日本選手権を振り返って
日本選手権スタート直前の山内
――改めて、日本選手権はどんな目標で臨みましたか
もう一度48秒台で走って優勝することを目標にしていました。
――「3位以内を意識しすぎてしまった」というお話がありましたが、他の標準突破者の3人を特に意識してしまったのですか
そうですね、その突破者4人の中で3番に入ることが絶対だったので、その3人を意識したのはもちろんあります。ですが、今回3位に入った岸本さん(岸本鷹幸、富士通)だったり、ヤンマースタジアムが高速トラックなので他の選手もタイムが出る可能性があるということで、予選から誰が来るか分からないと思っていました。そこをねじ伏せて勝たないといけないなとは思っていたので、他の選手もしっかりマークして試合に臨みました。
――予選の前にかなり緊張があったというお話がありましたが、その緊張と比べて決勝前はいかがでしたか
予選のアップが結構不安だった分、そこを1本しっかり走れたので、決勝は自分の思っていたより精神的には良かったです。ですが、アップが終わっていざ招集所、スタートの直前までいったときにやはりいろいろなことを考えてしまい、レースに集中できていなかったかな、というのはありました。
――今改めて今回の日本選手権をどう振り返りますか
目標としていた優勝はできず、しかも3位以内での即内定もできなくて4位という一番悔しい順位をとってしまったことに対しては、まだまだだなと感じます。ですがこうやって標準記録を突破して、日本代表の座をかけたレースに臨めたのは今後の競技の部分につながると思います。今後もこういうことが絶対あると思うので、今回の、標準を切ってから日本選手権に臨むまでの練習や気持ちの作り方は、今後に生きてくると思っています。
――日本選手権を終えてから、7月2日の追加発表まではどんな心境で過ごしましたか
発表されるまでは、いてもたってもいられないという感じで。4位になってしまった自分が悪いのですが、不安な状態が続いていました。まだ可能性があるということで、出られることを前提に練習するしかないと思っていました。
――正式発表された時はどんな気持ちでしたか
いざ発表されて、自分の名前が追加内定のところにあるのを見ると、日本代表に内定して五輪に出場できるんだ!という気持ちになりました。見た瞬間はよっしゃー!という感じですごくうれしかったです。
――周りの方々からの反響はありましたか
地元の友達からも連絡がありましたし、まず家族が一番最初に連絡してくれました。家族と話して、ここまでいろいろ迷惑かけてきたりだとか、たくさん支えてもらったので、ひとつ決まって良かったという気持ちがありました。あとは両親とも陸上をやっていて、周りの方から良かったね、という連絡もたくさんあったらしく、たくさんの人に応援されているんだなと感じました。最近でも、自分は出られていないのですが地元で激励会があったり、たくさんの人に応援してもらっていると感じ、もっと頑張らないとなと思いました。
――チームメートからの祝福はありましたか
みんな決まった瞬間に、良かったね、おめでとう、と言ってくれて。ちょうど寮の夕食の時間帯だったので、食堂に行った時に祝ってもらいました。あと競技場に行って寮外の人たちやコーチ陣にもおめでとうと言ってもらえて、そこで自分も日本代表になれたんだ、という実感が湧いてきてうれしかったです。
――黒川和樹選手(法大)とは日本選手権の前後で何かお話ししましたか
4月からずっと僅差の勝負を続けてきてライバルなのですが、2人とも大学生で標準を切っているので「絶対2人で出たいな」みたいな話をずっとしていました。ナショナルトレーニングセンターでメディカルチェックがあった時も、「もう1回ここに代表として来て、2人で出たいですね」みたいに話していました。日本選手権でも決勝直前まで「絶対やってやるぞ」と2人で話していました。黒川には結構な差で負けてしまったのですが、こうやって結果的に話していたことが実現できて、良かったなと思っています。
――会った時には自然とお互いそんなお話になるのですか
そうですね、黒川の方から「頑張りましょー」みたいな感じで寄ってくるので、「頑張ろうぜ」という感じになります(笑)。あいつも決勝前は「胃が痛い」とか言っていたのですが、「まあどうせ走るんだろうな」と思って聞いていました(笑)。
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