卒業、そして競技を引退する4年生に話を伺った今回の対談。第1回はともに女子400メートル障害(ヨンパー)で学生トップクラスの結果を残した関本萌香(スポ4=秋田・大館鳳鳴)と村上夏美(スポ4=千葉・成田)。お互いを「気まずくない、何でも話せる関係」(関本)だという二人に、競技生活、そして早稲田大学での4年間を振り返っていただいた。
※この取材は2月7日に行われたものです。
――ラストレースとなった10月の早大競技会の後はどのように過ごされていましたか
関本 10月の早大競技会直後に、教育実習があって、3週間くらい地元に帰っていました。教育実習が終わったら、12月初めまで卒論を書いていました。そこからは解放されて、今は伸び伸びと生活しています。
――教育実習は出身の高校ですか
関本 中学でした。
――部活動を見たりされましたか
関本 ちょうど部活の解散期間にあたってしまって、部活は見られませんでした。なので、教育実習ではほとんど体を動かしませんでした。
――村上さんはいかがでしたか
村上 私は引退して、卒論をやって、免許取得のために教習所に通っていました。あとは実家に帰ったり、のんびりした生活をしていました。
――引退されてから走りましたか
関本 走ってないです(笑)。
村上 たまに走りたくなるので、ジョギングとかをしていました。
――関本さんは全く走っていないのですか
関本 本当にゼロです。ジョグとかもありません。ダッシュもしていないので、すごくなまっています。
――走りたくなることはありますか
関本 軽く走りたいというより、競技場で走ってみたいです。今、どんな感じで衰えているのかを知りたいです(笑)。今は走り方も忘れてきてしまいそうです。
4年間を振り返って
――4年間の競技生活を振り返っていただきたいと思います。まず1年目をどう振り返りますか
関本 個人的には苦しい1年でした。高校から上がって、新しい環境ということもあり、部活の規則や立ち居振る舞いに慣れることができませんでしたが、今考えると、人間性が育てられました。競技では成長できなかった年であったのですが、世界ユースも経験でき、今では海外遠征に行くのも大変だと思うので1年生のころに経験できたのは良かったと思います。
村上 私も最初の1年目は組織、競走部に慣れることを重点的にしていて。そういう中で、1年目にはアジアジュニアや日本選手権にも出場できて、結構自分の中では1年目にしては記録じゃないですけど、成績がついてきたなという年でした。
――村上さんも組織に慣れる上で苦労された部分はありますか
村上 1年生の役割や立場があるので、高校と大学との違いというところで、自分たちで考えて行動しなければいけないところや1年生は率先して動かなければいけないというところを意識的にやっていました。
――村上さんの高校は陸上が強い学校でしたが、そこから変わった部分も大きかったですか
村上 高校では先生の言ったことを聞いて、指示通り動くことが多かったです。大学では4年生がまとめる中で1年生がどういった動きをするのか考えることが多かったです。
――2年目はどのようなシーズンでしたか
関本 4年間のうちで一番良かった1年でした。成績も含めて、一番充実したシーズンだったかなと思います。関カレ(関東学生対校選手権)で、3人で表彰台に登れたのが陸上人生の中で一番の思い出ですし、個人的にもタイムが1年生の時と比べて1秒くらい縮まって、日本選手権でも3位に入ることができたので、1年間で大きく記録が伸びた年でした。最初から最後まで調子が良かったです。最後の試合もほぼ負けなしで、グランプリで勝つこともできたので、大学に入って、実業団の選手に勝てるようになったことが大きかったなと思います。
村上 私も関カレの3人で表彰台に登れたことは陸上人生の中で1番大きな出来事でした。2年目でくくるとすると、苦しい部分もあった感じです。2年目からタイムが伸び悩んでいたので、2年目の過ごし方に関しても課題が多かったなと思います。そういった中でもリレーを任せてもらえたので、色々な経験ができている年でもありました。
――マイルはお二人にとってどのような位置づけですか
関本 普段はヨンパーで個人競技という感じで、夏美ともチーム内ではライバル同士ですが、リレーでは協力して勝とうと団結する感じです。ヨンパーでも皆で表彰台に行こうとか、決勝に行こうとかはありますが、その中でも戦わないといけない意識を持ちつつなので。リレーは完全に皆で協力するので、個人的にはすごく楽しいなと思っていました。自分の力で、力不足で足を引っ張ってしまうこともあったので、貢献したかったと思う部分はありました。
村上 リレーには色々な思い出がありますが、その中で早稲田として、どうやって戦っていくか、考え方を学べましたし、リレーを走ることで、ヨンパーで走っている人とも一致団結して、上を目指すことができたのですごく楽しかったです。
――1、2年目では先輩の小山佳奈氏(令3スポ卒=神奈川・橘)と走ることが多かったと思いますが、小山さんから得たもの、学んだものがあれば教えてください
関本 早大の選手の中でも強かった選手で、競技で強いことはもちろんですが、人としても強い人でした。私たちが試合中にナーバスになっても、自分の状況が悪いときでも励ましてくれて、そういった部分でもお世話になっていました。私たちとしては小山さんと一緒に決勝残りたいとか表彰台に乗りたいとかの強い思いを持てたのも小山さんの人柄があったからかなと思います。
村上 小山さんは人柄もそうですし、競技面でいうと勝負強いなという印象でした。いつも4走をやってくださっていたのですが、小山さんにバトンが渡れば大丈夫という気持ちがありました。小山さんがいるリレーで、絶対に勝ちたいという思いが強かったです。
――小山さんはお二人にとってどんな存在でしたか
関本 ヨンパーの頼れるお姉ちゃんみたいな感じです(笑)。
2年時の関カレで表彰台に立つ関本(左)と村上(右)。中央は小山佳奈氏
――コロナの影響で試合が少なかったり、関カレの開催時期の変更があった3年目はどんなシーズンでしたか
関本 シーズン初めが自粛ということで解散に入って、私は3か月くらい4月から7月まで地元の方で練習していました。そこから、8月までに皆で集合して、全体の練習が再開した年でした。3か月間地元で練習するということで、早大の先輩や仲間と走って高め合っていたのが、一人で練習することになってしまったので、今まで以上に自分で考えて練習を組むとか、何が必要なのかを取り入れていくことが重要になった年でした。それが逆にすごい参考になったというか、基礎から見直して、自分のやりたいことをできる期間ではあったので、私にとってはその3か月が勉強にもなり、大学では陸上陸上となっていましたが、実家に帰って、休息できた期間でもありました。(解散期間が)終わってからは、自分たちの現状把握として早大競技会を走ったり、2回目の早大競技会でも今のベストタイムで56秒を切るタイムも出せたので、休養期間で練習を重ねたのが生きたかなという記録会でした。その後はケガをして、全カレ(日本学生対校選手権)に出ていないので、最後の方は悪かったのですが、中盤8月と9月でゴールデングランプリでも良い結果を出せたので、シーズン的には悪くはなかったなと思います。
――自主期間での取り組みが具体的にどのように生きたか教えてください
関本 とにかく色々な練習を取り入れました。早大では走って、ハードルを飛ぶことをメインに、たまにウェイトトレーニングを入れたりとしていましたが、基礎的な補強や坂ダッシュもいつも以上に走ってみたりとかしていました。あとは地元の競技場でハードルを教えてほしいと頼まれて、ハードルドリルをしたりと刺激的な期間でした。
――村上さんはいかがでしたか
村上 私も自粛期間は一人で高校や中学のグランドを借りながら練習をしていました。一人での練習は難しくて、早く早大のグランドに行って、皆で練習したいなと思っていて、短い期間で早大に戻りました。その中でも、自分の課題に向き合うのが難しく、コロナ後の試合でも思うように記録がでなかったので、記録的にも3年目は苦しい期間でした。
――自粛期間で帰省されてから、うまくいかなかった感じですか
村上 2年目も記録は出ていなかったのですが、調子が合わずに1年生のときの方が走れたという状況でした。色々な感情とかもありながら、苦しい時期がありました。
――3年時に2つ下の(ヨンパーで)強い後輩が入ってきましたが、最初の印象はいかがでしたか
村上 第一印象は強い子が入ってきたなという感じでした。しかも3人も入ってきたので、びっくりでしたし、これで早大のヨンパーの注目度も上がるので、うれしかったです。
関本 高校で活躍してきた3人が入ってきたので、一気にヨンパーの層が厚くなって、練習とかでも皆の持ち味が違うので、良いライバルでもありながら、皆でも高め合えたかなと思いました
――後輩が入ってきて意識は変わりましたか
関本 3人しか出られないのにヨンパーに7人くらいいて。やはり勝たないと3枠には入れないので、確実に枠は取っていこうという意識はありました。
――練習から勝たないといけないという意識が出てきたのですね
関本 記録だけでなく、練習で判断されるので、その時その時で走れるようにしていました。
村上 私は萌香よりも(枠争いを)意識していていました。萌香は絶対大丈夫と考えていて、あとは津川(瑠衣、スポ2=東京・八王子)などに、どこで勝てるのかというところで、枠の意識はしていました。
――練習の中で後輩にアドバイスすることはありましたか
村上 短長ブロックで同じメニューをすることがあったので、動きの確認とかでアドバイスをしていました。
関本 後輩からも質問に来てくれるので、そういう時でもアドバイスしたり、皆で見合ったりもしたので、先輩後輩関係なく話せたかなと思います。
――後輩から学んだことはありますか
関本 川村(優佳、スポ2=東京・日大桜丘)や津川は違うタイプですが、それぞれ気持ちの強さで引っ張られたかなと思います。弱い部分もあるのですが、「ここでいくぞ」と決めた時の強さとか、自分以上に気持ちの強さがあると感じていたので、後輩が頑張っている姿を見て負けられないなと刺激をもらっていました。そこで、自分が頑張れた部分が大きいので、自分自身にとっても良い影響を与えてくれたと思います。
村上 川村、津川ともに性格は別々で、それでもそれぞれ持っている強さが違って、川村はウェイトや体づくりを重点的にやっていたり、津川も気持ちの弱い部分はありますが、やる時はやるという強い意志が見えたり、それぞれ違うことを考えている中で、皆をまとめていく部分もあって、色々なことを学びました。
3年時の田島記念 レース後の津川(右)と関本
――ラストイヤーである4年目はいかがでしたか
関本 4年目は就活が初めの方にあり、競技を続けるかどうか1年間最後まで悩んだ時期です。陸上に関しても、肉離れをしてしまい日本選手権などの主要な大会に出られない年でした。1年生の時とはまた違った苦しさというか、今まで味わったことのない苦しいシーズン、独特なシーズンでした。目標としてはオリンピックにも挑戦したいと思っていたので、そこに挑戦できなかった悔いは残っていて、それがあったので競技を続けるかどうか何か月も悩みました。記録を出せたら、続けようかなと考えていたところもあって、最後まで記録にとらわれすぎていました。勝つことももちろんですが、「記録を出さないと」と焦っていました。そういう部分で逆にうまくいきませんでした。
――競技を続けるか迷いながら、就活を並行していたのですか
関本 就活は競技をやめるつもりで始めていました。就活が終わってから、オリンピックに向けて挑戦して、良い形で終わって、引退という風に思い描いていました。ですが、それができなくて、監督からも競技を続けてみないかと声を掛けられて、そこからすごく悩む日々でした。どちらも良いところ悪いところがあったので、自分の中で悩んでいました。
――最終的な決め手は何でしたか
関本 記録を年内に出せたら、続けても良いのかなと思っていましたが、うまくいかなかったので、「終わるかあ」という感じでした。
――今振り返るとその決断はいかがですか
関本 今解放されて、ゆっくり過ごせているので、今まできつきつで頑張りすぎていたかなと今の生活になってみて、分かりました。引退も悪くない、良かったかなと思います。でもこの間、マネジャーから連絡があって、ユニバーシアードの候補者選手に選ばれたと言われて。引退しているのですが、社会人1年目も出られるので、どうしますかと来た時に、そこまでやるのもありだったかなと、やらないですけど(笑)。
――オリンピックに出られたとしても引退していましたか
関本 そこまで行けなくて、その先までは考えられてなかったですが、出たら出たでまた続けたくなったりとかもあったかもしれません。一応、自分の中ではできるだけ挑戦して区切りをつけたいと思っていました。
――良い記録が出ても、やめるかもという心構えがあったのですか
関本 ありました。
――4年目には関本さんは4継や100メートルハードルに挑戦されましたが、どういった気持ちからでしたか
関本 100メートルハードルであれば、早いスピードの中でハードルを越えていくので、ヨンパーになってもスピードを生かしたハードルができるという目標を持って、やっていました。完全に別々というよりはヨンパーのためというものでした。4年目で100メートルハードルや4継に挑戦したので、ケガをしてしまったところはあるのですが、いつもと違う種目に挑戦でき、もともと100メートルハードルが好きだったので、それに出れたのはすごく楽しかったです。
――専門外の種目でのケガでしたが、挑戦自体はポジティブに捉えていますか
関本 ケガしたことは残念でしたが、100メートルハードルをやらない方がよかったというわけでは無いです。それはそれで楽しく、最後にベストを出せたので、良かったなと思います。
――村上さんは4年目に自己記録タイを出しましたが、振り返っていかがですか
村上 4年目は日本選手権に出ることを目標に置いていて、その中で前半のグランプリや記録会で記録を出すことができたので、2年目と3年目の思いを最後に良い動きにできたと思います。日本選手権の時はヨンパーの全員で出場したかった思いもあったのですが、ケガで一人で出場したり、関東インカレの時も皆と戦うことができなかったので、寂しい思いもありました。個人のヨンパーとしては、最後の4年目で良い動きができたので、記録は満足してはいないのですが、自己記録タイは嬉しかったです。ですが、本当は自己ベストを出したかったという思いが一番大きくて、悔しい思いが強かった4年目でした。
――2、3年目から変えたところはありますか
村上 流れとしては変わっていません。気持ちの面で変わったかなと思います。下から、後輩からのプレッシャーなどを感じたのが大きかったのですが、4年目は最後だと思っていたので、そこからの気持ちの変化が大きかったと思います。
――いつごろ大学で競技をやめると決めたのですか
村上 私も最初は就活をしていて、その中で陸上人生をどうするか考えており、やはり大学4年で区切りをつけようという気持ちを持って、就活をして、最後の陸上シーズンを頑張ろうと思っていました。大学4年の初めくらいに考えていました。
――きっかけはありましたか
村上 決め手は大学4年間やってきた中で、3年目にあまり記録が出なくなってきて、そういったところで苦しい部分が大きかったので、そろそろ終わりかなと思ったところが大きかったです。
――決めてから、4年目頑張れたところもありますか
村上 そこも大きいと思います。
自己記録タイを出した木南記念での村上
――最後の全カレでは男女6人で決勝に残ったり、男女アベック優勝があったりなどしましたが、4年目の全カレを振り返るといかがですか
関本 4年目の関カレは女子だと夏美一人での出場になり、心細かったかなと思います。全カレでは男女ともに決勝に行き、戦えたので、自分一人だけじゃない、ヨンパーの皆で頑張るというか、高め合えたので個人的には楽しかったです。そういったところで、関カレの小山さんと夏美と3人で表彰台に立ったことを思い出したり、個人種目でありながら、皆で戦えたのが楽しいなと実感できた試合でした。
村上 皆で決勝に残れるというのも、目標にはしていましたが、実現することができたのは夢みたいな感じでした。本当に思っていなかったので、すごくうれしくて。女子が最初に試合が終わって、男子が始まる時に、3人でゴール地点で応援していたのですが、男子が頑張っている姿を見て、色々な感情があふれてきて、ヨンパーをやってて良かったなと思いました。
――女子のヨンパーでは後輩の川村選手が優勝しましたが、いかがでしたか
関本 1年生の時から強かったのですが、2年生になってから、ヨンパーという種目に対して自分なりに理解して、練習を見ていても段々変わってきているなと感じていました。試合でそれを発揮できたのはすごいことだなと思いますし、一緒に練習してきた後輩が良い成績を残せたのは嬉しいというか成長したなと思い、うれしくなりました。
――関本さんは最後にかわされる形でしたが、終わってからはどのような感じでしたか
関本 2位になったのはもちろん悔しいですが、すごく調子が良く、記録を狙えるぞと走りながら思っていたくらい、調子が良かったので、記録を出しきれなかっ たことがすごく悔しかったです。これを逃したら、今シーズンは難しいかもというくらい、自分の中で調子が上がっていることが分かっていました。それだからこそ、攻めて失敗してしまったというところがあります。やはり出し切りたかったです。
――村上さんはいかがでしたか
村上 川村の優勝はすごくうれしかったです。仲間として、チームとして早稲田が優勝することに意味がありますし、そこで川村が優勝したことが誇りに思います。ですが4年間の同期として萌香の優勝を望んでいたので、少し悔しい部分もありました。
4年時全カレゴール後の村上(左)、川村(中央)、関本(©︎Ekiden News)
――ラストイヤーに悔いは残っていますか
関本 残ってます(笑)。56秒96を出した時に、自分の中で4年生になってまだ記録を出せるという感覚がありました。4年生のシーズンも肉離れから急ピッチで上げていって、全カレに出場したので、決勝では調子が上がっていましたが、そこまでの期間で調子が下がっていた期間もあったので、全カレでまだいけるという気持ちがありました。そこに関しては自己ベストを出したかったなと悔いが残っています。
――56秒台を出しても、まだいけるという感覚だったのですか
関本 これがベストという感覚はなくて、これがベストなのかという感じでした。うまくはいっていたのですが、もっともっといけるという感じの方が強かったです。
――村上さんはいかがですか
村上 後悔はないと思いたいのですが、自己ベストを出すという目標があったので、そこで記録が出せなかったことは本当に悔しく、後悔が残っています。あと0・1秒でも早ければと思っていたので、そういったところでダメだったなと思っています。
――最後のレース終わってから、走らないことに対する寂しさはありますか
関本 それはありますね。ヨンパーという種目自体が大変で練習自体も苦しかったのですが、陸上で走るということが良いなとやめてみて思います。今はガンガン走るというよりは楽しみながら走ることをやりたいです。
村上 陸上から離れて、寂しいなという気持ちが大きいですね。仲間と一緒に和気あいあいとやっていたので、寂しい部分もあるのですが、色々なスポーツを見てみて、陸上をやっていて楽しかったなと思う部分はあるので、走りたいなと思うことはあります。
ともにラストレースとなった昨年10月の早大競技会、300メートル障害のレース後の2人
入学当初に考えていたものとは違う4年間、それでも
――早大の入学時にいただいていた目標と比べて、4年間を終えていかがでしょうか
関本 入学当初に考えていた4年間とは全く違ったのですが、それぞれのシーズンで良いことや悪いことがあったりして、4年間の陸上を作り上げられたので、目標には届かなかったのですが、よく4年間やってこれたかなと思います。
村上 私も入学当初から抱いていたものとは違うかなと思います。最初は一番高い目標を掲げていたのですが、それを達成するためにも計画的に自分でコントロールしなければいけなかったので、色々な悔しいことや難しいこともあったのですが、それも含めて、色々な経験ができました。ですが、記録を達成することができずに目標とはかけ離れてしまったことが多々ありました。
――ケガで記録が出ない時期がありましたが、そこでのモチベーションの管理をどのようにしていましたか
関本 ケガした最初の方はモチベーションを保てなくて、皆の走っているところを見て、走りたいという気持ちが強くなったりとかあったのですが、徐々に直していって、試合に出て勝ちたい、走りたいという気持ちが強かったので、そこで自分なりに考えて、ケガをしていてもできる練習を考えてやっていました。
村上 私も苦しい時期が結構あったのですが、その時々に先輩、後輩や同期などの仲間から声を掛けてもらったおかげで、やる気やモチベーションを保つことができたのかなと思います。
――早大を代表する選手として、プレッシャーを感じたことはありますか
関本 やはりあります。グランプリ(グランプリシリーズ)では自分の結果にこだわっていた試合かなと思いますが、インカレや六大学(東京六大学対校大会)になってくると自分の結果がチームの結果になってくるので、そういった部分で失敗できないとう気持ちがありました。皆の掲げた目標のために頑張れる試合でもあるので、普段のグランプリと違って、面白かったなと思います。
村上 私もインカレや関カレで走る舞台ですごくプレッシャーを感じていました。ヨンパーだけでなく、リレーやマイルのような競技の中で一走を務めることが多く、そこで最初の走りが重要だなと感じでおり、プレッシャーを感じることが多かったです。
――特に「ワセダのヨンパー」の選手として、プレッシャーや誇りを感じることはありますか
関本 自分自身でプレッシャーをかけていました。大学の時は自分で勝ちたいという気持ちがあったので、そこに対してその試合で達成できるか、次の試合で勝てるか、勝てた場合でも次は勝てるかなと自分で自然にプレッシャーをかけていた部分はあります。
村上 私も早大のヨンパーをやっている中で、人数が多いこともあり、3人の枠に入るためにはどうするか考えることが多かったです。そういったところでプレッシャーを感じていました。
――4年間を通して、お互いはどのような存在ですか
関本 隣にいるのが当たり前というか、競技の時もそうですし、競技以外の面でも色々相談し合ったり、色々な話をしました。4年間を振り返ると、夏美がいたから競技ができたなと思っています。1年生の時に私が動けない時に助けてくれたり、競技面でもずっと同じ種目でやっていたので、お互いに負けたくないというか、夏美がやっているから負けたくないというか、4年間を通してパートナーという感じです。
村上 ほとんど同じで、入学当初から不安なことが多い中でも一緒にいて、それで4年間やってきたので、どんな時も一緒にやってきて、萌香がいなくて私ができないことが多かったので、かけがえのないパートナーです。
3年時の全カレのレース後抱き合う2人
――今後、陸上とはどのような関わり方をしていきたいですか
関本 後輩の試合を見に行きたいです。知っている後輩が卒業したら、見なくなるかもしれないですが、後輩がいるうちは応援したいなと思います。
村上 見ることが好きなので、応援して、皆が頑張っている姿を見たいと思っています。
――後輩たちへの期待とメッセージをお願いします
関本 後輩とは一緒に練習してきたので、記録を出してほしいですし、楽しみでもあります。私たちの代では短長ブロックの人数が多かったのですが、私たち4人が抜けてしまい、人数が足りなくなっています。その部分で心配もあるのですが、今の3年生が後輩をしっかり見てくれるので、安心して任せたいなと思います。
村上 私も後輩の活躍がすごく楽しみで、関カレにも応援行きたいなと思います。去年の全カレで6人決勝に残ったという実績もあり、早大のヨンパーも注目されているので、プレッシャーを感じないように、早大のヨンパーとして頑張ってほしいです。
――特にヨンパーの後輩にはどういったことを期待しますか
関本 男女ともに皆で協力しながら、分からない時にはアドバイスをしあいながら、頑張ってほしいです。ケガでうまくいっていない選手もいますが、そういった人の走りも楽しみです。川村と津川の活躍も楽しみです。
村上 一番長く接していた選手たちでもありますし、頑張ってほしい思いが強くあります。女子だけでなく、男子もヨンパーを盛り上げていってほしいです。
――ありがとうございました!
(取材・編集 及川知世、湯口賢人)
◆関本萌香(せきもと・もえか)(※写真上)
2000(平12)年2月23日生まれ。秋田・大館鳳鳴高出身。スポーツ科学部4年。自己記録:400メートル障害56秒96。2021年全カレ400メートル障害2位。
◆村上夏美(むらかみ・なつみ)
1999(平11)年7月1日生まれ。千葉・成田高出身。スポーツ科学部4年。自己記録:400メートル障害58秒79。2021年日本選手権400メートル障害8位。