【連載】『十人の戦士たち』 第6回 高橋広夢

駅伝

 山登りのエース山本修平(スポ3=愛知・時習館)の代役として急きょ臨んだ東京箱根間往復大学駅伝(箱根)で区間12位とまずまずの走りを見せた高橋広夢(スポ3=東大附)。年々着実に力を付ける高橋に今季の振り返り、そして競技生活最後の年となる来季への意気込みを伺った。

※この取材は2月5日に行われたものです。

『楽しい』集中練習

箱根初出場ながら山に挑んだ高橋

――箱根までの一年間を振り返っていかがですか

一昨年は集中練習には入りましたが、結局16人の一次エントリーには入れませんでした。外れた理由を考えたときに、集中練習をこなせるだけのスタミナが自分にはまだついていないということを痛感させられました。きょねん一年間は箱根に向けてスタミナ強化を徹底しました。朝のペース走を5周のところを6周走ったりなど、その結果として、夏合宿で長い距離を走りこんでも、ケガせずに練習をこなせたと感じました。また、集中練習でも一昨年はこなせなかったメニューがこなせたりなど、力は付いてきたのかなと思います。

――ハーフマラソンの自己記録も1年間で2分以上短縮されていますね

スピードの部分ではあまり変化はないと思いますが、後半になってもしっかりと粘ることができるようになったことが目に見えて分かってきました。今回の5区起用も後半粘れることが買われたのかなと自分では思います。

――粘りが身に付いたと最初に実感したのはいつ頃でしたか

試合というよりは練習で、2000メートルを5本や16キロのビルドアップ走などが苦手だったのですが、その練習がしっかりとこなせるようになったときに、距離が伸びても粘ることができたと実感できるようになってきました。入学してきた頃は本当にスタミナが課題で、もともと高校時代は1500メートルを中心にしていたこともあり、練習でも試合でも距離が伸びれば伸びるほど、走れないというイメージが自分の中でありました。そういった部分でスタミナ強化を3年間かけてじっくりとやってきたのがここになって実を結んだのかなと思います。

――昨年から合宿のメニューや組み合わせが変わりましたがいかがでしたか

Aチームが北海道ではなく菅平でクロスカントリー練習を主にすることになったのですが、自分が必要だと感じているスタミナや走り込みの部分をチーム全体としてそこに重きを置いて練習していたので、方向性としては自分に非常にマッチしていました。

――同じ練習をすることによって生まれる利点とは何でしょうか

過去2年間はBチーム、Cチームで合宿を迎えていましたが、一昨年に集中練習に参加したことで、昨年の年明けからAチームに参加することができました。田口(大貴、スポ3=秋田)や修平(山本、スポ3=愛知・時習館)、臼田稔(稔宏、基理3=長野・佐久長聖)などの今まで一緒に練習することができなかった同期たちと練習して大きな刺激を受けました。今まで彼らには負け続けてきて、何か一つでも勝ちたいなという思いは持ちつけていたので、モチベーションになりましたね。

――部員日記に書かれていた『楽しい』という思いの集中練習の意味を教えてください

やはり一昨年はついていくことができず、達成感のない、ただしんどいだけの練習でした。ことしは出雲全日本大学選抜駅伝、全日本大学駅伝対校選手権とメンバー入りはできませんでしたが、メンバー入りした選手たちに練習で先着することができたりなど、こなせる練習が増えたりした部分で、新たな達成感が生まれました。またワセダの一番上のチームにしっかりと付いて走るのは、入学直後は全く想像できなかったことなので、そういうレベルまで自分が到達していること自体が非常に楽しかったです。

――Aチームに上がったのはいつ頃だったのでしょうか

昨年の箱根後、春先まではAチームにいて、その後一度Bチームに落ちました。そしてまた集中練習からAチームに戻りました。

「最初から挑戦できていなかった」

――5区出走が決定したのはいつ頃だったのでしょうか

本当に最終的に決まったのは、区間エントリーの前日です。修平が2週間ぐらい前にケガをしたときに、僕と臼田稔が呼ばれて、「準備をしておいてくれ」と言われました。

――そのときはどう思いましたか

まさか山を登るとは正直思っていなかったので驚きました。しかし同時に、逆にチャンスだとも思ったので、しっかりものにしていきたいなと思いました。

――山本選手からのアドバイスはありましたか

修平とは寮で同部屋でして、修平が走らないことが決まったあとは、「ここはこう登ったほうが良い」などと「最初から突っ込み過ぎると後半キツい」などと細やかに教えてくれました。中継所で走る直前にも修平に電話して、修平が「後ろから明大などが来ているが、追いつかれてもいいから自信持って走れ。お客さんも多くて、本当に良い舞台だから、楽しんで走ってこい」と言ってくれたのは心強かったです。

――やはり箱根は全く違う大会でしたか

何と言っても、お客さんが途切れることがなく声援を送ってくださっていたのが印象的です。山登りはあの声援が無かったら登りきれないんじゃないかと思うぐらいで、知り合いとか関係なく多くの方が、自分の名前を呼んで応援してくださり、そのおかげで登りきることができました。

――渡辺康幸駅伝監督(平8人卒=千葉・市船橋)からの指示はどのようなものだったのでしょうか

監督、コーチからは「とにかくブレーキしないで走ってくれと、最初の5キロを早く入り過ぎると、山ではブレーキしちゃうから」という話で、前半は抑え目で入り、小涌園前を通過してから後半どれだけ走れるかということでした。タイム的にも1時間22分台で登ってきてくれと言われました。

――設定タイムはクリアできたのではないでしょうか

タイムだけ見たら達成できましたが、前2校との差を広げられてしまったので…。周りからは「仕方ない。いきなりの出走で追っていくのはきつい」などと声を掛けてもらいましたが、やはり優勝を目指しているチームなので。自分でも前に前にというよりは、後方の明大などに抜かれないようにという思いで走ってしまいました。最初から挑戦できていなかったという悔しい思いばかりです。

――タスキリレーの際、4区の平和真(スポ1=愛知・豊川工)選手に声を掛けましたか

まずは平を笑顔で迎えようと思いました。平からは「集中練習でやってきたことを信じて頑張ってください」といったことを言われました。僕からは「お疲れ」と声を掛けてスタートしました。

――初めてエンジのタスキを掛けて走っていかがでしたか

僕自身、駅伝の大会でタスキを受けてスタートするのが、中学3年以来で久々のタスキリレーでした。でも、タスキを掛けた瞬間に気が引き締まる思いというか、しっかりと「山の上まで自分が運んでいくんだ」と意気込みました。

――一番苦しかったのはどの辺りだったのでしょうか

肉体的に一番苦しかったのは、宮ノ下の一番傾斜が激しい場所だったのですが、あそこは走る前からきついきついと思っていたので乗り切れました。むしろ大平台のヘアピンカーブまでの上り坂が非常に苦しくて、「こんなところでこんなにきつくて大丈夫なのだろうか」とかなり焦りました。

――よく小涌園過ぎてからが苦しいと聞きますが

小涌園過ぎてからは同じような景色が続き、かなりきつかったですが、実はその辺りに、母校の後輩や家族が応援してくれました。両親と弟二人が一人一人別々のところで応援してくれていたので、「ここ踏ん張らないと」という思いになりました。

――後半ペースを上げたのは意識されてのことだったのでしょうか

上げていきたかったのですが、実際はあまり上げていくことはできませんでした。頂上のところで渡辺さんからの給水があったのですが、そこで「区間18位だぞ」と言われて、これはマズいと思いまして(笑)。僕自身、下りも苦手意識はなかったので、下りで稼いで最後の平地をしっかり走りきろうと考えていました。

――芦ノ湖のゴールを迎えた瞬間はいかがでしたか

本当に申し訳ないという気持ちが最初でした。優勝を目指していたチームで、結果的に僕の区間で他校と相当の差をつけられてしまったので。ゴール地点に大迫さん(傑、スポ4=長野・佐久長聖)がいてくださったんですが、本当はお世話になってきた大迫さんを胴上げして終わりたい自分の気持ちがあって、大迫さんが見えた瞬間に「申し訳ないです。すいませんでした。」という思いが込み上げてきました。

――大迫選手とは中学時代から都道府県も同じで知っていたのですか

一方的に知っていたというか(笑)。大迫さんも名前ぐらいは知ってくれていたかなと思っているのですが、でもずっと憧れの存在でした。早大の寮に入ったら、早い段階から仲良くしてくださって、感謝しています。逆に言うと、大迫さんという大エースがいながら勝てないというのは、僕たちチームメイトに責任があるという思いがありました。大迫さんだけでなく、田中さん(鴻佑、法4=京都・洛南)や志方さん(文典、スポ4=兵庫・西脇工)たち4年生は僕たちが一番お世話になってきた先輩だったので、しっかり勝って終わりたかったなというのがありました。

「B、Cチームの選手たちとの懸け橋に」

立川マラソンでは前回に続き自己記録更新を狙う

――来季は最上級生となりますが

ことし自分自身が箱根を走って、悔しいという気持ちが強かったので、箱根の優勝を目指してやっていこうと学年で話しています。自分は主将とか役割があるわけではありませんが、僕自身Cチームから上がってきた選手なので、B、Cチームの選手たちとの懸け橋になって、そういった選手や下の学年にどんどん声を掛けて、チームの一体感を出していければと思います。

――次回の箱根はどの区間を走りたいですか

もう一回5区を走ってリベンジしたいですね。

――来季の目標を教えてください

トラックシーズンでは全く結果を残せていないので、3000メートル障害で関東学生対校選手権、日本学生対校選手権で結果を残したいです。また箱根だけではなく、学生三大駅伝全てで優勝に貢献する走りができるように努力していきたいと思います。

――山本駅伝主将はいかがでしょうか

非常に頼りがいのある男ですが、責任感が強い分、ちょっと自分で背負い込んでしまう部分もあるので、彼が自分の競技に集中させられるように、修平をサポートしていきたいと思います。

――大エース大迫選手の穴はどのようにしてカバーしていきたいと思っていますか

本当にチーム一丸となって戦っていきたいと思います。しかしその中でも修平や今回区間賞を獲った高田(康暉、スポ2=鹿児島実)とかエースになる選手はこれからもたくさん出てくると思うので、みんなで切磋琢磨(せっさたくま)して自分がエースになるんだという感覚が作れればチーム力は上がると自分は思っています。

――次のレースのご予定は

青梅マラソン、日本学生ハーフマラソン選手権(立川マラソン)に出る予定です。

――就職活動も並行してされているようで

そうですね。一般企業に就職するつもりなので、来季は陸上生活ラストイヤーです。

――弟さんがこの春入部されるそうですが

ずっと今まで一回も同じチームでやってことがないので、一緒のチームでやることができて非常に楽しみにしています。

――最後に来季への意気込みをお願いします

来年こそは箱根で優勝して終わりたいと思っているので、そのためにできることを何でもやっていこうと思っています。

――ありがとうございました!

(取材・編集 井上義之)

◆高橋広夢(たかはし・ひろむ)

1992年(平4)10月18日生まれのA型。172センチ、55キロ。東京・東大附高出身。スポーツ科学部スポーツ科学科3年。自己記録:五千メートル14分28秒11。一万メートル30分15秒07。ハーフマラソン1時間04分09秒。2014年箱根駅伝5区1時間22分47秒(区間12位)。