【連載】『箱根路への挑戦状』 第3回 浅川祥史主務×山田明幸副務

駅伝

 第3回はマネージャーとして部を支える浅川祥史主務(スポ4=兵庫・長田)と山田明幸副務(人3=福島・白河)。裏でチームを支える大黒柱たちの、箱根に懸ける意気込みを伺った。競技者経験も豊富な2人が語る陸上に対する思いとは。

※この取材は12月3日に行われたものです。

「自分が結果を出すことよりも周りが結果を出すことの方が嬉しい」

ご自身のことをお伺いした際に、照れくさそうな笑顔を浮かべる山田明副務(左)と浅川主務

――お二人が陸上競技をはじめたきっかけは

浅川 家系的なものです。父親と祖父がずっと陸上をしていました。父親も祖父も教師なので、部活を持っていましたし、その影響もあって弟も自分も気づけば陸上をしていましたね。

山田明 小学校では最初サッカーをやっていました。陸上自体もサッカーの体力をつけるためにという感じで始めました。ずっとサッカーをやっていくのだろうと思っていましたが、小学校6年のときに転校してそこにサッカー部がなかったんですね。転校した小学校は規模の小さい小学校だったので、陸上も特設クラブのような形でした。そのときには剣道もしていましたね。

――それではなぜワセダの競走部を選ばれたのでしょうか

浅川 高校が進学校だったというのはあります。元々体育の教師になりたかったのですが、その点に関してもスポーツ科学部があったので選びました。

山田明 高校に入ったときは、陸上を大学で続けるつもりはありませんでした。ですが進路を決めるときにやっぱり続けたいと思い、まだどこの大学にしようかとは特に決めていませんでしたが、指定校推薦をいただいてやってみよう、と。ワセダには憧れがあったこともあり、結局ワセダでこうしてやらせていただいています。

――競技者時代を振り返っていかがですか

山田明 当然覚悟はしていましたが、入った段階ではもちろん一番下でした。想像していた以上に、練習のきつさもそうですし、(強い選手との)差がこれほどまでにあるのかということを痛感しました。自分が入った時期は他の選手と比べて少し遅くて、最初の一週間はポイント練習もさせてもらえず、朝練の量も減らしてやっていました。いざポイント練習に合流したときのメニューがインターバルで、1本目が終わって2本目にいくつなぎの段階で離れそうになってしまったりということがありました。力の差に正直驚きました。続けてこられたのは、ワセダに入れてもらったからには箱根を走りたかったからですね。

――今でも走りたくなることはやはりあるのでしょうか

山田明 試合をみていると思いますね。

浅川 当然見ていて走りたいですし、走れるときは走っています。1月に試合3つエントリーしているので、3年みんなで楽しく走ろうと計画しています(笑)。ハーフマラソン、スイーツマラソン、駅伝です。

――マネージャーに転向した経緯とそのときの心境は

浅川 当然選手として練習を続ける自信はありました。ですが、マネージャーの候補が何人かいる中で、自分が結果を出すことよりも周りが結果を出すことの方が嬉しいのかな、と話し合いをしているときにふと思ったんですよ。それがマネージャーになろうと思った一番の決め手でした。そこで最後投票しようということになったときに、自分から言ったほうがいいと思いました。最後の最後になって自分から挙手をして「マネージャーをやらせてほしい」と言ったことは覚えています。

山田明 浅川さんと同じようにマネージャーを決める話し合いがあって、候補が何人かいました。僕は正直な話、学年の他の選手と比べていざ決めるとなった段階で選手としてやっていくのは厳しいんじゃないかと思ってしまっていました。そうどこかで思っている時点で他の選手に勝つことはできないですし。僕らも投票しようとなりましたが、投票でというよりは自分から言った方がいいのかな、と思いマネージャーになりました。

――マネージャー業はやはり苦しいものなのでしょうか

浅川 後一ヶ月となりましたが、正直苦しいことしかなかったなと。今までの先輩もおっしゃっていた通り、いい経験をさせていただいてすごく貴重な時間でしたけれど、もう一度やりたいかと言われれば絶対にやりたくないです(笑)。仕事量が膨大なので、自分のキャパがわかったときここまでしかできないのか、と。主務という立場になって去年の卯木さん(研也、平25スポ卒=石川・星陵)が卒業されて、そのときにちょうど六大学の幹事が被りました。その時期本当に忙しくて、就活があり部活があり六大があり、こんなにも両立できないものなのかと思いました。

山田明 自分は浅川さん、卯木さんや福島さん(翔太、平24スポ卒=埼玉・早大本庄)のように仕事ができないと思っていましたが、改めてこんなにも当たり前のこともできないのかと思うことが日々あります。そのときがやはり苦しいです。具体的にはありすぎて言いきれないですね。

――卒業された元マネージャーの先輩に相談などはされるのでしょうか

浅川 相談という形で話したことはないですね。仕事関係でわからないことがあれば上の方に聞きますが、それ以外のことで相談はしないですね。基本的に自己解決です。自分の中で辛いことがあっても最終的に落とし込んでいけるので。周りの方からよく言われるのですが、社会に出てからも絶対に倒れないという自信はあります。どれだけ厳しい現場にいこうとも。

山田明 自分はその自信はあまりないです(笑)。

――理想のマネージャー像はありますか

浅川 見てる方しかいないのですが、福島さんはチームの中のマネジメントでも仕事の部分でも優れた方だったなと思います。選手1人1人に対する働きかけですね。あの代は力を持った選手がたくさんいましたが、その選手にも厳しいことを言えていたというのはすごいことだなと思います。

山田明 僕が入学してからの上の三人のマネージャーの方々が僕の理想ですね。

――マネ—ジャーになって嬉しかったこと、印象的だったことはありますか

浅川 まだないですね。箱根のときに来ることを本当に信じてやっています。

山田明 自分が選手のときは箱根を走りたいという気持ちだけでしたが、マネージャーになってからは、より箱根で優勝を味わってみたいと思うようになりました。選手がベストを出したとき、特にBチーム、Cチームの選手がおっ、という記録を出したときは自分もその境遇だったので嬉しいですね。

「雰囲気自体はすごくいい」

自分よりも周りが結果を出すことが嬉しいとの思いから主務を引き受けたという浅川主務

――続いて競走部のことについてお伺いします。自己ベストが多数出た上尾ハーフの結果についてはいかがですか

浅川 良かったというのが終わったあとの正直な感想ですね。新チームが始まってからずっと長い距離に重点をおいてやってきたので、やっとそれが結果につながったなというのはありました。

山田明 僕は別の記録会の方に行っておりまして実際に走りを見ることはできなかったのですが、結果だけ見ると今までしっかり練習を積めていた選手が記録を出すべくして出せていて安心しました。夏特に距離を踏んできた結果がこのような形ででてきた点は良かったと思います。

――1万メートル記録挑戦競技会での下級生、また復帰戦の志方文典選手(文典、スポ4=兵庫・西脇工)の走りについてはいかがですか

浅川 おととい日体大の記録会があって、そこでCチームの選手は良い流れで学連の記録会から実戦に臨めたと思います。志方は全然なタイムだったと思いますが、集中練習の方に上手に合流できたのでその点では一つの弾みになったのかな、という感じです。

――集中練習に志方選手以外に合流された選手はいらっしゃいますか

浅川 一万メートル記録挑戦会で29分台を出した3人がそのまま合流しました。

――現時点までで、全体的なチームの状況は良好と考えてよいのでしょうか

浅川 そうですね、雰囲気自体も悪くはないので。今のチームで勝てるとは思っていませんが、良くはなってきていると思います。

山田明 下のチームの選手も戦力にはなれないですけど、底上げという点では下からもチームを盛り上げてくれているので、雰囲気自体はすごくいいと思います。

――集中練習の雰囲気はいかがですか

浅川 例年通りですね。日曜日の練習はあまり良くなかったのですが、良くない中で選手同士で指摘しあっていると思います。「一回一回の練習で満足してしまっているんじゃないか」と2年生の高田(康暉、スポ2=鹿児島実)が全体練習で言っていました。本当に、その通りの選手がいたからこそ、日曜日の練習は出来がよくなかったのだと思います。練習内容は25キロのペース走でしたがばらけてしまいました。多少なりゆるみはあったのかなと思います。これからそこは詰めていくところですね。

――今のところ故障者もなく練習を積まれているのでしょうか

浅川 あまり大きな故障はありませんね。上尾のときに一年生の佐藤(淳、スポ1=愛知・明和)が棄権してしまい故障をここまで引きずっていますが、それでもジョグは始めています。それ以外の選手は比較的特に問題はなくという感じです。

「総合優勝しか狙ってはいない」

箱根後は最上級生としてマネージャーブロックをけん引していく山田明副務

――出雲、全日本ともに4位という結果でしたがこの結果についてどう受け止めていらっしゃいますか

浅川 妥当な結果だったかなと。出雲に関してはあまり何も収穫もなく、なんとなく終わってしまった感じがありました。ですが全日本は1区の出遅れの中からでもしっかり巻き返しできたので、順位に関しては悪かったですが、次につなげられる結果でした。

山田明 夏場距離を踏んできて、距離が伸びるほどワセダのチームは有利なんじゃないかと思っています。出雲に関してはスピードのあるチームが強いというのはあります。全日本に関してはレースの流れからしても3位は狙えたのではと思いましたね。

――8月時点の取材では「駒大、東洋大、日体大あたりには現状の実力としては絶対に勝てない」と仰っていました。あれから状況は変化したと思われますか

浅川 あのときもそうですし今もそうですし、正直誰がどう見ても今の3チーム、あと明治などを加えたところはトラックの力は頭一つ抜けています。戦力的には劣っていることは確かです。

――ワセダが長い距離に有利ということを鑑みても苦しい状況でしょうか

浅川 そうですね。厳しいことに変わりはないと思います。選手自身もそれは自覚しています。ただ、きょねんは日体大がどこも取りこぼさずに優勝しました。きょねんも駒大、東洋大どちらかと言われていましたが、その2校には取りこぼしがありました。きょねんの日体大のように取りこぼしたチームをしっかり食っていって、自分たちは取りこぼさずに行くことが優勝の最低条件だと大迫(傑、スポ4=長野・佐久長聖)がずっと言っています。取りこぼさずいければ勝てるのではと思っています。

――残り1ヶ月となりましたが、これから選手にとってどのようなことが特に重要になってくると思われますか

山田明 取りこぼさないことですね。浅川さんが仰ったように、当たり前のことですが一回一回の練習をはずさないことだと思います。一人でも故障者が出たりすると、今までの良い流れが途絶えてしまうので、故障や細かいミスがないようにしていくことが重要だと思います。

浅川 故障と風邪など体調を崩さないことと、一回一回の練習を取りこぼしなくというのはずっとチーム全体で話し合ってやっていることです。そこさえ徹底できればこれまでも、これからも特に変わりはなく迎えることができると思います。

――お二人から見た注目選手はいらっしゃいますか

浅川 今年は本当に楽しみな選手が多いなと思います。上級生では田中(鴻佑、法4=京都・洛南)ですね。同じ学年として1年前、2年前に今このような状態で走れるとは思っていませんでした。また、高田(康暉、スポ2=鹿児島実)が2年生になってチームに対してガンガン物を言うような選手になるとは思っていませんでしたし、修平(山本、スポ3=愛知・時習館)に関しても学年が上がるにつれてワセダ愛が強く表に出てくるようになってきました。各学年1人いるかいないかというような選手が熱くやってくれることで、盛り上がっていくのかなと思います。

山田明 下級生に勢いがあります。井戸(浩貴、商1=兵庫・竜野)や、今は故障してしまっていますが佐藤(淳、スポ1=愛知・明和)ですね。その中で、上級生も危機感を持ってやっています。上級生では田中さんや3年の田口(大貴、スポ3=秋田)あたりがしっかりチームをまとめているので、1人とは選べないですがそのあたりの選手です。

――箱根でワセダにとって特にポイントとなる区間はありますか

浅川 1区は当然そうですね。ずっと失敗してしまっているので。他は後は山の上り下りがしっかりできれば勝てるのではというのはあります。

――箱根駅伝のチームの目標は

浅川 当然総合優勝しか狙ってはいないです。正直、力的にはワセダが100で戦って東洋大や駒大も100で戦うと、勝ち目はないと思いますが、駅伝でそんなことはありえません。自分たちがしっかり走って結果的に総合優勝につながればと思います。

――お二人にとって、箱根駅伝とはどのようなものですか

浅川 みんなにとってもそうだと思いますが4年生のときにあの場で勝つためにやっていると思います。箱根駅伝は、最高の形で大学生活を終えるものなのかなと。

山田明 他の部活がはやく引退するなかで最後の最後にあの大会なのでとても大切ですし思い入れも強いですね。特に4年目の大会でというのはあると思います。

――最後に、箱根に向けて意気込みをお願いします

山田明 あと1ヶ月すれば自分たちの代なので、取りこぼしのないようにしっかりと気を引き締めてやっていきたいと思います。

浅川 あと30日ですね。自分たち自身も取りこぼしのないように、選手を信じます。総合優勝をすると信じ続けてゴールの大手町で迎えたいと思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 松岡文、深谷汐里)

今季のチームを表す言葉を書いていただきました

◆山田明幸副務(やまだ・あきゆき)(※写真左)

1992(平4)年10月28日生まれ。169センチ、53キロ。福島・白河高出身。人間科学部3年。男性マネージャーで揃えて買ったというウインドブレーカーを着用して取材に応じてくださいました!

◆浅川祥史主務(あさかわ・よしふみ)(※写真右)

1991(平3)年5月28日生まれ。166センチ、51キロ。兵庫・長田高出身。スポーツ科学部4年。箱根後に走るレースの話を楽しそうにしてくださり、マネージャーとしてだけでなく1人のランナーとしての表情が垣間見えました