによって、メリットデメリットはありますか
駒野が入ってきてくれた時点でB、Cチームは預けてしまって、自分の方は渡辺監督とトップチームを見るようにしていました。トレーニングについては何か困ることはないのですが、やはり普段学生との会話などは、指導者たちそれぞれキャラクターが違うので、プライベートや競技のことで学生が相談したい時に3種類の選択肢があったのが2つになってしまって。そういうところでは目が届かなくなったとは思いませんが、学生の方から話しにくいことなどは前よりは増えたのかなと思います。
――駅伝が2戦終わりましたが、渡辺監督からアドバイスを受けたりはしていますか
アドバイスはないのですが、いつも区間予想が送られてきます。かなり当たるんですよね(笑)。全日本の時も4年生を外したオーダーはあまり予想されてなかったみたいで、実は監督から事前予想が送られてきたのは結構当たっていてさすがだなと思いました。もう箱根の予想も来ています。
――渡辺前駅伝監督が全日本の解説で、「中村は4年間で一番良い顔をして走っている」と話していました。そのことはご存知でしたか
監督車の中で中継を聞きながら走っていたので知っています。監督が見つけてスカウトしてきた選手なので、そういう姿を見せることができてうれしかったですし、解説してもらう以上1号車が見える位置で走らせたいなと思いました。
――指導する上でやりがいなどは感じますか
それはありますね。前よりも学生に掛ける時間が増えたので、コンディション把握や目標設定なども細かく話をできる時間もあるので。目標を達成した時は率直にうれしいなと思えるし、負けた時は悔しいと思えるようになりましたし、やっていてすごく充実感は感じています。
――反対に難しさはありますか
以前は上に年上の監督がいたので、気軽に選手に話すようにしていたのですが、自分が一番上になったので責任ある監督として話す内容には気を付けないといけないと思っています。
「総合優勝という目標は変わらない」
――集中練習はどのようなことを強化したいですか
昨年はほぼ全区間で15キロ以降の失速が目立ったのかなと思っていたので、後半失速しないための取り組みが1つ。それと前半にある程度のスピードで押していくための強化も必要になると思っています。その2つにウエイトを置いて練習をしています。
――昨年は2クールに分けて練習をしていましたが、ことしはどのようにしていますか
ことしはそれをやめました。結果的にあまり良い成果が出なかったと評価しているので。長休みをしない従来の練習をこなせる体作りを1年間やってきたので、それをなくしました。しかし、故障者が出ると戦えないと感じているので走る場所やタイミングを考えて工夫してメニューを組んでいます。
――練習量は増えている状況でしょうか
量はあまり増えてないです。練習内容としてスピードを変えたりしています。長休みがなくなった分、量は増えていますが、劇的に増やしたというよりは例年のかたちに戻したという感じです。その分アスファルトを走る量は減らし、追い込むタイミングなどを調整して、故障者を出さなくても効果的な練習ができるようにしています。
――いまのチーム状況はいかがですか
高田が復活して、主力に故障者もいないので、まだ始まったばかりですが例年より高いレベルのものを求めてやらせていますがそれにしっかり対応しているので、力がついているなと感じながら進めています。
――ことしはエース不在と言われていますが、他大と戦う上で強化したいところは何ですか
全日本まではエース不在の全員駅伝で戦うことを目標に取り組んで、みんな力をつけて走ってくれましたが、それだと優勝争いにも加われないと感じています。ことしのチームはハーフマラソンのタイムだと1万や5000メートルと比べると他大としっかり戦える選手が多くて、20キロ以上なら戦えるという自信は持っています。スーパーエースはいないのですが、全員がエースの全員駅伝を目指そうという話をしたので、各区間でそこそこの走りをするのではなく、全員が区間賞争いをしてくれるようなチームでないと勝てないと思うので、それを目指しています。
――ポイントとなる区間はどこですか
全部ですね。ことしは5区以外の全区間で秒差のやり取りになると思うので、その中で勝つところは1秒でも前に行って、負けるところも1秒でも借金を減らせるようにしなければいけないと思っています。
――最後に箱根への目標をお願いします
総合優勝という目標は変わらないので、それを達成できるように頑張りたいです。
――ありがとうございました!
(取材・編集 杉田陵也、八木瑛莉佳)