【連載】『栄冠への走路』 第14回 高田康暉駅伝主将

駅伝

 精神的支柱として部を支え続けてきた高田康暉駅伝主将(スポ4=鹿児島実)。しかし今シーズンは不調や故障に悩まされ満足のいく結果に至らず、『学生駅伝三冠』を目標に掲げながらも、達成することはかなわなかった。東京箱根間往復大学駅伝(箱根)だけは優勝するために――。エンジをまとうラストレースへの思いを伺った。

※この取材は12月2日に行われたものです。

苦しみ抜いたトラックシーズン

今シーズンを冷静に振り返った高田

――トラックシーズンを振り返っていかがでしたか

 苦しいシーズンでした。

――具体的にどのような部分が苦しかったですか

 これまでにないくらい良い準備をして臨めたのですが、やはり4年生になって気負ってしまうところがあって。欲張って「何でもやっちゃおう」という気持ちが自分の中にあり、全ての大会で良い成績を残そうとしていました。結果として、大会の的を絞ることができませんでしたね。ことしはニューヨークに行くなど順調な滑り出しで、良い感覚を持っていました。その感覚を休まないことで自分の中でものにしたいという気持ちがあったのですが、それによって見えないところに疲れが生まれて。結果的に、不甲斐ないというか、自分が納得のできないシーズンになってしまいました。

――いまお話にもあった、ニューヨークシティハーフマラソン(ニューヨークハーフ)では1時間3分21秒という結果を残されましたが

 アップダウンがある中で、最初の10キロではそれにうまく対応することができました。最後の勝負どころまで動かないようなレース展開をしようと思っていたのですが、行けるところまで行ってみるという走りをやってみました。向こうの選手たちは余裕を持ちながら走っていたのですが、僕は余裕がなくなってしまって、勝負どころの10キロを越えた辺りから離されてしまいました。ですが、その経験で「こういうレースがもっと上にいけるレースなんだな」と思い、それに対応できればすごく力がつくと思い、練習を重ねることができました。なので、ニューヨークハーフは直接トラックシーズンにはつながってはいないかもしれないですが、良い経験となりました。

――海外でのレースということで、何か海外で経験されたことはありますか

 まだ海外経験が今回で3回目でしたが、純粋に「まだまだ強くならないと」という気持ちが生まれました。日本の学生の中でもまだまだなのですが、それでも上には上がいると思いましたし、さらに高みを目指すきっかけとなったレースでした。

――4月には13分50秒32という自己ベストを出されましたが、振り返ってみていかがでしょうか

 あれは勢いと言いますか、動きや調子が良くなく、直前の調整でも1キロを2分55秒でしか走れないという状態でした。そうした中で走って、13分50秒32という結果が出ました。タイムとしては「これで50秒か」といった感じだったのですが、あの辺りからフォームを崩すと良いますか、無理やり走って、悪い癖がついてしまったのだと思います。

――そうした中でも関東学生対校選手権(関カレ)ではトラックで入賞されました

 あれも着いていけないペースではなかったのに、2キロ、3キロくらいで前の留学生に対応ができなかったことが一番悔しかったです。表彰台を狙えるチャンスもあったのに、最後の200メートルの競り合いに勝てなかったので。もちろん対抗戦なので、チームのために一点でも多く獲得したいという気持ちもありましたが、それ以上に最後に自分の持ち味を発揮できなかったことで、個人のレースとしての悔しさの方が強かったです。

――同じレースで永山博基(スポ1=鹿児島実)選手が入賞に一歩届かないながらも自己ベストを出されましたが、そちらはいかがですか

 1年生であれだけの走りをすることはすごいことなので、高校の後輩でもありますし、励みになると良いますか、に負けられないという気持ちでした。

――永山選手とは高校が同じということで、よく話されたりするのですか

 被ってはいないのですが、県内の合同合宿とかで同じだったので、その頃から「ワセダは良いぞ」みたいなことを話してはいましたね。高校のネタとかもあったりして、いまでもとても会話が弾みますね。

――もう一つトラックシーズンの大きな大会として、全日本大学駅伝対校選手権関東学生連盟推薦校選考会(全日本予選)がありました。あのレースを振り返ってみていかがですか

 僕の走りが良くなくて、なおかつチームの状態も悪かったので、やはり自分の走りなのかな、とは思いましたね。全員が組トップではないのに、3組まではトップだったということもあって。相楽監督(豊駅伝監督、平15人卒=福島・安積)もそのようなことをおっしゃっていたのですが、結局僕があれだけ失速してしまって、それまでみんなが我慢してきて積み上げてきた流れを断ち切ってしまいました。あのレースの順位は、そのままいまの自分の走りを表しているのかな、という感じでした。チームとしても課題はあるということだったのですが、自分の走りが大きな反省点だったと思います。前半から最後まで走れないと、駅伝でもエース区間を任せてもらえないので、まだまだダメだな、と痛感しました。

――レースが終わり、主将としてチームにどのような声を掛けられましたか

 予選会ということでしたが、僕の走りがきょうの順位なので、みんなは考え過ぎず前を向き、本戦でしっかり戦おうというようなことは言いました。

――全日本予選の走りに関しては、やはり3月からの連戦による疲労が大きく影響しているとお考えですか

 その中でも本当はしっかり走らなければいけないのですが、自分の中では「力がなかった」で済ますのは違うと思っています。先ほども言いましたが、欲張ってしまった部分もあって。ハーフ(マラソン)と1万(メートル)は当然違いますし、1万(メートル)と5000(メートル)も違いますので、大会が続く中で、気持ちもそうですが、ターニングポイントを置きつつ逆算して練習することができなかったです。他にも、関カレ前後は監督と相談して別のことをやったりもしていて、ニューヨークハーフの後にスピード練習を多く入れて、スピードに耐えられる練習を増やしたりしていました。それが直接悪い結果となったわけではないのですが、気付かないうちに足に負担をかける走りをしてしまっていて。それが5000メートルの失速にもつながりましたし、1万メートルの失速にもつながって。練習の内容ではなく、走り方がダメなまま走り続けたことなど、そういった部分によってことし1万メートルで結果が出なかったことの原因ではないかと思います。

――ホクレンディスタンスチャレンジに出場されていましたが、同時にチーム全体としても自己ベストが多く出ました。それはどのように見られていましたか

 ことしになってからフットトレーニングをするなど、監督と相談しながら練習を少し変化させたので、ようやくそれが自分たちの中でかたちになってきた、という実感が湧きました。「あとはここから夏合宿で(頑張ろう)」という気持ちにもなりましたし、良いかたちで夏に臨むきっかけともなったレースだったと思います。

――新しいトレーニングというのはどういったものですか

 体幹と言いますか、骨盤中心に走るようなトレーニングをお願いして。定期的にそうしたトレーニングをやるようになったので、それが自分たちの変化の第一歩だったと思います。

――相楽監督は、高田選手のつながりでトレーナーを部に招き入れることになったとおっしゃっていました。どういったつながりだったのでしょうか

 山本修平さん(平27スポ卒=現トヨタ自動車)が元々ファイテンさんの治療に行っていたのですが、僕も行きたいということで紹介してくださって。僕は1年の箱根も走れなかったのですが、その時も動きが崩れていました。そうした頃に治療をしていただいて、とても自分のためになりました。それからずっとお世話になっていますね。きょねんも合宿には少し来ていただいたのですが、監督とも相談をして、ことしから定期的に診ていただけるようになりました。

――続いて夏合宿の話に移らせていただきます。まず、個人として夏合宿ではどのようなところを強化しようとして臨まれましたか

 とにかく(距離を)積もうという気持ちで臨みました。

――主将としてチームの夏合宿での状態をどのように見られていましたか

 夏合宿では全体的に、ケガもなく良い雰囲気で練習を行うことができました。練習面以外でもうまく夏合宿を乗り切られましたね。

――高田選手から見て、特に伸びたと思われる方はどなたでしょうか

 佐藤淳(スポ3=愛知・明和)と藤原滋記(スポ2=兵庫・西脇工)が特に夏合宿で何かをつかんだと思います。元々力がある二人なのですが、合宿後にさらに実力を伸ばした姿を見せてくれていますね。

――夏合宿の合間に日本学生対校選手権(全カレ)がありましたが、いかがでしたか

 トラックシーズンから足を使うと言ってきましたが、その流れで距離を走ると決めて合宿を過ごしていました。しかし、それも一因となりふくらはぎが極度に張ってしまって。少し休んだら良くなるので、大丈夫だというイメージを持って全カレには臨みましたが、5000メートル辺りから踏ん張れなくなってしまい、ふがいない結果となってしまいました。

――ふくらはぎが極度に張ってしまったのは、具体的にはどのタイミングだったのでしょうか

 元々悪い走りになるとふくらはぎが張りやすいのですが、それが慢性的になったのが夏合宿の中頃ですかね。少しふくらはぎが張っている感覚が強くて。ただ2次合宿が終わり、全カレに向けて体をつくっていくなかで確かに張ってはいたのですが、そこまで問題ないと思っていました。実際に走ってみるとレース途中からきつくなりました。

――2次合宿までは問題なくメニューをこなされたということでしょうか

 そうですね。逆に問題なくこなしてしまったことが良くなかったと思います。ふくらはぎが張っていることは分かっていたのですが、夏合宿では我慢して走ろうとしてしまって。元々我慢してしまうタイプでしたが、まさかこれほどまで耐えられない走り、体になっているとは想像していなかったです。

――3次合宿には参加されていましたか

 参加はしましたが、走ることはできなかったです。インカレで足の故障をしたのですが、主将としてできること、自分のことと同時にチームのためになることをやろうということを監督とも話しました。

「自分たちの戦い方がわかってきた」

――続いて、駅伝シーズンの話に移らせていただきます。まず、出雲全日本大学選抜駅伝(出雲)ではエントリーから外れてしまいましたが、あの時の心境はいかがでしたか

 それも監督と話をして、エントリーの時点で走っていなかったので。ことし学生三大駅伝制覇を掲げなからも主将の自分が走れないことは申し訳ないし、悔しかったし、ふがいなかったのですが、それは後でしっかり取り返せば良い、と前向きに捉えていました。

――出雲の6位という結果はどう思われますか

 初めて客観的にフルで駅伝を見たのですが、自分たちのチームがただ走っているだけなのではないか、他のチームと比べて、根本的な勝ちたい気持ちがまだ足りていないのでないかと感じました。それに関しては走っていない部員も含めて話をしましたが、それって結局4年生なのかな、と思っていて。もちろん4年生が走りで引っ張ることが一番良いのですが、レース以外の部分でもチームを支えられていなかったので、それぞれの立場からチームにも目を向け、やれることをやっていくことを大切にしていこうと。そうしたことが最初の駅伝の甘さだったと思います。

――出雲から全日本まではどのようにチームをまとめられましたか

 出雲が終わった次の週から、メニューを減らしつつも全体の練習に加わりました。できるところは引っ張ると良いますか、一緒にやりながら声を掛けるなど、やれることをやりました。出雲の後に全体的に気持ちが締まっていたので、全日本に向けては練習面でもそれ以外でも、良い準備ができていたと思います。

――全日本の4位という結果に関してはどう思われていますか

 勝つという目標を掲げたうえでの4位でしたし、優勝争いにも絡めなかったことで、まだ一歩二歩足りないのかな、というのが全体的な感想ですね。1区で中村信一郎(スポ4=香川・高松工芸)が4年生として意地を見せてくれて、そこから良い走りができていて。最後3位争いをしての4位で、もちろん3位の方が良かったのですが、あの4位というのがいまのチームの姿、4年生がまだ支えられていないことを表していると思います。あそこで3位になってしまったら、もっとダラダラしているチームになっていたと思いますし、現実としての順位だったので。逆に3位であっても4位であっても結局2分くらい差があったので、それを埋めるためにはやらなきゃいけないこと、やるべきことがたくさんあるのだと実感しました。あの駅伝から自分たちの戦い方がわかってきましたし、4位という結果に甘んじているわけではないのですが、箱根に向けて前向きに捉えられる結果でもあったと思います。

――全日本では4年生でエントリーされたのが1人だけでしたが、ご自身が外れてしまった際の心境はいかがでしたか

 ちょうどチームに合流した翌週に全日本があったのですが、箱根に向けて試合を1回走ったらダメージも大きいですし、準備もできていなかった。実際走っても他の選手と同じくらいか、他の選手よりも走れないのではないか、という感じでした。その中で、もちろん走らなければいけないし走る準備もしていたのですが、中途半端な状態で出ることでまたケガをするよりも、しっかりと準備をし、箱根で借りを返したいということを監督に話しました。そういった面では、自分で走る準備はしつつも、チームを引っ張っていこうという部分の方が強かったですね。そのうえで、全日本が終わってみて、もしも自分が最高の走りができたらもっと上に行けるのではないかと思いました。他のメンバーは良い走りを見せてくれているので、「僕がしっかり調整をして、力を発揮できれば」、「僕がやらないと」という気持ちが生まれましたね。

――トライアルin伊勢崎ウィンター競技会(伊勢崎)の5000メートルのレースから復帰されましたが、振り返っていかがでしたか

 あんなにタイムを出すつもりではなかったのですが、(気持ちが)乗っているような状態できつい局面がなく、最後もイメージ良く終わることができました。

――2レース走られた理由を教えてください

 5000メートル1本だけですと、変な言い方になりますが誰でも走ることができると思います。やはり2本走ることで、(箱根をイメージした)長い距離につながるので。ただ5000メートルを走る、レース勘を戻す目的だけで走っていたわけではなく、次につながるレースをしようとしました。そういう意味でタイムより内容を重視していたので、良かったと思います。

――シーズンとしては最後に1万メートル記録挑戦競技会がありました

 元々28分台を出せれば良いと捉えていたのですが、伊勢崎の良い結果を受けた後は、28分50秒、40秒を切ることを目指しました。それで監督と相談して最後の組に変えてもらいましたが、やはりそう甘くはなくて。自分自身がまだ毎回走りが固まらず、不安定な中で迎えたレースでしたが、イメージ通りの走りがまったくできませんでした。実戦不足かつまだ練習でも短かったので、そういった意味では妥当な結果だったと思います。後半で失速してしまうことが僕の現状でした。

――青学大の選手たちも多く出走していましたが、意識はされていましたか

 勝ちたいとは思っていましたが、100%の状態で臨んでいたわけでもなかったですし、自分の中では段階が違いました。確かに、目の前でああいう走りをされたらやはり悔しいですし、青山学院大の選手たちが15人くらい前にいたので、「ワセダで僕がこういうところにいたら戦えないな」と思ったのですが、当時はまだ調整期間だったので。課題は我慢することと足を壊さないことで、箱根への課題が見つかるレースになりましたね。もちろん、走れることが一番なのですが。

「総合優勝に貢献できるような走りを」

駅伝主将としてチームを優勝に導くような走りを見せるはずだ

――駅伝主将としての1年間を振り返るといかがでしたか

 いままで自分のことしか考えていなかったと言いますか、自分さえ良ければ、みたいな気持ちになったことがありました。そうした中で主将となり、自分の目が周りに行き届かないというか、自分のことに集中しながら周りを見られたら良かったのですが、チームをまとめことでも、自分のことでも、どちらも中途半端になってしまって。自分が目指していた主将像は、自分の背中でチームを引っ張る、エースでありながら主将というものだったので、最後に箱根が控えていますが、ここまでを振り返るとそれができなかったことが一番大きいですね。

――最後に箱根が控えていますが、駅伝主将としてご自身に求められている走りはどういったものだとお考えですか

 チームを鼓舞するとか色々あると思いますが、まず自分の走り、自分の仕事をすることが、主将としても個人としても結果につながるのではないかと思います。

――具体的な目標などはありますか

 総合優勝に貢献できるような走りですね。2区で前回、前々回以上の走りができたら良いなと。そのために全日本も外したので。どういうことであっても箱根は外せない試合なので、自分らしく、自分の走りをするのみだと思います。

――やはり2区を走りたいという思いはありますか

 2区ではおととしに区間賞を獲りましたが、たなからぼたもちと言いますか、あまりスッキリしなくて。昨年もただつないだだけという感じでしたので、ことしこそは主将としても一人の選手としても、きちんと流れを持ってこられるような走りをしたいですね。

――現在は集中練習をされていると思いますが、ご自身の調子はいかがですか

 積み始めなので、体がまだしんどいですね。いままでは試合の前後でフレッシュな状態で走っていたのですが、いまは走っているなかで一つ一つこなしているので、そういった面での疲労はあります。ですが、毎年同じことなので。どの程度こなしていけば走ることができるのかは分かっていますし、逆にこれができないと戦えないというのも頭の中で思い描いていますので、自信を持って最後の箱根に臨めるのではないかと思います。

――注目やマークをしているチーム、選手はいらっしゃいますか

 全日本で負けた3校はやはり強いですので、そこの力を借りつつ、どこかでリードして勝てれば、と考えています。そう甘くはないと思いますが、上位校にどうやって戦っていくか、ということを意識してチームで取り組んでいます。

――最後に、箱根への意気込みをお願いします

 101年目ということで節目の次の年でもありますし、この1年ここまでチームとしても苦い結果となっているので、最後の箱根では部員全員で戦って、総合優勝ができるように全力を尽くしたいです。

――ありがとうございました!

(取材・編集 八木瑛莉佳)

箱根への意気込みを書いていただきました

◆高田康暉(たかだ・こうき)

1993年(平5)6月13日生まれのAB型。170センチ、54キロ。スポーツ科学部4年。鹿児島実高出身。自己記録:5000メートル13分50秒32。1万メートル28分49秒59。ハーフマラソン1時間2分02秒。箱根への意気込みとして『挑戦』の二文字を挙げた高田選手。区間賞だけでなく、駅伝主将として総合優勝へも『挑戦』します!