この度は、WASEDA SPORTS MAGAZINEをご購入いただき、誠にありがとうございます。競走部ページでご購入者様特典といたしました、石田裕介主将(スポ4=千葉・市船橋)と安井雄一駅伝主将(スポ4=千葉・市船橋)の対談全文がこちらです!高校時代の思い出、お互いの関係、競技、そして最後の東京箱根間往復大学駅伝(箱根)での給水まで、さまざまなことを語っていただきました。ここでしか読めない貴重なお話が満載です。ぜひお楽しみください!
※この取材は1月17日に行われたものです。
『安井雄一』を知らない千葉の陸上部はいなかった(石田裕)
対談は終始和やかな雰囲気で行われました
――きのうは一緒に飲んでいたとお聞きしたのですが、よく二人で遊ばれるのでしょうか
安井 いや、遊びはないですね、無です。二人で飲みに行くこともないけど、一緒に飲むことは多いです。
石田裕 誰かの会に一緒に混ざってるとか。
安井 本当にゼミが多いですね。ゼミ飲みとかゼミの友達と飲みに行くときとか。きのうもそうだったんですが、そういうのは多いですね。
――お二人が同じゼミなのは偶然ですか
安井 まあ、偶然だね。
――何をされているゼミなのでしょうか
安井 スポーツ心理学ですね。脳波を測定したりしています。運動って脳から指示が与えられて動くものなので、脳波の違いによってパフォーマンスは変わっていくのか、とか。あとは心理学なので質問事項をたくさん書いていって、性格検査をしたりします。
――ゼミの勉強が自分の競技につながることはありますか
石田裕 基本的にはそういうつもりで入ったので。
安井 つながった?
石田裕 つながった。
安井 ポジティブ感情を持っていたらパフォーマンスは向上する、というのが科学的に証明されたんです!
――具体的に反映された試合は
安井 反映されたというか、試合をした後に「やっぱりあのときポジティブだったな」とか。
石田裕 気持ちを結構気にかけるようになりました。どういう状態で自分が走っていたかどうかは気にかけるようになりましたね。終わった後とか、走る前とか。まあ難しかったな(笑)。
安井 難しかったです(笑)。結構真面目なゼミで、「α波、β波」とかやりました。
石田裕 α波は俺たちが一番知ってるかもね、理解が深い……。
――お二人が初めて顔を合わせたのは、やはり高校に入ってからでしょうか
石田裕 いや、会ったのは中学のとき。
安井 中学3年生かな……。中学校の大会っていうのが県で戦うことが多くて、千葉県の中学校は同じ宿舎で泊まったりしたんです。あと関東大会は『千葉県チーム』で出るんですよね。中学校じゃなくて『千葉』で出るので、なぜかは分からないんですが。関東大会で同じチームだったんでチームメイトだったんですが、あまり話はしなかった。
石田裕 面識がないというか……。全然別行動でした。
安井 石田の『い』の字も知らなかったんです。
石田裕 いや、僕は知っていましたね、正直。県大会でユニホームが目立っていたんですよ、黄色い常盤平(笑)。それに中学時代、高校もそうですが『安井雄一』を知らない千葉の陸上部はいなかったので。
安井 いやいや、そんなことはないけどな(笑)。
石田裕 やっぱ活躍していたので、関東とかも。それが高校一緒になるとは思っていなかったので…。認識はしてましたね。「いるなあ」みたいな。
――それでは、初めて顔を合わせてお話されたのはいつでしょうか
安井 多分高校1年生。話した話した、俺は記憶ある。でもすごく仲良くなったのは高3の時なんですけど。
石田裕 俺話した記憶ないよ…(笑)。
安井 市船の短距離のやつと、何を話したかは覚えてないんですけど。高1の結構初めの方ですね、県大会くらい。5、6月くらいです。
石田裕 確かに大会くらいでしか一緒に行動しないですね。
安井 多分「お疲れ~」とか言った気がするんだけど。まあ(石田裕は)覚えてないらしいんですが、僕は話しました。
石田裕 まあそんなに話さなかったよね。一人とのつながりで、一緒に話す感じですね。
安井 二人で話すんじゃなくて、短距離何人かと長距離何人かと会って、「お疲れお疲れ」みたいなね。
――お互いの第一印象は覚えていますか
安井 「でけえな」ですね(笑)。「同じ1年生か!?」と思って。
――石田裕選手は高校の時、何センチくらいあったのでしょうか
石田裕 182、とか。
安井 僕は165、6でした。ちょっと小さかったですね。「うお~」って見上げていました。「こいつ誰だあ?」みたいな(笑)。高校1年生の時は話す感じの間柄じゃなかったんですけど、高3で仲良くなりました。それからはもうこんな感じですね。
石田裕 高3はお互いチームのトップになったというのもあって。
安井 何を話したかも覚えていないんですが、こんな感じで仲良くやっていましたね。
――石田裕選手から見た、安井選手の第一印象は
石田裕 いやもう入ったときから有名だったんで。単純に強い、活躍する選手という印象が強かったですね。
――お二人が市立船橋高を選ばれた理由を教えてください
安井 理由はいろいろあるんですが、当時監督をやってくださっていた長距離の先生が中学の時からすごく熱心に勧誘してくださっていて。「市船来てくれたら絶対強くさせる」って言ってくださって、すごく信頼感があるなあと。あとは市船は渡辺康幸前駅伝監督(平8人卒=千葉・市船橋)の卒業校で。その頃から薄々「早稲田に入りたいな」というのがあって、市船に入って全国で結果を残せば、早稲田から呼んでもらえるかなとも思ったので市船にしました。あとは公立なんでお金とかかからないですし、文武両道がしやすいとか、いろいろ含めて市船にしました。
――安井選手は普通科ですよね
安井 普通科です、結構ちゃんと勉強もしていましたね。
石田裕 (笑)。
安井 なんだよ、してたよちゃんと(笑)。
石田裕 してたね、俺はしてないよ(笑)。
――石田裕選手は市立船橋高の体育科に入学されました
石田裕 僕に関しては中学校で陸上を始めたきっかけが、そもそも強い思いを持って始めたわけでもなくて、やっていって最終的に強くなっていった感じです。なので知らないことだらけで、スポーツ推薦も高校名とかも正直知らなくて。あるとき顧問から「市船の推薦が来たぞ」と言われて、周りは騒いでて、家に持って帰ったら親が結構喜んでいました。当時の顧問が市船の卒業生ということで、意外と市船とのつながりがあったんです。それで本当に自分が強くなるためには高いレベルでやった方がいいんじゃないかと親と話して、市船に行くと決めました。
――やはり普通科と体育科の雰囲気は違うのでしょうか
安井 全然違います!普通科は『普通』。体育科は『体育会系』って感じです。
石田裕 それは頭の話でしょ!(笑)。生活面の話だと……。
安井 もう体育会系です、(体育科は)ピシッとしていて集合とかも5分前に来なかったら怒られるみたいな。
石田裕 学校の集合があって僕ら体育クラスは10分前に集合するんですけど、普通科はその時間になってから来るんですよ。体育科は10分前に集合が完了しているんですが、普通科は……。
安井 1分前(笑)。
石田裕 1分前に来て、時間バリバリ過ぎるという!
安井 (普通科は)ルーズな感じだったね(笑)。
石田裕 時間に関しては明らかに差があるかなと。ちゃんとするところとしないところが。
安井 でも、市船ってそもそも全体的に体育会な感じなんですよ。普通科であまり縛りがないとしても、大体みんなが真面目な体育会の部活に入っているのでそこまで荒れてはなかったです。ちゃんとしている学校ですね。あいさつとかもちゃんとします。ヤンキーとかは絶対いない。
――以前石田裕選手が「高校生活はあんまり楽しくなかった」とおっしゃっていたのですが……
石田裕 それは僕個人の問題ですね(笑)。
安井 まあまあ確かに。僕も市船には部活をしに行っていたので部活動はめちゃめちゃ楽しかったです。でも僕は学校生活も楽しかったですね。文化祭とかもそうですし。
石田裕 あれは楽しくないでしょうよ。
安井 いやいやいや!お前らはなんもやらないだけで!(笑)俺らはいろいろ出し物作ったりしてたよ。気合入れて段ボール切ったり、ミラーボール付けちゃったりして、青春の1ページのような……(笑)。
石田裕 俺たちはそんな青春を謳歌してないよ。体育科は模擬(店)を出さないので、回るだけ。あんまり普通科と関わることがないんですよ。
安井 そう、棟が違うから。めっちゃ離れてる。
石田裕 でも3年生になるとやたらめったら体育科と普通科が関わるようにならない?
安井 まあ、変な絆は生まれるよね。
石田裕 俺、あれいらなかったな……。体育科は部活が終わって終わりが近づいてくると必死に思い出をつくろうとして、普通科の方に絡みに行ったりとかして。思い出づくりに必死でしたね。(それを見て)僕は教室に一人でいたんで。
安井 それは石田裕介に問題があるような気もしなくもないけど(笑)。僕はもう『ザ・高校生』をちゃんとやってましたね。みんなとわいわいやりながらゲームなんかやっちゃって。帰りにカラオケオールなんか行っちゃって(笑)。僕はこう言うのも何なんですが、陸上もすごい大事なんですが、普段の生活も大事にしたい派なので、遊ぶときは遊ぶ、やるときはやるという感じです。裕介は遊びがゲームなんだなと思いますけど(笑)。
石田裕 そこは結構違うよね。
安井 まあそこは人それぞれなんですけど。僕はカラオケに行くのが好きだったので、ひたすらカラオケに行きました。「カラオケオールしようぜ!」みたいな。しょっちゅうやってましたね。
――徹夜って大丈夫なのでしょうか
安井 徹夜……行けた、若さ!(笑)若さだよ、若さ!今はお酒がないと無理だね(笑)。よう行けたなあのときは。という感じで普通の高校生活を送っていました。
石田裕 (僕は)部活しにいってたな。
安井 まあ部活が楽しけりゃいいよ。
石田裕 僕は人づきあいがあまり良くなかったので、早く家に帰りたかったですね。部活終わってもどこか寄りたくないし。お金かかるし疲れるし。直帰でしたね、家が好きでした本当に。
――お二人は市立船橋時代からブロック長だったとお聞きしたのですが、キャプテンになった経緯とは
安井 僕は2年目からキャプテンをやっていたんです、『2年生キャプテン』みたいな。もうそのまま上がったという感じです。いや上がだらしなくて監督が「もう安井にキャプテンをやらせる」と言われて。そんな感じで僕がキャプテンになったので、「ええ~、ちょ、ちょ、待てよ~」みたいな(笑)。突然「3年生はやらせない」と言われて。
――石田裕選手は3年生からキャプテンだったのでしょうか
石田裕 いや、インターハイが終わってその後からなので、2年の後半からですね。
――石田裕選手は立候補でしたか
石田裕 いや、普通に顧問に言われて……です。僕らの代の短距離が4人しかいなくて、単純にメンバーを見てやれるのが僕くらいで。上からも言われていたので「お前が部長だ」みたいな。まあでも練習だけは手を抜くとかなかったので。怒られるとか問題児扱いもされなかったですし、教師目線から見ると『優等生』扱いだったのかなと思います。
――安井選手は2年生のときから持ち上がりでキャプテンになられたのですね
安井 どのみち3年目になって周りのみんなが「安井がキャプテンがいい」と言ってくれていたので、そのままですね。まあ立候補とかではなかったですね、単純に顧問に言われてでした。でも「キャプテンをやろう」という思いは2年目からあったので、自然な流れでした。なるべくしてなったという感じですね。
――高校3年生のときに仲良くなったとのことでしたが、きっかけはあったのですか
安井 顧問の先生が変わったというのが大きくて。3年生になったときに、今まで2年間されてきた長距離の監督がいなくなって、代わりに短距離のコーチをされていた先生が長距離に入ったんです。ちなみに早稲田の競走部卒なんですけど。その先生と短距離の顧問の先生はもちろん仲が良かったので、そこから『チームいちふな』として、陸上部は今までずっと別でやってきたのですが、練習場所も同じだし、大会とかも同じチームだから一緒になって戦おうというふうになりました。それがきっかけで地区大会とかから短距離の応援とかもしたり、そういうところから接点が増えていきましたね。本当に仲良くなってきたのが関東大会とかですね、宿泊先が一緒だったので。そこで一緒にバスの中で話したりとか、宿泊先でぺちゃくちゃ話したり。インターハイはずっと話してたよね。
石田裕 話してた。
安井 何かをネタにして笑ってたよな……。そんな感じでぺちゃくちゃしゃべるようになりましたね。『チームいちふな』でやっていこうとなったときに、本当に仲良くなりましたね。それこそ石田の応援もするようになりました。「頑張れ!」みたいな。
石田裕 僕らも長距離の応援が増えたので。
安井 お互いに競技を見られるようになって仲良くなりましたね。
――それによってチームの雰囲気は良くなったのでしょうか
安井 めちゃめちゃ良くなりましたね。特に長距離は。2年間ずっと『長距離男子』でくくられてて、女子はまた別で。大会とかも長距離男子だけで動いていたので全然楽しくなかったんです。でも短距離と一緒になることで、「短距離も頑張ってる」みたいに刺激を受けますし、応援もできますし。そういう意味では雰囲気も良くなりましたし、単純に楽しくなりましたね。
石田裕 それこそ長距離男子だけ孤立してたよね、前は。
安井 まあそうだね。
石田裕 短距離と長距離女子はそんなことはなくて、ただ長距離男子がチームの意向というか、1,2年のときはそんな感じで進んでいました。結構孤立している部分があったのですが。(変わったことで)全員と話す機会ができて、それで応援とかも人数ができて、最終的に3年目でいいチームができたと思います。3年目は楽しかったですね。
安井 うん、楽しかった。
――どちらのブロックも強いというのもまたいいですね
安井 確かにそうですね、石田のインターハイに関しては個人的に『…』なんですが(笑)。
石田裕 相当『…』だよ(笑)。
安井 でも関東大会では『市船旋風』じゃないですけど、どんどんタイトル取っていっていたので。
石田裕 県大会は無双してたよね。
安井 県大会は無双してました。
石田裕 でもフィールド競技の選手があまりいなかったので、それで結局総合点としては他校に勝てなくて、総合2位とか。そういう点では早稲田に少し似ているかなとも思いますね。
安井 最終的にインターハイもトラック入賞したんです。トラックの点数が2位か3位かで。最後にインターハイの閉会式の表彰に二人で出られたんです。最後にチームとしていいかたちで残せたかなと。
石田裕 覚えてるわ。「俺全然活躍してないのにな」ってずっと言ってた。
安井 まあほぼ長距離が点取ったけど(笑)。リレーも4位に入ったし。お互いいい刺激を受けながら全国で戦えて、最後は表彰状をもらえて、いいかたちで終われましたね。
――部長としてブロックをつなぎ合わせるために気を付けていたことはありましたか
石田裕 いや、つなぎ合わせるというか勝手に下とか周りが長距離とも仲良かったので。
安井 僕らがミーティングとか開こうとしなくても、自然に。練習場所も同じグラウンドでやるので、練習の時にしゃべったりしていました。僕らがなんか言うみたいなのはなくて、みんな仲良くやってました。僕はどちらかというと、今もそうなんですが言葉で引っ張るキャプテンじゃなかったので、とにかく試合で結果を出してというタイプでした。とにかく試合で結果を出してみんなを引っ張っていこうというスタンスでやっていって、それで結果的にインターハイまでまあまあ活躍できたので、チームのまとまりというのはありました。あと正直僕らのチームというのがあまり強いチームではなくて、県大会とかも優勝できるかどうかという感じでした。でも目標は『全国駅伝入賞』というのを掲げていたので、弱い選手とかにも積極的に声を掛けていって。だから今と似ていますね。チームみんなでまとまっていこうという雰囲気を出しながらやっていきました。まあでも自分の走りが第一って感じです。
石田裕 上下関係というものをなくすというか、僕らの代から上下関係というものがすごく厳しいものじゃなくなったと思います。というのも下級生から見たら上って怖いじゃないですか。そうやって縮こまっていると、競技でも「勝たなきゃ怒られる」みたいな認識が出てしまうので。僕らと下の代が仲良かったというのもあるのですが、たくさん話すようにしていて、それでチームとしてのまとまりが出るのであれば上下関係がない方がむしろやりやすいのではないかなと思いました。チーム全体を見てみてもそういう色のチームなんじゃないかなと思ったので上下関係を無くして。でもそれで自分が弱かったら何の意味もないので、練習からしっかり引っ張って、言うことは言って。メリハリの部分だけつけてやって、大会への意識はみんなで持っていけたかなと思います。
――それは大学で主将を務められたときにつながっていたりしますか
石田裕 大学でもそういった感じがあるかなと思います。もともと性格的にぎくしゃくされるのは好きじゃないので。別に仲良しクラブにしたいわけじゃないですが、自分がやっている競技が上下関係のせいでつまらなくなるのであれば、いっそ取っ払ってしまうほうが絶対いいと思います。『楽しい』以上に伸びる要素ってないと思うんです。そこは今も僕個人は、上下関係は気にしてないなと思います。
俺らならなんとかなるでしょ(安井)
――それでは早大進学に関してお聞きします。安井選手が早大進学を決めたのはやはり高2あたりだったのでしょうか
安井 そうですね、高2の2月くらいですね。本当にいろいろな大学から声を掛けてもらってて、正直一番行きたかった早稲田から全く声がかかってなかったので諦めかけてて、「東洋大か東海大に行こうと思います」と言っていました。そんなことを言っていたらいきなり渡辺康幸さんがポンと現れて(笑)。いきなり「あした渡辺監督学校来るらしいよ」、「え、本当ですか」みたいな(笑)。ということで2月ですね。
――突然現れた、とは……
安井 突然現れたという言い方があれかもしれないんですが、渡辺さんは前々から声を掛けようとしてくれていたみたいなんですが、時間とかがなくて。それで声を掛けるなら大会ではなくてちゃんと高校に行って話をしたいというのがあったらしくて、母校ですし。なのでなかなか時間が取れなかったのですが、やっと箱根が終わって落ち着いた2月に来てくださいました。多分ですが、そんなことを言っていました。
――安井選手はなぜそんなに早稲田にこだわっていたのでしょうか
安井 箱根駅伝自体は小学校の時から知っていたのですが、そのときはなんとなく見るくらいで、「走ってんな~」と見ていました。でも早稲田大学のエンジに白の『W』というのが印象的で、どの大学を見ても早稲田が一番かっこよく見えました。そのとき「早稲田のユニホームかっこいいな」ってお父さんが言っていた気がします。そこらへんから早稲田はすごい意識していて、やはり決定打は三冠ですね。中学3年生の時に早稲田が三冠したのがめちゃめちゃかっこよくて、「ここで走りたいな」という強い思いを持ちました。
――石田裕選手が早大を選んだ理由とは
石田裕 僕は高3の南関(総体南関東予選)が終わったあたりから話自体はきていたらしいんですが、インターハイも終わってなかったので、実際にこっちに話が来たのはインターハイ後でした。勧誘自体は高3の夏くらいですね。
――安井選手経由で石田裕選手のスカウトのお話が来たというのは本当でしょうか
安井 僕は結構前々から聞いていて。僕の長距離の顧問の先生が早稲田の競走部出身で、礒先生(礒繁雄監督、昭58教卒=栃木・大田原)とも関係がありました。そのときに「石田も取りたいって話をしてるんだよね」って話を聞いて、「本当っすか、でも石田の頭で大丈夫っすかね」なんて話しながら(笑)。なので僕は結構前々から知っていました。裕介にも「早稲田来いよ」なんて言っていましたね。「早稲田入っておけって、早稲田入れば将来間違いないって」って言いました。うちの顧問も「早稲田頭悪くてもなんとかなるよ、大丈夫だよ」って言っていたので(笑)。
――石田裕選手は勧誘を受けてどうでしたか
石田裕 迷ってましたね。それこそ親と高2の時に「これで強くなってたくさん推薦来たらどうしよう」なんて笑い話をしていたら、高3になって本当にたくさん来たので、最初はパニックになりました。それで3校まで絞ったんですが、もともと陸上をやっている理由が自分のためというよりかは親のためというのが大きくて。それこそ親は来ていない試合というのがほとんどないんです。やっぱり親に喜んでもらえるのが一番良かったので、僕個人というよりかは(早稲田が)親の行ってほしい大学だったので、そこが決め手になって「早稲田に行きます」と顧問に言った記憶があります。なにぶん育ってきた環境も育ってきた環境で、何も親孝行することもできなかったので、じゃあやっぱり一番喜んでくれるところに行こうというのが決め手でした。
――安井選手は石田裕選手が早大に行かれると聞いていかがでしたか
安井 やっぱりうれしかったですよ。高校3年目で仲良くなっていたので、また大学でも一緒にできるというのは。知り合いがいるだけで早稲田にも入りやすいですし、悩みごとだったらすぐ相談できますし。そういったところではすごく心強かったですね。
――推薦入試の日、二人で所沢キャンパスへ行ったというのは
石田裕 行きましたよ、二人で西武池袋線に乗りながらとことこ行った記憶があります。高校の授業が終わった後、遠征バックを持って、受験前は泊りだったので。
安井 寮に泊まって、次の日試験みたいな。「早稲田行ってくるわ」ってクラスの子に言いながら(笑)。
石田裕 僕は言ってないですね(笑)。スッと行きました。
――電車の中で何を話されたかは覚えていますか(笑)
安井 いや、覚えてねえよー!(笑)「遠いところにあるなあ」とか言っていました。「みんなちゃんといるかなあ」とか。裕介は短距離に知り合いがいなかったみたいで、「まじか、大丈夫なのか」とか言っていました。僕はもう光延(誠、スポ4=佐賀・鳥栖工)とか滋記(藤原、スポ4=兵庫・西脇工)とかと仲良かったので。
石田裕 あ、でも徳山(黎、スポ4=神奈川・相洋)は南関が一緒だったので顔見ただけで分かったんですが、修也(加藤、スポ4=静岡・浜名)と、あと野本(周成、スポ4=愛媛・八幡浜)に関しては本当に知らなくて。
安井 怖かったなあ……(笑)。
石田裕 まあ向こうも怖かったらしいけどね。
安井 なんか部屋入ったら野本が一番早くいて。こんなんして(体育座りをして)携帯いじってて、「なんだあいつ……」みたいな(笑)。まあでもすぐ打ち解けましたけど。何話したかは覚えてないですが。
石田裕 なんか面接練習で「どうだった?」とか話して、それで打ち解けました。
――早大のスポーツ推薦の受験は面接だけですか
安井 面接だけです。結構緊張したんですけど……あ、一つ受験の話してもいいですか。僕の前が光延だったんですけど、光延がド緊張していて。なんかもうこんな感じで(手と足を同時に動かして)入っていって。僕らは一人しか教室に入らなくて、残りは廊下で待たされるんですが、光延の声の大きいこと(笑)。「佐賀県鳥栖工業高校から参りました!光延誠です!受験番号……」みたいな(笑)。声がめっちゃ漏れてて笑っちゃって。周りの受験生とかも「声でけえ」ってクスクス笑い始めて(笑)。それで光延が出て、僕が入ってすぐに言われたのが「今一つ前の子、競走部の光延君、あの子大丈夫?本当に緊張していて心配だよ」、「すみません」って(笑)。「でも安井君も同じ競走部だから、あの子のお世話ちゃんとしてあげてね」って、いきなりそれから入るという(笑)。そんな感じの笑い話がありました。
石田裕 光延はおもしろかったですね。あと、受験が終わった日の帰りにガストに行きました。
安井 あ、そうそう、結構みんなで行ったよね。野本は飛行機があって帰ったね。野本以外のスポ推みんなでガストでご飯食べるっていう。
石田裕 結構面白い図だったと思いますよ。
安井 僕らは仲良かったですね。みんな学ラン着て。
――早大に入学してから3年生で主将を決めるまでの、お二人の関係というのは
安井 3年生の幹部交代式までには決めるので、その1カ月前くらいかな。先生に報告しに行ったりします。それまでも、もともと仲良くて。
石田裕 ちょくちょく部屋に行ってました。
安井 僕の部屋が金井(直、スポ2=神奈川・橘)、宮川(智安、スポ2=埼玉・早大本庄)、岡田望(商3=東京・国学院久我山)の4人部屋で。裕介は部屋が近くなかったんでなんか知らないんですがしょっちゅう来るようになって。金井の部屋とか僕の部屋とかに帰ったらいる、みたいな(笑)。
――お部屋のセキュリティはどうなってるんですか
安井 4人部屋でカーテンで仕切られてるんですよ。部屋はカギが閉まらないんで開いています。セキュリティ甘々ですね。本当飯食べて帰ってきたら石田がいるみたいな。
石田裕 その頃自分の部屋にいるのがつまらなかったんで、部屋を転々としていて。それこそ部屋の中のメンバーのフロアに行ったりとか、あれは3年の前半?
安井 前半!4、5、6月だよ。関カレ(関東学生対校選手権)とかそこらへんだよ。
石田裕 メンバー誰だっけ……。
安井 えっと、太田(智樹、スポ2=静岡・浜松日体)かな。
石田裕 ああ、太田だ太田。あと谷原(知己、スポ3=神奈川・希望ヶ丘)と金森(博至)だ。太田の部屋も結構行ってて。でも3年の前半はほとんど安井の部屋に行っていました。
安井 ほんと仲良かったですね。一緒にゲームしたり、消灯してもいたもんね。だいぶ仲良かったですね。それこそ真面目な話もしました。
――真面目なお話とは
安井 真面目な話というか、最近の部の話とか、愚痴とか(笑)。愚痴だな!お互い愚痴を言い合いながらです。
――ここで言える愚痴ってありますか(笑)
安井 そのときの愚痴じゃなくて、「1年目のとき4年生にあんなことやられたよな、あれは理不尽だったわ」とか(笑)。
石田裕 昔を振り返ってましたね、何故か。後輩に「こういうことがあったんだよ」って言い聞かせていました(笑)。
安井 金井とかに(笑)。「やばいっすね」とか言ってました。
――石田裕選手は趣味がゲームとのことですが、なにをされているのでしょうか
石田裕 普通にマリオカート、スマブラをやっていましたね。王道物をあいつが持ってくるんで。
安井 裕介と太田って似てるな、引きこもり系男子だな。太田もハマったらずーっとやってる。寝る間も惜しんでやってます。「寝る暇がもったいない」とか言って。
石田裕 電気消して、周りに迷惑だと思ったのでヘッドホンしてゲームずっとやって。
――周りの人はテレビがついていると明るくないのでしょうか
石田裕 それは……仕方ない。ほかは簡単に寝れるやつばっかだったので。太田はそれでずーっとゲームやってましたね。マリオカートとか二人でばんばんやってました。
――大学入学後、お互いの活躍を見て刺激は受けましたか
安井 僕は正直活躍していたかというと、駅伝シーズンはまあまあ活躍したかなとも思うのですが、トラックシーズンはうまくいかなかったことが多かったです。でも裕介は1年目から最前列で戦ってて。早稲田のマイル(4×400メートルリレー)を走ったり、それこそ400メートル障害で戦ってたりしてて。一緒に入学した仲ですし、僕も頑張らなきゃと思わされました。最後の最後で世界陸上(世界選手権)を決めたときはめちゃめちゃ感動しましたし、本当にずっと努力して練習は手を抜かないですし、そういうところを見ていると「すごいな」と。それと同時に僕もトラックシーズンはうまくいかなかったのですが、最後の駅伝シーズンは裕介に負けないくらいいい結果を出してやろうと強く思いました。そういうところではすごくいい刺激をもらいましたね。
石田裕 いやもう、中高と「すごい人だ」とずっと思ってきたので。入った当初は同じ高校のやつがいるってだけで支えにもなりました。安井がいたから長距離と仲良くなれる部分があったりして。競技としても本人はあまりいいふうに言わないですけど、それでも戦うところは箱根もずっと出ていますし、1年生で周りからも期待されている姿も見てきたので、同期としてずーっとやっている仲なので。短距離、長距離関係なく練習拠点が一緒でずっと見ていて、いろいろなところで刺激をもらっています。一緒にジョグする機会もあったんで、それでお互いのこと知ったりしていました。
――ジョグはよく一緒にされるのでしょうか
安井 しますね。僕が走ってたら入ってきます(笑)。
石田裕 大体入ります。(安井が)一番長くできるので。話しながらって感じです。
安井 結構あっという間に時間が過ぎます。
――話しながらのジョグは大変ではないのでしょうか
安井 僕ら長距離は大変じゃないですよ。でも短距離は普通はできないんですが、こいつめちゃめちゃ体力あるんで。普通にしゃべりながら走ってて「すげーな、こいつ」って思ってますね(笑)。平気で同じメニューをやってくる。
石田裕 むしろ話してくれる方が、一緒に走っている方が楽なんで。
安井 いや、箱根はあると思ったんですけどね。箱根の下りあるなあって!
石田裕 夏から練習しとけばよかった!
安井 世界陸上終わってからすぐ切り替えてさ!
石田裕 相楽さん(相楽豊駅伝監督、平15人卒=福島・安積)と打ち合わせしとけばよかったな~(笑)。ちょい悔いが残りますね。
――安井選手が駅伝主将になった経緯を教えてください
安井 僕が早稲田に入る時に、自分が4年生の時じゃなくても「三冠をしたい」という思いがあって。それでも特に4年目は自分がキャプテンとしてチームで三冠するのが夢でもあったので、早稲田のキャプテンはやはりかっこいいですし、なりたい気持ちが強かったです。憧れと言えば憧れですかね。でも本当にそのときから「4年目は(キャプテンに)なろう」と思っていました。
――石田裕選手は、もともと主将になろうという意思はあったのでしょうか
石田裕 いや多分、どっかでは思っていたんじゃないかと。中学でも高校でもリーダー系の仕事をずっとやっていたので。ただ成長していくにつれて目立たないようにという意識が出てしまって。それこそ「なりたい人がいるんじゃないか」と思って自分を優先することがなくなってしまって。だから多分酔ったときはそれが本音だったんじゃないかなと思います。でも自分の気持ちを隠しちゃうので、そういう意味では「なったらやろう」という感じでした。役割としては重くのしかかるものだと思ったので、それを覚悟しなきゃいけない、今までとは同じにはいかないとは思いました。なので選ばれたときはうれしかったですけど、「ここから大変だな」と思いました。
――安井選手は立候補、石田裕選手は投票だったのでしょうか
安井 そうですね。裕介が「みんなが支えてくれるんだったらやるよ」って言ってくれて。なかなか競走部の主将をやると言えないんですよ。さすがに早稲田の主将はよほどの自信がないと難しくて、僕らの学年でそこまでの自信があるやつはいなかったので。少しちぐはぐしたのですが裕介が「やるよ」って言ってくれて。その時はうれしかったですし、しょっちゅう部屋に来ていた時期だったんで「なんかあったら僕に相談してくれればいいし、部屋に来て」って言いながら。お互い高校からやってきてるので「俺らならなんとかなるでしょ」という感じで決まりました。
――石田裕選手は以前「安井とが一番やりやすい」とおっしゃっていました
石田裕 やりやすかったですし、言いやすかったですね。
安井 間違いない。
石田裕 そもそも市船でやってきたものがあったので、どういうふうにやっていたのかも知っていたし、隣にいてくれたのはありがたかったですね。
――主将を務める上で高校の時との違いはありましたか
石田裕 高校の時ってまず全体ミーティングがなくて。それこそ短距離のミーティングも僕らはあまりなくて。ミーティングをやる上でそれぞれの役割など、何を言うかみたいなことを考えました。
安井 学年でミーティングをする回数も増えていったので、そういったところでお互い意見を言い合ったりしましたね。
石田裕 チーム状況を今まで以上に見なくてはいけなくなったので、「長距離はどうなの、短距離はどうなの」とお互い話す機会が増えましたね。お互いの状況を知るという連携の仕方を取っていて、表立って動くみたいなことはしていなかったです。
――相手を見て大変そうだなと思ったことはありますか
安井 ありすぎて、やばかったですね……。僕は正直大変というのはなかったと言えばなかったですね。駅伝シーズンで結果が出なくて何か言われたりとそのくらいなので。長距離はみんな真面目なので言うこと聞いてくれましたし、変なことする人もいませんでしたし。でも短距離は個性的なメンバーが多くてめんどくさいことになることが多いんですよね。でもそういうチームのミスは全部裕介に来ちゃうので。例えば1年生が駄目なことをしちゃったとして、その責任は1年生を指導できなかった2年生もそうなんですが、そうできなかった状況を見れていなかった4年生に回って、結局裕介に回ってきちゃうんです。「キャプテンがチームを見切れていないんじゃないか」みたいな。そういったところでは短距離はちょくちょく問題があったりして、それが全部裕介に降りてきちゃっていたのは、何というか言い方は悪いかもしれないんですが、かわいそうだなとも思いました。あと自分の競技に影響が出なければいいなと心配してましたね。でも僕が何かフォローできるような問題じゃないときもあるんで、そこは今思うと大変そうだな……と。あの状況でよく世界まで行ったな、と今かなり思いますね。
石田裕 『主将になると結果が残せなくなる』みたいなジンクスがあったらしくて、それで世界に行ったら上の人に「それを払しょくした」という連絡が結構来て、それはかなりうれしかったですね。でもそれは個人的なことであって、大学生なので対校戦があって、チームとしての評価だったのかなと思うので。それこそ全カレ(日本学生対校選手権)は男子は表彰台がなかったりして、チームの評価がかなり落ちてしまったのかなと思ったりしました。それをどれだけ周りが気にしているのとか考えたりして、割と一人でため込んじゃうので……。そう思うと自分で自分の首を絞めていたなと。自分で大変にさせていたなとも、今気づく部分も多いです。周りに愚痴は言いますけど、仕事を振るとかはしなかったので。
安井 ため込んじゃうんですよね。僕が短距離だったらお互い話しながらできたかもしれませんが、僕も長距離で練習も違いますし、それこそ夏合宿になったら全然寮にいませんし、全カレも見れなかったりしたので。そういうところでは裕介に負担をかけすぎてしまったと1年を通して感じました。フォロワーが大事というか。
石田裕 それでも長距離はあれだけ人数がいる中で、安井がまとめてくれたのは相当ありがたかったです。それだから短距離を中心に見れたので、ありがたかったですね。まあ、思った以上に短距離が個性派ぞろいだったので(笑)。個性の塊だよな、個性が爆発してるよな。
――代々短距離はそうなのでしょうか
石田裕 いや、代によりますね。下の代なんかは古谷(拓夢、スポ3=神奈川・相洋)のことをちゃんと理解しているんで、古谷がパンクしそうなときはしっかり支えてくれるんじゃないかと。
――全体主将は長距離を含めた部全体を見なくてはいけないんですね
安井 まあ長距離は基本僕が見るんですが、やっぱり競走部の主将なんで少なからず長距離も見ていますね。
石田裕 長距離は結構しゃべりましたね。
安井 結構1、2年生とか、後輩ともしゃべってますし。「あいつケガしてんのか」って言っていたので「やっぱり見てるんだな」と思いました。まあ長距離はあんまり問題起こさなかったからな…。
石田裕 そうだな。任せていられましたね。
――お悩みの共有はされていましたか
石田裕 まあしてましたね。
安井 それこそお酒飲みながらとか、他の友達もいたりしたんですけど。
石田裕 餌食にされるのは大体安井か皐平(鈴木、教4=愛知・時習館)でした。
安井 長距離の悩みはそんなに言わなかったですね。結果が出なかったに尽きるんで、問題というよりはって感じですね。
石田裕 僕個人で誰がケガしてるかって把握するくらいで、問題を持ってくることはなかったなと思います。
――この1年間の相手のレースで、刺激になったものはありますか
安井 日本選手権ですね。日本選手権はびっくりしたというか、(石田は)教育実習中で。僕は教育実習は終わってたんですが。教育実習真っただ中で、市船の顧問の先生も「石田あんまり調子よくないよ」って言っていたので「まあまあ準決勝どまりかな」とか甘い考えで見ていました(笑)。それでテレビを見たら決勝行っているし、しかも2位で、「あれっ、あれっ、あれっ、2位!?」みたいな(笑)。しかも自己ベストも大幅更新しているし、「えっ!?」て本当にびっくりしました。でもそれまでの関カレとか個人選手権(日本学生個人選手権)もそうだったんですけど、なかなか結果が出せてなくて、いろいろ短距離の問題もあって悩みも抱えてて苦しんでいたので、日本選手権で2位になった姿を見て、報われたなというか、辛かったこととか今まで努力してきたことが報われて良かったなと。うれしかったですね。傍で見てきてすごいつらそうな場面もあったので、2位になってすごくうれしそうで。それこそ世界陸上も見えてきてたので。行けるとは思っていなかったのですが。ただ今まで苦しんできたことが、結果として報われて本当に良かったなと、すごく印象深かったです。僕もテレビ見て泣きそうになりました。「まじか、こいつすげえ」ってテレビの前で拍手してました(笑)。
――教育実習もお二人で行かれたんですか
安井 そうですね、逆に教育実習がいいきっかけになったんじゃないかな。
石田裕 言い方は悪いかもなんですが、チームから離れられたのが良かったのかなと思いますね。
安井 僕は2週間だけだったんですけど、その2週間で結構チームの話とかしましたね。帰り道とかも一緒だったんで。そこで裕介もリセットされたんじゃないかなと。
石田裕 肩の荷は下りたよね。
――教育実習中は、主将のお仕事はおやすみなんですか
石田裕 まあ、休んでましたけど、ちょこちょこ連絡が来たりして……。大体LINEとかで「こういうことがあって」とか来て、「いや今教育実習中だけどな…」とか思いながらそれに応えたりしてました。表立って何かすることはなかったですけど、連絡はあったかな。
――石田さんが世界選手権出場を決められたときはいかがでしたか
安井 それはもう、めちゃめちゃびっくりしましたね。ちょうど僕も北海道でホクレン(ホクレン・ディスタンス・チャレンジ)に出てて、スタートの直前くらいで相楽さんが「えっ、マジ!?」とか言い始めて(笑)。「どうしたんすか、どうしたんすか」って聞いたら、「裕介、世界陸上の標準切ったって!」って(笑)。それで僕もTwitterで見たら『石田裕介 1着 世界陸上標準記録突破』って書いてあって、「こいつ、ここまで行ったか!」って思いました。その時は感動というよりびっくりのほうが大きかったですね。で、「マジかあ」って思いを抱えてスタートラインに立つという。なお僕は撃沈しました(笑)。
――あの日の北海道は暑かったですよね
安井 いや~暑かったですね、でもそれを言い訳にはしたくないですけど。まあ僕の結果うんぬんよりうれしかったですね。良かったです。
石田裕 ありがとうございます。31度ですごく暑くて「北海道じゃねえ」って思いました。
安井 裕介の走りに心が熱くなったよね。さらに熱くなったから走れんかった(笑)。
石田裕 ほんとかよ(笑)。
安井 うれしかったです。それにしても一気に行ったね(笑)。ここ1、2カ月で何があったってくらい(笑)。でも本当に悩んだりしていたので、そのおかげという言い方はあれですけど。僕もそうなんですが、人って苦しんだ分何かしら報われると思います。特に陸上とかだと練習で苦しんだ人こそ芽が出るんじゃないかなと思うので。びっくりはしたんですが、それだけのことはやってきたと思うので、「さすがだな、これぞ早稲田の主将やな」と思いました。
――石田裕選手が印象に残っている安井選手のレースはありますか
石田裕 その1年というよりかは、毎年箱根に出ていたことがやはり印象深くて。それこそ2年目から山を上っていて、この間初めて思ったんですけど本当に走るのがきつい中で、「本当にここ走ってんのか!?」みたいな(笑)。この間の給水の時に本当にそう思って、僕らは1分くらいで終わる競技なのに、1時間かかるような中で集中を切らさず走って。練習に関してもたまに長距離的な練習をやったときに「うわ、これやってんのか」ってあらためてすごいなと思います。それで周りからいろいろ言われている存在だったので、箱根駅伝は印象が深いのかなと思います。それこそ僕らの代になったときは(ハーフマラソンで)関カレ入賞というかたちをつくってくれたりもして、競技面でもそうですが、いろいろ刺激をもらっている感じですね。
安井 まあ、(思い出は)最後の箱根ですよね。
石田裕 思い出ですね。
最後の箱根、芦之湯での『力水』
――今回の給水は、安井選手から石田裕選手に頼まれたのですか
安井 頼みました。頼みましたし、「裕介も俺の給水やりたいだろ」って思っていました(笑)。それは1年目から言っていましたね。「裕介は俺の給水でしょ」って。
――これまでは石田裕選手が安井選手に給水することはなかったのでしょうか
安井 そうですね、早稲田の伝統というか、4年生の短距離が給水をするというのがあって。もちろん2、3年目も裕介に頼みたかったですけど、早稲田はそういうシステムだったので、そこは4年目にとっておきました。
――安井選手に給水を頼まれて、石田裕選手はいかがでしたか
石田裕 いや、こっちからずっと言っていたので、それこそなって当たり前だなとも思いました。それに箱根を走っている姿を見て、自分がずっと一緒にやってきている相手に給水できて。主将になったときは特に市船の主将同士だったし、早稲田に入っても主将同士だったので、貴重な一瞬だったなと思いました。絶対に譲りたくはなかったですね(笑)。
安井 まあ、必然だね。これが普通でしょう(笑)。
――石田裕選手は給水前緊張されていたとのことでしたが
石田裕 いや、緊張しましたよ(笑)。送られてきた説明だと「練習がある」って言われていて、何時に来てくださいとか。何もかも『給水』って言葉しか知らないし、「ちゃんと渡せるかな」とか「接触しないかな」とか考えていたら緊張しました。そしたら給水練習もなくぶっつけ本番で「まじか……」ってなって。まあでもやるしかなかったので。あらかじめドリンクについても何を言ってほしいかも言われていたので、それをしっかりやろうと思っていました。なので安井が来たときは結構緊張も抜けてて、「ちゃんと渡そう」という意識を持ってやりました。
――前とのタイム差を伝えるというのは安井選手のご希望だったんですね
安井 そうですね、後ろとの差というよりは前との差を教えてほしいというのは事前に伝えていたので、ちゃんとやってくれました。
――安井選手は下り坂が得意とのことでしたが、今回は前半からハイペースで飛ばされていました。最高到達地点付近の芦之湯での状況はいかがだったのでしょうか
安井 いや、正直もうきつくて。下りもいつもなら最高到達点からガンガン攻めていけたんですけど、今回脚に疲労が来てて、最初は全然足が回らなくて、いつもよりエンジンがかかるのが遅かったです、そのあとから行けたのですが。レース内容には悔いはないのですが、もう少しガンガン行きたかったと思いますね。ことしはエンジンがかかるのが遅かったですね……。
――給水の時にかわした言葉というのは
安井 いろいろ考えていたらしいんですが、飛んじゃったらしいです(笑)。まあ前とのタイム差と、「行け!」って。
石田裕 「行け!」って言って、言い終わった後にまさか「ありがとう」なんて言ってもらえるなんて思ってなかったので、もうその瞬間に全部吹っ飛んで。色々言いたかったとは思うんですが全部吹っ飛んで、「行け」としか言えなかったですね。鳥肌立ちましたね、あの瞬間は、うれしすぎて。
――安井選手は給水をされた後、親指を立てられてましたよね。それはどういう意味があったのでしょうか
安井 そうですね、「ありがとう」の意味と、「最後くらいかっこいいところみせないと」じゃないですけど、本当に「あとはやってやる」って思いですかね。「あとは任せろよ」じゃないですけど、競走部として本当に最後の大会だったので、「ありがとう」と「あとは任せとけ」の意味を込めました。
――安井選手は給水で元気が出たりはしましたか
安井 もう本当にきつかったんですが裕介もいるんで、笑顔になれましたし、そこでふっと余裕が戻ったので、やっぱ最高到達地点に石田を置いておいて良かったです(笑)。とりあえず区間賞を取ろうという気持ちで走りました。
――石田裕選手が鳥肌が立ったというのは、感動してですか
石田裕 そうですね、よくよく考えてみて一緒に箱根を走ってることが奇跡に近いし、どんな経緯であってもまさか早稲田まで一緒に行くことになる筋書きもなかったですし。それだけで物語ができてるみたいで。最後の最後、たった50メートルだけですけど、あの瞬間に関してはどのレースよりも貴重だったというか。それこそ世界を経験したとかそれとはまた別の、それくらい大切な、ある意味では一レースだったのかなと思います。50メートル走じゃないですけど。
安井 滅多にないですよね、高校から大学に行って、しかも短長で。同じ長距離同士とかだったら分かるんですが、高校も大学も短長で給水をやるって、前例にあまりないんじゃないかな。主将同士だし。そう考えるとすごいことだったんだなと思います。
――他大の給水係は、基本長距離なのでしょうか
安井 もう基本長距離ですね、全員長距離です。
石田裕 短距離出してるのなんてうちくらいじゃない?体格的に給水している人を見る限り短距離はいないかなと。
――確かに給水のビブスも長距離向けで……、石田裕選手はビブスがパツパツでしたね(笑)
安井 写真見ました、「よだれかけかな?」って(笑)。そりゃそうなりますよね、180何センチなんかのやつがあんな小さなビブス付けたら(笑)。
石田裕 絶対俺用じゃないしな!(笑)
安井 長距離が付ける用ですね(笑)。
――素敵な写真を撮らせていただきました
安井 二人の陸上のいい終わり方じゃないですけど、まあこれからは別々になっていくんですが、最後こうして二人で走れて。
石田裕 知ってる人から見たら相当いい画かなと思います。相当貴重、自分で言うのもなんですが。
安井 しいて言うならテレビに映してよ、って感じですね!でも事前取材とかで僕も言わなかったんで、そういうときに言っておかないと向こうも分からないので、そこは申し訳ないなと。まあ(給水地点で)ちょうどCMだったんで……。どっかの大学を写してたとかじゃなくて、青学を映したあとCMに入っちゃったんです。それでCM明けたら7位くらいになってたんです。「うわあ~、まじか」ってなりました。
――安井選手の走りは区間2位、往路3位、そして箱根は総合3位という結果になりました。振り返ってみていかがですか
安井 競走部ってOBさんも多いですし、伝統校なのでたくさん見てくださっていて。箱根が終わった後にいろいろなOBさんから「感動した」、「ありがとう」というお言葉をたくさんいただけました。この1年競走部としては苦しんだんですが、最後こうして応援してくれた方々やOBさんに感想を届けられるレースができたというのは、長距離としてもそうですが、競走部としていい終わり方だったのかなと思います。長距離も全日本(全日本大学駅伝対校選手権)のシードが取れなくて、今回箱根で総合3位に入って全日本の予選会が免除になったんですが、それが僕の中ではめちゃめちゃ大きくて。後輩に何か残して卒業するのが本当に嫌で、それこそ競走部として残してしまう感じだったので。それがこうして3位に入ってそれもなくなって、スッキリ卒業できるということで、目標には届かなかったのですが、自分たちの中ではいい終わり方ができたのではないかと思います。
石田裕 『終わり良ければすべて良し』じゃないですが、僕らの2017年度のシーズンを振り返ると、競走部としては対校戦で結果を残せない時期が続いて、個人でいろいろ成績を残しても関カレ、全カレ、駅伝だったら出雲(出雲全日本大学選抜駅伝)、全日本だったりとそれが対校戦で。そこでどうしてももう1枚足りないだとか勝ち切れない部分が続いてしまって、その中で最後の箱根は短距離も給水というかたちで長距離に関わる部分がありました。順位は目標に届かなかったかもしれませんが、かなり価値のある3番だったんじゃないかなと思います。短距離もあの姿をみんな見たので、これを受けて次のチームがどう動いていくか。OB、OGにもいい結果をずっと見せてこられなかったので、長距離からいいかたちで終わってくれたのはなによりありがたいことだと思います。
――主将を経験して変わったところはありますか
安井 伝統ある、憧れの早稲田の駅伝主将をやらせてもらって、責任感とかもそうですし、ことし1年間で自分が一番成長したと思ったのは、信念を曲げないというか、軸がぶれないというところです。やっぱトラックシーズンも全然結果が出なかったですし、駅伝シーズンも最初上手くいかなくて、周りからもチームからも不安の声が聞こえてきたんですが、いろいろ言われた中でも絶対曲げないようにしようとやってきました。3位になったから言える話かもしれないんですが、最後ああいうかたちで終われたので、足が速くなったかどうかは分からないんですが、心は強くなったかなと、強い人間になれたかなとは思います。これは駅伝主将にならないと経験できなかったかなと。自分で言うのもあれですが、強くはなれたかなと思います。
石田裕 つらいことだらけなのが正直なところで、いいことがたくさんあったわけでもなくて。結果として残せた部分はあっても対校戦で勝てなかったので、つらいところもあったかなと。でも主将に関しては1年やってきて、最初は何の自信もなくて、3年の後半からやってたんですけど最初の方は先走りすぎて、逆に迷惑かけることも多くて。そう考えて2017年を