【連載】『令和3年度卒業記念特集』番外編 引退生特集③森戸信陽主将×勝田築

陸上競技

 第3回は、107代目主将として1年間チームを率いた森戸信陽主将(スポ4=千葉・市船橋)と、その森戸と同じ110メートル障害(トッパー)を専門種目とした勝田築(スポ4=島根・開星)。ともに世代トップとして入学した両者。紆余曲折のあった4年間を終え、2人は今、何を思うのか。そして2人がチームに残したものとは。

※この取材は2月18日に行われたものです。

――引退されてからはどのように過ごしていますか

森戸 引退してからはすぐに退寮して、実家に戻って、久しぶりに家族とずっと過ごしているようなかたちです。自分の体に対して気をつかうことに対する意味合いが、選手としてでは無くなったので、生活の中に競技を考えない、というのが不思議な感覚での日々を過ごしている状態です。

――勝田さんはいかがですか

勝田 僕は退寮してから狭山ヶ丘に一人暮らしをしていて、ずっと集団の中にいたところから急に一人になったので、何か変わるかなと思ったのですが、僕はもともと結構一人が好きなので、なんならすごく快適な生活を送れているという感じはしています。それ以外の面だと、森戸が今言っていたように食生活とか、元々すごくお酒が好きなので、そういう煩わしさが無いのが大きいです。

――走らなくなってからの喪失感や寂しさはありますか

勝田 喪失感というよりは違和感がすごくあるのですが、ここで終わるというのは決めて大学でやっていて、覚悟はできていたので、そこまで無いです。

森戸 僕も引退して最初の方は、走らなくなってトレーニングしなくなっている生活リズムがすごく気持ち悪いような状態はあったのですが、それも最初の2、3週間くらいで、そこからは社会人に向けての準備で結構忙しくなってはいたので、次の方に移行はできているという感じです。走らないと落ち着かないとかはもう無くて、慣れたという感じです。

ラストイヤーを振り返って

――ラストイヤーの競技面を振り返っていただいて、どんなシーズンになりましたか

森戸 結果から見れば散々な結果だったな、というところです。例年だと毎回シーズン初戦はけがをしていて、シーズンインがみんなから遅れるかたちではあったので、そこに関しては、六大(六大学対校戦)とかからしっかり入れたというのはあったのですが、そう言った中でシーズンを通して調子を上げていくということは結局できず、どこかで自分が競技の結果が出るまで調子が上がるということを信じ切れたいない部分がありました。かと言って上に立つ存在でもあったので、その不安を変に表に出しちゃいけないというのもありつつ、どこか少し察しながら無理して見せる練習をしていたような感じがあります。今思えば何してるんだろうというような感じでした。

――それは主将として、後輩に苦しいところは見せられないという気持ちからですか

森戸 そうですね。まあ苦しんでいる苦しんでいないというよりは、不安を抱いているような姿や、目標に向かいきれていないような姿は見せられないなというのがありました。

――勝田さんはラストイヤー振り返っていかがですか

勝田 僕も結果で言ったら本当に散々というか。せっかく前年に全カレ(日本学生対校選手権)でトラック優勝して、チームの特に短距離の中でも結構良い流れ、雰囲気が出来上がって今年頑張ろうみたいな流れで行ったのに、初戦六大学は走れはしたけど記録は曖昧みたいな感じからスタートして、僕もケガがあって、察していたというか、もうこの状況でこのままやり続けても体的に限界なんだろうなというのを察してはいて。でもその中で走れないからこそ、できることないかなって最後はもうそっちにシフトしていました。一競技者としての考え方としてはあまり良くなかったのかなと今は思うのですが、組織に何かを残すという面では良かったのかな、と思ったりもしています。

――お二人ともなかなかラストシーズンは思うように記録が出ない中で、部内の4年生に良い記録が続いたのはお二人からはどう見えていましたか

森戸 早稲田の競走部として、チームの特に同期の4年生の活躍というのはうれしいところも大きかったです。みんな1年目から3年目まで結構苦しんでいた人が多く、僕たちの場合は3年目の全カレでやっとスプリント人は明が結果が明確に出るようになってきた代だったので、そこから4年目もその調子のまま行ってくれたというのはすごくうれしいというのが率直な感想です。

勝田 僕もこれに関しては一緒で、単純にうれしいなという気持ちと、応援したいなという気持ちもありつつ、やっぱり男子で言ったら山内(大夢、スポ4=福島・会津)とか、女子だったら関本(萌香、スポ4=秋田・大館鳳鳴)とか、本当にトップの方に行く人がいて、うれしい反面、同じ障害ブロックとして何やってるんだろうな、という引け目を感じたのも少しありました。

――同期の活躍はモチベーションになりましたか、それとも焦りの方がありましたか

勝田 すごくモチベーションになりました。

森戸 モチベーションにはなりました。ただ、やっぱりみんなが上がっていくところで、僕は先に上がってそのあと落ちていってしまったので、そこは悔しさというか、一緒に結果を出すタイミングを合わせられなかったというのが悔しかったなというのもあります。

(陸上は)「人格形成の一つ」(森戸)/「人生の指標」(勝田)

最後の110メートル障害のレースとなった昨年9月の早慶対校戦。一番左が森戸、一番右が勝田

――競技生活を終えてみて、陸上競技はお二人にとってどんな存在だったでしょうか

森戸 今思うと陸上競技を通して今の生活や色々なことに対する価値観が出来上がってきたのでは無いかなと思います。僕自身の人格形成の一つだったのでは無いかなと思います。

勝田 基本はさっき森戸が言ったように、今の自分があるのは陸上競技の生活が凄く密接に関わっていたくらいずっとやってきたので、人格形成というところが一番かなと思います。他のことを言おうかと思ったんですけど、それに引っ張られて全然思い浮かばなくなってしまいました(笑)。でも、人生の指標みたいな、陸上があるから今年も頑張ろう、来年も頑張ろう、みたいな感じで、常に考えていたことだったので、指標というかそんな感じだったのかなと今思います。

――競技への悔いはありますか

森戸 悔いが無いと言ったらそれは嘘になるのですが、悔いが全く無く終わるというのは元々思っていなかったですし、どういった結果や過程を踏んだとしても終わるときには悔いは残るだろうというのはあったので、それも含めて、後悔などは無いです。やり切ったというのはあります。

勝田 最初全然振るわなくて後半シーズン頑張って行こうってなったときに膝が結構悪化して全カレも結局走れなくて、という状況になって、それで言ったら悔いというか、走りたかったな、と思うことはすごくありました。ですが、結局最後の引退の早慶戦では一応走って終わることはできて、これでやり切ったなとその時思えたので、そういう面で考えたら、今心残りは無いです。

――競技生活全体で一番印象に残っている試合を教えてください

勝田 僕はやっと大学で結果が出た大3の全カレですかね。それまで本当に何しにきたんだろうみたいな感じで、全然結果が出なくて、でもそれこそ(チームが)良い流れで来ている中で自分もその流れに乗って入賞できたというのはすごくうれしかったなと気持ちが今もあります。

――そこで結果が出たことでその後の競技生活に及ぼした影響などはありますか

勝田 2年の終わり、3年の最初くらいまで、「もう高校で限界だったんじゃないか」と考えたことも結構あって、そう思っていた中で自己ベストが出て、まだ限界じゃないんだなと思えたのがその試合だったので、そう考えたら4年目もうちょっといけるだろうという心持ちにはなりました。

――森戸さんはいかがでしょうか

森戸 1番印象に残っているのはやっぱり2年生のの時の全カレかなと思います。そこを経て気持ち的な面では自信がついたのいうのはあります。でも1番変わったという点では、その年の関カレ(関東学生対校選手権)かなと思います。関カレは結局その年もシーズン頭しっかり入れていなくて、シーズン初戦だったのですが、他大の年下の子に着差で決勝取られて全体9番で終わってしまって。それまでも1年目から何してるんだろう、って考えているつもりではあったのですが、自分の中での考えているつもりで終わってしまっていたというのもあったので、そこから改めて、その年の秋シーズンへ向けてのトレーニングの向き合い方や計画の立て方を見直して監督や先輩とか同期のみんなと相談し合いながら向かっていくという、競技の取り組み方が一番変わった瞬間なのかな、というのはあります。

昨年の六大学対校戦で隣のレーンを走る勝田と森戸

――入学時に描いていた4年間や掲げていた目標と比べて実際に4年間を終えてどう感じますか

森戸 入学時に思い描いていた目標とか競技人生と比べて実際は良くも悪くも大きくずれたかなと思います。

勝田 僕もギャップはすごくありましたね。でも、やっぱり成績の方ばかり目標を立てていて、最終的に人間としてどうなりたいかみたいな事とかは全然考えていませんでした。今だから言えるのですが、人格形成的な面で言ったら、最初に目標は考えていなかったのですが、結果的にはいい方向にいったんじゃないかなと思いますね。成績は全然ダメだったんですけど。

――4年間通してどういったことが競技をやる上でのモチベーションになっていましたか

勝田 最初は向上心というか、もっともっと上に行ける、行こう、というのが自分のメンタルでもあったので、それがモチベーションというか、将来像を思い浮かべてそれに向かってやる、というのがモチベーションでした。でも競走部で活動していく中で、いかに部に貢献できるか、部に何を残せるか、というのが後半になってきてモチベーションというか、自分だったらこういうことで部に貢献すると考えるのが、いつの間にかモチベーションになっていたのかな、というのは今思いました。

――ご自身で、こういうものを部に残せた、と思うものはありますか

勝田 全然大きなものは残せなかったと思うのですが、練習の中でも自分が得意な分野で積極的にコーチも僕に聞いてきたりということもあって、どういうことを意識しているかをコーチと話合ったりとか、直接僕が部員と話したり、そこに関してはコーチとかも今後に生かしてくれると思うので、そういう練習の一場面ですが、そういうところで今後に生きていくことがあったら、ちょっとは残せたのかなと考えたりします。

――森戸さんは4年間通してどういったことがモチベーションになっていましたか

森戸 自己表現の一つだったかなというところと、自分の体を使って競技で結果が出る、出ないというのを試すので、絶対に一つの正解は無く、人それぞれ骨格だとか体つきが違うというのもありますし、人間なので感情だったり、そういった心理的なところも色々あるので、どうやったらこういう結果が出るというのを、実際に過程を踏んで行って、答え合わせするというのが面白かったかな、というのもあるので、そこがモチベーションだったかなというのもあります。

――110メートル障害の同期はずっとお2人でやってきたと思うのですが、4年間を終えてみてお互いはどういった存在ですか

森戸 高校までは他校で、ほぼちゃんと勝負したのは最後の1年だけ、なんならインターハイだけ、とそんなに接点の無い存在ではあったのですが、意識はした状態で一緒の大学に入って、結果から言うとライバル視はずっとしていました。高校の時は同期や先輩に同じ種目がいない状態だったので、全く想像もついていなかったのですが、思った以上に同じ競技で、同じようなレベルの選手が一緒にやっていると、想像以上にライバル視するのだなというのはありました。僕的には常に意識しながら競技はしていました。もちろん同じチームなので、一緒に結果出していってその上で最終的には勝負するという考えなので、バチバチしつつ、一緒に頑張ろう、とどっちも同じくらいあったような状態です。

――勝田さんはどう感じていましたか

勝田 僕の状況はほとんど一緒で、高校の時はずっと1人でやっていて、同期も男子は僕1人で、もちろんスプリントでもハードルでも競う人がいないみたいなずっと1人の環境でやってきて、そこから大学に来て、スプリントもトップレベルがいる、ハードルもトップの人がいるみたいな状況に行ったのが初めてで、そういった環境の変化はすごくありました。元々すごくライバル視していた人たちが一緒にいるというのはすごく違和感があったのですが、僕も言って終えばずっとライバル視というか、森戸には負けたくないみたいな感じでずっと考えていました。なので2年で(全カレで)優勝された時は悔しくてすごく泣いた思い出があります。でもそれもあったおかげで頑張ろうとも思えたし、一緒に高いところまで行きたいなというのも思ったし、ライバル視したい気持ちと一緒に頑張ろうという気持ちが、森戸も言っていたのですが、両方あったという感じですかね。

チームから得たもの、残したもの

昨年3月の早大競技会のレース。勝田(左)と森戸(右)、中央が池田海(スポ1=愛媛・松山北)

――森戸選手の主将としての1年間を振り返ってお話を伺いたいです。森戸選手が主将になるにあたって目指していたチーム像はありましたか。またその理想と実際にチームを作り上げてみてのギャップはありましたか

森戸 理想像は、結果を残せるチームにしたかったっていうところと、それに付随して競技結果の内容を振り返って個人の人格や価値観に吸収させ、周りに良い影響を与えられるようなチームにしたかったです。それでスローガンとしても「早稲田人たれ」というのを掲げていました。そこに対するギャップでいうと、結果を残すという点でチーム目標を全く達成できなかったので、思うようにはいかなかったと思います。ただ、競技を通じて思ったこととか、個人の価値観の共有などの組織内でのコミュニケーションは増えたチームだったのではないかなと思います。

――トラックシーズン前半に4年生が好記録を連発するなど、良い雰囲気がチームにあったかと思われます。それは森戸選手が意識的に作られていた部分もあったのですか

森戸 競走部の立場の上下関係っていうのは、学年や結果などいろいろな面での上下関係があると思います。その立場で上位になっている人が権限を一方的に振うと、全員が思うように活動できないっていう状況がどうしても生まれてしまうのですが、その状況は絶対避けたいと思っていました。うまくいっている人や上級生が積極的にコミュニケーションを取って、チーム全体の雰囲気を作っていこうとは意識していました。

――勝田選手からみて森戸選手が主将として引っ張ってきたチームの姿はどのように映っていましたか

勝田 結果とかを見てしまうと達成できていなかったところはあると思うのですが、部の在り方や競走部にいる人間としてこういう人であろうとかの結果を追い求めるだけではない考え方が今の三浦(励央奈、スポ3=神奈川・法政二)達の代に引き継がれている事だと思います。そういった面では部に残せたものは多いのかなと近くにいた人間として感じたことはありますね。

――強豪校というチーム内に競い合える仲間が存在する環境の中で、競技をやることの意義や得られたものなどはどういったところに感じていましたか

森戸 言ってしまえば個人競技ではあったので、純粋にただそれだけを追い求めていると自己中心的な考えになってしまっていたかと思うのですが、競走部のチームとして競技や生活面を取り組んでいかなければならないので、自分の結果だけを考えたメリットとなる行動や選択と、チームとして考えたときにメリットになる行動や選択を両立して考える難しさを学びました。競走部でチームとしてやってきたからこそこれから社会人とかの生活に生かせられることもあるのかなと思います。

勝田 森戸と似てしまうのですが、それまでとの環境の変化が大きく、トップが入ってくる組織で、しかも、長距離でも強い選手が入ってくるなど短長でどっちも強いっていう感じだったので、日々新しい刺激が入ってくる環境にいることによって、自分だけのことだけじゃなくて他の長距離の選手のことを考えるなど自分以外のことに視線を向けることが多くなりました。だから、視野が広がるというか、これまでだったら考えられなかったことに気が回るようになったのかなと思います。

――早稲田競走部のココが好き! があったら教えてください

勝田 くせ者ばっかりです(笑)。くせ者しかいないです(笑)。ワイワイするやつと静かにしていたいやつもいるのですが、静かなやつでも一癖あって実はいじられキャラだったりとか、ワイワイしているやつもなんかいろんな面を持っていたりして、みんなありきたりな人じゃないというところが面白かったですね。

森戸 そうですね、一緒に生活していて飽きないというところですかね(笑)。

勝田 そう(笑)。それそれ(笑)。

森戸 寮生活にしろ、そうじゃないにしろ競技貫いてきたっていう人間性もありますし、それぞれ育ってきた地域や社会も違うので、4年間通してもその人の知らなかった部分がどんどん出てくるのでそういう発見があって結構楽しかったのかなと思います。

――後輩に期待すること、メッセージをお願いします

森戸 期待する事としては、やっぱり僕たちは卒業してしまったらもう中を見ることはできないので、結果を残して示してほしいです。競走部でやってきたという4年間があるので、個人としてではなく、競走部全体通しての結果を見ると何となくチームの状況が想像できます。なので、まずは結果を出して見せてほしいなというところはありますね。本人たちも結果は出したいと思うのでそこは第一に頑張ってほしいなと思います。メッセージとしては、このタイミングで組織の体制が変わったり、コロナの状況で先が見えなかったりして大変だとは思うのですが、良くも悪くも一から作り直せるタイミングだと思うので、次4年生になるメンバー中心にありたいチーム像を作ってほしいと思っています。

勝田 僕も競技面でいったら、結果を出してより競走部の価値を上げてほしいとは思います。それ以外でいったら、僕らの代まで積み上げてきたものを最大限生かして今後のチームを作っていってほしいなと思います。メッセージは、今すごくチームの環境が変われる時期なのでいい方向に行ってほしいなと思います。中からは関われないけど外からずっと応援していきたいなとは思っています。

――注目の選手はいますか

勝田 僕は池田海ですかね。僕の直属の後輩で僕らが抜けたら唯一のトッパー選手になります。彼のポテンシャルというか、類まれなるものがあると思うし、1年生の段階で大きい舞台も経験しているので、その経験を生かして2年生からもより大きい舞台で戦ってほしいなという期待があります。

森戸 僕は三浦ですかね。入学した1年目の頃から結構関わらせてもらった選手であるのと、主将としてチームを引っ張っていく側の選手なので結果でも示してくれるのかなっていうのがあります。あとはちらっと聞いた噂だと、だいぶ僕たちの知っている三浦からは主将として活動していく中で大きく変わった選手だという情報もあるので来シーズンすごく期待しています。主将がしっかりすれば周りもついてくるのでそういった意味でも三浦に期待しています。

――ありがとうございました!

(取材・編集 及川知世、川上璃々)

◆勝田築(かった・きずき)(※写真上)

1999(平11)年6月21日生まれ。181センチ。島根・開星高出身。スポーツ科学部4年。自己記録:110メートル障害13秒93。2020年全カレ5位。

◆森戸信陽(もりと・のぶあき)

1999(平11)年4月15日生まれ。183センチ。千葉・市立船橋高出身。スポーツ科学部4年。自己記録:110メートル障害13秒79。2019年全カレ優勝。