『箱根路への挑戦状』、最終回を飾るのは大迫傑駅伝主将(スポ4=長野・佐久長聖)。1年前に米国への強化留学を発表し学生陸上界を騒然とさせ、今季は米国で磨きをかけたスピードを武器にトラックで遺憾なく力を発揮した。常に世界を見据える大迫は、最後の東京箱根間往復大学駅伝(箱根)を前に何を思うのだろうか。
※12月22日に行った取材と、11月にご協力いただいた書面アンケートを元に編集しております。なお、補足として渡辺康幸駅伝監督(平8人卒=千葉・市船橋)にお伺いした取材内容(11月24日)についても併載致します。
世界を基準に
――現在の調子はいかかですか
大迫 良くも悪くもなく、普段通りです。渡米前は全身に疲労が溜まっていて動きがあまり良くはなかったのですが、向こうでは非常に順調に練習が積めたので、いまの段階としてはいいかなと思います。
――米国ではどのようなトレーニングをなさったのですか
大迫 渡米前から日本の練習サイクルにとらわれることなく、いろいろなことに挑戦して行きたいと考えていました。いままでは長い距離を走る為には走り込みが不可欠だという考えで取り組んできたのですがアメリカへ行ってそこを疑うようになったので、練習方法は模索中でしたが、できうる最善の方法を考えて調子をあわせようと考えて米国へ発ちました。実際に渡米してからは、スピードやロング走、ペースなどバランスよく練習できたと思います。
――この時期にあえてアメリカに渡ったのはなぜですか
大迫 来年から向こうにいく予定ですので、その準備というかなるべく向こうの環境に慣れておきたいということがひとつです。またそういうチャンスをナイキの方からいただいたので、それを逃す手はないなということで行かせていただきました。実際、向こうでの一通りの流れつかめたのはよかったと思います。英語とかは全然話せないんですけど、その中でも臆することがなくなってきましたし、話せなくても何かしら知っている単語で伝えようという気持ちも出てきました。来年も4月から米国に渡る予定です。
――今季はシーズンを通じて国外へ行くことも多かったと思います。振り返っていかがですか
大迫 年間を通していいトレーニング、いい試合ができたなと思います 。目標が世界陸上だったので、春先はそれを意識した練習をしてきました。夏場については世界陸上(第16回世界選手権)や遠征などでさまざまな遠征が積めて、昨年以上に(世界に)慣れたることができました。世界陸上出場という目標は最低限クリアできましたが、レースの中身は課題が残りました。ただ世界陸上などでは予めある程度力の差があることもわかっていたので、ここからスタートかなという気持ちです。今後は世界の大会で勝負した選手を基準にして、自分を評価していかなければいけないと思っています。将来的には世界大会で入賞することが目標です。
――世界での練習や実践を経験して、感じたことはありますか
大迫 現地で行っている練習を今回経験してきたのですが、日本は遅れているなと思いました。このまま日本でやっていてもどんどん遅れていってしまうなと感じています。最初4月に渡米した際に、このままじゃいけないとすごく強く感じました。そこからいままで当たり前に行ってきた練習の意味を一から考え直すようになりましたし、自分自身でいろいろと工夫するようになりました。米国と日本の違いとしては、全てをバランスよく練習するという点と、選手とコーチ、指導者がすごいこまめにコミュニケーションをとっていて強くなっているなという点を感じました。
――アルベルト・サラザール氏に指導を受けることを決めたのはなぜですか
大迫 世界のトップクラスの選手が指導を受けてきたからです。実際に指導を受けて、「レースより速いスピードで練習しなければ、レースで再現できない。」と言われたことが印象に残りました。
――大迫選手が留学を考えるようになったきっかけはご存知ですか
渡辺監督 4年間で一番印象に残っているのが、昨年の夏に行ったヨーロッパ遠征がすごく刺激になって帰ってきて、世界のトップクラスのチームでやりたいと言い出したことです。もともとそういう野望はものすごく持っていたんですが、最終的にはその遠征が刺激になったんだと思います。海外の試合を経験させるというのはお金も時間もかかるしいろいろ大変なことも多いんですが、それをまともに経験できたというのは良かったですね。タイミングもよかったと思います。
――具体的な変化というのは
渡辺監督 本来入れないグランプリに入れて、10人中10番だったんですよ。そういう中で自分の力の無さとかスピードの無さとかすべてを思い知ったんだと思いますよ。それで履いているシューズを変えてまで世界のトップチームでやりたいという覚悟をしたということです。それが口だけだったら僕も協力はしないんですけど、強くなりたいという気持ちがやはり彼は強かったので、それに対して僕が協力したということです。たとえば、慣れ親しんだシューズを変えるとか、そういうことが日本人はなかなかできないんですよ。彼は考えがちょっと日本人じゃないんですよね。そういう意味では米国向きなので、意外に向こうのチームが合ってるんじゃないかなと思いますね。
――現役時代の渡辺監督ご自身と比較しても大迫選手の意識や覚悟には強いものがあるのでしょうか
渡辺監督 強くなるためなら駅伝はいらないという考えをしているので、そこはすごい考えだなと思いますね。私の時代は駅伝も頑張りなさいというふうに指導を受けたし、私自信もそこまで思いませんでした。僕に持っていないものを彼は持っているから、それに対してはすごいなと思う部分もありますよ。まだまだ若いし子供だなと思う部分もたくさんありますが、竹澤(健介、平21スポ卒=現住友電工)のときもそうでしたし、それこで私たちがクッション役になってあげるべきだと考えています。あそこまで天才肌で10年に1人なんかの逸材の選手っていうのは、ある程度の領域に入った時はあまり触っちゃだめなんですよ。僕もそうだったんですが、そこでああだこうだ細かいことを言われるとおかしくなっちゃうんですよね。ポテンシャルの高さや能力はありますし、速さも僕より持っていますよ。彼にはまだ強さはないですけど、それはこれからもっともっと力をつけて練習できるようになれば強くなってくれると思っています。
「一緒にいることだけがチームを強くする方法ではない」
日本選手権で2位入賞を果たした大迫は、世界選手権の切符を掴んだ
――夏には忙しい遠征の合間を縫って、チームの菅平合宿に数日間参加されたそうですね。そのような強行スケジュールをとったのはなぜですか
大迫 チームの一員だからです。ワセダは自分にとって家のようなものですし、キャプテンとして合宿中一度は顔を出してみんなの様子を知りたいという気持ちもありました。
――大迫選手がチームで担う役割とはどのようなものだとお考えですか
大迫 結果を示し、背中でチームを引っ張ることです。また、チーム内でカベを作らせないことです。ほかにも、僕が(普段チームに)いないことでプラスになっていることも多いと思っています。外から僕が持って帰ってくるものというのもチームにとっては大きく影響していると思いますし、一緒にいることだけがチームを強くする方法ではないと考えています。周りの選手にいろいろと聞かれることもありますし、そのようなときには補強のやり方などを話すこともあります。
――大迫選手がいるととチームに引き締まるという声も伺いましたが、意識されているのでしょうか
大迫 特に意識はしていませんが、やはり色々聞いてくる選手もいますし、普段いない分、やはりある程度緊張感が出るのかもしれませんね。箱根前に帰ることで、もう一度ピリッとした雰囲気に正せればいいなと思います。
――大迫選手がチームを離れている間チームをまとめていた田中鴻佑選手(法4=京都・洛南)に対する印象は
大迫 面倒見が良い選手です。細かい気配りができるので周囲から慕われています。ことしのチームは僕がいない時にも田中などがちゃんとやってくれています。今回渡米するにあたっても、僕が特に何か伝えていかなくても、みんなそれぞれが向上心のある選手でしたのでしっかりやってくれると思っていました。
――大迫選手にとって、田中鴻選手などの同期はどのような存在ですか
大迫 ことしは月間距離や朝のペース走などをしっかりやっていこうってことでよく話してきたんですけど、そういうのを理解してくれたというか、一緒になってがんばろうって言ってくれたので非常に感謝しています。
――ことしの早稲田はどのようなチームですか
大迫 爆発力はありませんが、粒はそろっていると思います。1年間やってきて、個人個人が持っている力を発揮できるようになってきたと感じていますし、チームに泥臭さや必死さもついてきたとも感じています。そのあたりは、試合の結果からもわかっていただけると思います。
「僕らの学年としての集大成として」
全日本では、2年時の箱根以来となる学生駅伝区間賞を獲得した
――大迫選手にとって箱根とはどのような存在ですか
大迫 陸上で上を目指すきっかけとなった大会です。注目度が高く、テレビで毎年見ていたので、中学生の頃までは憧れの大会でした。ただ高校入学後、箱根駅伝を走る自分が頭に明確に想い描けるようになってからは、憧れは薄れていきました。
――現在は、箱根をどのように捉えていらっしゃいますか
大迫 箱根駅伝という4年間のためにがんばるよりかはその先の5年、10年に向けてがんばった方が、今後も競技を続ける僕にとっては将来的にためになるかなと思い、そのようなスタンスでやってきました。現在は、チームで目指す目標ということで全く別のものとして分けて捉えています。ことしで最後になりますが、僕自身の集大成ではなくて僕らの学年としての集大成として狙っていきたいなという感じです。
――5年後、10年後にはどのように競技をなさっているおつもりですか
大迫 トラックもありますし、またいつの時期になるかはわかりませんが、マラソンもやりたいと思っています。マラソンを始める時期については現段階で特に希望はないので、時期を見ながらという感じになると思います。マラソンにせよトラックにせよ、東京オリンピックが決まったので、最終的にそこで結果が出せたらいいなと思います。
――高校卒業後、実業団への就職ではなく、学生駅伝を避けては通れない大学進学を選んだのはなぜですか
大迫 渡辺監督の存在が大きかったです。
――大迫選手から、実業団ではなく大学進学を決めた理由として渡辺監督の存在が大きいと伺いました。当時どのようなお話をなさったのですか
渡辺監督 彼はもともとカネボウの高岡寿成さんに憧れてカネボウに入るという噂が流れていたんですが、途中から進学に希望が変わっていたんですね。ただ当時佐久長聖高で指導していた両角監督(現東海大監督)の影響で、(両角監督の母校である)東海大に決まりかけていたんです。ただそれでもどうしても欲しいと思い声をかけました。僕がちょうど(勧誘に)行った時のタイミングが良かったということもあると思います。他の大学が諦めた中で彼がいろいろ悩んでいて、やはりトラックで世界で戦いたいという条件をすべてのめるのはうちのチームだし、そのノウハウは僕も持っていたので、そういう点がお互い合致してワセダに来てくれたということです。本人も自由にやりたいということで、早大に行くのが一番良いと判断したんだろうと思います。カネボウへの就職から進学へ進路を変えたというのも、タイミングですよ。佐久長聖高出身の平賀(翔太、平25基理卒=現富士通)や佐々木(寛文、平25スポ卒=現日清食品グループ)がいたので情報も多く入っていましたし、彼が悩んでいる時にたまたま僕が獲りに行けたということです。お父さんお母さんにも話ができました。お互い運とか縁とかはあったかなと思います。
――学生駅伝を経験しなければいけないということについて、メリットやデメリットと感じたことはありますか
大迫 メリット・デメリットというより、あるものとして考えていたので目標へのプロセスとして常に頭の中にありました。 ただみんなで1つの目標に向かって頑張るというのは僕にとって今後財産になると思っていますし、そういった貴重な経験ができることはうれしく思います。
――箱根での目標はありますか
大迫 優勝というのを今年1年目標に掲げてやってきたのでそこを狙って行きたいですが、東洋大さんや駒大さんなど他に強いチームがありますし、そういったチームが100パーセントの力で走ってしまえば、勝てないと思います。ただ駅伝は何があるかわからないので、確実に走ってチャンスがあれば狙いに行きたいなという感じですね。
――最後に、個人的な目標があれば教えてください
大迫 特に希望区間もありませんし、目標も置きません。これまでの3回の大会と同様にどういう状況で来るかはわかりませんが、最低限このチームに貢献できる走りができたらなと思います。区間やそのときの順位によって大きく違ってくると思いますが、最低限チームの順位を上げるというようなことを意識したいです。
――ありがとうございました!
(取材・編集 深谷汐里)
◆大迫傑(おおさこ・すぐる)
1991年(平3)5月23日生まれのA型。170センチ、53キロ。長野・佐久長聖高出身。スポーツ科学部4年。自己記録:5000メートル13分20秒80。1万メートル27分38秒31。ハーフマラソン1時間1分47秒。競技に対し飽くなき向上心を抱く大迫選手ですが、日常生活からとても負けず嫌いなんだとか。部内で行われるお菓子を賭けたじゃんけんなどでも、負けるととても悔しがるそうです。