【連載】『十人の戦士たち』 第1回 中村信一郎

駅伝

 今季全ての練習を完ぺきにこなし、チームに欠かせない存在へと成長した中村信一郎(スポ2=香川・高松工芸)。しかし起用された10区では日体大とのアンカー勝負に敗れ、総合4位でゴールした。自身初の東京箱根間往復大学駅伝(箱根)を走って感じたこと、そして来季への意気込みを伺った。

※この取材は2月1日に行ったものです

「今年度は本当に練習も充実していた」

飛躍を遂げた一年を振り返った

――箱根から約1カ月たちますが、いまの率直な感想を聞かせてください

もう、ただ悔しいということだけなんですけど…。こういう経験ができる人というのは少ないと思います。本当に勝たなければいけない場面だったんですけど、負けてしまったということをしっかりと受け止めて、ちゃんと今後に生かしていくことが必要だと思っています。

――箱根が終わってからはどのように過ごされていましたか

実家に帰ってゆっくりしたかったんですけど、全国都道府県対抗男子駅伝(都道府県駅伝)があり県の代表として走らせていただくので、一応1日半くらいはゆっくりして、あとはジョグでつないで軽く練習はしていました。

――成人式には出られましたか

はい、出ました。中学校を卒業してから会っていない子がほとんどだったので、本当に5年ぶりでしたね。そこでも気持ちを落ち着かせられたというか、リフレッシュできたかなと思います。

――周囲の反応はいかがでしたか

頑張っていたねとかいろいろ褒めてくれたんですけど、やはりもっと活躍した姿を見せたかったなというのがあります。

――成人式、都道府県駅伝と続いて、なかなか忙しかったのではないでしょうか

そうですね。成人式が月曜日で、こっち(所沢)に火曜日に帰ってきて、また金曜日に(広島に)出発だったので。でも、まだ若いんですかね(笑)。体は大丈夫でした。

――都道府県駅伝はいかがでしたか

箱根が終わってから、あまり体調も良くなかったんですけど、その中でいま持てる力というか必要最低限のことはできたのかなと思います。いまの力を痛感することもできたかなとは思います。

――その後の学校のテストはいかがでしたか

授業はちゃんと出ているので、きっと大丈夫かなとは思います。

――特にどういった分野に興味があるのですか

一応、心理学のゼミに入っています。いろいろと僕、本当に緊張し過ぎたり、人見知りしたりしてしまうので(笑)。そこで、競技と日常生活両方につなげていけたらいいかなと思っています。

――前回お話を伺った際(11月27日)には「調子良く練習ができている」とおっしゃっていましたが、その後の集中練習はいかがでしたか

その後も本当に調子良くいけ過ぎて少し本番で油断というか、練習ができたからいけるだろうと隙を見せてしまったというのがあります。でも練習ができたというのは自信につながりますし、試合で結果がちゃんと出るような練習もしてきましたし、あとは本当に結果を出すだけかなという感じでした。

――箱根までの1カ月間はあっという間に感じましたか

1年生の時はちょうどケガをしていたのでその時は本当に長く感じていたんですけど、今年度は本当に練習も充実していましたし、4年生と一緒に練習できるのもあとわずかなんだなと思うと、本当にあっという間でしたね。

――山本修平選手(スポ3=愛知・時習館)や田中鴻佑選手(法4=京都・洛南)など主力の選手が直前に故障してしまい、苦しいチーム状況だったと思います。その点についてはどのように捉えていましたか

エース格の二人が故障したのは、やはり痛かったんですけど、それなりに本当に危機感を持ってみんなで補うことができたかなとは思います。それが高田(康暉、スポ2=鹿児島実)の2区区間賞にもつながったのかなと思います。

――「練習で引っ張っていけるような存在を示したい」とおっしゃっていましたが

練習は本当にできていて、集中練習の25キロ走や10マイルでも積極的に走ることができました。それで多少はみんなに刺激を与えることができたと思っています。今後も、もっと自分自身にも他の人たちにも、刺激を与えていけたらいいなと思います。

――しかし、最初の区間エントリー発表で中村選手の名前はありませんでした。その時はどのような心境でしたか

本当に練習だけはできていたんですけど、それでもし走れなかったとしてもそれまでの試合の結果が悪かったので、仕方ないという気持ちもありました。でも本当に練習はできていたので、走りたいというか自分の中で走ってやるぞというのはありました。

――10区に決まったのはいつでしたか

1週間ほど前に、7区と8区と10区のどれかがあると言われていました。なるべく試しに走った8区になるようにはしたいと言われていたんですけど、自分の中では本当に10区もあるだろうなとは考えていました。10区と言われたのは前日の刺激練習でちょうど箱根駅伝が3区くらいの時でしたが、そんなに驚くこともなく、ただコースが分からないというのが不安だったんですけど、任された以上はやるしかないなと思っていました。

――「10区がいい」と以前おっしゃっていましたが、その旨は渡辺康幸駅伝監督(平8人卒=千葉・市船橋)に伝えていましたか

渡辺監督には伝えていませんでした。復路になるだろうなというのは思っていたんですけど、8区を試した時に、走るとしたら7区か8区かなとは思っていたので。自分の希望通りにはなったんですけど、結果が結果なので残念です。

――渡辺監督にはどのような点を期待されて10区を任されたのでしょうか

本当にラストのフリーの練習も積極的にいけましたし、この1年で長い距離も対応できるということも一応示せたというか、そういうことは徐々に渡辺監督や相楽コーチ(豊、平15人卒=福島・安積)に伝わっているのかなとは思います。それで、10区は23.1キロなんですけど、そういう長い距離も使っていただけたのかなと思います。

「勝負どころでの弱さが目立ってしまった」

――前回10区を走った田口大貴選手(スポ3=秋田)から何かアドバイスは受けましたか

ほぼ平坦で、最後都内に入ってくるにつれてビル風が強くなるということと、ラスト勝負になったら負けないでと言われたんですけど…。2年連続同じような感じになってしまい悔しいです。

――復路当日を迎えるにあたってコンディションはいかがでしたか

良かったとは思うんですけど、本当に憧れの舞台だったので気負い過ぎてしまったというか、練習通り出せなかったというのはあります。

――出雲全日本大学選抜駅伝(出雲)に出場した分、気持ちに余裕が生まれたという面はありませんでしたか

出雲の時は本当に緊張し過ぎて倒れるんじゃないかというのを経験しました。その分多少は楽になったんですけど、それでも本当に途切れることのない声援とか、ゾクゾクと鳥肌が立ちました。

――いつも試合の前にしていることはありますか

普段通り人と話したりするのが好きです。なので、走る前まで志方さん(文典、スポ4=兵庫・西脇工)と一緒に話したりしていました。でも志方さんの顔を見ると、やはり本当に申し訳ないという気持ちと、志方さんの分までやらないといけないという気持ちがありました。

――10区を交代することになった志方選手からは、どのように声をかけられましたか

この1年間、1番仲良くしてくださったのが志方さんだと思いますし、1週間に1回は一緒に出かけていました。月曜日に一緒に銭湯に行ったり、一緒に治療院に行ったり、一緒に馬鹿な話をしたりしていたので。志方さんはどう思っていたのか分からないんですけど、決まった後もいつも通り、僕で良ければ付き添いするよ、と言ってくれました。本当に志方さんで良かったというか、本当に偉大な人だなというか。志方さんが中学3年生の都道府県駅伝に出た時から見ているので、そんな人と関わることができて幸せだったなと思います。

――9区で日体大に逆転を許し、4秒差の4位でタスキを受け取ることになりましたが、その時の心境はいかがでしたか

正直、本当に焦っていました。僕がラストですし、笑顔で終わりたかったです。みんなからも笑顔でゴールしてねと言われていたんですけど、結局涙のゴールとなってしまったので…。もう1カ月たつんですけど、なんというか涙のゴールとなってしまったことが本当に心残りで。それで練習に影響することはないですけど、早く気持ちを切り替えないといけないなとは思っています。

――日体大の選手にぴたりと付いてずっと並走されていましたがどのようなことを考えていましたか

ラスト勝負とは考えていました。15キロまでに細かなアップダウンが4、5回ありまして、その下り坂を使って日体大の選手が仕掛けてきました。その時は大丈夫だったんですけど、16キロで仕掛けられた時には足にきてしまっていたかなというのがあります。そこからが勝負だったんですけど、それも本当に日体大の選手の作戦だと思います。渡辺監督ともラスト勝負だと話していたのですが、5キロから10キロでペースが落ちたので、そこでやはり臨機応変に行くべきだったのかなとは後から相楽コーチにも言われましたし、勝負どころでの弱さが目立ってしまったのかなと思います。

――ゴールをした時はどのような気持ちでしたか

田中さんと大迫さん(傑、スポ4=長野・佐久長聖)が待っていてくれたんですけど、4年生の顔を見た瞬間に、何もできなかったなという気持ちがあって泣いてしまいました。二人とも、よく頑張ってくれたね、ゴールしてくれてありがとうと言ってくれたのが、なおさら悔しかったというか。毎年思うんですけど、本当に毎年の4年生と仲良くなってしまうので、最後がきょねんも5位でしたし、ことしも4位というのが申し訳ないですね。欲を言えば毎年4年生に優勝させてあげたいというのがあるんですけど、必要最低限の仕事ができなかったことが本当に申し訳ないです。

――改めて、4年生への思いを聞かせてください

ことしの4年生は本当に人数も少なくて故障も度々ありましたけど、それでも結局チームの中心となって引っ張ってくれたのは4年生でした。マネージャーの浅川さん(祥史、スポ4=兵庫・長田)と澤田さん(拓朗、社4=東京・早実)も、ポイント結果や走行距離なども細かく出してくれましたし、気になることがあれば声もかけてくれましたし、本当に尽くしてくれました。志方さんとは本当に仲良くし過ぎてしまって、別れるのがつらいというか。それだけ頼っていましたし、4年生があってのいまの僕でもあるので。もう上級生になるので、次は自分が後輩に与えていけるようにしたいです。

「まだまだ頑張れる」

日体大の選手とアンカー勝負を繰り広げた中村信

――練習はできても試合で出し切ることができないという課題を、今後はどう克服していきたいですか

もう本当に誰が見てもこの半年間、練習だけはできているので、そのまま出せればいいんですけど、本当に緊張し過ぎというか変に思い込み過ぎてしまって、それが駄目なのかなとは思います。でもメンタルが弱い方ではないと自分は信じていますので、もう3年生となって上級生になりますし、今後はちゃんと結果を求めていきたいなと思います。

――1区の大迫選手以外3年生以下という若い布陣で手にした総合4位は、らいねんにつながる結果と言えるのではないでしょうか

必ずしも、らいねんそれ以上の結果が出るとは限りません。新入生にも有力な選手が入ってくるんですけど、その中でこの夏合宿から箱根に向けての半年間はとても濃かったものだと思いますし、それを失ってしまうとらいねん自分が箱根に出られる保証もないですし。この悔しい気持ちを忘れずにやっていくことが大事なのかなと思います。

――今回走ったことで、箱根に対する思いなどは変わりましたか

本当に小さい時は夢とか憧れだったんですけど、ことしは目標に変わって、その目標を達成することはできました。でも内容としてはまだまだなので、出るだけではなくて、しっかりとチームに貢献できるようになりたいなと思いました。

――1年間全体を振り返ると、中村選手にとって大きく成長した1年だったと思います

この1年間大きなケガをすることなく、本当に自分なりに頑張ったとは思うんですけど、頑張った結果が箱根4位で個人の区間順位も10番なので…。ということは、まだまだ頑張れることがあったんじゃないかなと思いますし、あともう2年しかないので、まだまだ頑張れると思います。

――新チームの雰囲気はいかがですか

きょねんは大迫さんが改革して、故障者の対応であったり、いままでAチームは補強をしなかったんですけどみんなでするようになったりしました。そのまま良いことを受け継いでいて、あとはきょねんと同じことをやっているようだと優勝はできないので、修平さんを軸にさらに上を目指すチームをつくってくれると思いますし僕も協力していきたいです。

――個人的な目標はなんですか

きょねんトラックシーズンで一応5000メートルも1万メートルも両方更新しましたが、あまりぱっとしたタイムは出せませんでした。夏合宿以降自分でも力は付いてきたかなとは思うので、他大と戦えるタイムも出していきたいですし、タイムだけではなくてしっかりと結果も残していきたいと思います。

――チームとしての目標も教えてください

やはり競走部という部活なので、駅伝だけではなくて関東学生対校選手権(関カレ)、日本学生対校選手権(全カレ)のトラックシーズンも大事だと思います。きょねんは関カレで得点を取ったのが大迫さんだけでしたが、それ以降危機感を持ってできたことが全カレの複数入賞につながったと思うので、その気持ちを忘れずに、関カレ全カレでも長距離、短距離、投てきみんなで力を合わせてやっていきたいです。もちろん総合優勝したいと九鬼さん(巧、スポ3=和歌山北)も言っていますので、そのためには長距離の頑張りも必要かなと思います。駅伝は、本当にこの1年走って分かったんですけど、本当に優勝すると言っているチームはそれなりのことをしないといけません。主力としてこれから練習していくには、もっともっと力が必要ですし、早大だけでなく他大の選手としっかりと戦える選手になって、駅伝シーズンに入っていけたらいいなと思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 加藤万理子)

◆中村信一郎(なかむら・しんいちろう)

1993年(平5)4月14日生まれのO型。174センチ、57キロ。香川・高松工芸高出身。スポーツ科学部2年。自己記録:5000メートル14分27秒29。1万メートル29分55秒75。ハーフマラソン1時間03分49秒。2014年箱根駅伝10区1時間11分32秒(区間10位)。