創部105年を迎えた競走部。この伝統を守ってきたのは、表舞台で輝かしい成績を残した選手たち。そして、その裏で選手を支え続けてきたスタッフたちだ。選手たちが練習を終え、静まり返ったグラウンドの一角には、練習の記録をまとめているマネジャーたちの姿がある。そしてその中心に立つのが『主務』だ。今年度の主務である大貫杏(人4=東京・駒場)は、創部105年目にして初めての『女性主務』。そんな大貫が主務になった経緯、女性ならではの苦労や強み、そして部にもたらした変化とは——
※この取材は12月5日に行われたものです。
「早稲田が一番かっこよく見えました」
丁寧に取材に応じた大貫主務
――まずはじめに、競走部のマネジャーになった理由、きっかけをお聞かせください
中学生や高校生の頃からテレビで一般種目や箱根(東京箱根間往復大学駅伝)を見ていて、その中で一番早稲田がかっこよく見えたんです。それで憧れて入りました。
――他大学の陸上部でマネジャーをすることは考えましたか
あまり考えたことはないです。早稲田の競走部のマネジャーがしたくて入ってきたという感じですね。
――ご自身の陸上競技経験は
陸上競技の経験はないです。中学がバスケ部で、高校がテニス部でした。
――陸上競技経験のない中で競走部を目指したのは
やはりテレビなどで見ていたのが一番ですね。
――入部当初を振り返って、印象に残っていることはありますか
大学の中でもルール等が多い部活だと思うので、元から想像はしていましたが、それを超えてきた部分がありました。
――4年間を部活に捧げるという決意はどのように固めましたか
早稲田の競走部に入りたくて早稲田大学を選んだので、まずは入部することに必死でした。その時は4年間とかは考えていなくて、まず「入らなきゃ」ということだけを考えていました。
――早稲田の競走部に入ること一本で考えていたのでしょうか
そうですね。競走部以外、新歓も行きませんでした。3月末頃に初めて見学に来て、そこから続けています。
――入部当初、他に女性マネジャーはいらっしゃいましたか
先輩が5人、あと同期の森(菜々穂マネジャー、人4=北海道・旭川東)がいたので、女子は結構いました。
主務には「自分がなるべきなのかな」
――では、ここから、主務についてお伺いしていきたいと思います。例年は選手経験のある男性マネジャーが主務になられると思うのですが、今年女性が選ばれた理由は
例年だと2年の夏に選手からマネジャーを出す流れだったのですが、私の代はまず2年時にマネジャーを出すという話にならなかったので出ませんでした。そして2年秋の幹部決めの時期に2年生から副務を出さなければいなかったのですが、当時私しかマネジャーがいなかったので、まず私が副務になってまた1年間考えようということになりました。そして3年秋の主務決めで、当時平子(凜太郎、創理4=福島・磐城)がまだマネジャーになって1カ月くらいで。平子か私かというところで、学年などでも結構話し合いましたが、最終的に私がなったという経緯です。
――今の4年生の代は、2年時にマネジャーが出なかったということですか
私の1個上の主務だった田村さん(優氏、平31スポ卒)は短距離からなったのですが、例年長距離は2年の夏頃にマネジャー決めのレースがあります。ですが当時の長距離チームの状況を踏まえて、監督やコーチがマネジャーを出すべきではないとの意見だったので、そもそもマネジャー決めのレースがありませんでした。そして3年生になって、武士(文哉、文3=群馬・高崎)などと同じタイミングで平子がマネジャーになりました。
――主務になると決意した理由は
最初は平子がなるのかなと思っていましたが、やはりマネジャーになってまだ1カ月で主務になるのは本人も大変だと思いますし、周りからもそういう意見がありました。自分も1年間副務としてやってきて、大きいことはしていませんが、田村さんや井上さん(翔太氏、平31スポ卒)の下で色々と見てきたのはあるので、自分がなるべきなのかなと思って最終的になりました。
――競走部初の女性主務ということですが、決定した時、ご自身ではどう思いましたか
これまでの主務の方は競走部での競技経験があったり、寮で選手と一緒に過ごしていたり、同性だったりしたので、やはり色々な面で自分はコミュニケーションが足りていないし、取りづらい立場にあるのかなと思いました。なのでそこをどうにかして自分から動かなければいけないなというのは感じました。
――ご自身は競技経験がないということ、また、女性ということですが、コミュニケーション等の面で工夫されていたことはありますか
自分の今までの主務の先輩の印象は、すごくリーダーシップがあって部をまとめているという感じです。一方で自分はそうはなれないかなと思ったので、他の幹部の西久保(達也主将、スポ4=埼玉・聖望学園)だったり、太田(智樹駅伝主将、スポ4=静岡・浜松日体)がチームの先頭に立ってくれると思ったので、自分は幹部の中でもチームの中でも裏から支えられるような立場になれればと思っていました。
――主務の仕事内容は
マネジャーの中で分担してやっていることの最終的な統括、最終決定や責任があります。また競走部として外部と連絡を取るのも主務の役割です。
――3年生まではどのパートを重点的に見ていましたか
短距離が多かったと思います。合宿なども短距離に帯同していました。
――マネジャーから主務になって、長距離との関わりも増えたなどの変化はありましたか
練習でタイムを測ることなどは3年生までもしていて、長距離の合宿には帯同していないので特にそういった変化はないです。ですが自分の気持ち的に、3年生の時よりも長距離のこと、平子や武士がやっている仕事の内容や選手のこともしっかり分からないとな、という気持ちの変化はありました。
――練習日の1日の流れは
4年生になってから私はゼミ以外に授業がないので、15時からの練習に14時半くらいに来て準備して、集合が始まるという感じです。水土日はポイント練習があるのですが、短距離は大体、火水木土日と練習しているので、練習が始まってタイム計測したりビデオ撮影したりして、18時くらいに終わってそこから練習結果をまとめたりして、選手が最後帰るのを待って、自分は大体19時頃に帰る感じです。
――男性と女性で仕事内容に違いはありますか
私が2年生の時までは最初からマネジャー志望で入ってくるのが女子で、途中で選手からなるのが男子という風に分かれていたのですが、現2年生の代に元々マネジャー志望の男子が入部したことによって、それ以降あまり男女でという区別はなくなったかなと思います。
――現2年生より上の代ではマネジャー志望の男子は募集していたのでしょうか
たぶん来たら断ることはないのだと思います。私の2個上の関東学連(関東学生陸上競技連盟)の幹事長だった伊藤大悟さん(平30教卒)がおそらくマネジャーとして入ってきて。学連に行く人も最初はマネジャーとして入ってくるので、最初から学連に行きたかったのかは私は分かりませんが、その前もあまり聞いたことはなかったので、あまりいなかったのかなと思います。
――主務と駅伝主務の違いは
主務は部全体の仕事、例えば対校戦や事務的なものもそうですが、競走部全体に関わる仕事をやっていると思っています。駅伝主務は、長距離の方がやはり駅伝など大規模なものが多いので、特に箱根などはやることもすごく多くなっていくので、そういうのをメインで深くやってくれているという感じです。
「男女の間をとることは、女子主務だからこそやりやすかったのかな」
――マネジャーから主務になって、気持ちの面での変化はありましたか
3年生までは陰で支えるというのが自分の役割だと思っていました。それは今も変わりませんが、それに加えてやはりみんなをまとめたり、マネジャーをまとめるのもそうですし、選手全体、言い方はあれですが人の上に立つようなことが必要だと。役職がついた分、ただ人の陰になっているだけでは駄目だなというのは感じました。
――マネジャーや主務をしていて、大変なことは
やはりここで競技していた経験がないので、主務になって選手に厳しいことを言った方がいいというのは監督やコーチから言われたことがあるのですが、自分の中で、ここで競技した経験がないのにそういうことを言っていいのかと悩んだことはあります。そういうのが結構難しかったです。
――普段はどのような感じで選手に声がけをしていますか
対校戦などの大きい試合の時は自分も緊張しますが、選手に頑張ってね、などと言ったら逆効果かなと思ったので、いつも通りに、軽い感じで接するよう心がけていました。
――競技に関して何か言ったりすることはありますか
練習中にビデオ撮影などをしていて、どうだった?などと聞かれたら、感想くらいしか言えないのですが、言うことはありました。悩んでいたりした選手に、良かったよなどは言いますが、技術面に関しては全然自分は言えませんでした。
――主務になって、マネジャー時代より大変になったことは
やはり責任の大きさが全然違うなと思います。自分がやることに対しても他の後輩がやることに対しても全部の責任を自分が取るので、それが今までと違ったなと思います。
――女性だからということで苦労されたことはありますか
寮に入っていないとか、グラウンドでしか顔を合わせないということで、コミュニケーションなどがやはり、どこまでいっていいのかが分からなかったりというのはあります。
――寮に入っていない中で、練習でのコミュニケーションが大事だと思いますが、普段意識していることは
トレーナーとけがをした選手が話していたり、コーチと選手が話しているとき、近くにいたら聞いておくようにしようと思いました。自分から声を掛けなくても、その選手が何に悩んでいるか、どこをけがしているかなどは何となく把握しておくように心がけました。
――逆に女性ならではの強みは、ご自身で感じることはありますか
おそらく少し前の競走部に比べて女子の力がどんどん強くなってきています。特に400メートル障害などで女子が勢いづいてきたと思うので、その中で自分が主務という立場にあり、幹部ミーティングなどで女子の意見を言えたというのがありました。男女の間をとるというのが、女子主務だからこそやりやすかったのかなと思います。
――大貫さんが主務になられたことで、部全体として何か変化したことはありますか
自分の感覚なので間違っているかもしれませんが、昨年の田村さんだったり、その前の皐平さん(鈴木皐平氏、平30教卒)、江口さん(卓弥氏、平29スポ卒)はすごくリーダーシップのある方で、主将と主務で一緒にチームをつくっていくという感じでした。それが本来あるべき姿だとは思うのですが、自分が一歩引いた立場になってしまった分、西久保がすごくリーダーシップを発揮して、選手で強いまとまりのあるチームをつくってくれたのはあると思います。
――西久保主将と普段、部についてお話ししたことはありますか
幹部ミーティングがあったので、西久保と二人だけではないですが、そこに金井(直、スポ4=神奈川・橘)、飯島(陸斗、スポ4=茨城・緑岡)、宮川(智安、スポ4=埼玉・早大本庄)、太田(智)を入れて話すことは結構ありました。
――今年度はどのような部にしようという方針はありましたか
今年は『つながり』という言葉を西久保が何回も使っていたので、学年間だけではなくブロックだったり、横も縦も色々な単位でのつながりを強めていこうと言っていました。ブロックでのミーティングも西久保が考えて始めたことでした。
「あとはみんなを信じて待つだけ」
――理想の主務像は
リーダーシップがありつつも、選手一人ひとりに寄り添うというか、みんなから気軽に話しかけてもらえるというのが自分の理想像でした。
――主務をやっていてよかったと感じる瞬間は
やはり普通のマネジャーをしているよりもチームの中に入れたと思うので、最後の一年は全部の試合がこれまでよりもすごく気持ちがこもって、今まで以上に選手一人一人の結果に喜んだり、一緒に悔しがったりというのができたかなと思います。
――では逆に、つらい、辞めたいと思ったことは
ありますね(笑)。これで辞めたいと思ったわけではないですが、一個下の代に元々マネジャーがいなかったため、自分が2年生の時に1、2年どちらの仕事も担当して。そのくらいのタイミングで副務にもなって対外的な仕事も入ってきて、やることが多くてつらいというのはありました。
――同期で関東学連に入られた森さんとは、いつ頃までここで一緒にお仕事をしていましたか
1年生の関カレ(関東学生対校選手権)までですね。それまでは一緒にやって、関カレ後に彼女は関東学連に行きました。
――競走部での4年間を通して、思い出深い出来事は
竹内(まり、教4=愛媛・松山西中等)が同期女子の中でも特に仲がいいのですが、今年の関カレでマイル(4×400メートルリレー)が優勝して、金メダルをかけてくれて。本当は個人の800メートルで掛けたかったんだけど、と言ってくれて、でもそれがすごくうれしくて、一番思い出に残っています。
――尊敬する先輩はいらっしゃいますか
2個上の荘司さん(結有氏、平30スポ卒)と秦さん(七菜子氏、平30スポ卒)という女子マネジャーの先輩は色々指導もしていただいて、親しくもしてくださって、自分が一番憧れていた先輩でした。女子マネジャーの理想像というか、自分が迷った時にこのお二人だったらどうするかなとか考えることはあります。
――後輩のマネジャーについて
みんな結構個性が強いのですが、武士は本当にしっかりしていて。平子は長距離の中でもマネジャーの中でもいじられキャラなのですが(笑)、その分武士がすごくしっかりしてやってくれていたり。女子だと石田(和嘉子マネジャー、商2=静岡・浜松日体)とかは結構個性が強くて(笑)、長距離の部員からもいじられたりしています。佐藤(恵介副務、政経2=東京・早実)と江本(亘マネジャー、スポ2=愛知・岡崎北)はしっかりしていて気づいたら何でもやってくれるという感じです。みんな結構個性的なのですが、集団になると補い合ってうまくやってくれているなと思います。
――来年度の主務については
もう本当に、熱意もすごくて(笑)。しっかりしているので楽しみだなと思います。
――1年生の女子マネジャーは
自分も最初マネジャーは一人だったので、彼女も同じように一人なので少しは気持ちも分かるのですが、たぶん今すごく寂しいと思います。
――では最後に、いよいよ4年生の代にとって集大成の箱根が近づいていますが、主務としての意気込みや選手へのメッセージはありますか
この一年チームでやってきたことがあって、それは結果が何位でも一年やってきたことは変わらないと思います。しかしやはり結果が出て自分達の代が評価されると思うので。私はもう選手がスタートしたら大手町で待つことしかできませんが、みんなが頑張っている姿は一番近くで見てきたと思うので、あとは信じて待つだけだと思います。最後まで選手を信じられたらいいなと思います。
――ありがとうございました!
(取材・編集 布村果暖)
最後の大舞台となる箱根では、仲間を信じてサポートに尽力します!
◆大貫杏(おおぬき・あん)
1998(平10)年1月28日生まれ。150センチ。東京・駒場高出身。人間科学部4年。105年の歴史を持つ競走部で初めて女性主務となった大貫主務。快く取材に応じてくださいました。執筆者とは高校の最寄りが同じで、テニス部という共通点も。特に仲のいい部員は同期の竹内まり選手(教4=愛媛・松山西中等)と溝口友己歩選手(スポ4=長野東)で、3人でディズニーにも行ったそうです。