【連載】『十人の戦士たち』 第3回 井戸浩貴

駅伝

 一般入試ながら、メキメキと力をつけてきた井戸浩貴(商1=兵庫・龍野)。東京箱根間往復大学駅伝(箱根)出場を4年間の目標に掲げていた井戸は1年目にして目標を達成する。しかし、その走りは満足のいくものではなかった。箱根を通して感じたこと、そして自身に起きた変化とは――。

※この取材は2月5日に行ったものです

「不本意な結果」

ルーキーながら8区を駆けた井戸

――先日、地元に帰られた際、何か声をかけてもらいましたか

地元は陸上が強いところではなかったので箱根を出る人がいなくて珍しいみたいで、頑張ったねといろんな人に声をかけられました。

――地元の友達とかですか

そうですね。地元の友達とか近所の人とかです。

――初の箱根を走ってみて率直な感想をお願いします

やっぱり応援がすごいというのが第一印象で20キロ走ってどこでも応援が2列ぐらいになって人が歩道に並んでて、それだけすごい大会なんだと実感しました

――沿道に知り合いがいたということは分かりましたか。

声は覚えてて両親と姉が応援に来てたのでその声は分かりました。あと前との秒差を長距離のほかの部員がボードで出してくれるのでその声は聞き取ることはできました

――気持ち的には余裕を持って走れたということですか

その応援に押されるように走ることができました。

――8区で区間9位。この結果についてはいかがですか

結果だけ見れば区間9位で、総合4位のチームとしては順位的に下なのでチームには迷惑をかけてしまったという点が大きく、不本意な結果でした。まだまだ自分の力が足りなかったと思います。

――8区の役割としてはどのように考えていましたか

往路の人ががんばって3位でくれて、優勝を目指していたチームなんですけど、往路終わった時点で三強は崩せるんじゃないかと思っていました。日体大との差を広げることが自分の仕事だと思っていたのですが、結局日体大の選手に負けて詰められてしまったので残念な結果でした。

――箱根の前日はよく眠れましたか

緊張はしたのですが、僕はそれでも寝れるタイプなので、特に困ることはなく睡眠は取れたのでよかったです。

――8区を走ることが決まったのはいつごろでしたか

8区を走ることが決まったのは、前日の宿舎に着いてからです。刺激が終わった段階ではどこかで走ってもらうことになるとアドバイスを受けていたのですが、実際8区と決まったのは宿舎に着いてからです。

――ではレースのプランを決めたのは前日でしたか

柳さん(利幸、教2=埼玉・早大本庄)が7区を走るということで一緒の宿舎に泊まっていたのでアドバイスをしていただきました。それを参考にどう走っていくかを決めました。

――8区に対してどのような印象を持っていましたか

僕はもともとそんなに上り坂が好きではないので、15キロの後半に遊行寺の上り坂があるので、いやーこれは無理なんじゃないかなって(笑)

――きょねん8区を走られた柳選手から遊行寺についての何かアドバイスはありましたか

後半押さえても前半飛ばしてもあそこで絶対止まるから前半飛ばしていったほうがいいと言われました。でも感覚で分からないので不安が残ったままスタートしてしまいました。

――渡辺駅伝監督(平8人卒=千葉・市船橋)から走りに対してどのような指示がありましたか

特にはなかったのですが、遊行寺の坂があるから前半落ち着いて入っていけばいいという程度の指示でした。でも1キロ3分切るぐらいでは入ってほしいと言われました。

――走る前にいつもと感覚が違うということはありましたか

全日本大学駅伝対校選手権(全日本)の時も緊張したんですけど、中継所にいる人の多さとかが違ってその雰囲気におされていつもより緊張してしまったというのはありました。

――タスキをもらう際に柳選手から何か声をかけてもらいましたか

たぶん何か言ってくださったんですけど聞き取れませんでした。何を言われたか覚えていません(笑)

――走り出すとき前の大学と4分後ろと2分半空いていて単独走となりましたが、そのことについてどのように考えていましたか

単独走は嫌いなのですごく嫌で、嫌やなあと思いながらタスキが来るのを待っていました。ただ単独走になることはもともと予想していたので自分のやることは変わりません。前とどれだけつめて後ろとどれだけ空けられるかということが自分の仕事だと考えていました。

――実際に走ってみて前半のペース配分はどうでしたか

少し最初の1キロをゆっくり入りすぎて、監督車から遅すぎると指示を受けてその後ペースはいい感じに戻すことができました。ちょっと前半動きが悪かったかなあと思って、遊行寺の坂に入ったらああなってしまったんで、前半のペースは悪くはなかったと思います。

――入ったペースが遅すぎたのは慎重になりすぎてしまったからですか

自分の中では飛ばしているつもりだったんですけど、これから20キロ以上を一人で走るということを考えてどこかでブレーキがかかっていたのかもしれないと思います。

――田口大貴選手(スポ3=秋田)にタスキを渡す際に何か声をかけられましたか

良くやったという言葉はかけてもらったんですけど遊行寺から自分がうまく走れていないと分かっていたので、自分はちゃんと仕事ができたのかなと思いました。

――走り終わって中継所に大迫傑主将(スポ4=長野・佐久長聖)や高田康暉(スポ2=鹿児島実)選手がいたと思いますが、何か声をかけてもらいましたか

お疲れと言われました。それ以上の言葉は必要ないと先輩方も思ってますし、僕もそれ以上言われる必要がないのでそれで十分だと思いました。

予想外の1年

――ことしワセダに入学されましたが、シーズンの初めはどんなことを目標にしてスタートしましたか

きょねんの4月に入ったころはこういうことになるとは思っていなかったのでAチームに上がれればいいなあという程度の気持ちでスタートしました。

――では活躍をするというよりしっかり走り込むということを目標にしていたのですか

受験のブランクもあったのでそれを取り戻すとともに長い距離に対する基礎をつくる年にしようと思っていました。

――走りの感覚を取り戻せたのはいつごろでしたか

6月の初めの記録会では少し重くて思ったより走れなくて練習はできているのにという思いはあったのですが、夏合宿のころから意外と感覚的に上がってきました。最後の岩手合宿でしっかり走れて、走れるという実感がありました。

――入学当初、同学年の強い平和真選手(スポ1=愛知・豊川工)や武田凜太郎選手(スポ1=東京・早実)に対してはどのような印象を持っていましたか

別に僕が強くてどうかなったわけではないんでトップレベルの知らない赤の他人みたなイメージでした(笑)

――全日本で区間3位と好走しましたが、最大の要因は何だと思いますか

最大の理由と言えば追いつかれてしまったからです。気にはなったのですがせっかく高田さんから差をあけてもらったタスキを自分で負けて帰ってくるわけにはいかないという思いからしっかり後半粘れたというのが最大の理由じゃないかなと思います。

――全日本を走ったことでその後の練習で何か変化はありましたか

全日本の後には特になかったです。全日本メンバーに入って全日本の前からAチームで練習させていただいてましたが、全日本は前からの積み重ねで感覚がだんだん上がってきたという結果だと思うのでそのあとに何か特に変わったということはなかったです。

――最初は箱根など駅伝を走ることは意識していなかったと思いますが、実際に自分が走れるかもしれないと意識し始めたのはいつごろでしたか

岩手合宿の最後の10マイルの練習でメンバーの選考をするんですけど、出雲全日本大学選抜駅伝のメンバーは登録がちょっと早くてもれてしまって悔しい思いをしました。でもその10マイルの練習でうまくいったというのがあって、そこからもしかしたら全日本はいけるんじゃないかって思い始めました。最後、箱根まで結びついたのは上尾シティマラソンだったと思います。

――集中練習で一番ポイントにしていたのはなんでしたか

集中練習はとにかく距離が長くてきついというのは先輩方から常々聞いていて、その中で故障者も出るって聞いていました。自分がどれだけ故障せずに長い距離にも対応していきながらしっかり練習メニューをこなせるか、というのを思いながら集中練習をスタートさせました。

――故障しないためにストレッチを多めにやるなどしていたのですか

それもありましたし自分の感覚を大事にして、メニュー以外にジョグの日があるのでこれ以上やったらメニューの時にちょっと(痛みが)出ちゃうのではないかと考え、自分の感覚を頼りに徐々に調整していきました。

――周りの先輩が故障されているのを見て、自分も故障するのではないかという不安はありませんでしたか

足が痛くないって言ったらうそなのですが、走れるかもしれないという位置にいるし、これ以上故障者を出してチームに迷惑をかけるわけにはいかないと思い、踏みとどまることができました。

――集中練習で一番大変だったことは何でしたか

一番大変だったことは2回25キロのペース走で後半あげる練習ですね。それが土日でセットで、前の日にも結構強い練習を入れるのにもう一度長い距離を入れるということで脚への負担という意味ではそこが一番きつかったです。

次のステップへ

全日本からチームの主力に成長した

――箱根が終わって、現在の調子はいかがですか

箱根が終わって調子は落ちてしまって自分でもなかなかうまく上げられないという状態が続いています。試合を利用して調子を上げようと模索しています。

――箱根を走ったことで何か意識の変化はありましたか

僕の4年間の目標が箱根を走ることで止まってしまっていて、実際走ったことで自分の力が足りないと感じました。入学したときの目標や気持ちは大事だと思うんですけど、それでは足りないということに気づけて、次のステップに進むきっかけになったと思います。

――箱根では大迫主将が一人だけの出場でしたが、練習の中での4年生の印象を教えてください

特に僕が印象に残っているのは田中(鴻佑、法4=京都・洛南)さんです。最終的にはことしは走れなかったのですが、大迫さんがいないときにチームをまとめてくださったり、練習を率先して引っ張ってくださったのが田中さんだったので、これが最上級生の強さなのかなと思いながら練習を一緒にさせていただきました。

――現在、新チームでの活動が始まっています。今年のチームの特徴は何だと思いますか

今は故障者が箱根の後に出てしまったというのと、それぞれが違う試合に出るので一緒に練習をしないということもあって今のチームに色があるかというと難しいです。でも勢いがあれば乗るしにぎやかな人も多いんで、チームで一丸となることができればすごい強くなれるんじゃないかなって思います。

――残りわずかとなりましたが、ロードシーズンの目標を教えてください

次は日本学生ハーフマラソン選手権(立川マラソン)に出る予定ですが、故障してしまったら何も残らないんでそこまで故障せずにやっていきたいです。いままで学内でも走れるか走れないかという状況から、上尾シティマラソンではでできることをやろうと思っていました。立川マラソンは他大のトップの選手も出るのでそろそろ順位も考えていかないといけないと思います。立川マラソンでは誰に勝てるかということにこだわりたいです。

――では具体的に意識している他大の選手はいますか

駒大の一年生二人と東洋大の服部が目立っていて、学内でも平と凜太郎が目立っているので、いつまでも影にいるわけにはいかないので、一矢報いるような走りがしたいです。

――来季のトラックでの目標は何かありますか

トラックは今の状態だと代表になるのは難しいですが、ロードが走れればいいというわけでもないと思います。来年できるならば走りたいという気持ちはあるのですが、今の現状では難しいと思っています。一気にということではなくていいので、せっかく箱根を走れたという経験を活かしてもう一段階ステップアップさせていきたいと思います。

――タイムの目標は何かありますか

やっぱり5000メートルだったら14分切るだとか一万メートルだったら29分切るというのが一つの目安なので、それをしっかり目指していきたいです。

――2年生になり後輩が入ってきます。どんな先輩になりたいですか

後輩は強いのが入ってくるので、負けるとなめられちゃうかなと思います。私生活については僕自身そんなに厳しいほうではないですし、どちらかというと仲良くしていじられる方だと思います。私生活はあんな感じだけどしっかり走るところは走るんだという競技面と生活面の違いがしっかりしている先輩を目指したいです。

――ありがとうございました!

(取材・編集 戸田郁美)

◆井戸浩貴(いど・こうき)

1994年(平6)7月10日生まれのAB型。171センチ、58キロ。兵庫・龍野高出身。商学部1年。自己記録:50

00メートル14分16秒2。1万メートル29分29秒48。ハーフマラソン1時間02分59秒。2014年箱根駅伝8区

1時間6分30秒(区間9位)。