日本選手権リレーの4×400メートルリレー(マイル)で6連覇を逃すなど、昨年は苦い成績に終わってしまった早大短距離ブロック。その短距離ブロックを盛り上げるに違いない、力のあるメンバーが入学してきた。2017年国民体育大会(国体)400メートル8位の小竹理恩(スポ1=栃木・佐野)、2016年高校総体100メートル4位の佐野陽(スポ1=埼玉・立教新座)、2017年200メートル高校ランキング5位の松本朗(スポ1=福岡・戸畑)の3人だ。明るい雰囲気の中でトークは進み、私生活やこれまでの競技人生を振り返りつつ、早大での来たる四年間のビジョンを語ってくださった。
※この取材は4月18日に行われたものです。
「時間を有効に使えている」(佐野)
質問に笑顔で答える佐野
――きょうの練習は何をされましたか
松本 僕はスタートダッシュの練習をしてから、補強で終えました。
佐野 スタートダッシュをやった後に、マーク走でストライドを制限して走るという、動きを作っていく練習をしました。
小竹 僕は60メートルの加速走でカーブを用いて行って、その後に練習の流れを作るためのスタートダッシュを行いました。
――入学式から2週間ほど経ちましたが、学校生活にはもう慣れましたか
松本 慣れました。
――高校生活と違うと感じたことはありましたか
松本 時間に余裕が増えたのではないでしょうか。
――では余裕のある時間には何かされているのでしょうか
松本 特に何もしていないですね(笑)。あ、暇な時間があったら筋トレしていますね。
佐野 本当かよ(笑)。
松本 無意識でいつの間にか、あれ?という感じで。気が付いたら腕立て伏せのポーズになったり。
佐野 やば(笑)。
――佐野選手はいかがですか
佐野 授業を自分で入れたり、スキマ時間とか。周りとは別の時間の動き方なので、自分でうまく時間を有効に使うなど、そういうことを考えるようになりました。高校の時までは、周りと授業が一緒だったので、周りと同じ生活をしていればなんとかなったんですけど、当番とか練習も強度が高かったりするので、空いている時間を休息に使ったりとか。それに筋トレしたり、当番の内容を事前に確認したりなど、色々有効に使えています。
小竹 僕は大学は自由度が高いイメージがありますね。何でも自分から組み立てればできる。やろうと思えば何でもできるし、やらなければ何もできないというのが違うなと思います。高校は結構強制的に動かされたりしたんですけど、学生ということもあって、自ら学んでいく姿勢というのが高校までと全然違うかなと感じています。授業は自分で決めて、書類の申請や手続きなど全てを自分で行ったり、先生とお話する機会もあったりして、全部自分が主体というのが、一番違うなと思います。
――皆さん高校時代は自宅通いでしたか
一同 はい。
――では寮生活で大変なことなどはありますか
松本 うーん。何かあるかな?
佐野 早起きくらいじゃない?
松本 早起きですね。
――当番の日には4時起きだと伺いました。
松本 そうですね。4時か!と僕もそう思いましたね。これまでの生活と寮生活との違いは早起きと当番ですね。あとはそんなに。母のご飯が食べたいくらいですかね。寮飯もとてもとてもとてもおいしいんですけど、やっぱ母の味ですね。料理は。
佐野 そんなやつだったか(笑)。
――では佐野選手はいかがでしょうか
佐野 松本と同じように早起きですね。今まで高校はチャリで通っていたので、8時に起きれば間に合うくらいだったんですけど、4時何分というと相当…っていうのと、中学以来の朝練なので、朝から体を動かすなどなかなか慣れない部分はあります。ただ、当番とか大変なんですけど、僕は出身が埼玉なんで、家に帰ろうと思えばいつでも帰れるというのもあるのですが。早起きさえ慣れれば、仲間といるので修学旅行みたいな感じで、結構楽しいですね。
――その修学旅行があと四年間続くのですね
松本 本当にこいつら(佐野、小竹を指して)やばいんですよ(笑)。
佐野 高校時代は自分の部屋を持っていなかったのですけど、寮は完全に自分の部屋なので、良く言えばコーディネートできますし、悪く言えば、掃除とかさぼったりするとすぐにぐちゃぐちゃになっちゃうので、良い面でも悪い面でも刺激になってます。
小竹 今まで、基本的に家の中で自分の事だけを考えて生きていたんですけど、先輩方や同級生に対する気遣いなどを常日頃から意識していかないといけないので、そういうところに少し気を配っていくのが大変かなと思います。みんなにも言われるんですけど、佐野は毎日僕の部屋に来るんですよ。そういうのも楽しいです。同級生だったり、先輩方といった横のつながりや縦のつながりが大変な面もある分、楽しいというか。毎日刺激的な生活を送れているのと、新たな考えが得られるのがいいかなって思います。
――少しお話にありましたが、オフの期間は何かされているのでしょうか
松本 遊びに行くか、暇な日は筋トレしてますね。
佐野 嘘つけ!ビビった(笑)。
松本 いつの間にか夜間に腕立てしてたりとか。
佐野 もう乗らないから、それ(笑)。
――どこかに出かけたことはあるのでしょうか
松本 浅草に行ったかな?特に普通にみんなと遊ぶ感じと変わらないですね。
佐野 僕は家が埼玉でもともと東京に近かったので、そんなに生活は変わらないんですけど、寮に同級生がいるので、遊びに行ったりとか。あと門限が無い分、結構自由な事ができるんですよ。友達の誕生日会など、高校ではできなかったことができますね。また、まだ慣れない部分があるので、時々実家に帰ったりしますね。物を取ってきたり、近況報告をしたりしています。弟もいて、弟の顔を見ると結構ホッとするので帰りますね。
松本 そんな良い兄貴だったのかよ(笑)。
佐野 弟は小さいから…。
小竹 僕は栃木県佐野市出身で、東京は結構近いので、普通に(これまで)行ったことある所があって。どちらかというと行ったことのない所に行きたいなと思っています。結構地図を見ることが好きなので、地図を見てサイクリングをしたりしています。
松本 鹿児島合宿中に栃木県の地図の分厚い地図帳を持っていましたね。
――地元愛が強いのですね
小竹 地元だけじゃなくて、色々な所の地図を見るのが好きで一人で調べて、武蔵村山まで自転車で行ったりとかしました。友達といる時も楽しいんですけど、一人でいる時間が好きなので。一人でいると部屋でぼーっとしちゃうんですけど、あまりインドアにいてもつまらないので、できるなら外に行きたいなと。あと佐野も言ってたんですけど、家がそんなに遠くないので、二回くらい家に帰ったことがあって。僕にも弟やネコがいて、癒やされに行ったりしますね。
――同期の皆さんとの仲はいかがでしょうか
佐野 ここ(自分と小竹を指して)バチバチですよ。
松本 こいつらは毎日修学旅行やってるくらい仲良いですよ(笑)。
佐野 いや、冗談です、冗談(笑)。
小竹 基本的にみんな仲が良いと思います。
佐野 僕らの学年は新入生が多くて、顔と名前が一致していないのでまだそんなに。
松本 長距離な。
佐野 いや短距離も、マネージャーとか。
小竹 僕はもう全員覚えました。人の名前とか顔をよく覚えるんですよ。
松本 小竹はやばいですよ。動画で見た人の名前も覚えているから、僕がワセダに来る前からずっとガン見してたんですよ。名前を把握してて。怖いくらい(笑)。
小竹 国体で初めて松本と400メートルのレースを一緒に走って、その時僕は松本が200メートルが21秒1で速いなと思って。松本と400メートルは同じなので動きとか見てました。
松本 けんか売られたらどうしようかなって思ってました。
小竹 でも2日目に会ったら松本からあいさつしてくれたんですよ。
松本 もうもはや知り合いなのかなって。どこかで会ったのかなと思って(笑)。「おお」みたいなこと言いました。めっちゃ目でアピールしてきたんですよ(笑)。
小竹 ただ見てただけ(笑)。
松本 すれ違う度にずーっとこう。
佐野 わかるよわかるよ。
松本 招集の時もこう(小竹の真似をする)。
小竹 それは誇張し過ぎ(笑)。
「自分と対話ができる陸上は楽しい」(小竹)
小竹は1つ1つの質問に丁寧に答えてくれた
――では競技に関して伺います。皆さんが陸上を始めたきっかけは何かありますか
松本 うーん。野球が飽きたからノリで陸上をするか、みたいな。
――野球はいつまでされていたのでしょうか
松本 小6まで。ボールが来ないから飽きました。ポジションはピッチャーとセンターでした。ピッチャーは面白いんですけど、センターはとても暇なんですよ。僕は二番手だったので、一番手が早く潰れないかなと思いながら。野球に飽きて、陸上を兄の二人がしてたから、ノリでやるかという感じで始めましたね。
佐野 僕はずっと水泳をやってて、今でも陸上歴より水泳歴の方が長いくらいなんです。でも中学には水泳部がなかったので、水泳の先輩に体力づくりとして陸上部に入れば?と言われて。それで陸上部に入って。陸上部に入っている間も高校では水泳をやるつもりでいたんですけど、全中(全国中学選手権)とJO(ジュニアオリンピック)で両方10番で、あとちょっとで決勝に行けるところまで進んだのですけど残れなかったのが悔しくて。高校で全国の決勝に残ってみたいということで、高校でも陸上をやることに決めました。
小竹 僕は小学校の低学年の時はクラスでドッチボールをやっても全然活躍できなくて。サッカーとかやっても、性格もあるんですけど、どうしてもガキ大将的な人に押されてしまって。陸上はレーンが決まっているじゃないですか。だから自分が速ければ前に出られると思って。そうしたら自分が周りよりちょっと脚が速いんじゃないかと気付いて、それで小4の時に学校の陸上部に入部しました。
松本 ワセダのペレです(笑)。
小竹 でも僕あまり球技ができなくて。
松本 オコエって呼ばれてますよ。何でもいけます。
小竹 もともと自分から活発に運動していこうというタイプではなかったんですけど、自分と対話ができる陸上は楽しいなと思い始めて。それで中学でも迷わず陸上部に入りました。
――それでは陸上競技の数ある種目の中で短距離を選んだ理由はありますか
松本 きつくないからですかね。長距離きつ過ぎでしょ(笑)。
佐野 僕は最初の大会で100メートルと1500メートルの選択を迫られて。
松本 僕も僕も。
佐野 長距離が苦手で、1500が嫌だったので。それで100にしました。
――佐野選手は先ほど体力づくりで陸上部に入部したとおっしゃっていましたが
佐野 でも1500はきついので。体力づくりというか、陸上競技にはパワーなどそういう面もあるんで、どちらでもよかったんですけど、長い距離が嫌だったので短いのを。水泳も短い距離だったんですよ。半バタやってました。
小竹 僕は持久走大会では校内で一番になれなくて。でもダッシュとか運動会のリレーの選考会では学年の中で一番になれたので、それで僕は短距離に向いているのかなと思って。そこからずっとって感じですね。
――これまでにお互い面識はあったのでしょうか
松本 僕は全然なかったです。佐野だけ知ってました。変な選手紹介するやついるなーと思って。選手紹介を見るとわかるんですけど、ジャキンジャキンジャキンイエーイみたいな(ポーズの真似をする)。
佐野 ぶっ飛ばす(笑)。
小竹 めっちゃ似てる(笑)。
松本 えー、あんなやついるんだって(笑)。小竹にはにらまれるくらいです(笑)。
小竹 僕が一方的に松本朗という選手を知ってただけで。松本は僕のことを知らなかったと思います。
松本 ワセダの推薦の時に、あの時の人!って。
――佐野選手はいかがですか
佐野 小竹とは関東中学(関東中学校大会)で200で一緒で。そこで小竹と別にもう1人いて、その子が結構やばくて、やばい人とまともな人とで話しやすくて。
小竹 今はまともな扱い全然受けてないんですけど(笑)。
佐野 その後も全中、ジュニアオリンピックで一緒に走ったりして。高校では北関東で一緒だったりして。関東合宿や全国合宿でも一緒で小竹とはもともと仲が良くて。小竹が仲良いって思ってるかわからないんですけど、僕は仲良いと思っていました。
小竹 僕も思っていました(笑)。
佐野 松本は本当に大学入るまで知らなかったです。
小竹 僕は中3の時に佐野陽という選手を知って、関東大会では(佐野が)いることを知ってたんですけど、全中の時に初めて一緒に走って、確かぴったり同タイムの着差なしで。その後またジュニアオリンピックも一緒に走りました。僕は準決勝では最下位だったので、普通に終わっちゃった感じだったんですけど、佐野はもう少しで決勝に行けるところで負けて、その後佐野がしゃがみ込んで泣いてるのを見て、結構感情を出す選手なんだなというふうに思いました。次のラウンドに進んだらめっちゃガッツポーズするとか。アクションが大きかったりとか、さっきの選手紹介もそうですけど、自分を表現するのがうまい選手だと思ってました。松本は北九州大会の200のレースを見て、速いなと思っていました。
――では今の印象はいかがですか
松本 佐野は意外と真面目だなと。選手紹介と違って真面目だなって。小竹は、肌によらずキャラが薄いですね。
佐野 正論過ぎる。今のすごい、完璧(笑)。松本は最初からやばいやつだなと。最初受験で会った時にちょっとやばいやついるなと思って、そしたら案の定やばいやつで。でも仕事はちゃんとやるんで、やる時はやるなっていうイメージがあります。小竹とは中学の時は大会や合宿で話すことがあったのですが、合宿では他の選手ともしゃべっていたのであまり関わりがありませんでした。真面目なイメージがあったんですけど、大学に入ると意外とフレンドリーというか、話しやすいので、高校の時の印象は違いますね。
小竹 松本は動画や競技場で見たくらいだったので、どんな人か全然わからないままで大学入ってきて、そしたら完全に北九州の男っていう感じですね。でも仕事はちゃんと出来て、駄目なことは言ってくれるし、そういうところがしっかりしています。先輩にも好かれているので、容量がいいというか、すごく効率がいいなと。
松本 やめてくれ、照れるわ(笑)。
小竹 佐野は高校では合宿などで何となく知っていたのでその延長上で。ふざけるときはふざけているんですけど、自分の競技や練習に関してすごく考えてるというのと、自己表現ができるなと思います。
――高校生活を振り返ると、どのような競技生活でしたか
小竹 中学からずっと100メートル、200メートルといった一番短い距離をやってきたので、高校3年の途中まではとにかくスピードを付けようという意識で取り組んでいました。一番200メートルに重きを置いていたんですけど、全然成果が出なかったというか、常にレースを走っても難しいなとしか思えなくて。全国では個人で入賞した事がないまま3年の途中まで行ってたんですけど、後半で全国選抜の300メートルで2位に入って。悔しかったところもあるんですけど、やっと自分が狙っていた走りができるんだなと気付いて。その後の国体で、決勝は駄目だったんですけど、準決勝で自己ベストを出して400メートルでは決勝に進めたので、400メートルの方が向いているのかなと思いました。
――小竹選手が400メートルに種目を移した理由は
小竹 もともと周りの人にはずっと400メートルが向いてると言われていたんですけど、高校の顧問の先生と話し合って、方針的に100メートルでスピードを付けようということで、インターハイ路線まで100メートルにずっと取り組んで。それを解放したというか、3年の夏の終わりくらいから400メートルをやろうと思いました。
佐野 僕は三年間楽しくてあっという間でした。中学時代は決勝に残れなかったんですけど、中学では200メートルを中心にやってて、高校では200メートルで全国大会の決勝に残りたいという気持ちがあったのですけどそれは達成できて、高校での目標は達成できました。そして、大宮東高校で今、山梨学院大の江幡風助という同じ埼玉県にライバルがいて。高1の時には全然勝てなくて、ずっと走る機会がなかったんですけど、高3の最後の大阪室内で一緒に走って勝てて。高1の時に負けた借りは返せたというか、三年間江幡と切磋琢磨(せっさたくま)してやって来られました。また先生も伸び伸びと自由にやらせてくれました。周りの先生だったり、立教新座高にはブルータータンがあって環境が良くて。そして江幡など周りの選手にもとても恵まれていた三年間で楽しく競技をすることができました。自分が置かれていた状況に感謝しています。
松本 自分は結構伸び伸びとさせてもらいましたね。短距離が僕一人で同級生がいなくて。自分で淡々としていましたね。自分に足りないことを伸び伸びとさせてもらいました。
――指導者はいらっしゃったのでしょうか
松本 高校2年生まで棒高跳の先生がいたんですけど、3年で代わってしまって、そこから自分で考えるようになりました。高2の後半くらいから自分で考えて先生に言うというように、自分でメニューを立てるというか。もちろん先生の助言が入るんですけど、そのようなかたちでした。
――これまでに印象に残っているレースはありますか
松本 印象的というか、中3まで400メートルをやっていて、ずっと負けていた選手がいたんですけど、そいつに勝ちたいと思って高1は頑張っていて。いざ高2になるとまた同学年の新たなライバルが現れて、今度はそいつを倒そうと思ってずっと練習してて、高3の県大会で勝てたのがうれしかったですね。慶大に行った坂口天城という選手なのですけど、まだタイムでは勝てていなくて。競技は違うんですけど、マイルなどで一緒になるかもしれなくて、未だにライバルだと思っています。
佐野 僕は二本あります。まずは江幡に負けた高1の埼玉県の国体予選です。そして高3でケガして、(ケガは)初めてだったので治し方もわからなくて色々な人に支えてもらいました。インターハイ(準決勝敗退)はケガ明けだったんですけど、その後国体が決まっていたので、顧問の先生や親、知人の先生などが一丸となって僕を支えてくださったおかげで愛媛国体でやっと全国の決勝に戻って来られました。やはり高1の国体予選で負けたのと、愛媛国体で決勝に残れたその二本は印象に残りましたね。
小竹 僕は結構どのレースも覚えているんですけど、高1の時に、マイルリレーでギリギリインターハイを決めた山梨であった関東大会があるんですけど、それは先輩に支えてもらったというのがあって。高校に入った時には、インターハイが何なのか全然理解していなくて、どう目標を立ててやっていくかがこの大会で少し見えてきたなというふうに思いました。結局三年間インターハイ路線は全然駄目だったんですけど、大阪での全国選抜は小さい大会ではあるのですが、僕の中では皮切りになった部分があって。国体は全国大会では初めての入賞だったのでそれも印象に残りました。
「エンジは重かった」(松本)
場を盛り上げてくれた松本
――皆さんが早大に進学した理由は
松本 僕は高校が文武両道を校訓にしていて、ワセダが一番文武両道という言葉に当てはまるなと思ったのが、一番大きいですね。
――スポーツ推薦をもらう前から早大に興味はあったのでしょうか
松本 少しはあって。でも行けるとは思っていなかったです。もしワセダではなかったら国立大学に進んでいましたね。兄が京都大学で、僕も行こうかなと思ってたりしてました。
佐野 僕はもともと立大の付属高校で、大学と高校の練習場所が一緒なのですが、立大の練習の雰囲気がなんか緩くて、それはちょっと嫌だなというのがあって。他の大学に行きたいという気持ちがありました。そう考えたときに最初からワセダで競技したいという思いがあって、そのためには全国入賞が必要だと思ったので、そして全国大会で入賞できて、声をかけてもらって、いざワセダの練習に来てみたら、楽しそうにやるときは先輩方もやっていらっしゃるんですけど、あいさつなどしっかりしていますし、練習でも締めるところは締めて、厳しいときは厳しくやっていらっしゃるので、オンオフの切り替えと自分の事を自分でやるという自己管理能力がすごく高いと感じました。その二つは自分に足りないもので、それが得られるきっちりした環境でやりたいと思って。あと僕は教員になりたいというのがあります。ワセダの教育のカリキュラムを見ると、コーチングや学校教育などに特化している部分があって、教職を取って、先生になって部活を持ちたい気持ちがあるので、コーチングを学びたい。そのような理由ですね。
――では、教職の授業を取られているのですか
佐野 はい。
松本、小竹 僕も取ってます。
――皆さん取っていらっしゃるのですね
松本 コーチングなどコース別でたくさんあったので、それも理由ですね。
小竹 僕が高校1年生と2年生の時に栃木県にワセダの競走部が練習会を開いてくださいました。礒繁雄監督(昭58教卒)が栃木県の大田原高校出身なんですけど、そういうこともあって、礒先生にワセダに来てみないかと。勧誘ではないんですけど。僕はインターハイなどの実績がないので、勉強して入れと言われてて。実際ワセダのOBや選手の方々とお話させていただいたのですけど、競技実績はもちろん高くて、人間性でも素晴らしい方たちばかりで、こういう大学に進学したいという気持ちがありました。高1の時から早稲田大学スポーツ科学部を考えていたんですけど、先生から勉強して入れと言ってくださっていて、競技だけでなく勉強も見てくださるのだなと思って。高校も結構勉強をさせられるような学校だったので、必然的に学力でも高みを目指したい思いがあって、競技でも高いところを目指して、入った後の環境などを考えたらワセダが一番良いのかなと思いました。大学では今は悩んでいるんですけど、スポーツビジネスか医科学を学びたいです。
佐野、松本 教員志望じゃないの?
小竹 大学を出たときに、世界の舞台というか広い視野で、競技をやめても活躍していきたいというのもあって。礒先生にもお前はそういうのが向いているんじゃないかとアドバイスしていただきました。今だけを考えているのではなくて、先を考えたときにワセダという環境が素晴らしいのかなと思って自己推薦をしようと思いました。また学校で一番お世話になった顧問の先生が競走部のOBということもあって、色々お話をさせていただいたというのもあります。
――ご自身の走りの持ち味は
松本 後半落ちないところです。短所はスタートですね。
佐野 僕はスタートが出られるので、そのスタートと、結構バネがあって股関節周りが強いので、そこが使えるところがあります。短所としては、トップスピードが周りの選手よりも明らかに遅いのがあります。
小竹 僕はもともと100メートルをやっていたので、400メートルの選手の中ではスピードは高い方なんですけど、それは同時に課題でもあって。これからそこをメインに伸ばしていきたいのと、走り込んだときに二本目に走れるスタミナがないので、その両立を図りたいです。
――高校と大学で練習の違いはありますか
小竹 高校の時も結構考えてやることが多かったのですが、高校では考えてやっていく中で、顧問の先生からかなり教えていただいていたところがありました。でも大学では本当に自ら学んでいく環境なので、その分違うかな。あと高校はマイルリレーもやっていたんですけど、同期がみんな3000メートル出身の選手で、それで400メートルに切り替えた選手ばかりだったので、なかなか周りのスピードがあまり高くなくて、別の県内の大学に練習させていただくために行ってたんですけど、大学入ってきたら佐野とか松本とかスピードが高い選手がそろっているので、そういう選手と一緒に走れるのも今までと違います。
佐野 練習の面では、高校では本数少なく質高くという感じで、あんまり本数を重ねなくて。かつ一本一本の間にレストがあったんですけど、大学では本数が多くて、かつ質も求められます。また、ただスピードを出して走るのではなくて、考えて、時にはスピードを抑えてでも他の事を意識しなければいけないところもあるので、高校以上に考えさせられるというか。質を求められる、かつ本数も多いので、なかなかまだ対応しきれていない部分があります。
松本 僕は伸び伸びとさせてもらっていたので、アップの時間とか自分で決めていて、気分でああ、今走ろうかなって感じで走るというのがあって。きょうは何をしようかなというのはある程度決めているんですけど、脚の状況によってきょうは体が重いからやめておこうというときもありました。それで(大学には)メニューがあるということは大きいですね。指定されたメニューと、集団で行うことによって相手意識とか。自分の走りだけでなくて、相手も意識しつつ、という感じですね。
――先輩と一緒に練習して違うなと思うことはありますか
小竹 的を得ているというか。練習していく中で、的を得て無駄なことばかりしているのではなくて足りないことをきちんと見極められているなというのは、先輩方を見て思いますね。OBに野澤啓佑さん(平26スポ卒、現ミズノ)がいらっしゃって、野澤さんが甘えやそういうものを排除して走られている姿をよく見るのですけど、それは自分には足りないので、世界で本物の選手になるにはそういうところが必要なんだなというか、自分に足りないところを見透かされるような感じがします。
佐野 僕は調子の波が練習で結構あるのですが、先輩方は安定して毎回練習で質高くできているなというのがあります。またメニューがきついとこなす練習になりがちになっちゃうんですけど、絶対そんなことはなくて。さっきも言ったんですけど、きつい練習の中でもスピードを落としてでも考えて何を意識するか考えたりとか。全ての練習において何かしら考えているなという印象があります。
松本 佐野と小竹も言ったんですけど、考えが深いですね。
佐野 そこ一番大きいよね。
――では、みなさんの最近の調子はいかがですか
松本 まあまあです。そんな(脚は)悪くはないだろうと思います。
佐野 高校の時と違ってメニューも自分でプラスアルファでやっていかなければならないこともあるので、そこでまだ慣れない部分はあるんですけど、何試合かこなしてきて、少しずつ調子が上がってきています。自分の中で今までになかったけれど欲していた感覚をつかみかけているなという感じはあります。
小竹 調子は今のところは普通という感じなんですけど、スピード面の体のキレを出していって、今苦手なたくさん量をこなすというか、400メートルに対応した練習がしっかりはまっていくようになればタイムは出ていくのかなと思います。
――早大のユニフォームを着て何か感じたことはありましたか
松本 エンジは重かったですね。特に(六大学対校では)マイルだったので。総合では負けてしまったんですけど、法政と1位2位を争っていたので、勝たないといけないというか、マイルで勝つのは大きいので、4継で負けた分マイルは勝たなければならないということで。それと同時に先輩の分も。僕がメンバーとして出場が決まったので、下手な走りはできないなというのはありましたね。
佐野 合宿に参加したりとか、練習をしてても周りからの支援の量や注目度が高校の時と全然違って。小さい頃からワセダはエンジというのは自分も知っているくらい誰でも知っていることなので、やはり行動1つ1つに責任がありますし、レースでも恥ずかしい走りは出来ないなというのがあるので、松本と被る部分はあるんですけど、その辺で重みを感じる部分があります。その重み、重圧のある中でいかに自分のパフォーマンスができるかということが求められるんだなということをすごく感じました。あと、六大学も関カレ(関東学生対校選手権)も出場選手が限られてくるので。僕の場合、六大学で先輩がケガをして出た部分もあったので、個人レースなのですが、そういう部分で自分ひとりで走っているのではないなというのはすごく感じました。
松本 やはり先輩の代わりというのは大きいですね。
小竹 僕は高校の時もサブユニフォームが二つや三つあって。でもワセダは白エンジにも普通のエンジにも重みがあるなというか、ワセダの人間として常に見られるという印象を持っています。僕はまだ白エンジしか大会で着たことがないんですけど、選手の様子を見ていると、エンジに白Wのユニフォームには重みがあることを感じますし、ジャージを着ていても、ワセダの人間として社会から見られるというのもあるので、これからそれを常に頭の中に入れて行動するというか、考えていきたいなと思います
――早大のリレーに対する印象はありますか
松本 伝統が代々受け継がれているので、それを閉ざさないというか、途切らせないようにというのがありますね。上位はもう当然みたいな感じじゃないですかね。それに貢献できたらいいなと思います。
佐野 高校の時は4継に力を入れていてインターハイでも決勝に残っていたりして、高校では自分が引っ張って、なおかつあまり4継などは当初、特別強い学校ではなかったので、そこから全国に飛び出していくという感じだったんですけど、ワセダは代々ずっと強くて、そこに自分が入っていって4継を走るというのがまずすごくうれしいというか。その伝統の中の1人になれるというのがうれしくて。それに加えて、松本も言ってたんですけど、ずっと強いので、それを止めるわけにはいかないというか、強いワセダを継承していかないといけないので、その辺の重圧というか重みというのは高校と全然違います。高校の時は無鉄砲に行けたんですけど、大学ではそういうことはいかないので。
小竹 リレーなどには今まで取り組んできたんですけど、ワセダという組織の中でリレーで活躍していくというのは、様々なプレッシャーのある反面、ものすごく価値のあることだと考えています。僕は中学校のジュニアオリンピックの時に日本選手権リレーでワセダの選手がリレーで優勝する姿を生で見たりしてて。こういう大学の組織の中で自分がリレーのメンバーとして活躍していくにはまだまだ自覚が足りないかなと思うんですけど、マイルも4継も出られるような、そういう選手になりたいなというのがあります。
――目標している選手や尊敬されている選手はいらっしゃいますか
松本 去年卒業した徳山さん(黎、平30スポ卒=神奈川・相洋)は200専門で、4継とマイル両方とも活躍されていて、僕も200でスピードを上げてどちらも走れるタイプになりたいですね。
佐野 僕は同じ埼玉県の竹田一平先輩(中大)ですね。国体で4継の2走という要で引っ張る姿を見て、安定性も違って。そして成年の枠で点数を稼いだりする姿を見て、かっこいいなって感じたので。一平先輩は憧れであり目標ですね。
小竹 礒先生は早大の先輩でもありますし、人間として尊敬できる面もあります。競技ももちろん。僕はこの人を尊敬してるというか、目標にしているという人はあまりいないんですけど、さっきも申し上げたように野澤啓佑選手は、練習を見せていただいて同じ場所で練習させていただいたり、コーチとしてアドバイスをくださる中で、本物だなというか。世界の準決勝で戦われているので、礒先生をはじめ、本物の人間力に憧れます。
――早大での四年間でのビジョンはありますか
松本 とりあえず、結果を出すことですかね。どう頑張っても結果重視なので、結果を出さないといけないですね。
――松本選手はマルチなスプリンターですが、どの種目で結果を出したいですか
松本 200で関カレや全カレ(日本学生対校選手権)で入賞して、4継とマイルともに貢献して得点を稼げたらなと思います。
佐野 僕はまずは個人で世界大会を経験したいなという気持ちがあって。あと4継で全カレや日本選手権リレーで勝ちたいという思いが強いです。また四年間で選手としてだけでなく人としても尊敬されるような人間になりたいです。
小竹 今のところは明確なビジョンは湧いてないのですけど、ワセダという環境で世界に進まれているOBさんがいる中でやらせていただいているので、少しでも近づきたいという気持ちがありますし、大学を卒業して競技を引退しても世界で活躍できる人間を目指したいです。そのためにはワセダという素晴らしい環境で勉学もしっかり取り組まなければならないなと思います。
松本 僕も人格形成の面でも成長したいですね。
――ルーキーイヤーである今シーズンの目標はありますか
松本 200で20秒台です。そして全カレA標準突破。
佐野 世界ジュニア(U20世界選手権)に出たいです。そして全カレの決勝にも残りたい。また4継でもチームに貢献したいです。タイムとしては100も200も去年の同学年のトップが10秒2台と21秒0なのでそれくらいを出したいです。
小竹 400メートルは46秒8を目標に、200メートルは20秒台に肉薄する力を付けたいです。
――ありがとうございました!
(取材・編集 岡部稜)
仲の良さが伺える対談となりました。これからの3人の活躍に期待しましょう!
◆佐野陽(さの・ひなた)(※写真中央)
1999年10月19日生まれ。171センチ。69キロ。埼玉・立教新座高校出身。スポーツ科学部1年。自己記録:100メートル10秒44、200メートル21秒35。すでに寮生活に慣れたようで、しばしば小竹選手の部屋に遊びに行くなど楽しんでいる佐野選手。弟思いの一面も見せてくれました。得意の鋭いスタートダッシュが持ち味でレースの前半で相手に差をつけます!
◆松本朗(まつもと・あきら)(※写真左)
1999年6月1日生まれ。182センチ。70キロ。福岡・戸畑高校出身。スポーツ科学部1年。自己記録:200メートル21秒17、400メートル47秒91。すでに東京の多くの場所に遊びに行き充実した大学生活を送っている松本選手。明るい性格の持ち主で、場を常に盛り上げてくださいました。ロングスプリントも走れる能力を生かした、レース後半の伸びに注目です!
◆小竹理恩(こたけ・りおん)(※写真右)
1999年6月21日生まれ。170センチ。65キロ。栃木・佐野高校出身。スポーツ科学部1年。自己記録:200メートル21秒43、400メートル47秒31。地図を見ることが趣味だという小竹選手。春の鹿児島合宿にも持ってくるほどの地図好きだそうです。400メートルに主眼を置き始めて間もなく、伸びしろは十分。これまでに培ったスピードを400メートルにつなげていきます!