【連載】『ツナグ』 第3回 平賀翔太

駅伝

 東京箱根間往復大学駅伝(箱根)4年連続出場――。抜群の安定感で2年時から花の2区で各校のエース達と渡り合ってきた平賀翔太(基理4=長野・佐久長生)。チームの柱として三大駅伝に欠かさず出場してきた平賀選手に、学生最後の駅伝が終わったいま、数々の思いを語っていただいた。

※※この取材は2月8日に行われたものです

遅れを取り戻すべく、攻めの姿勢で

落ち着きながら箱根当日を振り返る平賀

――箱根が終わってから現在までの過ごし方はいかかですか
卒論がまだ終わっていなかったので、卒論を中心に生活していました。

――練習はどのような感じですか
練習は、ジョグくらいしかまだやっていません。

――では練習はチームとは一緒ではなく個人でやっているのですか
そうですね。自分だけで走っています。

――現在狙っているレースなどはあるのでしょうか
まだ次どのレースに出るのかなどは決まっていません。とりあえずはやっと卒論が終わったので、もう一回練習し直してという感じですかね。

――では昨年出場されたびわ湖毎日マラソンには、ことしは出場されないのですか
はい。出場しないと思います。

――では、箱根駅伝当日のことについて伺っていきたいと思います。平賀選手自身3年連続の2区でしたが、レースの出来はいかがでしたか
ことしはスタートの位置が後ろになってしまいましたが、最低限の走りは自分の中で出来たかなとは思います。

――過去2回はトップ中継でしたが、今回はそうとは行かず焦りなどはありましたか
前田(悠貴、スポ4=宮崎・小林)ももともと足が痛い中でずっとやっていたので、あまりよくない順位で来ることも予想できていて、そこまで動揺はしませんでした。

――2区を走るのはいつ頃決まりましたか
ちゃんと言われたのはエントリーする時と同じくらいです。

――そのほかに走る可能性のあった区間はありましたか
自分の中では2区か3区かどちらかかなと思っていました。

――レース当日は風が強かったですが、やはりいつもとは違いましたか
そうですね、向かい風が結構きつかったので走りにくかったです。

――区間6位という結果についてはいかがですか
もう少し上の順位で走りたかったのはありますが、ずっと集団を引っ張っていたというのもあるので、個人の順位というのはそこまで気にしていないです。

――定点で見てみると、最初の横浜駅前までの8・2キロは区間3位ペースと序盤飛ばしていたように見えました
やはり遅れてタスキをもらった分、速めに入ったっていうのはあります。

――その分、後半に影響はありましたか
そうですね。やはり後半は少しきつかったです。

――集団走が多かったですが、集団の中で意識していたことはありますか
少し後ろに下がったりした時に、ほかの選手が前を追うようなことがあまりなかったので、自分で引っ張って行くしかないかなと思って前に出ていました。

――レース中に渡辺康幸駅伝監督(平8人卒=千葉・市船橋)に言われたことはありましたか
レース中は、集団でいたのであまり近くに監督者が来られず、今回はあまり声などは聞けませんでした。

――レース前の指示はありましたか
山梨学院大学と同じくらいでタスキをもらうと思うから、外国人留学生に最初うまくついて行って順位上げていけるようにと言われました。

――レースが終わったあとはどのような話をしましたか
ああいう位置だったので個人の走りとしてはあまりよくなかったけれど、仕方ないことだというようなことは言われました。

――結果、往路は2位でフィニッシュとなりましたが、その時のお気持ちは
一度先頭になった時もあったので、悔しかったです。

――やはり往路優勝はしたかったということですか
そうですね。往路優勝できるような位置までいっていたので…。

――復路は全員が下級生でしたが、下級生に対してどのようなレースを望んでいましたか
初めてだからといって気負わずに、積極的に走ってもらいたいなと思っていました。

――多くの4年生がエントリーされていながら出走できなかったことについてどう思われますか
やはり本来ならば4年生がもっとたくさん走らなければいけなかったと思うので、そこは4年生の力が足りなかったのかなと思います。

――4年生とは箱根が終わったあと箱根について話したりしましたか
西城(裕尭、スポ4=東京・早実)などは走りたかったと終わってから言っていましたが、まあでもそういったことぐらいですかね。

――総合5位という結果についてどう思われますか
それがことしのチームの実力だったのかなと思います。

「オリンピックのマラソンで勝負できるような力を」

――平賀選手にとって最後の箱根が終わりましたが、何か感じることはありましたか
4年間早かったなということと、すべての駅伝で出させてもらってよかったなと思います。

――先ほどもおっしゃったように学生三大駅伝にすべて出場されましたが、その中で一番印象深い試合があれば教えてください
それはやはり優勝した時(87回)の箱根駅伝ですかね。

――新体制になり、長距離ブロック長には高校時代の後輩でもある大迫傑選手(スポ3=長野・佐久長聖)が就任しましたが、そのことについてどう思われますか
しっかりしているので、また1年かけてチームを作っていってくれると思います。

――就職先は富士通だそうですが、決め手はどこにありましたか
チーム自体のレベルが高いということと、マラソンでオリンピックを目指してやりたいなということを考慮して、そういった中で選びました。

――マラソンという言葉も出てきましたが、実業団に進んでからの目標をお聞かせください
目標はやはりオリンピックのマラソンで勝負できるような力を付けていきたいということです。

――実業団に進んだあとはすぐにマラソンに専念するのでしょうか
どういった形でやっていくのかは、これからチームの方に行って監督と相談して決めていくと思うので、いまはまだ決まっていないです。

――平賀選手はトラックに対しての執着は無いですか
すべてをマラソンにというよりは、いろいろやりつつその中でマラソンをできたらなと思います。

――マラソンを始める時期には早い方が良いという声とそうでない声と意見が分かれていますが、平賀選手としては早い段階から主眼をマラソンに置いていきたいですか
そうですね。できるなら早いうちから挑戦したいと思います。

「レベルの高い選手がたくさんいるチームで」

積極的に集団を引っ張り、順位を5つ押し上げた

――次に四年間を振り返っていただきたいと思います。平賀選手はなぜ数ある大学の中からワセダを選んだのですか
僕が入学する前に箱根駅伝を2年連続で準優勝していて、そういうレベルの高い選手がたくさんいるチームの中で自分もやりたいと感じてワセダを選びました。

――ワセダに入ってみて思い描いていたことと違ったことはありましたか
いや、そんなには無かったですかね。

――ワセダに入って影響を受けた人物はいますか
特に誰っていうのは…(笑)。

――先ほどは駅伝の中でもっとも印象深かったものを伺いましたが、個人のレースでレースが一番印象に残っているレースはありますか
個人のレースは、3年生のときに日本選手権に初めて出場したのですけれども(14分10秒30で24位)、そういう大きなレースはあまり出たことがなかったので印象的ですね。そして結果もあまり良くなくて、まだ力が足りてないのかなと感じたレースということで一番印象に残っています。

――このレースで何か意識が変わったのですか
普段はインカレなど学生規模の大会が多かったのですが、実業団の選手などが走る大会を経験してからは視野が広くなったなと思います。

――駅伝と個人のレースとどちらが好きですか
どちらも同じぐらい好きです。

――同学年には高校時代からのチームメイトで前駅伝主将の佐々木選手などいましたが、何か刺激を受けたりはしましたか
同じレースに出たりして自分の方が遅かったりすると、やはり悔しかったりしましたし、そこはいい刺激になりました。

――同学年を一言で言い表すとどんな学年でしたか
割と仲が良かったかなと(笑)。

――平賀選手は以前にご自身のことを「意外と負けず嫌い」とおっしゃっていましたが、どういった場面でそのようなことを思うのですか
負けたら悔しいなと思ったりするので、そこですね。

――三大駅伝を皆勤するなど大きなケガをせずにやってこられた理由は
やはり少し足が痛かったりしても、大きなケガにならないように注意したりしていることだと思います。

――ワセダでの4年間はどのような4年間でしたか
いろいろな大会にも出させていただいて、すごく良い経験ができたと思います。

――平賀選手が4年間で監督やチームメイトにかけてもらった言葉で一番印象的なものがあればお聞かせください
そうですね…。ことしの箱根駅伝が終わったあとに、渡辺さんにお前が抜けるのが一番の痛手だというようなことを言っていただいたのはすごく嬉しかったです。

――平賀選手の中で自身の強みは
我慢強さはついてきたと思うのでこれからも活かせていけたらいいなと思います。

――逆に弱いと感じる部分は
スピードが自分の中では弱い部分だと思うので、そういった部分を強化していけたらと思います。

――これからマラソンに挑戦していく上で、強くなるために必要だと思うことは
マラソンは、最後は本当に気持ちだと思うので、精神的な部分で最後負けないような選手になりたいです。

――ありがとうございました!

(取材・編集 西脇敦史) 

◆平賀翔太(ひらが・しょうた)
 1990年(平2)4月10日生まれのO型。169センチ、50キロ。長野・佐久長聖高出身。自己記録:5000メートル13分45秒83。1万メートル28分41秒42。ハーフマラソン1時間02分08秒。2010年箱根駅伝3区1時間03分27秒(区間4位)、11年2区1時間07分50秒(区間4位)、12年2区1時間08分47秒(区間5位)13年2区1時間11分02秒(区間6位)