【連載】『捲土重来』 第3回 平和真

駅伝

 前回の東京箱根間往復大学駅伝(箱根)と同様4区を任された平和真(スポ2=愛知・豊川工)。「恩返しの走りを」と臨んだ今大会であったが、期待に応えるような走りはできなかった。故障に苦しみ続ける中、どのような思いで箱根を迎えたのか。

※この取材は2月11日に行われたものです。

直前のアクシデント

落ち着いた様子でレースを振り返った平

――成人式で帰省されたと思いますが、地元の反響はいかがでしたか

同じ小学校や中学校の友達は大学1年生や高校の時から応援してくれていたので、毎年変わらない感じでした。ほかの中学校の友達や久しぶりにあった人からは「お疲れ様」と言われ、見てくれているんだなって思いました。

――箱根を走ったことで変わったと感じることはありますか

自分のことを知っていてくれる友達ばかりなので、特には変わってないです。

――帰省されたときに母校の練習には参加されるのですか

高校の練習には一回も顔を出してないです。中学は夏の帰省、冬の帰省でいつも顔を出しています。先生にお疲れ様と言われたのと中学生の子供たちからはいろいろしてくれって言われました。

――中学生からサインを求められたりするのですか

そうですね。小さい子はそういうのが好きなので、一応名前だけ書いておきました。

――現在の調子はいかがですか

箱根後は全く走っていないです。骨を折ってしまったのでもう2週間ぐらいは安静です。

――ケガというのはどのようなものですか

脛骨(けいこつ)ですけど、大学に入って3回目です。

――疲労骨折ですか

はい、そうですね。

――ケガをされたのはいつごろですか

箱根の1週間前ぐらいから少し痛いと感じ始めて、1回のポイント練習で一気に痛くなってしまいました。箱根の少し前に折れてしまった感じです。

――そのことは渡辺康幸駅伝監督(平8人卒=千葉・市船橋)には相談しましたか

していないです。テーピングとかコンディション整えるところでトレーナーさんには言わなくてはいけなかったので、その人にテーピングや薬をやってもらいました。監督、コーチ、一緒に練習するメンバーには言わずに練習は続けていました。

――走ると判断されたのはなぜですか

最終調整の12000メートルのビルドアップではほぼ痛みなくできました。調子が良かったので痛くてもいけるという自信があったのでいったのですが、結局うまくいかず迷惑をかけてしまった感じで終わってしまいました。

――前回と同じ区間を走られましたが、コースのポイントはどのような部分だと考えていましたか

こまめなアップダウンがあるのでメリハリをつけながら走るのと、距離が短いのでいかにスピードに乗るかというところです。

――今季は箱根が駅伝初戦になりましたが、そのことについてはいかがですか

出雲(出雲全日本大学選抜駅伝)と全日本(全日本大学駅伝対校選手権)、特に全日本ではベストメンバーが組めなくてシードを落としてしまったので、そのシードを取り戻さなくてはいけないですし、自分が果たさなくてはいけない役割もものすごく大きなものだと思っていました。しっかり役割を果たそうという気持ちで箱根に向けて練習していました。

「4区で完全に流れが変わってしまった」

――当日はどのような心境でしたか

周りは昨年以上の走りを期待してくれていましたし、僕もそのような走りをするつもりではあったのですが、足が痛いっていうのがタスキをもらうまでずっと不安でした。

――走る前の緊張は前回と比べていかがでしたか

緊張は全くないです。

――設定タイムの指示はどのようなものでしたか

自分としては区間新まで行ける調子ではあったので、それぐらい目指していたのですが、監督はあんまり欲張らず55分前後でいってくれればいいと言っていました。

――実際のタイム(56分31秒)を見ていかがですか

全然駄目ですね。1分半ぐらい遅いし、区間新で2人いってしまっていたので、後々考えたら区間新でいっても差は詰められなかったのでレベルが高かったと思います。

――毎年4区は1年生が多く集まりますが、他大の1年生の勢いはいかがでしたか

1、2、3区で勢いに乗った大学が多かったので、その勢いを崩すことなく走る1年生が多かったと思います。

――今回は井戸浩貴選手(商2=兵庫・竜野)からタスキをもらいましたが、走りは見ていましたか

3区を見ている時間はないのですが、付き添いの人に今何位で前とどれぐらい離れているという情報はもらっていました。どういう走りだったかというのは見られていないです。

――前と離れているということを聞いてどう思いましたか

前の方でもらえるとは思っていなかったので、想定していたポジションだったので特に動揺もしなかったですし、自分と修平さん(山本駅伝主将、スポ4=愛知・時習館)でどれぐらい挽回できるかなと考えていました。

――単独走になることは想定していましたか

そうですね。一人でも走れるように、ついていっても走れるように、追い付かれる走れるように準備はしていたので、別に単独走だからといって考えることはありませんでした。

――レース中に監督からどのような声をかけられましたか

最初の5キロで痛みが限界で10キロ以降すごいペースが落ちてしまったのですが、渡辺さんが怒らずというか「まだ大丈夫、切り替えれば大丈夫」とプラスの言葉をかけてくれたので、頑張れたのかなと思います。

――レース中は家族や友人の声は聞こえましたか

来ていた人全員は分からなかったのですが、家族は気づけました。

――その時に気持ちが変わったなどということはありましたか

走っているときはひたすらチームのみんなと応援してくれている人たちに申し訳ないという気持ちで走っていたので、切り替えることやペースを上げることは困難な状態でした。

――今回の区間9位という結果についてはいかがですか

もちろん自分のやるべきことは区間1位でタイムでも2位以降を離して前を詰めるという役割はあったと思います。足が痛かったのは言い訳にはならないですが、9位というのは納得がいかないではなくて、ただただ悲しい区間順位です。全然駄目でした。

――山本選手へはタスキを渡す時、何か声をかけましたか

タスキを渡す時は、ラストの力を振り絞ってスピードを上げて、なるべく笑顔を作ってあとはよろしくお願いしますと言ったと思います。

――山本選手から前日などに声をかけられたということはありましたか

前日は特にしゃべってないです。

――連絡も取らずに

そうですね。違う部屋なので。僕自身気持ちがいっぱいいっぱいでいろいろ考えていたのであまりしゃべることもありませんでした。

――タスキを渡し終えてレースは見ましたか

山上りは見てられなかったというか、申し訳ないという気持ちが大きくて応援もできなかったですし、テレビも見られませんでしたね。復路は応援しましたけど。

――チームの結果についてはいかがですか

3区までは1位で来られるほどうちは強くなかったですし、あれが精一杯の位置だったと思います。やはり4区5区の挽回がうちの武器ではあったと思うのですが、それを壊してしまったのが僕なので、言うならば僕さえ良ければチームは2位までいったと思います。4区で完全に流れが変わってしまったと思います。

――青学大の強さはどのような部分にあったと思いますか

先頭を走れば実力以上の力が出るということはよく言われますが、その中でも一人一人に力があったと思いますし、1年間優勝するつもりで練習をしてきたということが10人の走りを見ても分かりました。

――今大会は豊川工出身の選手が多くエントリーされていましたが、ライバル意識などはありましたか

大学に入ると元気がなくなってしまう高校なので、今回箱根にたくさん出られたということはみんなでうれしく思っていることだと思います。ライバル意識とかは特にないですけど、お互い同じ舞台に立ててうれしいという気持ちです。

――レース後に声を掛けたりということはしましたか

全くないです。

勝負強さを求めて

ケガに苦しみながらも箱根路を走り切った

――渡辺康幸駅伝監督が今季限りで退任されますが、箱根を終えてどのような思いですか

トラックでのノウハウなどは持っている人なので、できれば僕が卒業するまでいてほしかったという気持ちはあります。2年間基礎を作ることができたので、それを残り2年間で生かせればいいと思います。

――具体的にはどのようなことを学びましたか

練習メニューの立て方や試合への持っていき方などを教えてもらいました。

――これからは相楽豊長距離コーチ(平15人卒=福島・安積)を中心に進めていくと思いますが、すでに練習は変わっていますか

渡辺さんがいろいろなイベントで忙しくて来られていないのですが、4月からは本格的にいなくなってしまうので、そのために今から相楽さん中心にやっています。

――練習に何か変化はありますか

相楽さんは渡辺さんと変わらず遠いところから見守ってくれている感じです。ワセダというチームは学生を中心にやっていかないといけないチームなので、その中でキャプテンは高田さん(康暉、スポ3=鹿児島実)になって変えていく部分が多くあるので、監督はあまり変わらないですけど、チームとしては良い方向に変わっていると思います。

――箱根後のチームの話し合いではどのようなことを話しましたか

ことしは毎年のすぐ帰省するかたちと変えて、次の日に集まってすぐにミーティングをしたので、選手の新鮮な気持ちをみんなに話しました。近年大会記録などがどんどん速くなっていることを踏まえて、今までやってきたことをガラッと変えなくてはいけないということが話題にありました。どうしていけばいいかということを話し合いました。

――箱根で勝つことを目標に1年間やってきましたが、その方針は来季も変わりませんか

変わらないと思います。昨年は結局口で言っていただけなので、ことしはそこに行動や本気さがついてくればいいかなと思います。

――高田新駅伝主将の印象はいかがですか

言葉で引っ張っていくよりも練習や試合の結果でいくタイプなのでそれに下級生とかAチームがくらいついていければいいかなと思っています。

――残りのロードシーズンはどのように過ごされますか

足の問題ではなくてハーフマラソンは僕自身走る気がないので、立川ハーフ(日本学生ハーフマラソン選手権)は出ません。トラックで来季の大きなイベントになってくるユニバーシアード(ユニバ)に出場するために、4月の初めのグランプリシリーズでうまく走れなくてはいけないので、足が治り次第トラックの準備をして4月の選考レースでしっかり走って、関カレ(関東学生対校選手権)、日本選手権、ユニバの3レースをメインにして組んでいくと思います。

――ケガがどれぐらいで治るというのは分かっていますか

折れている状態で20キロ弱走ってしまったので普通よりも重症で2カ月ぎりぎりかからないぐらいですかね。下手したら2カ月かかると言われているので、まだまだ治らないと思います。

――疲労骨折が多い原因は自分ではどのようなことだと考えていますか

いろいろありますけど体のつくりや走り方も悪いですしその2つですかね。走り方を変えなくてはいけないというのと体の部分から変えていかなくてはいけないということで、体の部分は専門の先生と相談しながら、治療を進めています。走りの方はまだどういう走りが良いか分かっていないので、自分の弱いところを補強しながら考えている段階ではありますかね。

――箱根駅伝事前取材で補強をしているということを言っていましたが、今も取り組んでいますか

自分の中で補強が大事という考えは変わっていないので、今は走れていない分、負荷を大きくしたり回数を増やしたりしています。それは陸上人生でずっと続けていくつもりですし、大事さは自分が一番分かっているのでそこは変えるつもりはないです。

――トラックシーズンでのタイムの目標はありますか

ユニバに行くために13分45秒を切らなくてはいけないので、今45秒7なのでまずは45を切ることと、来季はタイム的なものはあまり求めず、関カレと日本選手権と全カレ(日本学生対校選手権)で順位を大事にして走りたいです。

――タイムより勝負にこだわりたいということですか

5000メートルと1万メートルを両方中途半端にやっていたところがあったので、らいねんは5000だけに絞って1万のタイムは3年の秋から4年生で出せれば良いと思っています。まずは5000で13分45秒を切ることと勝負強さというところを求めたいです。

――練習も昨年までとは変えるつもりですか

自分の中でこれという練習があるので、みんなとは違うかたちになってしまいますが、自分が速くなるための練習方法ではあると思うので、自分が考える練習をしていきたいと思います。

――来季のチームにおけるご自身の役割はどのように考えていますか

3年生になるのでもう失敗が許されないですし、1、2年生を引っ張っていかなくてはいけないので、試合で結果を出すことと、練習でも積極的に前を引っ張っていけたら良いと思います。見本になれる先輩になれたらいいですね。

――最後に今シーズンの目標をお願いします

チーム内だけでなく他大にも目を向けて、ワセダの代表としてほかの大学のトップ選手と戦っていきたいと思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 戸田郁美)

◆平和真(たいら・かずま)

1994年(平6)11月5日生まれのA型。178センチ、60キロ。愛知・豊川工高出身。スポーツ科学部2年。自己記録:5000メートル13分45秒74。1万メートル29分07秒12。ハーフマラソン1時間3分12秒。2014年箱根駅伝4区55分03秒(区間2位、早大新記録)2015年箱根駅伝4区56分31秒(区間9位)。