【連載】日本インカレ特別企画 『矜持〜Dominate the game〜』 第1回 大前祐介監督

陸上競技

 埼玉・熊谷スポーツ文化公園陸上競技場で開幕する日本学生対校選手権(全カレ)。第1回は大前祐介監督(平17人卒=東京・本郷)にお話を伺った。トラック優勝を果たした関東学生対校選手権(関カレ)やワールドユニバーシティゲームズをはじめとする前半シーズンの戦いぶりは、指揮官の目にはどのように映っていたのか。そして、迫りくる全カレへの手応えと想いとはーー。

※この取材は8月25日にオンラインで行われたものです。

前半シーズンについて

早慶対抗競技会にて、ワールドユニバーシティゲームズに出場した菖蒲を表彰する大前監督(写真右)

――まず、先日まで行われていたユニバ(ワールドユニバーシティゲームズ)についてお聞きします。選手たちの活躍を監督からどのようにご覧になっていましたか

 まず、菖蒲(敦司駅伝主将、スポ4=山口・西京)は目標に高い目標を掲げること自体がすごくいいことだと思いますし、それで銅メダルを取っても満足せずというところが非常に良かったなと思います。一方で、西(裕大、教4=埼玉・栄東)も、決勝は足がつりながらも銀メダルということで、よくメダルを取りきったなと感じています。

――リレーでは、予選のメンバーが4人中3人早稲田の選手(1走井上直紀(スポ2=群馬・高崎)、2走稲毛碧(スポ4=東京学館新潟)、4走西裕)でした

 そうですね。井上が6月の日本選手権のちょうど直前ぐらいに、足を痛めてしまってからのスタートで、ようやく復帰して来たという状態の出場でした。100メートルとリレーというダブルでの出場は結構タフだったんだろうなと思いました。少し厳しい状況かなと思いながらも、彼なりにできることはやったのかな、というところですね。その中で(リレーに)3名が出場したというところは、多分、過去の大会を見ても、同じ大学から3名出場はなかったのではというところはあります。ですので、そこに関しては一定の評価ができるかなと思います。

――ありがとうございます。200メートルの決勝前に、監督から西裕選手に「俺の記録(早大記録:20秒29)を超えてこいっ」という話があったと伺いました

 そうですね、準決勝で20秒43で走ってはいたので、あと、(記録まで)0・15(秒)なので、チャンスはあるかなと思っていました。ただ、決勝では足がつっちゃったというところもありました。これから、そこは激励も込めてもう1歩というところで、僕の記憶を抜くのに、もう1段階力をつける必要があるかなと思います。

――ユニバの代表として戦った4選手。これから、早稲田としての戦いで、期待していることを教えていただきたいです

 短距離の3名に関しては、関東インカレと同様に、しっかりと日本インカレ(日本学生対校選手権)で得点を重ねていき、関東インカレ(関東学生対校選手権)で達成できなかった総合優勝に向けて頑張ってもらいたいと思っています。菖蒲に関しては、ユニバーシアードで一区切りになってたとは思いますので、そこから、次は駅伝に向けて、(今回の結果を受けて)いい形で、出雲駅伝からスタートできるんじゃないかなという風に思ってます。

――次に、今年のチームのことについてお聞きします。まず、監督から見た、今年のチームの特徴を教えてください

 去年のチームとの比較でいうと、去年のチームは、三浦(三浦励央奈氏、令5スポ卒)というキャプテンがいたことによって、象徴的な選手が1人いて、そこに向けてみんな頑張っていくというような感じでした。今年に関しては、それぞれの部分で、選手がいい意味で自立したというか、独り立ちしている選手が多くなっていって、それぞれ自分が出た種目でしっかりと結果を残せるようなチームになってきたのではと思っています。

――その中で、前半シーズンは、関カレのトラック優勝でしたり、早稲田として強さを発揮したシーズンでした。前半シーズン、監督としてどのように振り返られますか

 正直、トラック優勝や、(総合点が)100点以上超えてっていうところは、できすぎかなとは思ってはいました。ですが、トラック優勝に関して言えば、結構現実的に僕の中では、計算をしていたところでした。それに対して、選手が110パーセントぐらいの力で頑張ってくれました。総合で116点、トラックだと113点、積み上げたという部分ではあります。なので、ある種、計算通りに事が進んでいって、出るべくして出た結果とは思いました。

――どの辺りで、関カレに向けて手応えを感じられたのですか

 関カレに向けて、他のチームの戦力との比較など色々と見ながら考えていった中では、もうすでに冬季の入ったところでは(手応えを)感じていました。ただ、去年の大会は、優勝種目が菖蒲だけで、2番、3番がすごく多いチームで。要は、悪く言えば詰めが甘いというか。よく言えば、もう1歩、もう一踏ん張りみたいな感じなんですけど、そこを結構厳しくは言いました。つまり、どのレースでも「勝つレースをしてこい」ということです。中距離の選手たちにも「勝つレースをとにかくしなさい、駆け引きなんかしてくんじゃない」という話をしました。それによって、得られる結果は全然変わってくるからと。しっかりと自分で自信を持って先行するレースをしっかりしなさいということを言ってから、西裕とかも、今までだったら後半なんとか交わして3番ぐらいっていうレースをしてたのが、前半からちゃんと行けるようになって。コーナーの時点ではトップに出て、そっから楽にレースを運ぶというような、レースパターンを完全にガラッと変えてというような転換をやってきました。あとは、100メートルのスプリンターたちは、自分たちでレベルの高い中で練習はできていたので、そのレベルの高い中で勝った負けたを毎回毎回繰り返すことによって、勝負強さがちょっとついてきたのかなという風に思います。

――その中で、中距離についてお聞きします。大前監督自身は、現役時代短距離を専門とされていた中で、現在、中距離の指導はどのような形でされているのですか

チャレンジです。中距離、昔はOBが強かったので中距離ブロックがありましたが、ここ数年で一気に部員数も減ってしまい中距離ブロック自体がなくなって。いわゆる400(メートル)のブロックの方に吸収されていた状態がありました。そんな中で、やはり中距離を復活させたいという思いで、僕が先導するような感じでやり始めて。OBに中距離のメニューの組み立て方など様々なことを聞きながら、手探りながらやっているという状況です。あと僕は、他のチームと同じことをやっても絶対勝てないと思っています。他のチームがやらない取り組み方をやっていくのが、中距離ではチャレンジかなと思ってます。また、簡単に言えば、足を速くすることですね。持久力をつけるか、足を速くするかという両極があるとしたら、足を速くする方を選んで練習をしているような感じです。

――どちらかというと短距離寄りの考え方、トレーニングというか、スプリント系ということですかね

 そうですね。やっぱり世界基準で考えると、中距離はもうスピード勝負なんですよね。今、世界陸上で戦っているような世界の選手たちはもう全然スピードが違う。要は、できればそれだけでアドバンテージになるので、足が速い状態をいかに楽に作り上げるかという事が、僕の中距離のコーチとしての、1つのポリシーにはなってます。

――ありがとうございます。その中で、関カレでは坂本達哉(教4=東京・淑徳巣鴨)選手が優勝されました。戦いぶりはどのように見ていらっしゃいましたか

 坂本に関してはちょっと特殊で、彼はすごいスタミナがあるんですよ。どちらかというと、スローペースだったら勝機がある感じなんですね。関カレの時も作戦通りだったというだけの話なんです。レースペースの中で坂本が1番勝てるレースが、前半抑えられたレースで。前半ハイペースで行っちゃったら、もうそのまま力使っちゃって追いつけない可能性があるから、そこはもう、じゃあもう割り切って、着順、少しでもいい順位でゴールしろということだったんですね。ただ、もう遅ければ絶対勝てるっていうので、送り出していたいうところです。そこは筒井(航佑、スポ3=愛知・時習館)も言ってましたね。「あのスパートには勝てねえ」と。

――決勝で、ちょっとスローペースだったのはちょっとしめしめという感じで

 あ、そうですそうです(笑)。もう、400(メートル)の通過が55、6(秒)だったら、もう勝ちだと思っていたので。もう予想通りの展開でしたね。本当に、(自己記録)リストの1番下ぐらいの選手から選手がもう今回優勝したようなことなので、それを考えると、やっぱり勝ちパターンにはまったという感じでしたね。

――ありがとうございます。本年度、坂本選手の優勝でしたり、西裕選手が、ユニバーシアードで銀メダル取ったりと、一般組の活躍が象徴的だった前期シーズンでした。早稲田にとって欠かせない一般組の存在や活躍について、どのように考えてらっしゃいますか

 これ、僕の持論なんですけど、プロ野球でのドラフト1位って抽選じゃないですか。くじ引き。それと一緒で、推薦組というのは、あくまでみんなからの人気があって、いろんな大学から多分声をかけられる。要は、いわゆる、そもそもの能力が高い選手というか、競技力が高い選手っていうのが入ってきていると思ってるんですね。それに対して、いわゆる一般組が、能力が低いかっていうことではなくて、元々、あと1歩でその推薦組に届かなかった選手たちという位置付けだと僕は思ってます。なので、練習次第でいかようにもパフォーマンス自体は伸ばすことができるのが、方向性としてあるので、だからそこは推薦組がとか、一般かどうというよりは、頑張ってる選手が1番結果残してるのかなと思います。その中でも坂本や筒井、西裕であったりは苦労人ですから。彼らは浪人してまで早稲田大学に入って、競走部の門を叩いてというのは、相当な覚悟なんだろうなっていう風に思います。そういった中で、特にその3名に関して言えば、本当に今の競走部を象徴するような選手たちなのかなと思いますね。なので、僕としての持論は、入ってきてしまえば横一線というところですね。推薦組で入ってきた選手たちも、今くすぶってる選手もいますし、まだまだこれから体作ってかないとねという感じの選手もいっぱいいます。一般でも、本当に自分の意思で入ってきてくれているっていうことに対して、敬意と感謝ですね。

――ありがとうございます。その他のトピックとして、本年度から対抗戦以外のレースでも、『エンジにW 』のユニフォームで走ることが、解禁になりました。その背景や理由を教えていただきたいです

 元々、エンジのユニフォームは対抗戦、得点が絡む試合しか使わなかったんですよね。それだけ大事なユニフォームではあったんですけど、今年は、解禁したのが学生個人選手権(日本学生個人選手権)で、あと、U20の日本選手権なんですね。その2つに関しては、全国大会だったので、決勝に行ったら着てよいという話をしたんです。要は選手のモチベーションですね。エンジのユニフォームを着ることで、気持ち的な部分も含めて少なからずちょっとしたブーストがかかるんじゃないかなって思ってるんです。ですので、選手たちには「自分の中では(決勝に行くというような)期待を込めてエンジを着てレースをしてきなさい」と言ってます。今回、その2つの試合に関しては、決勝レースだけはいいよと。あとは、フィールドも、トップエイトに入ってくる自信があるなら着ていいっていう話をして、送り出しています。

――決勝のレースの前に、対抗戦の前の授与式のような感じで、監督から渡すみたいなことになるのですか

 いや、渡さないです。そういう試合の時は両方とも持っていっておいて、衣装チェンジするという感じですね。あと、元々、静岡国際や織田記念などのグランプリシリーズ自体はずっと国際大会のくくりになっていたので、そういう試合では、元々エンジのユニフォームを着てよいという形でやっていました。そういうと試合に関しては、特に授与式とかもなく、本人たちが自分のユニフォームを着ていくという感じですかね。一応、(対抗戦前に)ランニング授与式はあるんですけど。あれ、授与で渡されてるメンバーって、どういうメンバーかって知ってますか

――対抗戦のメンバーでしょうか

 あれ、違うんですよ。実はあれ、全員渡されてないんですよ。正確に言うと、貸与なんです。対抗戦で決勝に行った、入賞した、得点を取って帰ってきた。あと、早慶戦優勝かな。駅伝だと、3大駅伝で区間上位を達成した人は、納会の時に自分のものとしてエンジのユニフォームをもらえるんです。それでもらっていない人だけが、授与式を繰り返しやっているんですよ。だから入賞しちゃえば、(エンジのユニフォームを)自分の手元にもう持っている状態になるんです。例えば、今年だったら1年生は誰も持っていないですよね。1年生は毎回渡されるけど、1年生の中で入賞したらもらえるという感じです。今年だったら、だから西徹朗は去年1年間何にもしてなかったんで故障していて。ですが、今年関カレで入賞したので、それで授与されるという感じです。

――ありがとうございます。勉強になります

 そう(笑)。実はね、あんまり知られてないんです。みんな渡されていると思ってて、あれ。(授与式の時は)前に出て選手が呼ばれているだけなんです。その後に、 じゃあ、受け取っていない人は前に出てきてくださいという感じで。前に出てきて、部長から、貸してもらうって感じ。だから、エンジを獲得するために頑張るっていうのもひとつモチベーションです。あと、マネージャーとかトレーナーとかは試合に出れないじゃないですか。なので、4年間部員として全うした時に彼らもエンジを授与してあげようというのはやっています。ですので、部員は4年間やれば最終的にもらえるんですけど。でも、それじゃなくて、自分の実力でエンジをゲットするのが選手にとってのモチベーションということでやっています。

全カレに向けて

大前監督のイチオシに挙げられた稲毛

――次に全カレに向けてのお話を伺います。現在のチームの状況をお聞かせください

 順調かなと思います。選手も決まって昨日(8月24日)エントリーも完了しましたが、戦えるメンバーを選考したという状態です。日本選手権が終わってからモチベーションは低下しやすいのですが、そこからもしっかりと練習を積み上げていって、夏合宿も終わって、今は夏の鍛錬期の最中です。

――先ほど、「今年のチームは自立している選手が多い」ということを仰っていました。その中で今年の4年生の雰囲気や特徴はどのように感じていますか

 田中天智龍(スポ4=鹿児島南)を中心として、みんなで押し上げていくという感じのチームだと思います。4年生が全員で牽引している感じがします。男子は田中天智龍がしっかり引っ張っていっていますが、女子も川村(優佳、スポ4=東京・日大桜丘)がしっかりと女子主将としてリーダーシップを発揮してくれています。

――大前監督から見て、田中選手はどのような主将ですか

 田中天智龍らしく主将像を描いているのかなと思います。強烈にチームを引っ張っていくというよりも、チームをバランス良く見ながらできているキャプテンかなと思います。その分、この1年間はキャプテンとしての立場というところもあって、自身のパフォーマンスのところでも少し苦労はしているかなという感じです。

――今年の1年生の雰囲気や現状はどのように感じていますか

 去年もそうだったのですが、今年も1年生を主力として使っていません。2年生以上の選手たちで関カレもそうですし、全カレも戦っていきます。やはり1年生のうちの1年間はしっかりと土台を作っていくというところが大事なので、それぞれの選手、関口(裕太、スポ1=東京学館新潟)、髙須(楓翔、スポ1=千葉・成田)、平田(和、スポ1=鹿児島・松陽)、片山(大地、スポ1=東京・八王子)が推薦で入ってきた選手ですが、彼らもまだまだこれからという感じです。インカレこそ出ないですが、秋口にはみんな自己記録、もしくは自己記録に近いところではパフォーマンスを発揮できるのかなという手応えはあります。

――全カレの目標である、総合優勝に向けての手応えはどのように感じていますか

 今回の全カレに関して言えば、フィールドは1人もいないので、完全にトラック頼みになります。なので総合優勝というのは、他力本願的な部分にはなるのですが、堅実に着実にみんながやることをやっていけば多分届くだろうなというところです。目標としている得点としては80点ぐらいになります。80点がボーダーになってくるかなと思うので、そこよりも総合得点が上振れてしまったら、我々に勝機はないですし、逆に得点自体が分散してきたらかなりチャンスはあるなと見ています。

――その中で大前監督が特に期待している選手はどなたですか

 個人的な感情も入ってしまいますが、稲毛です。彼は中学時代から世代を引っ張ってきた選手です。ですが、この数年彼自身が一番よく分かっているとは思うのですが、くすぶっていた状態が続きました。今年になってようやく本来の力を発揮し始めたというところです。その中で、2位や3位というところが多くて、あと一歩彼の中で足りないというのがタイトルなんです。そういうところで勝ち切って欲しいという僕の思いもあります。彼の頑張りもよく見ていますし、できることなら勝って欲しいなと。今回は100メートル、200メートルでエントリーしているので、どちらかでいいから勝って欲しいと思っています。そのためには自分の上にいる井上や西を倒さないといけないというところにもなるのですが、チームでうまく競り合ってくれれば、早稲田で上位を固められると思っているので、そこも含めて稲毛に一番期待をしています。

――最後に全カレに向けての意気込みをお願いします

 早稲田大学競走部としては、久々に総合優勝を目指す戦いになると思っています。僕自身も監督になって2年目で総合優勝争いをするチームになるとは思っていなかいませんでした。ですが、ここまで強くなってきたのは、やはり選手の頑張りそのものだなと思っています。田中天智龍の世代で何とか関カレで届かなかった総合優勝はしっかり獲(と)っていきたいと思います。今回勝つことで、次の世代につながることになりますが、連覇や、そこから常勝のチームになれるんじゃないかなと思っているので、それをやるための全カレだと思っています。とにかく選手一人一人に頑張ってもらいたいなと。あとは4継(4×100メートルリレー)、マイル(4×400メートルリレー)ともに日本学生記録を更新します。4継は38秒3台、マイルは3分3秒台を出すことを目標にしています。その中でも、学生記録更新になるので、一番の目標です。男子の話ばかりになってしまっているのですが、実は女子ももしかしたらというのがあって。「トラック優勝を目標に頑張ろう」と言っています。力的にも、そんなに他の大学と比べても遜(そん)色ないと思っていますので、しっかりと積み上げていけば意外と行けるんじゃないかなと思っていますので、注目しておいてください!

――ありがとうございました!

(取材・編集 加藤志保、戸祭華子)

ワールドユニバーシティゲームズ出場選手と写真に収まる大前監督

◆大前祐介(おおまえ・ゆうすけ)(※写真一番左)

1982(昭57)年4月6日生まれ。平17人間科学部卒。200メートル20秒29(U20日本記録)。令4年2月競走部監督就任。