長距離ブロックの有力な新入生たちは2組に分けてご紹介していく。1組目はともに5000メートル14分10秒台の自己記録を持つ須山向陽(スポ1=鹿児島城西)、藤本進次郎(教1=大阪・清風)、宮岡凜太(商1=神奈川・鎌倉学園)の3人。今後、東京箱根間往復駅伝(箱根)をはじめとする三大駅伝での活躍が期待される3人の三者三様の対談をお届けする。
※この取材は4月23日に行われたものです。
入学してから今まで
――まず競技以外のことからお聞きします。学校生活や所沢での生活には慣れてきましたか
宮岡 自分は慣れてきたと思っています。
――みなさんは全員寮生ですか
全員 はい、そうです。
――須山選手と藤本選手は上京されていますが、東京には慣れましたか
藤本 やはり電車に人が多くて、地元よりは満員電車に慣れるのに苦労しています。
――地元よりも人が多いですか
藤本 そうですね。少し多くて、揺られながらという感じです
須山 移動とかに全部お金がかかるので、お金が無くなるのが早いです。
――地元の時はここまでではなかったですか
須山 車とか自転車だったので、今は全部お金だなと感じています(笑)。
――宮岡選手は神奈川からですが、環境の変化としてはいかがですか
宮岡 自分が住んでいたのは横浜なのですが、横浜でも端っこの方で自然が多いところに住んでいたので、所沢も結構環境としては近いのかなと思います。
――藤本選手、宮岡選手は本キャンまで行かれていると思いますが、時間割などはいかがですか
宮岡 僕は自動登録の結果がかなりラッキーで、本キャンに通っている人の中ではかなり融通が効いている方だと思います。ただ教育学部で、教職を取っている人だったりは大変だろうなと思います。
藤本 僕は教職は取っていないのですが、春学期張り切りすぎて授業を取りすぎてしまいました。
――本キャンには毎日行かれていますか
宮岡 自分は毎日行っています。
藤本 水曜日はポイント練習があるので、そこだけは抜いているのですが、それ以外は行っています。
――練習との両立はいかがですか
藤本 基本的に遅刻練になるのですが、その中で自分ができることをやっていきたいなと思っています。
――教育学部は文系学科ですか
藤本 はい、教育の社会科地理歴史専修です。
――面白い授業や興味深い授業はありましたか
藤本 僕は、話し合う授業などが高校には無かったので新鮮です。大人数で集まって、出された問題について話し合ったりしています。
宮岡 僕は商学部なのですが、結構英語を大事にしているところがあるので、好きというよりは打ちのめされている感じです。EAPという授業があって、僕は1番上のクラスに入ってしまったので、同じクラスの中に留学経験がある人もいて、一緒にプレゼンとかをすることもあるので、苦労しています。
須山 自分はスポ科で、基礎スポーツ医学という授業が興味があったものだったので楽しいです。
質問に答える須山
――寮の同部屋はどなたですか
宮岡 もうすぐちょうど部屋が変わるのですが、自分はこの前まで、諸冨さん(湧、文3=京都・洛南)と濱本さん(寛人、スポ3=熊本・宇土)の2人と一緒でした。
――どんな部屋でしたか
宮岡 お2人とも優しくて、自分が物音とかを立ててしまっても全然気にしないでいいよと言って下さるので、とても過ごしやすかったです。
――お世話役の先輩はどなたでしたか
宮岡 自分は伊藤大志さん(スポ2=長野・佐久長聖)でした。
――どんな方でしたか
宮岡 自分とタイプが近いのか分からないですけどかなり馬が合って、自分がたくさん聞いてばかりだったのですがそこを真摯に答えて下さって。お付きの人はランダムだと思うのですが、いい先輩に見てもらえたなと思っています。
――藤本選手の同部屋は
藤本 1年生の山口くん(智規、スポ1=福島・学法石川)と3年生の佐藤さん(航希、スポ3=宮崎日大)、2年生の中山さん(遥稀、スポ2=千葉・専大松戸)でした。
――どんな部屋でしたか
藤本 休日、いつも暗いという印象です。
――どういった意味ででしょうか
藤本 物理的にです(笑)。みんな寝ていたりするので電気をつけづらいなと思っていました。
――お世話役の先輩はどなたでしたか
藤本 2年生の和田さん(悠都、先理2=東京・早実)でした。
――いかがでしたか
藤本 色々教えてくださってとても優しかったのですが、身長差を外からいじられたことが多かったです(笑)。
――須山選手はどなたと同部屋でしたか
須山 自分は栁本さん(匡哉、スポ3=愛知・豊川)と伊福さん(陽太、政経2=京都・洛南)でした。
――どんな部屋でしたか
須山 栁本さんと井川さん(龍人、スポ4=熊本・九州学院)が仲いいので、井川さんがよくいらしてました。部屋に集まってきて、ずっといたりとか(笑)。
――お世話役は誰でしたか
須山 伊福さんです。結構面白い人なので、話しやすくて、色々教えてもらいました。
――この3人の中で入学前からの交流はありましたか
全員 無かったです。
――では、第一印象を伺っていきたいと思います。まずは須山選手の印象からお願いします。
宮岡 最初は結構寡黙なタイプなのかなと思っていたのですが、話したら話してくれるというか。僕がグイグイ行っちゃうタイプなので引いてたのかもしれないですが(笑)。
須山 引いてはないですよ(笑)。喋るなあという感じです。
藤本 結構穏やかに感じました。
――今の印象はどうですか
宮岡 分かってくると面白いなという感じですね。
――続いて宮岡選手の第一印象はどうでしたか
須山 話すなあと(笑)。コミュ力ですね。
藤本 それに尽きます。
――今の印象は
須山・藤本 ずっとこれです。
――藤本選手に対してはいかがですか
宮岡 身長高いなとは思いましたね。
――ちなみに身長は
藤本 187センチです。
須山 最初ちょっと静かだったので、変わった子かなあと思っていました。
宮岡 確かに、見た目でちょっと天然なのかなとは思いました。
――実際は天然ではないですか
全員 いや、天然ですね。
――具体的に何かありましたか
宮岡 話していて、時々会話が噛み合わなくなります。
藤本 何でなんですかね(笑)。
文武両道と臙脂
――続いて、早稲田を志望した理由を教えてください
須山 自分が早稲田を選んだのは、スポーツ科学部ということで授業と競技と一致しているという点です。授業を受けることで競技に生かすことができるし、競技をすることで授業に生かすことができるので、それがいいなと思って選びました。
宮岡 自分の学校に指定校推薦があったので、それで狙おうとは思っていたのですが、自分は中学も高校も、陸上も勉強も頑張って、文武両道をモットーに学校生活を送ってきたところがあって。早稲田大学ももちろん勉強でもすごいですし、競技の面でもレベルが高いので、自分も入りたいなあという気持ちでした。それと、自分は箱根に出たいという気持ちも強かったので、その資格を持てる大学に入りたいというのもあって、運よく指定校推薦を頂けたので、早稲田大学という素晴らしい縁に出会えたかなと思っています。
――ご実家が横浜ということですが、箱根のコースは近かったりしますか
宮岡 歩いて5分で行けます。3区ですね。
――その近さも箱根への憧れと関係があったりしますか
宮岡 あると思います。小さい頃から親に連れられてでも見に行ったりしていたので、頭の中に箱根っていうものがあったのかなと思っていて。それが中学高校と競技のレベルが上がっていくうちに、走りたいという気持ちに変わっていったのかなと思います。
藤本 僕も指定校推薦で来させてもらったんですが、文武両道というのはまずあって、そのうえで箱根駅伝で臙脂を、という思いがありました。
――他の大学の選択肢はありましたか
須山 自分は青学大と順天堂大で迷いました。
――決め手は何でしたか
須山 順天堂大もスポーツ系ですが、早稲田の方が自主性を重んじる面が強いと思うので、自分で考えていきたいなと思い選びました。
宮岡 高校の時の1個上と2個上の先輩で、児玉先輩(児玉真輝、明大)と鈴木先輩(鈴木祐太、明大)がいるのですが、そこが2人とも明治に行っていたので、勉強面を考えて(明大も)いいかなとは思ったのですが、文武両道を突き詰めるならもっと上のステージに行きたいなと思いました。自分の出身の鎌倉学園はOBがとても熱い高校で、大会のたびに応援に来て下さっていて、早稲田も伝統のある学校なので。自分はそういうところで声援を受けて、チームが盛り上がるのが好きなタイプなので、早稲田の方がいいなと思いました。
――OBには尼子風斗氏(令1卒)がいらっしゃいますが、交流はありますか
宮岡 4個上なのでかぶってはいないのですが、早稲田大学に入るにあたって、部のこととか知りたいなと思い部の顧問に連絡先を頂いてお話を聞きました。
――どんなお話を
宮岡 高校と練習のスケジュールや自主性を重んじるところが似ているからいいと思うよという風に言って頂きました。
藤本 自分は指定校推薦で入ったので、一般受験などを考える段階までいきませんでした。
――実際に入ってみて高校とギャップはありますか
藤本 やはり距離の長さが違うなと思います。自分は高校まで朝練習をしていなかったので、その分伸びたかなと思います。
須山 自分は高校の時からずっとケガをしていて、そんなに走っていないので、今どうこうはちょっと分からないです。
宮岡 自主性自主性とは聞いてはいましたが、ここまでなんだなと感じています。先程も話したように水曜日や土曜日のポイント練習以外は各自なので、もちろん先輩方とも走れますが、強くなると弱くなるも自分なので、自分を律しないとここでは強くなれないなと思いましたし、律することができれば早稲田大学の中でも上位の方にいけるのかなと思います。
質問に答える藤本
――陸上を始めたきっかけは何でしたか
須山 自分は硬式テニスをずっとやってたのですが、テニスって結構体力がいるので、体力づくりのために陸上部に入りました。朝練習だけ陸上部の練習に参加して、放課後はテニスをやるという生活を中学の時はずっとやっていて、中3の時に全国大会で入賞できたので、それで高校は陸上をしようとなりました。
藤本 僕は小6の頃に地元のマラソン大会みたいなものがあって、そこでめちゃめちゃ速い人に負けてしまって、絶対勝ってやろうという気持ちになったことがありました。
――そこからずっと長距離ですか
藤本 はい、そうです。
宮岡 僕は中学校の部活から始めたのですが、小学校の時から走るのは好きで、長距離でも短距離でも負けたくないみたいなものはありました。なので中学校も陸上部を選んだのですが、その中で誰がどの競技に向いてるみたいな時に、1500メートルを走らされた時に1番になって、夏の大会を走ったりしてそこからずっとという感じです。
――短距離を走りたいという思ったことはありましたか
宮岡 中学の時は何個かの小学校の人が集まってきていて、そこの速い人達に勝てないなと思いました。長距離なら勝てたので、じゃあそれで勝負しようと思いました。
――須山選手からテニスの話がありましたが、他のお2人は違うスポーツをやっていた時はありましたか
藤本 僕は水泳をすごく小さい時にやっていただけなので、特に語ることはないです(笑)。
宮岡 僕は小学校の時に、水泳と体操をやっていました。近くで偶然教室があって、それぞれ週1とかだけだったんですが、水泳とかは体力づくりに一役買っていたのかなと思います。
――高校までで印象に残っている試合を教えてください
須山 自分は高校1年生の時の国体(国民体育大会)が印象に残っています。国体は4位で早稲田の決め手にもなったんですけど、その時故障明けであまり練習が積めていない中での4位だったので、自信にもなりましたし、このまま頑張れば全国1番取れるのではないかという気持ちにもなりました。
宮岡 自分は、高校1年生の時に都大路(全国高等学校駅伝競走大会)に出たのですが、駅伝なので自分じゃなくて先輩方のおかげではあったんですが、そこで1年でアンカーを走らせてもらい、中学校の時には全国大会に出られなかったので、その(全国の)舞台で走るのが、歓声だったり公道を走れて規模感が違うなというのがありました。高2高3の時には走れなくて、高校1年生の時に全国の舞台を知れたのは、自分の陸上観を広げる上で大事だったなと思います。
藤本 僕は、高3の時の都大路なんですが、すごく調子いい状態で臨めたんですが、初めての全国大会ということでそれでも上がいるというのを痛感しました。
――コロナによる試合中止などが直撃した世代だったと思います。もどかしさはありましたか
須山 高2が1番調子がよかったのですが、インターハイがなくなってしまって。高3は故障をしてしまってよくなかったので、それが痛かったなと思います。
宮岡 自分は学校とかも臨時休校になって部活も解散してしまっていたので、自分で練習するというのがいい意味でも悪い意味でもきつかったなと思っていて。やはり先輩とかがzoomでミーティングをして下さってはいたんですが、自分だと妥協をしてしまう部分があったりして、あの1年はもったいなかったなと思います。ですが逆に自分で練習をしたことで、大学で1人で練習をするタイミングであの苦しかった経験が少しでも活きてきているのかなと思います。
――みなさん緊急事態宣言中は部活はなかったですか
藤本 停止でした。
――その停止中はどのように練習していましたか
藤本 ただひたすら走って寝ての繰り返しでした。
――駅伝の中止や制限されることも多かったと思います
宮岡 そうですね、自分はインターハイに出るような選手ではありませんでしたが、須山もそうですし自分の先輩だったりとかが、インターハイに挑戦する権利すらなかったというか、後輩から見ていて最後の年なのに、という部分はありましたし、いつ収まるのかも分からなかったので例えば来年自分達が最終学年になってもこうなってしまうのかなという不安はありました。
――高校の部活が終わってからはどのように練習していましたか
須山 自分はずっとケガをしていたので、近所のプールに行ったり、ジムに行ってバイクを漕いだり、病院でリハビリをしたりしながら、競技復帰に向けて専念していました。
藤本 自分は、コロナの時と同じような感じなんですが、近くにすごくきれいな海岸的なものがあってそこでやっていました。
――都大路の時には指定校推薦が決まっていましたか
藤本 そうですね。
――ではブランクなどはなくいきましたか
藤本 そうですね、ずっと競技を続けられました。
宮岡 自分も指定校で決まっていたので、一般受験の人を横目にやるのは申し訳なくあったりはしたんですが、だからこそ決まったからには頑張らないといけないなというのも思っていて。早稲田の自主性を重んじるというモットーも聞いていたので、周りの大学が決まっている同級生は高校で練習をしていたりしたんですが、自分はあえて行かないで、家の近くの競技場とかに行って自分でメニューを作って走るっていうのを繰り返していました。その流れもずっと切らさずにケガをせずここまで来れているので、いい期間を過ごせたのかなと思っています。
――他のお2人は自分で練習を考えることに対する慣れという部分はいかがですか
須山 僕は中学の頃ほぼ自分で練習を組んでいたので、慣れています。
藤本 結構高校の時も比較的自主的な感じが多かったです。
箱根への憧れ
――それぞれご自身の走りの強みを教えてください
須山 自分は、結構バネがあるというか、1歩が大きいと思うので、そのダイナミックな走りを生かして、という部分です。あとは、前を走っている選手を抜くのが小さい頃から好きなので、駅伝においては速いペースで走っているけどきつくない、とかがあります。
宮岡 自分はあまりペースの上げ下げとかは得意ではないんですが、ある程度の速さで押していくのとかは得意かなと思っていて。あとは、中学校の時とかから考えても、練習ではたまにあるんですが大きい大会で思い切り外したことはなかったので、そういう意味でもチームにとって、外さないから大丈夫だなという材料になれるのかなと思います。
――お話を聞く限り、長い距離向きなのかなと感じたのですが
宮岡 そうですね、今はトラックで走っていますが、正直ジョギングとかで外に出た方が好きですし、夏よりも秋の駅伝シーズンとか、長い距離走っている方が自分は好きなので、大学に入ってもどちらかというと駅伝の方で活躍したいなと考えています。
藤本 僕も宮岡くんと似たところがあると思っていて、一定のペースを踏むのが得意なのでそこを生かしていきたいなと思っています。あとは、ストライドが強みだと思うので生かし方を考えていけたらなと思います。
――背が大きいと集団の中で走るのが苦手だったりしますか
藤本 そうですね、トラックの中だと足が絡まってしまったり、1回のレースで、多い時だと10回くらい当たったりします。
――では単独走の方が好きですか
藤本 はい、そうですね。
――ご自身の中ではトラックタイプ、ロードタイプどのように考えられていますか
全員 ロードです。
――上り下りなど、条件の得意不得意はありますか
宮岡 自分は、追いかけるのは大丈夫かなと思っているのですが、逆にトラックが苦手というのの1つの理由でもあるんですが、周りに人がいるとそっちを意識してしまって自分の走りに集中できなくて。なので駅伝も、1区というよりは後半の、バラけた中で走って後ろの人を突き離すなり前の人を追いかけるなりをした方がいいかなと。上り下りに関してはまだ自信がないので、平坦の方がいいなと思います。
須山 自分はアップダウンはかなり得意です。下りが結構得意で、上ったら下りがあるので、全力で上って下りで全力で下れるので、他の人よりは速いペースで刻めると思います。
藤本 自分も、都大路で下りを走らせて頂いて、下りに対していい印象を持っているので、得意かなと思います。
――少し気の早い話かもしれませんが、箱根では何区を走りたいなどありますか
藤本 6区です。
宮岡 自分は、地元が3区なので、でも家は8区側なので、最終的には親に走っている姿を見せたいなというのがあります。地元を走れたら自分が中学高校で走っていたところを少しでも見てくれてた人が応援に来てくれるかなと思うので、そういう人達に感謝の気持ちを示す意味でも、最終的には絶対3区か8区を走りたいなと思います。
須山 自分は10区を走りたいです。1番目立つので。
――憧れの選手や目標の選手はいますか
宮岡 自分はオリンピックの前とかですごく見ていたのは伊藤達彦さん(Honda)とか。前の相澤さん(晃、旭化成)と2区でデッドヒートを繰り返している場面とかはきつそうなんですけど、もがいていて時折笑顔を見せていたりとか、ああいう精神は自分も見習いたいなと思いましたし、ガッツある走りをしてみたいなと思います。
藤本 僕はやはり大迫選手(傑、ナイキ)が憧れとしてあって早稲田に来たところがあるので、選手としてのかっこよさに憧れます。
須山 自分は海外の選手なのですが、エヴァン・イェーガーという3000メートル障害を専門としている人がいて、フォームが綺麗で、1人楽そうにして走っているので、そこがかっこいいなと思います。
――3000メートル障害もやられるんですか
須山 ケガをするからダメと言われています。
――やりたい気持ちはあるんですね
須山 はい、あります。
――他のお2人は経験ありますか
藤本・宮岡 全くないです。
――ライバルは
宮岡 今の段階ではもちろん圧倒的な差なんですが、同級生で山口と間瀬田とかは一緒に練習していて。やはり彼らにも勝たないと箱根駅伝走れないと思うので、今はまだ背中を追う立場ですがいずれ横に並んで抜かすくらいの気持ちで、これから早稲田大学で4年間やっていく中でも、彼らを意識してやっていきたいなと思います。
須山 自分は中学の頃から、今順天堂大にいる石岡選手(石岡大侑、順大)というのがいて、全国大会でもお互い入賞してきたり、鹿児島県でも勝ったり負けたりを繰り返してきていたのでそうなります。
藤本 山口くんと間瀬田くんの背中を見てここまで走れるようなって活躍したいというのがあります。
質問に答える宮岡
――1年目の目標、抱負をお願いします
須山 自分はまだ故障しているので、夏合宿までには完治させて、夏合宿でしっかり走り込んで、秋に自己ベストを出し、駅伝が得意なのでそこで活躍できたらなと思います。
藤本 僕は目立つ走りがしたいなと思っていて。目立たないと注目もされないので。
宮岡 自分はまだ実力が全然ないのですが、走り込めてはいるので、逆にフォームとか自分の課題を今のうちからどんどん潰していきたいです。いずれ箱根を走りたいんです、という話をキャプテンの創士さん(鈴木、スポ4=静岡・浜松日体)にしたら、そんなこと言ってないで1年目から狙っていけという風に言って頂いて。少しずつでも速くなっていって1年目から早稲田大学に貢献できるように、箱根駅伝を走りたいなと思います。
――みなさんにとって箱根駅伝はどういった存在ですか
須山 テレビで観ていても、華があるというか。かっこいいなという風に思うので、自分もそこで走れたら、同じように思う人がいるんじゃないかと思います。
藤本 小さい頃からテレビで観ていたんですが、(入学して)それとのギャップが縮まったのかなというのが、違和感というか不思議な感じがあります。
宮岡 自分の陸上競技の原点であって、憧れであるので、そこが自分の陸上人生のゴールかなと思っています。これから学年が上がっていくにつれて、インカレ(日本学生対校選手権)とか全日本(全日本大学対校駅伝)とか、もちろん出雲(出雲全日本大学選抜駅伝)とかもあると思うんですが、やはり最終的には箱根で締めくくりたいなと思っているので、自分にとって尊い存在という感じです。
――4年間の目標を教えてください
藤本 目立つ選手になりたいです。
宮岡 正直同級生に山口間瀬田という素晴らしい選手がいるので、その2人にはエースとして頑張ってもらって、ただ自分も早稲田大学の1ピースになりたいというか。ものすごい爆発的な走りはしなくても、堅実な走りをして、早稲田が優勝するとなった時に優勝には色々エースの人達が関わっていたけど、宮岡の存在も欠かせなかったよね、と言ってもらえるような、縁の下の力持ち的な選手になりたいなと思います。
須山 自分は間瀬田山口と一緒でスポーツ推薦で入ってきていて、本来エースとして活躍しないといけない立場にあるので、その自覚を持って4年間、大事なレースで外さない、かついい記録で走るというのを目標にしていきたいと思います。
――ありがとうございました!
(取材・編集 及川知世、戸祭華子、中村凜々子)
◆須山向陽(すやま・ひなた)(※写真左)
2003(平15)年4月7日生まれ。171センチ。鹿児島城西出身。スポーツ科学部1年。自己記録:5000メートル14分15秒33。鹿児島出身の須山選手は、火山灰には慣れていて、走っている時に砂が顔に当たるのも余裕だそう。悪コンディションの中での好走にも期待です!
◆宮岡凜太(みやおか・りんた)(※写真中央)
2003(平15)年10月7日生まれ。165センチ。神奈川・鎌倉学園出身。商学部1年。自己記録:14分16秒96。藤本選手と過ごす時間が長く、最近は関西弁がうつってきたという宮岡選手。伊藤大志選手とタイプが近いのかも、とおっしゃっていましたが、実際、質問への答え方や話のテンポ感などがそっくりでした。伊藤選手のように1年目からの箱根出走なるか、注目です!
◆藤本進次郎(ふじもと・しんじろう)
2004(平16)年3月20日生まれ。187センチ。大阪・清風出身。教育学部1年。自己記録:14分18秒07。他の選手からは「話が噛み合わないくらい天然」と言われていた藤本選手。写真撮影の時に宮岡選手に「色紙逆に持ったら目立てるよ」と言われていましたが、それは流石に、と断っていました。これから走りでどんどん目立ってください!