【連載】『栄冠への走路』 第13回 柳利幸

駅伝

 陸上歴わずか2年目にして早大競走部の門をたたいた『最強の素人』柳利幸(教4=埼玉・早大本庄)。今季は全日本大学駅伝対校選手権(全日本)のメンバー落ちという想定すらしなかった現実を突きつけられた。東京箱根間往復大学駅伝(箱根)だけは譲れない。決戦の日を前に、何を思うのか。その胸中に迫った。

※この取材は12月1日に行ったものです。

「今は先輩の意地を見せられている」

取材に応じる柳

――きょうはどのような練習をしたのでしょうか

 先週末に集中練習の大きな波があり疲労もあったので、動きの確認程度のジョグを2、30分やって、補強をして終わりにしました。

――集中練習が始まってから、調子の方はいかがですか

 上尾(上尾シティマラソン)以降、4年生として最後に引っ張れる場所というか、最後くらいは後輩たちにかっこいいところを見せられるようにと集中練習に臨んでいます。いまはどうにか先輩の意地というか、そんなものを見せられているかなとは思います。

――今回で4回目となる伝統の集中練習ですが、経験を積むごとに心境の変化はありますか

 1、2年生のころは大迫先輩(傑、平26スポ卒=現ナイキ・オレゴン・プロジェクト)であるとか、自分よりもはるかに力を持っている選手がいた中で、いかにその選手に勝とうかと思っていて。挑戦者という立場のような感じで、食らい付いていってやろうともがいていました。3、4年生となるにつれて自分より上の選手がなかなかいなくなって、いまは4年生ということで学年としても、トラックの持ちタイムという点でもトップの方ですし、そこはしっかり、僕が1、2年生の時に感じたような「先輩を食ってやるという」気持ちを下級生に持ってもらえるように、やるべきことをやっていけたらなと思っています。

――柳選手から見て、いま動きの良い選手はいますか

 同期の中村信一郎(スポ4=香川・高松工芸)であったり、あとは2年生の藤原滋記(スポ2=兵庫・西脇工)はことしの合宿以降覚醒しているなという感じがあって。滋記はきょうまでほとんど弱いところを見せずに全日本でもしっかり走ってくれましたし、信一郎に関しては4年生として気合を入れてチームを引っ張ろうとしてくれているなと感じます。練習でもそうですし、試合でも引っ張っていくという気迫あふれる走りをしているので、僕もそれに負けじと頑張れたらなと常日頃思っています。

――今季のレースについてお伺いします。まず、東京六大学対校大会の5000メートルでの優勝がありました

 その大会の前に明大と合同でやる鴨川合宿で足首を痛めて、テーピングや痛み止めを飲んだりしていた中でのレースで優勝できたというのは力がついているのかなというのは感じていたのですが、その後の試合でなかなか結果を出せなかったのは残念だったかなと思います。

――その後、全日本大学駅伝対校選手権関東学生連盟推薦校選考会(全日本予選)に出場されましたが、振り返っていかがですか

 ケガ明け数週間の状態で出場したのですが、最低条件の組トップでゴールというのは果たせました。ですが僕の後の2、3、4組目を走る選手がどれだけ余裕をもって自分の走りをできるかという意味で、必要なタイム差をつけるという面では物足りないかなというはありました。

――全日本予選は1位通過を見込まれていましたが

 自分たちの中で慢心というか、記録上で見たら全体1位で通過するだろうというのは誰しもが思っていたことだと思うのですが、そこできょねんまでと同じようなつめの甘さが出てしまって。結果的に4位ということで、そういった甘さを捨てていかないと今季は他大学に駅伝で勝てないということを再確認して、ミーティングも重ね、夏合宿に向かいました。チームとしては失敗の試合だったかもしれませんが、そこから得たものは大きかったと思います。

――夏合宿はどのような雰囲気でしたか

 僕と信一郎と高田(康暉駅伝主将、スポ4=鹿児島実)が全合宿に参加して、1次合宿は就職活動などで4年生が抜けてしまっていて、なかなか足並みがそろわなかったのですけど、全体の合宿を通してしっかりと練習の時間とケアの時間と、オンオフを付けられた良い合宿だったのかなと思います。

――先ほど藤原選手が合宿で覚醒したというお話がありましたが、他に力をつけた選手はいましたか

 いま動きが良いという意味で言えば、1年生の永山(博基、スポ1=鹿児島実)です。試合で全然外しませんし、先頭の方で争う姿が印象的なので。そういう選手が1年生の中にいるというのは心強いですし、自分も負けていられないなと思います。

――夏合宿を通して、意識していたことはありますか

 いままで通りの夏合宿を淡々と消化するだけなら前年度踏襲というか、また同じような結果になってしまうと思ったので、きょねんよりもことし、しっかり走り込んでポイント練習の質も上げていきました。それらをしっかりこなした上で、プラスアルファで体のケアなどを入念に、人一倍やろうというのは思っていました。

――合宿が明け、日本学生対校選手権(全カレ)5000メートルに出場されました

 2次合宿の途中、1次合宿で走りすぎたのがたたり、足を痛めてしまって思うような練習をすることができなかった中で全カレに出場させていただきました。ですが、やはりそんなに甘いものではなくて、最後の最後に9位に落ちてしまって。そこでは練習の大切さと最後に競り勝つという泥臭さということを学びました。

「初心に戻ってやるしかない」

――駅伝シーズンのお話に移りたいと思います。まず、出雲全日本大学選抜駅伝(出雲)は6位という結果でした

 前日まではトップで優勝争いができるだろうと思っていました。しかし当日ふたを開けてみたら、自分たち一人一人の力を十分に発揮できなかったレースでした。僕個人としても自分の中ではある程度手応えのある走りだったのですが、実際に結果を見てみれば区間7位ということで、まだまだ甘さが拭いきれていないかなと感じました。

――出雲で見つかった課題はありますか

 前を追い切れないという場面があったので、出雲があった週の週末から前半に突っ込んで走り、そこで耐えてラストでまた上げるというより実戦に近い練習を取り入れています。そのような甘さをようやく出雲あたりから徐々に取り除いていった結果、全日本では(チームが)前で走ることができたのかなと思います。

――全カレが終わってから出雲まではどのように調整してきたのでしょうか

 3次合宿が岩手であって、そこでは8月の1次合宿、2次合宿でスタミナは付けていた分、より実戦的な練習をしていました。出雲はスピード駅伝ですし、全日本は区間ごとに平均して15キロほどの距離で勝負するということで、10マイル走のラスト5キロをフリーにして競り合うという練習を入れたりしていました。チームとしても駅伝に向けて意気込みを作るための合宿になったと思います。

――出雲から約3週間後に全日本がありましたが、まず結果以前に、出走できなかった点についていかがですか

 出雲後の練習で僕が一度失敗してしまって。その後はしっかり練習はできていたのですが、そういうところで不安要素があると相楽さん(豊駅伝監督、平15卒=福島・安積)から言われて。オーダーをチーム内で言われたのは前日で、自分としては走るつもりでいたのですが、1区から区間エントリーを言われた時にどこにも自分の名前がなくて、発表の後に監督と話しているうちに、男らしくないのですが涙を流してしまって。正直に言って悔しいというのもありますし、逆にいままで出て当たり前だろうという気持ちがあったのだと気付きました。いまはチーム内のレベルが拮抗(きっこう)していますし、そういうところで甘さをなくすためには自分も初心に戻ってやるしかないなとその時に考え直しました。

――高田駅伝主将も出走していませんが、何か2人で話すといったことはありましたか

 特にどこかへご飯へ行って何時間も話したとか、そういうことはないんですけど、思っていることは一緒なのかなと。先輩として、4年生として、そして高田は駅伝主将としてチームを率いる立場で出走が叶わなかったというのは、僕よりも倍以上責任を感じていたと思いますし、それを今度は来月の箱根に向けて、レベルアップしていこうというのはお互い思っていると思うので、もう不安要素はないかなと思います。

――今季の駅伝には駅伝主将という存在が出場できないという状況ですが

 高田は主将ということで個人の練習よりもチームの状況に気を配っていた中で、自分の思うような走りができなくなっていたのかなと思うと、少し高田にチームのことを背負わせすぎたのかなと思います。高田自身も故障など体の調子が悪かったといのはあったと思いますが、精神的にも追い込まれていたのではないかなと思います。

――中村信選手が1区で好走しましたが、同じ4年生としてどのように感じましたか

 僕が1年から3年まで1区を走っている中で、信一郎の走りを僕は宿舎で見ていたのですが、あんなにかっこいい走りを自分はしたことがないと思って。その時ひねくれていてというか、嫉妬してというか、1年のころからずっとあいつが走れば良かったのにと投げやりになってしまったのですが、そうではなく、任された区間で仕事をするという意味で信一郎の走りは本当にかっこいいなと思いました。4年生の最後の舞台というのはああいう風に走らなくてはいけないのだな、と改めて実感して、自分には勉強になりました。

――出場しなかったということで、逆に客観的に見られた部分も大きかったと思いますが

 そうですね。全日本のレースを見たら、チームの力は着実に付いているというのは感じましたし、逆に全日本に出走したメンバーと僕、高田、そして三浦というメンバーがそろえば、箱根は良い勝負ができるのではないかなという雰囲気が出てきました。そこで慢心するのではなく、そういうところで甘さを捨てていければ優勝の可能性もあるのかなと思いました。

――上尾ハーフを振り返っていかがですか

 全日本が終わってから上尾ハーフへの練習をしている中で、授業との兼ね合いもあって調子が悪い日があって。その日に寮でケアをしてくれているトレーナーさんから「ちょっと調子悪そうだね」と声を掛けていただいたあたりから体調が良くないのは感じていたのですが、(上尾ハーフの)前日に熱を測ったら37度後半あって。出場しないことも考えたのですが、そういうチームのモチベーションを下げるような姿は絶対に見せたくなかったので、監督にも黙っていましたし、どうにかまとめられる走りをしようと自分では考えていました。振り返ってみると、熱の影響は多少なりともあったのですが、最後までどうにかまとめる走りはできたのかなと。ロードに対する不安はなくなりましたし、自分の中では収穫として感じました。

「何かを残して卒業したい」

箱根ではチームに勢いを与えたい

――箱根の話に移らせていただきたいと思います。1年時以来連続出場を果たしてきましたが、箱根に対する見方は変わってきましたか

 そうですね。1年生の時には、同期の中で僕だけが箱根を走るということで。まさか自分がこんな大きな舞台で、と思っていて物怖じしてしまい、区間順位も低く、チームの足を引っ張ってしまいました。ですが、徐々にそういうみんなが目指す大舞台で走るということがどういうことなのか素人なりに分かってきて、学年を追うごとに区間順位やタイムも安定してきていて。やはり自分がレベルアップできる場所、自分のこれからの陸上人生で、自信をつけられる舞台だなと思います。

――次は最後の箱根となりますが、いかがですか

 このチームで箱根を4年間走り続けられているのは、今回走ることになれば僕だけなので、そういうところでしっかりと箱根に対応したレースをしたいです。自分もチームも監督も満足できるようにいままで以上の力を120パーセントくらい出して走り抜こうと。学生の集大成でもありますし、何かを残して卒業したいなと思っています。

――箱根で走りたい区間はありますか

 具体的にここを走りたいというのはあまりなくて。やはりチームの力が拮抗(きっこう)している分、誰がどこの区間にというのは、監督は悩んでいるところだと思います。なので、任された区間をしっかりと走りたいというのがあって。強いて言うなら、前回早大記録を出すことのできた9区で、今度は区間記録を狙っていきたいと思いますし、僕が9区を走れるということは、その分他で戦える選手がそろっているということなので。復路には柳がいるから、往路の選手は自分のレースを安心してできるというような、そういう精神的に安定させてやれる存在になれたらなとは思います。

――箱根ほどの大舞台になると、毎年応援に駆けつけてくれる方も多いと思います

 やはり、陸上を始めるきっかけを作ってくれた高校の陸上部の部の仲間や、学校の友達だったり。いろいろなところで知り合った友達が応援に来てくれたり激励のメッセージをくれたりしています。それだけではなくて、学校の友達のお父さん、お母さんや、友達の弟、さらにその弟の友達など、すごく広いところまで応援されているなというのを最近耳にして。自分ってこんなに応援されているのだなと感じたので、そういう人たちの期待も背負って、それをプレッシャーにするのではなく、最後の粘りのところでそのような思いをエネルギーに変えていきたいと思います。

――他大といまの早大を比べて、強みになるものはありますか

 全大学の中で、ワセダはハーフマラソンの平均タイムが2番か3番で、長い距離になっていくにつれてワセダは強いと思います。ことしも出雲が6位で全日本が4位で。伝統のある集中練習を乗り越えれば、他大学を脅かすことのできる走力は身につくと思うので、自分たちの中ではそういう武器を作っているところです。武器ができあがってからのお楽しみということで(笑)。

――意識している他大の選手はいますか

 前回の箱根9区で負けてしまった木村慎(明大)や、同じ埼玉の出身の東海大の白吉凌や東洋大の口町(亮)だったり。口町はことしすごく注目されていますし、注目に見合うだけの成果もあげているので、そういう選手にも闘争心を持ってやっていきたいなと思います。

――そのような選手たちとコミュニケーションはあるのでしょうか

 はい。SNSとかも含めて、日常的なコミュニケーションはありますね。

――ことしはラストイヤーとなりますが、何か意識していることはありますか

 まずは練習で絶対に引っ張るということです。どんなにきつい練習でも自分ができることを精一杯やろうというのと、追い込みの練習期間中、どうしても足が痛くなったり体がきついからきょうは練習を抜こうということを思ってしまう甘さが出てきてしまうと思うのですが、そういうところで競技に対する姿勢を背中で見せたり、練習で落ち込んでいる選手に声を掛けたり、チームの雰囲気づくりをしていけたらなとは思います。信一郎が練習面で部を引き締めていてくれているので、僕はそういうところで部に貢献できればと思います。

――高田主将がチームを引っ張れない時期があったと思いますが、その点についてはいかがですか

 高田以外の僕や信一郎、あとは後輩の力のある選手がそれぞれ助けてくれたので、良いチームだなと思います。

――相楽監督体制となってから初の箱根となりますが、相楽監督はどのような存在ですか

 もともと個人個人に合わせた練習を一緒に考えてくれていて、ことしは特にどういう風に練習がしたいのか、どのようにレースに臨みたいのかというのを、選手一人一人に親身になって話してくれて、本当にお父さんみたいな存在ですね。いろいろなプライベートな話もできますし、時々ご飯にも連れて行ってくれたり。監督が変わってからも、自分たちに違和感なく練習できているというのは本当に相楽さんの力だなと思います。

――相楽監督のそのような姿勢はどのように感じていますか

 各選手で体の調子や練習の良し悪しは違ってきていて、同じ練習をする中でもしっかり一人一人見ていてくれるなと感じます。

――最後に、箱根への意気込みをお願いします

 僕が1年で走ってからいままで、ちっとも優勝に絡めなかったというのは、チームに恩返しができていないと思います。今回の箱根は、僕がしっかり走ってチームを後押しして、チームみんなの全員駅伝で走れば優勝も見えてくると思うので、そこでいままでお世話になった皆さんや、相楽監督を胴上げできるように、学生の集大成として有終の美を飾りたいと思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 平野紘揮)

箱根への意気込みを書いていただきました

◆柳利幸(やなぎ・としゆき)

1993(平5)年4月23日生まれのO型。172センチ、57キロ。埼玉・早大本庄高出身。教育学部教育学科4年。自己記録:5000メートル13分47秒96。1万メートル28分48秒50。ハーフマラソン1時間3分04秒。柳選手は陸上競技を始めてから5年の月日が経ちました。色紙に書いてくださった『…』の意味をお聞きすると、「秘密です」とのこと。最後の箱根路で、5年目の『栄冠』はなるでしょうか