【連載】『箱根路への挑戦状』『指揮官の眼識』 第1回 明大・西弘美監督

駅伝

 早稲田スポーツの紙面上にて、秋季野球号から掲載しておりました『指揮官の眼識』ですが、ご好評につき当ウェブサイト上においても一問一等の形式で再掲致します。駅伝強豪校で指揮を採っていらっしゃる名将4名に、東京箱根間往復大学駅伝(箱根)への思い、また指導論等を伺いました。どうぞお楽しみください。

 第1回は、近年、古豪復活を強く感じさせる明大・西弘美監督。昨年の箱根では一時2位まで上り詰めるもラスト2区間で失速し、最終的に7位まで順位を落とした。しかし多くの走者が残ったことし、11月に行われた全日本大学対校駅伝選手権(全日本)で見事3位に。3強の牙城を崩し勢いに乗る明大を指揮する西監督だが、どのような指導論をお持ちなのか。ワセダへの思いとともに語っていただいた。

※この取材は9月12日に行ったものです。

自由ではない、自主性を大切にする指導

――どのような指導論をお持ちですか

 私の根本には自覚と自主性というものがありますね。1から10までということで教えて選手たちが動くのではなく、学生たち一人一人が、明大(競走部)というところでの自覚と責任を持って行動するということです。やはり自主的に動くという部分がない限りは、指示待ち世代では駄目ですね。練習にしても生活にしても、それは全部つながっていきますし、自主的なものというのは大事にしていますね。広い柵の中で学生たちが自ら動いていって、吸収していってもらいたいということです。小さなことでも手取り足取り全部1から10まで教えて動くのではなく、いろいろな幅の中で動いていってもらいたいというところはありますよね。

――ワセダなどの他大でも自主性を重んじている大学は多いですが、他大と西監督や明大の考える自主性の違いはありますか

 大きな違いはないと思います。しかし、自主性と一つ間違えてはいけないのが、自由ということなんですよね。やはり一番難しいところは自由と強制のバランス。強制を9にして自由を1というものもあれば、自由を9にして強制1というバランスもあれば、半々というバランスもある。そのバランスを半々にしたり、7:3にしたり、8:2にしたり。これは私の中で決めてやっていきます。全部が半々ということではなく、多少は幅を…。2キロ四方で牛たちが草をかいつまんでやっていたのを今度は幅を1キロの範囲にしよう。500メートルの範囲にしよう。それは何かというとある程度の細かいところの指示ですよね。で、今度は大きく3キロ四方にしようとか。チーム状況を見ながら、そういう柵を広げたり縮めたりする中でやっていく。ただ自主性というと全部自由だと間違えられやすいですが、何でも自ら考えて、基本は自ら考えてやっていくという指導をしています。

――その度合いというのは選手たちを見て、選手それぞれの個性や性格、またその年の強さによったりするのですか

 それはありますよね。いまいる41名の選手うち、一般で入ってきた子が8名、それ以外はスポーツ推薦で入ってきた子です。どちらの選手でも、こっちは強制じゃない方がいいな、こっちは強制させた方がいいなというのはものすごく考えたりしますよね。たとえばきょうの朝練習なんかにしても、合同で何キロといっても、この子はきょうは合同は省いた方がいいかなということはあるんですよね。だけど一方で、きょうは無理にこっちにつかせて、一緒に強制的にやらせてみようとか。だから、力のない子はある程度柵を狭めたりすることも必要かなというところもありますよね。力がついてくれば、もう自らやっていく。だから大迫くん(傑、スポ4=長野・佐久長聖)なんかは、康幸監督(渡辺、平8人卒=千葉・市船橋)が自由の中でポイントだけをピッピッピとやっていると思うんですよね。でも今度、大迫くんを狭めた柵の中でやったら、彼は耐えられないでしょうね(笑)。一風変わっているし、やんちゃだけれども、だからこそ強くなるんです。そういう自主性というのは一歩間違えると自由と勘違いしてしまう…。

――明大監督の就任当時から、同じ指導論を掲げられているのですか

 そうですね。僕が2001年にここに来て、いまはもう13年目になりますが、まず何をしたかというと、ルール作りをやってあげただけなんです。生活のリズムを作らせるということですよね。それだけしかないんです。「12時だった門限を10時にしようよ」と。僕が来たとき、夜は1時2時まで電気が点いていました。僕が夜中トイレに行ったときに洗面所には歯磨きをしている子がいて、帰って時計を見たら1時半なんですよね。「お前何やっているの?」と聞いたら「これから寝るんです」って。それでは3時間4時間の睡眠で朝練習なんてできないですよね。朝お腹が痛い。良いトレーニングができない。7月1日に来て、2週間は黙って見ていました。2週間黙って見ていたのですが、うーんと思って、決まり事で強制のバランスをつけたんです。決まり事というのが、10時の門限10時半の消灯。これを守ろうよ、と。もうそれくらいです。「そうすると自ずと朝に早く起きてこれるんだよ」と。それがいまずっと今日まで続いてきています。それは何かというと門限と起床だけなんです。

――明大の長距離コーチに就任された経緯は

 当時の松本穣部長は、私が来る7年前に要請を受けて部長に就いていたんだけども、「部長というのは何をすればいいんだ?」「陸上部は知っていても競走部とは何部?」といった状態でした。箱根駅伝は知っているけれども競走部はわからない、と。そういう状態で部長を引き受けた松本部長が最初に手掛けたのがグラウンドの草刈りですね。当時、300メートルのグラウンドは土で、向こう側が見えないくらい草があった。それだけ学生たちが練習をしていない状態でした。その草刈りを全部一人で松本部長はやった。次に何をしたかというと長距離の朝練習。いま部長は10キロくらい先の川崎にいますが、そこから車で朝練習に来る。そうすれば学生たちも部長が来てるんだから朝練習もしっかりやるだろうと考えていたのですが、それでも選手たちは動かない。じゃあ何をすればいいか。最終的には強くするには物と人と金と言いますよね。物といいますと、数年前にこれ(寮)ができた。今度はグラウンドができた。それでもなかなか強くならない。そうすると、もう指導者しかないと。それで、なんとか当時の理事長にかけ合ってくれて、僕がちょうどたまたま日大のコーチを辞めたときだったこともあって、7月1日に着任しました。日大の学生たちには「お前たちには本当に申し訳ないけど、あしたから2キロ離れたメイジに行くから」。別れを惜しんで…。仕方がないですよね。自らではなくて学校の方からの話でした。そういう経緯でメイジに来ました。

――明大の第一印象は

 一番始めの印象としては大変なチームだなと。やはり生活のリズムがまったくなっていない。カップラーメンをいっぱい食べたあとはあるしね。夜は遅くまで起きてるし、朝はお腹が痛い。試合ではなかなか走れない。でも、皆に聞くと箱根駅伝に出たいと。だからそのときに言ったのはね、「お前たちは出たいという願望だけなんだ。それを成就していくためには欲望がないといけない。願望では絶対出れない。願いなんだ。欲がない」と。その欲とは何かというと、コップ一杯の水を押しのけてでも飲む。相手を押しのけてでも倒してやる、という意気です。ではその欲がどこから出てくるかというと、やはり自ら行動を起こすところからやっていかなければいけない。ここが先程言った自覚と自主性のところですよね。自主性がない限りいくら教えてもね…。長距離なんて技術的なことよりもメンタル的な部分が多いからね。駅伝はサッカーとか野球みたいにいろいろなフォーメーションがあって監督によってどんどん変わっていくということは少ない。どんなにやんちゃでも強い子は強いからね。走る人は走りますからね。だからそういった部分ではメンタル的なものが大きく左右してくるということがありますよね。その当時1年生が6名スポーツ推薦で入ってきていましたが、やはりびっくりしたのが、なぜメイジを選んだのかと聞くと、「指導者がいない。朝がフリー。門限なし。新宿に近い」、とそればっかりなんです。当時はアルバイトも当時はOKだった。そこに僕が7月に来たから、するつもりだったのがアルバイトができなくなってそこで困った子もいたみたいですね。やはり意識付けというのは大きいかなと思いますよね。でも、一回軌道に乗ってくればそれがどんどん当たり前になってくるんですよね。最初に起きて顔を洗う。ご飯を食べたあと歯磨きをする。それがなんともない感覚でいくのと同じように日々のトレーニングも苦にならないようになってくれば最高ですよね。当時は苦になっていたんでしょうね、選手たちはね。

――なかなか人数が集まらなかったのですか

 そうですね。練習をやるのに、まだグラウンドがないときはワゴン車一台で織田フィールドとか世田谷競技場などあっちこっちに行きましたが、ワゴン車一台で行けていました。全部で16名くらいだったんだけど、走る子はその半分くらいだったからね。朝練習だって8人から10人くらいでしたよ。

――就任されたときは箱根に出られるようになるまでどのくらいかかると思いましたか

 僕は着任当時、学校にこう言ったんです。3、3、3の9年計画と。でも、3年目か4年目くらいのとき、理事長にちょっとしたときに言われたんですよ。「西さん、まだあと3年くらいは箱根無理だよね」と。「頑張ります」と答えました。ありがたいですよね。「何が何でもことし出てくれよ」ではなくて、「あと3年くらいは無理だよね」と言われて。結果的にその年に出場できたんですが、すごく喜んでくれた。でも、後ろから18位、18位、16位でしょ?3年間で。なかなかシードなんて取れないよね。では何が足りないのかと。そしたら次の年には故障者続出で予選落ちですからね。それを受けて、2008年だと思いますが、渡辺監督にお願いして合宿をやることにしたんです。渡辺監督もそのあたりは親しくてよく話はしていて。「あぁ、いいですね。ではワセダとメイジで合宿をやりましょう」ということになったんです。それが2008年の2月だったと思います。いまは5回目かな。6回目か!一回震災で中止になりましたけどね。でもそれをやってからずっとシードを取っているんです。だからワセダ様々なんですよ。所沢に足向け寝てないもん皆(笑)。

「ワセダはエリートと一般組の融合という部分が強い」

エースとして、西監督も期待と信頼を寄せる大六野

――西監督自身、今まででワセダというチームのイメージは強いというイメージですか。

 私が学生の頃は日体大が強かったです。私が現役の頃は、花田(勝彦、平7人卒=現上武大駅伝部監督)や櫛部(静二、平7人卒=現城西大男子駅伝部監督)などの三羽ガラスがいましたが、特にワセダは意識していませんでしたね。それよりも順天堂などをマークしていました。箱根に関して言うと、メイジは50年もワセダに負けています。箱根のことを考えると、我々のような古豪が頑張っていかなければいけないと思っています。法大、中大、ワセダ、メイジなどの学校が頑張る必要性は感じますね。

――そこから今に至ってワセダはどのように感じますか。

 ワセダはエリートと一般組の融合という部分が強いなと感じます。ワセダが3冠した年は3冠できて良かったなと思いましたね。中山(卓也、平24スポ卒=現トーエネック)という選手がいました。彼は超一流でしたが、潰れてしまいました。それでも勝ったという部分が渡辺監督に対して高く評価できます。中山が潰れても勝てたということは、他の選手が育ったという事です。今でいうと、柳(利幸、教2=埼玉・早大本庄)、武田(凛太郎、スポ1=東京・早実)などが付属から入りましたよね。

――あの年は三田裕介(平24スポ卒=現JR東日本)や八木勇樹(平24スポ卒=現旭化成)など選手がワセダに揃っていましたがそれでも価値はありますか。

 はい。全て大会新ですから。勝ちにいって勝てたという事は本当に素晴らしいことです。勝とうと思ってもなかなか勝てないのが現状ですから。実力があったから勝てたのだと思います。

――エリート組と一般組の融合というワセダの強みと裏腹に、ワセダは選手層が薄いということが挙げられますがどう感じていますか。

 エリートをとったから強くなるというわけではありません。例えば、山本(修平、スポ3=愛知・時習館)は一浪してから入っています。ただ、それは学校の制度の問題です。ワセダが8人強い選手を確実に取れるなどの制度があれば、確実に強くなるでしょう。

――ワセダの強みはエリートの入学というお話もありましたが、エリート全員が伸びているわけではありません。その点に関しては

 山本は一時期良くなかったけど、いまここに来て良くなってきましたよね。あれは本物になってきたかなと思いますよ。メイジとしては脅威になるから、もうちょっとのんびりしていてほしかったんだけどね(笑)。きょねんは風も強くて服部(翔太、日体大)なんかがいるなかで力を発揮しきれなかったところはあると思うけど、やっぱり28分14で走っていますから。ことしはきょねん以上にやっぱり脅威に感じていますよ。

――やはりメイジも山が勝負どころですか

 やっぱりいまは山が重要になってきてしまいましたからね。最近華の2区いらないんじゃないかというくらいですね。柏原くん(竜二、富士通)はいなくなりましたが、じきにまたほかの選手が出てくると思います。みんな隠し球で山の選手を持っているとは思うのですが、その中で絶対的な選手を持っているのがワセダの強さですよね。法大も山はいますし、日体大もいます。あとは東洋大、駒大がどういった選手を用意してくるか、思わぬ選手が1時間20分切ってくるかもしれませんし、といったところですね。山というのは特殊なコースだし、長いですからね。区間距離が2.5キロ伸びたというのはとても大きいと思います。

――5区が23キロに伸び、そこで勝負が決まることに関しては

 データ的にも過去8回のうち5回は山で区間賞を取ったところが往路優勝していますからね。それ以外でも山で快走したチームというのは流れをつかんでぼんと上に来ています。山を走れる選手を持っていると、シードはかなりの確率でとれます。山での2分、3分というのは大きいし、やはり1時間20分、悪くても21分というのをひとつの目安として走ってほしいですね。

――やはり山の選手は育成するということになるんですか

 そういうことになるんだけど、やはりいくら育成しようと思っても、駄目な子は駄目ですからね。いくや山に適しているとこっちが思っても本人にその気がなければ駄目ですし、選手自身が山、上りが好きだということでなければ厳しいですね。もちろん好きというだけでも駄目ですから、どれだけ適している走りなのか、あとは物事を投げ出さないなど性格も大事になってきますね。

――山を走れたからと言って、箱根以外、大学卒業後に直接役立つわけではないと思います。その点については

 僕らがよく言うところの、箱根が選手を潰してしまうということもありますし、はっきり言って山登りを走ってオリンピックに出場した選手は過去82回を振り返ってもいないんですよね。山下りや2区にはそういった選手はいるんですが…。なんであんなにきついコースで、タフな選手が毎年出てくるのにその後につながらないのか。たとえば柏原でも、じゃあマラソンができるかと言えばまだすこし疑問が残りますよね。ですから、山が強いからイコールマラソンも強い、長距離種目もできるというわけではないと思いますね。

――ただ箱根で勝つためには山を走れる選手の育成が不可欠です。選手に対しての思いは

 確かに山の経験が将来につながるのか否かという点で考えれば、山に限らず、すべての区間で通ずるところはあると思います。ただし箱根の経験は、その後の人生に大きく関与してくると考えています。箱根にのめり込んで費やした4年間は、社会人になったときに、たとえ競技生活を続けていなかっとしても生きてくる部分は絶対にあると思っています。結果が目に見えない努力という方が多いかもしれませんし、箱根に出たからといって成功したわけでもありません。4年間一生懸命やったけれど、箱根すら出れなかったとします。そうだとしても、見えない部分での努力、表に出ない努力というのが社会に出たときに、生きてくる。そう思ってやっていかないといけないと思います。

――推薦の形式上エリートの選手しかとれないワセダとは、メイジの推薦は形態が異なりますね

 メイジも以前は学力がなければ、スポーツ推薦として入れませんでした。スポーツだけできても推薦として入れませんでしたが、2003年頃に制度が変わりました。松本部長がかけあってくださって、当時メイジはスポーツが全く駄目だったので、まずは駅伝を強化しようという事になりました。

――ワセダとの合同合宿を始めたのはなぜですか

 渡辺監督と年齢が同じくらいで、仲が良かったということがひとつです。ふだんからよく呑むのですが、その中で、よし一緒にやろうか!ということになりました。まあ一種のロビー活動のようなものですね。ワセダのセミナーハウスは綺麗ですし、貸切で使用できます。その上他大学も使用できるということで、毎春鴨川で合同合宿をさせていただいています。ときどき拓大や上武大も近くで練習しているので、一緒に練習したりもしますね。

――ワセダとの合宿で感じるチームカラーの違いはありますか

 カラーはその年によって違いますが、毎年お互いが、違いを見つけて盗みとってやろうと考えていると思いますし、それが我々の願いでもあります。様々な選手を身近に感じてもらう。そうすれば例えば試合でも、負けられない、というライバル心をあおることにもつながります。やはり最初の二年間、三年年間くらい、うちの学生たちは必死に、セダのあらゆることを盗んでいたと思いますよ。でもワセダはワセダで、よく相楽豊長距離コーチ(平15人卒=福島・安積)に怒られていたようですね。メイジのひたむきさと、あの最後まで帰ってこないフリージョクなどの姿勢をよく見ろと。きょうはジョッグと言ったら、うちの子はわりと遅くまで帰ってこないんですね。ワセダの子は以外と早かったりする。それでかなり喝をいれられたようですよ。このまま行ったら来年はメイジに負ける、と。

――フリージョグを重視されるのはなぜですか

 私はフリージョクのときの方が選手をよく監察しますね。やはりその子たちの時間の長さに着目します。距離が踏めるのか、というところを見ています。単純に練習の量が増えますからね。フリージョクだけでも二倍の差が出たりもします。多少の疲れも出るでしょうが、その分合宿は濃くなります。自ら距離を踏めるというのとは、結局それが実践に生きてくるということです。そのあたりが、その子たちのいまの調子などを測るバロメーターになったりします。インターバルなど速いペースでやるだけの練習は、僕はあんまり重視していません。

――現段階でマークしている大学は

 こればっかりは何年か前に亜大が優勝したように、どこが勝つと断言するのは難しいですよね。ただやはり東洋大、駒大、ワセダ、日体大あたりは強いと思いますし、伏兵で言えば青学大、順大なんかも力をつけていていると思います。そのなかでなにが一番大事かというと、やはりミスをなくすということでね。どんなチームスポーツも結局はそこにつきますが、ミスをなくすということが一番大きいと思います。ミスをなくして力を出し切るということですね。良いときはよく走るけれど悪いときはわからないというのが一番選手の起用では難しいですよね。

――ワセダも強いとおっしゃっていましたが、私たちの前だからという訳ではありませんか(笑)

 いえ、ワセダは強いと思いますよ。駅伝と予選会の違いは何かというと、予選会は10人の平均で入ってくるでしょう。でもじゃあそれが本線で通用するのかと言えばそうじゃない。エースがいるかなんですよね。エースがいることによって駅伝は流れが変わるんです。駅伝というのは一つの流れなんですよ。予選会は流れじゃない。やはり(10人中)うしろの3人がいかにしぶとく走るか、悪くても62分そこそこでゴールできるか、トップの方もダントツはいなくとも、60分くらいで戻ってくるかということが大事になってきます。平均的に走るということです。箱根本戦は、平均では駄目なんですよ。やはり、流れを作れる選手がいなくてはいけません。ワセダの場合、それが大迫くん一人いることで流れがすごか変わってきます。だからエースがいるというのは、ものすごく強みだと思いますね。やはり1、2区で後ろの方になってしまえば、下位の流れになってしまいますからね。駒大が優勝候補だったのにも関わらず、13位に沈んだときもそうでしたよね。三、四区で大ブレーキをしてしまった。8区で高林(祐介、平23駒大卒=現トヨタ自動車)が区間賞を取りましたが、それでも駄目だった。やはりレース前半で流れがつかめなかったということです。大事なのは、エース、流れを変えられる選手をどこに配置するかということですよね。後半に持ってきすぎても、もう追いつかない。

――西監督のおっしゃる流れとは

 駅伝というのは、切るか切られるかだと思っています。切るというのは、後ろを断ち切るということです。たとえば先頭争いを5人でしていて、中盤、後方といる。いかに後ろを断ち切ることをできるか。一方切られないというのは、先頭集団に離されない、2分3分空けられないようにするということです。先頭集団に行かれてしまえば、流れはその先頭集団の流れになってしまいます。ことしは先頭に日体大がぽんと行きましたが、残された中で切られないようにと踏みとどまったからこそ、なんとか7位、かシード権を確保できたということだと思っています。自分のいるべき集団にいかに入っていくかですね。

――ほかに、いまの箱根駅伝に大切なことはありますか

 大砲を何本持っているかですね。いまの箱根に、もうつなぎ区間というのはないんですよね。強いていうなら8区がそうですが、8区だってコース自体はタフなんですよ。16キロあたりから遊行寺の坂がありますし、復路のなかでは一番と言ってもいいかもしれない。勝つためには、こういうところで区間賞を取れる選手がほしいですよね。言い換えれば、柱が何本あるのかです。

――3年前、ワセダが3冠した時のレースはどうお考えですか

 大迫が1区で飛び出して、以降は地味だけど堅実な走りができて、ミスのないレースができたということですね。僕は固定選手というのですが、ほかのスポーツでも、やはり来るべき選手がいなければいけません。その固定選手をいかに欠かすことなくスタートラインに立たせることができるかですね。ほかは日替わり選手というのですが、これは故障してもほかに選手がいる場合です。あとは、だるま落としのように上が走れなくなるとその分下に落ちてしまうのではなく、11〜13番目くらいの子たちが、上位10名の中に割り込んで入るようなチームはすごく良いチームですね。

――大迫選手のほか、ことしワセダで固定選手になりえるのは

 まずはやっぱり山本修平でしょ。山本が山で快走すれば強いと思いますね。あとは柳もそうですし、武田も力をつけていますね。ほかにはもたついていますが、志方(文典、スポ4=兵庫・西脇工)もなりえますよね。箱根の経験はないとはいえ、鹿児島実高出身の高田(康暉、スポ2=鹿児島実)もいますね。怖いもの知らずで、一年生が逆に走る場合もあります。ちょっと線が細いけど、豊川工高から来た平(和真、スポ1=愛知・豊川工)あたりも走るかもしれないですね。

「箱根の経験は、社会で必ず活きてくる」

箱根では区間賞を狙うという横手

――ことしのチーム状況はいかがですか

 例年と同様ですが、あしたから最後の夏合宿を菅平の方で一週間行って、トータル36日間の合宿が終わります。昨年で言えば、本来なら合宿に来なければいけない選手がこの時期で3名から4名、一時7名ほど故障したりしていましたが、ことしは比較的故障者が少ないというのは収穫かなと。いまのところ故障者は0ですね。

――駅伝シーズンに向けて手応えは感じているということでしょうか

 いままだ駅伝シーズンまであと4か月切ったところだから、段階的にすれば9月20日くらいまでの2ヶ月を過程を一つと考えています。そして、その1か月半くらいのスパンの中では、足が痛くなったりだとか体調不良になったりだとかは、それほど大したことはないと。大きな故障でない限りはね。そういう1か月半のスパンの中で考えているんです。で、今度9月から10月にかけては、2週間単位で考えている。それで、11月になってくれば1週間単位。12月になってくれば1日単位くらいで考えていくということですよね。いまの合宿が終わった中では、予選会がないだけにこれから仕上げていかなければならないというところはありますよね。

――出雲全日本大学選抜駅伝(出雲)や全日本に関してはどのような位置づけで考えていらっしゃいますか

 出雲も全日本も、やはり勝つつもりで毎年行っています。ただなかなか玉砕されてくるのですが…。ここ5年かな、1区で出遅れてしまいますね。その時点でのベストメンバーで出雲、全日本は戦っていきます。

――箱根に向けたベストメンバーでの確認ということでしょうか

 それももちろんありますよね。例えば、力がないのに試しで使うということはないです。現時点で8名選んだ中から6名走るわけですが、その中でのベストメンバーで行きます。その中で選んでも、思わぬ1区での大ブレーキというのもあったりするんですけどね。次の全日本でなんとか5位でシードを取れた。今度は箱根でなんとか7位でシードを取れた、というような一つ一つのレースをやることによって反省材料や課題がいっぱい出てくると思います。良くてもそこはそこで反省しなければいけない部分はありますから。そういった一つ一つのレースを経験しながら、次のレースにつなげていく。最終的には箱根に、とステップアップしていくというところですね。

――シードが取れなかった頃を振り返って、足りなかったと思うことはありますか

 難しいですね…。一つ一つのことを選手たちに細かく言いすぎると、これまた駄目なんですよね。やはり我々はちゃんとどこかに座った中で見下ろすということをしていかないと。自分自身が焦ったら駄目だということですよね。だから必ず熟すまで待つというところですよね。だから年々いろいろなことでこう変えたりああ変えたりと練習メニューのパターンというのはあまり変えないんです、僕自身は。去年の練習を踏襲しながら、また次の年にも踏襲して。ただ、過去の練習で、きょねん同じ30キロをこれだけ走ったからことしはそれ以上のタイムを追う、ということはしないです。きょねんはきょねん、ことしはことし。インターバルトレーニングをしても、きょねんはこれだけ走っている、ことしは(練習が)駄目だったから駄目、ということではないです。体調も違うしね。ことしで言えばキャプテンの北(魁道、明大)にしても、きょねんと比較して良いから安心はしないし、悪いから駄目でもない。じっくりやっていこうよというのが口癖でね。必ず上がるからとポジティブな考え方でいます。だから駄目なときはいっぱい言いたいことはあるけど、それはやはりグッと我慢しますよ。そこで失敗してもほとんど責めないです。それはやはり自分自身の責任。自分自身に何が足りないんだろう、もうちょっとこうしようかなと考えます。

――失敗したときに、選手とはどのようにお話されますか

 そのとき反省会をやると、皆後悔を口にするんですよね。でもそれはやめて、次につなげていくようにと言っています。ことしの箱根も8区で2番まで上がって、最終的に1年生の頑張りで41秒差くらいで9区に渡して、一時先頭と37秒くらいまでいった。でも途中でふらふらになってなんとかタスキをつなげた。そのあとのアンカーもブレーキして、なんとか7位でゴールしたと。それに対して彼らは一度も責めたことはないです。よく頑張ったと。あのコンディションの中で、うちとしてはどこかしかの強さが足りなかった部分があったかもしれない、全体的にね。だから、個人的な攻撃というのはまったくないですよね。僕はもうあの光景を見たときは、やはり涙が出るくらい(こみあげてくるものが)ありましたよね。メイジは終わったあとに慰労会をやるんですけれども、そのときは胸が詰まる想いがしましたね。一人一人1区から…。ただし、本来はあそこで途切れてしまうであろうタスキを最後までつないでくれたということは、希望というのはまだまだ灯っていっているのかなと思いますよね。

――いまメイジは66年間、箱根の優勝から遠のいています。足りないと感じるものはありますか

 いや、足りないというよりあとは経験ですよ。ただ経験はずっとしてきているから、あとはタイミングかもしれませんね。他の大学の他のチームの失敗を待つのではなく、うちとしてベストな状態でもっていくこと。一つはスタートラインにきちっとした選手を並べることが、立たせることができるかということですよね。それにつきると思います。ただし、最善を尽くしていても勝てないことがあることも事実です。一昨年の箱根は、優勝が10時間51分という東洋大のとてつもない記録、2位の駒大も良いタイム、3位のうちも11時間2分50秒で2分弱くらい設定タイムよりも速いタイムだった。どこの学校もあのときは最善を尽くしていたと思うんですよね。だけどそれ以上に東洋の強さというものが際立っていましたよね。10時間51分というのはね、50年くらい破れないのではないかなというくらい。

――その前の年もワセダと東洋大が大会記録を更新しましたが、そのときはまだ記録更新はできると考えていましたか

 僕は10時間55、56分ではないかと思っているんですよね、毎年優勝が。だから51分はすごい。だからあれだけの記録を走られるともうお手上げ状態ですよ。うちだって10人が10人完璧に走っていますからね。だから、本当に完璧に走っていても順位的に3位という。

――あのときはメイジとしても10人を完璧な状態で送り出していたということですか

 そうですね。強いて言えば鎧坂(哲哉、旭化成)が2区で使えなかった。でも、けがの功名で、2区を3日前に起用した菊池(賢人、コニカミノルタ)が区間5位くらいで走ったしね。アンカーを予定していた石間涼というのがもう1日前で区間12位という結果だったけれども、タイム的には4分6秒というのは十分なタイムだった。3日の朝の6時50分が最終エントリーで、6時40分に電話でこのグラウンドで走っている鎧坂を付き添いの選手が捕まえて、「いけるか?」と聞いたのが10分前。それで「痛みはありません」と。ではなんとかゆっくりいこうなとそれだけですよね。3分3から3分5秒ペースでそれくらいでゆっくりいこうなと。よくやってくれたと思いますよ。

――いま駅伝のタイムが高速化しているというお話がありますが、やはり箱根駅伝で大切なことはタイムよりも勝つことですか

 そうです。インカレもそうですし、オリンピックや世界陸上なんかもやはりいくらタイムが良くても勝ちたいですよね。(1万メートルを)4位で26分何秒で日本記録を作ったとして、それはそれで嬉しいんですけれども、それよりも28分30秒でもいいからメダルの方がいいですからね。4位と3位では違うし、1位と2位でも違うし。

――勝つために大切になってくることは何でしょうか

 いろいろ言葉で片付けられないものはあるでしょうね。たとえば、その子の執念とかいうのもあるし、その子の強さとか、緊張せず平常心で臨めるかとかね。様々な要素が関わってくるし、そのための指導者も、もちろんそれぞれに対して教えてやっていかなければならないし…。だから、これという言葉というのはなかなか見つからない部分がありますが、やはり勝つということへの執念というのも多少持っておかないと。ただ執念がありすぎても駄目だしね。空回りしてしまうからね。あんまり頑張り過ぎる子は…。だから、その人その人によって僕は様々な声かけをしますよね。例えば、この子には絶対怒らないとかね。
ただ、いまおだてて育てるとか褒めて育てるとか言いますが、万人に通用はしません。基本的には褒めて育つのは僕は中学生、小学生までだと思いますね。

――逆に叱る選手というのはどのような選手ですか

 とんでもない選手です(笑)。集合時間に遅れたりする選手はやっぱりいます。そのような選手はおだててはいけません。逆に謙虚さ、素直さのある選手は褒めるべきです。でも、褒めるのは学校教育まででしょう。褒めないと伸びない選手は良い選手にはなりにくい傾向があります。

――箱根に出場する選手に必ず伝えていることはありますか

 それは沢山あります。例えば、ゼッケン持ったか、靴下は持ったかなどです。細かいところまで言わないといけないという部分はありますね。毎年同じことを伝えています。箱根で一番注意しなければならないのは、やはり細かい所です。そして、選手に向けてそれぞれに合った指示します。例えば以前3区を走った石間という選手に、競った展開で油布(郁人、駒大)には付くなという指示を出しましたが、そこは、レースの流れから見て付いていくべきだったというような場合もあります。ですから、指示通りでなくても本人が自分で考えなくてはならない部分ももちろんありますね。

――そのような部分が、自分で考えなくてはいけない部分なのですか。

 そうですね。レースにあった状況判断ができなければいけません。球技と違って、途中で選手交代はできませんから。練習でも選手とコミュニケーションをとってメニューを変えていきます。

――4年間の陸上生活で選手たちに一番伝えたいことは

 4年間競技をやって、箱根がゴールなのではなく、ここまでやってきたひとつひとつのこと、ひとつの目標に向かってやってきたことが社会に出た時に活かされるよということですね。ただし、いまのところほとんどの子たちの目標は、箱根に出たい、箱根で勝ちたいということです。ですからもちろん、記録や成績を追ってはいきます。だけれども最終的に社会人になったときに、この4年間の経験が活きてくれれば嬉しいですよね。それで卒業してからも、練習や大会に顔を出してくれる、それは非常にありがたいです。大きく見れば、社会に出るまでのステップアップです。やはり学生スポーツである以上、勝てばいい、じゃなくて、学生としての分別を持ち、スポーツを通じて人間性などを磨いてほしいと思いますよね。授業もきちんと出るべきだと思いますし、だからうちは朝練習と週末以外、部員が全員そろって練習をすることはほとんどありません。

――ありがとうございました!

(取材・編集 和泉智也、川嶋悠里)