【連載】『ツナグ』 最終回 田口大貴

駅伝


 4位を懸け、帝京大と最後までもつれ合ったことしの10区を務めた田口大貴(スポ2=秋田)。決着はゴール100メートル手前からのスパート合戦でつき、同タイムで敗れるという結果に終わった。そのとき感じた思い、そして来季への意気込みを伺った。

※この取材は1月26日に行われたものです

「1回駅伝を経験していた分、落ち着いて走れた」

大きな注目を浴びたラストの競り合いについても自分の言葉でしっかりと語った

――箱根が終わって約3週間が経ちます。2日間を振り返っていかがでしたか
始めての箱根ということで、結果的にああいう形…5位という形になってしまったのは率直な意見として悔しい思いをした2日間でした。

――10区にエントリーされていましたが、いつ頃出走を告げられましたか
往路終わって、自分が宿舎に移動した後くらいに言われました。

――それまでは告げられていなかった
そうですね。

――告げられたときの率直な気持ちを教えてください
嬉しかった気持ちもありますし、それ以上にやはり箱根だったので、往路の結果も踏まえて責任感が重かったです。まずはしっかり自分の仕事をしようと思っていました。

――その時のチーム状況はいかがでしたか
割と明るかったので、皆がそれぞれ自分のやることに集中していた感じでした。雰囲気としては良かったです。

――ご自身の調子はいかがでしたか
僕自身の調子は集中練習が終わって調子が上がっていたので、悪い状態ではなかったです。

――レース前監督から指示はありましたか
まず自分のペースを刻むということと、落ち着いて入ってと言われました。最初の入り方ですね。

――復路は1年生から3年生と若いメンバーで組まれました
若いオーダーだったと思いますが、集中練習をやった流れの中で決められたメンバーが1年から3年までのメンバーがそろっていたと思うので、僕自身はベストなメンバーが組めていたのかなと思います。

――事前取材では駅伝を走ったことでイメージしやすいと仰っていましたが
本当にその通りだったと思います。僕自身、箱根を走っているときでも、出雲を一回走っていた経験がかなり生きていたと思います。同じ駅伝という試合の中だったので、変に慌てることもなく浮ついた気持ちにもなりませんでした。1回経験していた分、落ち着いて走れました。

――箱根でのエンジはまた違いましたか
(箱根の前は)違うかなと思っていたのですが、一緒だったかなと思いました(笑)。僕自身は、同じ駅伝の試合の中でのエンジのユニフォームを着させて走らせていただいたと思っています。チームオーダーがちょっと違うだけでそれ以外は特に変わりがないのかなと思いました。

「本当に悔しかった」

――田中選手(鴻佑、法3=京都・洛南)からのタスキ渡しですが、声をかけていた姿が印象的でした
そうですね。とにかく早くタスキをもらおうと思っていました。そしてそれ以上にここまで頑張ってきてくれたので、最後に盛り上げて少しでも最後の力になってくれればと思って声をかけていました。

――帝京大の熊崎健人選手と並走が続きましたがそのときの心境は
早い段階で追いつかれてしまったので、僕自身特に気にすることなく、自分のペースを刻んでレースを進めていくことを考えていました。

――並走が続く中で表情を伺われていたと思いますが
基本的に気にはならなかったです。大分様子を伺っているな、という印象を受けました。

――21キロ地点で前に出られましたが余裕はありましたか
心肺的な余裕は確かにあったと思うのですが、それはかなりけん制し合っている中でペースが落ちていたからで、身体的なところのダメージはかなりきていました。

――残り1キロからも頻繁に様子を伺われていました
本当に様子を伺っているなとしか思っていなかったですね。見ているなあとしか思いませんでした。向こうも僕のほうを相当意識していて、お互いにラストのことを考えていたと思います。

――田口選手自身も後ろを振り返るシーンが映っていましたが
あれは、かなりけん制していてペースが落ちていたので、もしかしたら後続が来ていて、それを心配して見ているのかなと思い、確認するために見ていました。誰もいなかったのでおかしいなと(笑)。

――ラストの競り合いは予想していましたか
正直なところ、ああいう展開になるとは思っていなかったです。もっと前に向こうが仕掛けてくるのかなと思っていました。向こうもかなり徹底していたので結果的にああいう競り合いの形になってしまったかなという感じですね。僕自身もう少し距離があるところからスパートしたかったのですが、身体的なダメージも大きかった分スパートをかけられませんでした。僕は負けた身なので何を言っても言い訳にしかなりませんが、そういったところもあって少し相手の様子を伺っていたらああいう形になってしまいました。

――スパートは相手から仕掛けられた
そうですね。一瞬の駆け引きでした。向こうのほうが早かったのですが、その差で負けてしまいました。チームには申し訳ないなという気持ちはありますね。

――胸の差での競り負けでした
本当に悔しかったですね。アンカーとしての一番大事な仕事はいままで9人の方たちが繋いできた順位を最低でも守ることが求められていたと思うので、それができなかったということは悔しいです。それに、ゴールで今までチームを引っ張ってきてくれた4年生の方々が迎えてくれていて、4位を死守できなかったことに対する自分の不甲斐なさが込み上げてきて…それがあってちょっと取り乱してしまったということがありました。

――区間4位でまとめたということよりもその悔しさがありましたか
僕自身は区間順位というよりは最終的にああいう形になってしまったので、思うところはそこにある感情だけですね。悔しかったです。

――総合5位という結果については
チームで1年間優勝を目標にやってきて、それが達成できなかったということと、僕自身が1つ順位を下げてしまったので去年よりも悪い結果になってしまったことは変わりないので、そのことに関しては僕自身かなり反省しなければいけないと思います。僕だけでなく、チーム全体でその結果をどう受け止めていくかがこれから大事になっていくのではないかなと思いますね。

――チームとして足りなかったものというのは感じましたか
今思うと、危機感が足りなかったのかなと思います。だからといって危機感がなかったというわけではないのですが、他大のチームと比べて、ということを考えると危機感がなかったのかなと思います。

――下馬評を覆しての日体大の優勝でした
日体大の選手は去年1年間悔しい思いをした分そのモチベーションを保ち続けてやってきたと思うので、日体大の選手を見習わなければいけないと思います。だからといって、僕たちにも出来ないわけではないので、そのようにやればちゃんとした結果がでるのではないかなと思いました。

――部員日記では自信を持てた部分があったと書いてありました
負けてはしまいましたけど、あのレースは僕自身が全部作ったものだと思っているので、レースを作れたということは自信に繋がります。あとは5キロから17、8キロくらいまでの走りは自分でもよかったかなと思っているので、自信を持てたとしたらそこかなと思います。

――田口選手の持ち前の粘り強さは出せましたか
そうですね。うまくレースを作りながらやれた部分はあると思います。

――ご自身でテレビは見ましたか
はい。終わってからすぐに見ました。ただ、さすがにゴールのところはすぐに切りました(笑)。他のところは全部見ました。

来季は必ず主力として

忘れられない悔しさをバネにこれからの1年に挑む

――終わった後は帰省されましたか
はい。終わった後すぐに帰りました。

――友人に会ったりはされましたか
帰った日に中学校の同窓会があったので、少し顔を出して皆に会いました。

――何か話されたりはしましたか
そうですね。皆見てくれていたみたいで、そのレースのこととかいろいろ声をかけてもらいました。中学校の頃あまり話さなかった人たちも話しかけてくれたりしたので嬉しかったですね。

――先日は都道府県駅伝にも出場されました
はい、そうですね。

――エントリーリストには名前がなく、突然の出走だったと思いますが
(予定していた選手に)アクシデントがあって、火曜日の段階で一応声をかけていただいたのですが、その時にはまだ補欠というようなことを言われていました。正式に木曜日に出走が決まって、少し驚きました。

――ずい分急な召集でしたね
そうですね。アクシデントがあるにしてもまさか走るとは思っていなかったので、びっくりしました。

――準備はどのようにされたのですか
(召集がかかる前は)全体の流れと同じ流れでやっていました。最後の仕上げのところでスピードを入れて、すぐに試合という感じでした。ギリギリ無理やり合わせたという感じですね。後はジョグで動きを作ったりだとか自分の出来ることは全部ちゃんとやって、それから広島のほうに向かいました。

――中学以来の出走でした
そうですね。最初に全国規模の大会を走らせていただいたのが中学校の頃の都道府県駅伝だったので、懐かしさも感じました。中学で走って次に出るのが一般とは思っていなかったので、自分の中で変な気持ちでしたね。

――走り終えた後満足そうな表情が映っていました
とりあえず、急の召集だったのでまずは流れだけは切らさないようにと思っていました。2区を走った中学生の子がかなり良い流れを持ってきて頑張ってくれたので、まずはその流れを切らさないで次の高校生に繋ごうと考えてずっと走っていました。それが少なからず出来たので、満足というわけではありませんが、一安心したという感じですね。

――区間は22位でした
あれくらいで走れれば流れは切れないかなというところでは来られたのかなと思います。良かったほうかなと思いますね。急ピッチで合わせた割にはうまく走れました。

――秋田は初入賞でしたね
はい。それは本当に嬉しかったですね。先生方がすごく喜んでくれて少しは恩返しできたのかなと思っています。初入賞できる布陣でいてもなかなか出来ない時期が続いていたので先生たちがもどかしさを感じていたということはずっと知っていました。だからこそ召集されたときに、中高生がかなり充実しているという印象を受けていたので、一般の出来次第でかなり変わってくるのかなと思っていました。本当に少しですけど、先生方に良いお酒を飲んでいただけたことが嬉しかったですね。

――中高生との触れ合う機会はありましたか
なるべく積極的に触れ合うようにはしていました。特に中学生は可愛かったので、よく一緒にいました。高校生とは卒業した後の話とかいろいろ楽しく話をしていました。

――今後のレースは決まっていますか
はい。来週の日曜日に神奈川マラソンのハーフマラソンに出させていただく予定です。

――今はそれに向けた練習をしているという感じですか
そうですね。はい。

――そこでの目標などありますか
神奈川での目標は、とりあえず1か月後に立川ハーフ(日本学生ハーフマラソン選手権)があるので、そこで良いレースができるようにハーフのレース感覚を取り戻すということです。そこで課題も出てくると思うので、それを踏まえた上で立川のほうに合わせていけたらなと思いますね。神奈川はどちらかというとどれだけ多くの課題を見つけられるかをポイントにしてやっていこうと思います。

――来季は主力としての活躍が期待されると思います
僕自身も来季は必ず主力としてやらなければいけないと思っています。1年間Aチームでやらせていただいて力もついてきていると思うので、上手くチームの主力となれるように頑張っていきたいと思います。

――トラックでも頑張りたいと仰っていました
そうですね。もうそういう時期だと思うので、トラックに向けた準備も自分なりにやっていきたいです。課題などもわかってきたので、一つ一つの課題をクリアしていって、まずはトラックシーズン頑張っていきたいと思います。

――春からはトラック重視という感じですか
僕自身はトラックを少し意識してやりたいなと思っていますね。

――来年走ってみたい区間はありますか
1区ですね。一番走りたいのは1区で、あとは主要区間を走りたいというのが僕自身思うところです。

――そのために必要だと思うことはありますか
やはり今回の悔しさをどれだけモチベーションにしてやっていけるかというのがまず一番だと思っています。そこは多分嫌でもずっと思っていることですし、忘れないで練習に取り組んでいきたいなと思います。あとは怪我をしないことですね。

――今後の意気込みをお願いします
とにかく、しっかりやっていきたいです。いろいろ思うところもあるのですが、あまりそういうところに捕らわれすぎないで自分がやってきた流れを崩さずに、自分のペースでやっていきたいなと思います。頑張ります。

――ありがとうございました!

(取材・編集 目良夕貴) 

◆田口大貴(たぐち・だいき)
 1991年(平3)12月12日生まれのA型。168センチ52キロ。秋田高出身。スポーツ科学部2年。自己記録:5000メートル14分23秒60。1万メートル30分21秒00。ハーフマラソン1時間4分05秒。2013年箱根駅伝10区1時間11分49秒(区間4位)