陸上競技、7人制ラグビー、陸上競技と競技転向の経験と、5歳の娘をもつママアスリート、寺田明日香選手(パソナグループ)は、早大の人間科学部人間情報学科で学ばれたこともある。2018(平30)年12月に陸上競技への復帰を発表し、翌年には女子100メートル障害で12秒97をマークして従来の日本記録(13秒00)を19年ぶりに更新。10月にはドーハ世界選手権にも出場した。そんな豊富な経験を持つ寺田選手に、これまでの人生と心境、今後に意気込みについてお話を伺った。
※この取材は11月13日に行われたものです。
復帰目標90パーセント達成
質問に答える寺田選手
――今シーズンを振り返っていかがでしたか
去年の12月に陸上競技に復帰というかたちで公表させていただいて、4月から実際に試合に出場したのですが、久しぶりというよりは初めてという気持ちが大きかったです。召集やアップなど、陸上競技ならではの雰囲気を忘れていて、学生たちよりもそわそわしていました。けれど、昔ながらの選手やもっと若い選手が私のことを知ってくれていて、だんだんと走りやすくなってきました。最初は、記録会や地域の試合から始めたのですが、日本選手権といった大きい試合に出場していくにつれて、記録も上がってきたので、全体を通しては満足のいく結果になったのかなと思っています。
――他の選手がなかなか13秒台の壁を破れていませんでしたが、日本記録(12秒97)を樹立した時はどのようなお気持ちでしたか
日本記録はうれしかったんですけど、どちらかというと世界選手権の標準(12秒98)を切ったことの方がうれしくて。13秒台を切ることは大きな目標だったわけではなく、2020年の東京五輪に向けて今年度中に12秒台で走れればいいし、世界選手権も行けたらそれはすごくいい経験になりますし。本当は、五輪標準(12秒84)を出せれば万々歳で、今年の目標としては100パーセントくらいでした。でも、世界選手権に行けたのは本当に大きかったので、今年の復帰するときの目標の90パーセントくらいは達成できたかなと思います。
――10月の世界選手権のレースを振り返るといかがでしたか
まずは、出られたらラッキーと考えていました。(出場を)決めた時は、走って経験するということが、これからの大きなアドバンテージになると思っていたので、できるだけ多くの本数を走りたい気持ちが大きかったです。でも、やっぱりまだまだ私が勝負できるっていう立場にいないっていうことは分かっていましたし、結果予選落ちということで一本しか走れませんでした。けれども、その後すぐに切り替えて、他の選手たちの準決勝のアップだったり、決勝の前の雰囲気だったりを実際に自分の目で見ました。「自分と何が違うのか」、「自分の中で何が足りないのか」、「逆に私がかっている部分はあるのか」という今まで謎だったところを解明するという感じで見れたのは大きかったです。一緒に走っていて、置いていかれる部分がわかったので、今後の課題として使え、経験してよかったなと思っています。
――世界選手権での13秒20という記録は、あまり良くなかったのですか
良くなかったですね。(ドーハに)入って、練習を始めた時に体が動かないというのは分かっていたのですが、それから二回調整して、ちょっとずつ走れるようになってきました。日本選手権までは、ガーっと集中して、人を寄せ付けずに体の動くままに走るのが特徴で、良いレースは集中しすぎてほぼ覚えてなかった。体の感覚しかないから、メディアには適当なことしか喋ってなかったですね(笑)。「多分何台目が良かったと思います」みたいに(笑)。でも今は、すごく考えて走っているから全部覚えています。走っている時も、「1台目浮いたな」、「2台目、3台目置いて行かれるな」、「ここの順位で行きたいな」って。後半、「前に行きたいな。でも自分のペース守るのも必要だな」という二択が出てきて、「これは前に行きたい」って思ったらぶつけた。(ハードルに)かすって失敗して、そこでプチッと切れて遅くなっていったという感じでしたね。
――世界選手権の出場は2回目になりましたが、10年前との違いはありましたか
19歳で出場した時は最年少出場だったんですけど、その時は海外の選手が大きく感じましたし、英語での対応とか、召集所でのあれこれとか、スタートラインに立ったときすらも、すごくドキドキしていた記憶があります。行ける権利を獲得した部分でかなり満足していた部分があったと思うのですが、今回は全然違って。10年経って戻っているので、年齢的には上の方になっていましたし、海外の選手が大きく見えたということもありませんでした。もちろん英語での対応も怖く感じたことは全然なかったので、落ち着いて冷静に挑めたと思っています。
「ハードルは日本人でも勝負できることをアピールしたい」
――ご自身のハードルでの強みや特徴を教えてください
私、ハードリングが下手なので。取り上げるとしたら、スピードがある選手なのかなと思っています。他の選手に比べたら100メートルが速いというところが私の持ち味だと思うので。
――後半にかけてスピードが落ちず、むしろ加速できる走りのポイントはどこにあると思いますか
減速率が多分他の選手より低いというところ、前半に力を使いすぎていないということにあると思っています。いろんな型があるんですよね、短距離の選手って。前半型で、すごいスタートが速くて後半頑張って引っ張るとか、後半型で後半に他の選手よりも加速度があって伸びていくように見えるとか。私はどちらかというと、スタートがあまり得意ではなくて、中盤から後半にかけた加速曲面が一番得意なので、そこで他の選手と並んだり、追い抜いたりというところが特徴的なのかなと思います。
――スタートが遅れてしまって、焦ることはないんですか
ないかな。シーズン初めの方はあったんですけど、だんだん試合を重ねるにつれて、「100メートルあるから」という感じで。そんなに焦らずに、横を見たり、スピードが乗ってきたな、などと考えています。
――競技でのご自身の改善点はありますか
本当にハードルが下手なので、まずは、ハードル選手らしいハードルにできればいいなと思っています。世界選手権でトップの選手たちを見ていると、ハードリングの動きやドリルの一つをとっても、ものすごく速くて。ハードルがあっても、速い動きをしなければいけないと思いました。そもそも足が日本では速くても、海外の選手に比べると圧倒的に遅いので、足を速くすることと、ハードルの局面でどれだけ速さを求められるかというところが改善点です。
――ハードルを跳ぶのが下手とおっしゃっていましたが、それでもなぜ、ハードルを続けようと思ったのですか
海外の選手に比べると、日本の選手は100メートルで勝負できないからハードルに転向するという選手が多いんですよね。でも、海外の選手は100メートルで勝負できるけれど、あえてハードルをやる選手がいる。そういう中で、私が今年100メートルで大体ランキング8番から10番の間だと思うんですけど、「え、寺田明日香は100メートルでも勝負できるじゃん」ときっと思われていると思うんですよね。でもその中でハードルをやって、「ハードルは100メートルを走れないからやる競技ではないんだよ。逆に100メートルが速くなければできないんだよ」ということを言いたい。100メートルの五輪標準は11秒15が必要なんですよね。ハードルだったら12秒84。もちろん、技術も伴うものなので、スプリントだけやっていればいいわけではないんですけれど。
また、日本人には昔から技術面に関して、精巧なものを作れたり、ラグビーもそうですが、小さくても勝てたりといった強みがあります。もちろん速さが必要ということをアピールしたいんですけれど、「日本人でも勝負できる種目なんだよ」というところもアピールしていきたいという気持ちがあります。
「ラグビーを通して、走りに対する魅力や楽しさに気づけた」
9月初旬の富士北麓ワールドトライアルで日本記録を更新した際には満面の笑みを見せた寺田選手
――ここからは、陸上競技、ラグビー、陸上競技と競技を転向されたときのことについて伺います。なぜ、ラグビーから陸上競技に復帰しようと思ったのですか
約2年間、7人制ラグビーをしていたのですが、始めてすぐの時点、4、5カ月くらいで、大きなけがをして、それから半年ほどラグビーの練習から離脱していました。復帰したときには、日本代表の合宿に呼ばれてはいたんですけど、自分が他の選手より光るものが何かって考えたときに、走りの部分しかなかったですし、どうしても団体競技になると、その年、例えば五輪の年に、すごく良い活躍をしてもいきなり入れるということはまずありません。ラグビーは2年前から合宿の中でふるいにかけるという選び方をするので、現時点(去年の10月)で私の実力がこれくらいだったら、多分、五輪まで残るのは難しいなというふうに考えました。
その時点で、今の自分には何が一番向いているのか、何が生かせるのかということを考えました。もちろん働くということもありましたし、このままラグビーを続ける選択肢もありましたが、その一つが陸上競技に戻ることでした。ラグビーをしている中で、すごく走りが良くなっているような気がして。走っている時も心地良かったり、気持ち良かったりとか、そういうのが生まれていました。陸上競技をやめるときはそういった気持ちはなく、ただただ走ることや、陸上競技がもう嫌だと思っていたので。ラグビーを通して、走りに対する楽しさや魅力に気づけたということがありました。
もちろん、いろんな意見があると思いました。例えば、「ラグビー舐めんなよ」とか「あっさりやめんなよ」とか、「陸上競技を舐めるな、そんな簡単にいくわけないだろ」とか。そう言われるのはもちろん分かってはいたのですが、自分の後悔しない生き方だったり、今の自分を生かせる生き方だったりを考えたときに、やはり陸上競技に戻ることなんじゃないかなと思って戻りました。
――ラグビーから陸上競技に復帰され、最初に跳んだハードルの感覚はどのようなものでしたか
前の陸上選手の時にやっていたことはほぼ忘れていて、かなり新鮮だったかなと思います。辞めたときは13秒8で辞めているんですけど、日本選手権に出場できるタイムが13秒7を切らないといけないと考えたときに、走りは良くなっていると自分では思うけれど、「どうだろう、切れなかったらどうしよう」という気持ちがかなり大きかったと思います。
――ハードルにおいて、ラグビーがどのように生きていると思いますか
フィジカル面では、陸上競技のときにできなかったトレーニング、体づくりや増量、筋量アップができたし、体を大きくすることに何ら抵抗も感じないし、逆に大きくなればいいなというふうにも思っています。気持ちの面でもトレーニング面でもラグビーを通してもすごく変わったなと思っています。
ハードルは怖くなくなりました。というのも、ラグビーだと、私は60キロくらいでしたけれど、大体75〜80キロの女子たちが私に全速力で当たってくるので、かなりの吹っ飛びようなのですね。ラグビーのときはいつもどこかが剥けていたり、膝の皮膚がえぐれていたりとか、生傷が絶えない感じだったのですが、陸上競技の場合は、そういったことはほぼなくて。ハードルで転んでも、膝を擦りむくくらいなので、ハードルが本当に可愛く思います(笑)。
――そういったラグビーでのけがは陸上競技に影響はありませんでしたか
(練習の)最初の方だったり寒くなったりすると、ラグビーで骨折して手術した足が硬くなったり、痛くなりやすくなったりすることがあります。なので、今シーズンを通して、どこも痛くなく、100パーセントで走れたことはありませんでした。どこかしら痛くて、「痛いなあ、でも走んなきゃなあ」というふうに思って走っているので、影響は少なからずあります。
でも、それもまた一つの面白いところで。痛みのコントロールもかなりできるようになりましたし、これくらい痛かったらもう駄目だというのが分かるようになりました。痛みとの付き合い方が、けがをして、年齢もアップしてわかるようになったことなったことだと思っていて、それは良かったかなと思います。
――7人制ラグビーは14分で走り回りますが、400メートル障害に挑戦しようとは思わなかったのですか
(笑)。最初言われたんですけど、私はハードル右足で踏み切るんですよ。でも、400メートル障害をやるには、左足で踏み切りもしなければいけないんですよね。それが、圧倒的に苦手すぎてできないというだけです。しかも、私、陸上競技で400メートルを走ったことがないんですよ。練習でも300メートル以上走ったことないんですよね。今の練習だと、200メートル以上絶対に走らないんですよ。そもそも、ラグビーだとみんないるから走んなきゃいけないけど、一人なのに400メートル走るっていうモチベーションが私にはなかった(笑)。ラグビーは、ラインを作って走らなければいけないし、戻らなければいけないから走るけど、「なんで1人で400メートル1周、スタートして苦しんで戻ってこなければいけないのか」というのがわからなかったので、400メートル障害はやらなかった(笑)。
――他競技と比べた陸上競技の面白さは何だと思いますか
まず、陸上競技やっている人って、個性的な人が多いです。個人競技ならではで、『ゴーイングマイウェイ』な人が、私も含めて多いなと思っていて。それぞれの走りや、跳躍、投てきに対する向き合い方が、割とシビアだったりするので、感覚の話をしたりするときはすごく面白いなとに思います。それはラグビーの時には全然なかったことでした。ラグビーの時は、仲間と一つの目標に向かってやっていくので。例えば、私を生かしたい、この人を生かすためにはどうしたらいいかということを考えるので、割とみんなで話していることが多かったです。個性的な人もいるんですけれど、協調性を持ち合わせている。陸上競技は、個性が圧倒的に強い印象なので、そういう子たちと話すのはすごく面白いなというふうに感じます。
ママアスリートが当たり前にいる社会に
――競技の転向や出産を経て日本記録を樹立され、多くの人が勇気づけられたと思います。その点についてはどうお考えですか
もし、来年の五輪に私が出られたとしたら、母親として出場する選手は5人程度なんですよ。それで、今の日本と世界の社会を比較したときに、日本では女性が活躍するということが遅れているんです。女性が社会進出したり、キャリアになったりすることを目指す過程において、私がママアスリートとして競技をできることは、うれしく思っています。でもその一方で、『ママアスリート』と呼ばれることに関しては、良いことであるとは思っていません。子育てをしながら競技を続けるということが当たり前ではないから、珍しい立場であるからこそ、注目されやすいということではないですか。また、育児と仕事をしている女性は普通であると見られるけれど、アスリートだからこそ、特別視されています。だからこそ、ママアスリートが当たり前になっていってほしい。そしてそれは、誰かが実践しないと進んでいかないことだと思います。最近は後輩やライバルが、育児と競技の両立について聞いてくることが増えてきて、すごくうれしいです。また、世の中で働く女性が、「そういうアスリートいるんだ」と知り、元気になってくれれば、自分が活動をやっていてよかったなと思います。私は、『アスリート』という特殊な職種の女性としてではなく、一人の働くママとして、世の中のパパ、ママが元気になってくれればと思っています。
――子育てと陸上競技の両立において心掛けている点は何かありますか
自然体であることです。ラグビーに転向する前は、人を寄せ付けないようにするオーラを放つようにしていて、自分をつくっていました。でも、再び陸上競技に復帰したときは、ありのままの自分でいようと心掛けています。選手でいる時と変わらずに子育てをして、子育てしている私が走っているという感じです。だから、場面場面で『私』が変わることはありません。そのため、ありのままの私を好きになってくれる人と付き合っていきたいと思うし、子育てや陸上競技などの人生をつくっていきたいと考えています。
――出産を経て、精神や身体への影響はなにかありましたか。そしてどのようにその影響を乗り越えてこられたのですか
身体に関しては、体重の変化があり、出産後に体を動かしたときは、まったく別の体になっていると感じました。でも、前のときの自分の姿や走りを求めていると、先には進めないと思ったので、前の自分は捨てて、今の身体でできるトレーニングや走りを考えるようになりました。
「陸上競技が人生の全てではない」
――なぜ早大の人間科学部で学ぼうとお考えになったのですか
私は高校を卒業した後、北海道ハイテクACに所属していて、2年間は専門学校生として、その後は実業団選手として競技をしてきました。ただ、私は大学に行きたかったので、その進路が決まった後、「引退したら大学に行こう」と決めていたんです。
23歳で陸上競技を一度引退した後、家族や周りの方と話し合うなかで、早稲田大学にはeスクールがあることを知って。そこでなら働きながらでも勉強をできるのではないかと思いました。また、人間科学部は幅広い分野を学ぶことができます。当時の私は陸上競技以外に何が好きで何に興味があり、何が得意なのかをわかっていませんでした。だから、人間科学部でそれを探すことも目的の1つで。人生の中で、一生懸命勉強した期間をつくりたいという思いもありましたね。
――人間科学部人間情報科学科ではどのようなことを学ばれたのですか
北海道ハイテクACに入った時に、私はITの学科に所属していました。だからプログラミングが得意で、自分が知っている領域で学びたいと思っていました。また、自分が持っている知識にプラスアルファで何か得られたらと思い、情報科学科を選んで、プログラミングや人間工学を履修していました。最終的には、子ども福祉の研究室に入ることになりますが、私は、子どものことや発達過程に興味をもつのだなと分かったことも大きな収穫でした。また、eスクールでは統計学が必修だったので、ソフトの使い方や統計学の考え方が分かったことも大きかったと思います。
――冬季練習で重点を置いているところと、シーズン明けの目標を教えてください
まずは体をつくることです。10月の世界選手権では、海外の選手と並んだ時に「見劣りしないね」と周りに言ってもらえました。でも骨格的な要素で劣っているから、そこをカバーできる体をつくることが大事だと思います。
2つ目は、スピードを高めるために、スプリントに重点を置きたいです。私の100メートルの自己ベストが11秒6で、条件が良くても11秒4が限界です。これでは海外の選手に勝てないので、現在の日本記録である11秒2程度で走りたいと思っています。
3つ目は、ハードリングです。私のハードル走はハードルを跳んでいるけど、海外のトップ選手はハードルがあっても走っている、またいでいるように見えます。だから、海外の選手の走りに近づけることが重要だと思っています。
――来年の東京五輪への意気込みを教えてください
出場が決まるのが来年の6月以降で、出場する方法は二つあります。世界ランキングで一定以上に入る方法と、標準記録を突破するという方法です。やはり、標準記録を突破した状態でいかないと、戦えないで終わってしまいます。だから、来年の早い段階で標準記録を突破して、出場を決めたいと思っています。ラグビーから陸上競技に復帰するにあたって、五輪で世界と勝負したいという思いを持っていたので、準決勝で良い記録を出して、ファイナリストに残るという高い目標を持っていきたいと思います。
――陸上競技に取り組んでいる学生の皆さんにメッセージをお願いします
「人生は陸上競技だけではない」ということです。陸上競技をやっているのは人生においてほんの一時だけだし、陸上競技が人生の全てではないです。例えば今、陸上競技をやっていて、伸び悩んで記録が出ないと思っていても、それで人生終わりではないし、そのあとに続く何かを見つけられるほうが大きいことだと思います。
苦しいときこそ、陸上競技ではなく、ほかのことに目を向けてほしいと思っています。陸上競技以外に自分が得意なことは何か、興味を持つことは何かを探せると、案外陸上競技にプラスになることが起こり得るはずです。苦しい時こそあえてよそ見をするのもいいんじゃないかと思いますし、休みたいと思ったら休んだほうが良いと思います。これは、一回やめた私の経験測です。休みたいと思うことは、心も身体もSOSを出していることで、案外休んでも大丈夫なものです。自分の身体と対話してやっていくのが良いと思いますね。
――ありがとうございました!
(取材・編集 足立涼子、岡本新)
「2020東京オリンピックファイナリスト目指します!」と力強い言葉を色紙に書いてくださいました
◆寺田明日香(てらだ・あすか)
1990(平2)年1月14日生まれ。167センチ。北海道・恵庭北高→北海道ハイテクAC→パソナグループ。早大人間科学部人間情報科学科(eスクール)卒業。自己ベスト:100メートル障害12秒97(日本記録)、100メートル11秒63。09年ベルリン世界選手権、19年ドーハ世界選手権女子100メートル障害日本代表。質問に笑顔で気さくに答えてくださいました。好きな食べ物はアイスクリーム、梅干し、牛タンだそうです。