ことし最も飛躍を遂げた選手。誰か1人の名前を挙げるとするならば、この男しかいないだろう。110メートル障害・野本周成(スポ4=愛媛・八幡浜)。4月の東京六大学対校大会での自己記録更新、ユニバーシアードの標準記録突破を皮切りにその快進撃は始まった。早大記録更新、日本選手権出場、ユニバーシアード5位入賞――。連戦の中で、次々に輝かしい成績を積み上げた。この1年間は野本にとってどんな時間だったのか。初めて経験した国際大会で何を感じたのか。そして間もなく迎える大学最後の大舞台・日本選手権リレーへの思いとは。様々なお話をうかがった。
※この取材は10月12日に行われたものです。
「初めて戦えるようになったなということを実感しました」
対談中は隣の石田裕介選手(スポ4=千葉・市船橋)を気にしつつも、リラックスした様子で話してくださった野本選手
――最近の調子はいかがですか
先日、国体(国民体育大会)が終わって、結果的には3位に入ることができたんですけど、レース的にはあまり良くなくて。ほぼ日本選手権と変わらないメンバーだったんですけど、来年勝負しようと思ったら、もう一度冬季に鍛え直さなければいけないという感じです。
――では、今の練習は何をされていますか
日本選手権リレーに向けてスプリント中心のメニューでやっています
――ことしを振り返る質問になります。六大学(東京六大学対校大会)の方で自己記録を更新されたと思いますが、冬までの成果が発揮されるなど、これまでと違った感覚だったのでしょうか
単純に100メートルを走るスプリント能力が上がったのもありますし、今日本のトップにいる選手と比べたらハードルに向き合ってきた時間が短いので、ハードリングの技術が向上したというのもあります。あとは冬季練習から筋肉を大きくして出力を高めるのではなくて、筋肉の収縮速度を上げて力を発揮するように変えてきたことが動きの切れとかにつながったかなと思います。
――関東学生対校選手権(関カレ)でのレースを振り返って
2週間前に織田記念(織田幹雄記念国際大会)があったと思うんですけど、そこで自分的にすごいいいレースができて、結果的には10台目で転倒してしまったんですけど、それまでは日本の中で通用しなかったのがそこで初めて戦えるようになったなということを実感しました。そこから少し自分の中でおごりが出てしまったというか、そこからさらに上を目指そうという気持ちがなかったかなということで、調子をキープできなかったですね。
――その後の日本学生個人選手権で大幅に自己記録を更新されました
そんなに自分でも調子が良かったわけではなかったですし、意気込んでいったわけではなかったですけど、予選を1本走って今日は動くという感じだったので、準決勝ではタイムを狙ってみようという感じでした。
――表彰台でのポーズが印象的でしたが、そちらは
表彰台に慣れていないのでどうすればいいかわからなくて(笑)。とりあえずポーズを取れと言われて(笑) 。
――日本選手権では準決勝で敗退されてしまいました
日本選手権で戦いたいというのが(今シーズンの)1番の目標だったので、決勝に行くのは当然だと思っていたので。やってきたことが間違っていたのかと思ったことはありました。
――調子が悪かったわけではないんですね
前日は調子が良かったんで。でも初めての日本選手権ということでアップですごく緊張してしまって、予選の動きが良ければ準決勝につながりますし、準決勝が良ければ決勝につながりますし。その辺の経験の浅さが出てしまったのかなと思います。
――5、6月あたりは2週間ごとにレースがありましたが、そちらの調整はいかがでしたか
それは本当に1年間で感じたんですけど、今年ベストが出てその2週間後に試合で動きが悪くなって、その2週間後に動きが良くなっていました。ベストが出たときに次にどういうことをするのかというのが自分の中で分かっていなくて。この試合で悔しい思いをして、ここでやろうと思って練習して結果が出てという流れでしたね。ことし、やっと戦えるようになりましたが、その点日本のトップで戦っているメンバーは毎試合毎試合合わせてくるのでさすがだなと思います。
「挑戦していこうという気持ちでした」
――ユニバーシアード夏季競技大会の話に移ります。今年の競走部の目標が国際大会に出場することでしたが、特に自分が狙っていたとか、行きたい、行けるという感覚はありましたか
六大学で標準を突破して、そこからは狙えると思ってやってきたんですけど、同じ代に僕よりいいタイムを持っている選手がその時点で3人ぐらいいましたし、古谷(拓夢、スポ3=神奈川・相洋)もいましたし、他大学の3年生にも速い人はいたのでうまくいけばユニバーシアードに行ける、と思っていました。
――決定してから、『恩返し』という表現をされていましたが、その意味を教えていただけますでしょうか
『恩返し』 というのは陸上をできているところで、結果を出すことでしか『恩返し』ができないということです。
――初めての国際大会へ挑んだ気持ちを教えてください
まずどういうものかというものかも想像できなかったので、プログラムを見ても持ちタイムを見れば決勝に残れるようなタイムもなかったので、挑戦していこうという気持ちでした。
――日本代表のユニホームを受け取ったときのお気持ちは
受け取った時は、まず写真を親に送りました。目標にはしていたんですけど、ジャパンのユニホームを着て走れるとは思っていなくて。実現するとは思っていなかったので嬉しさと戸惑いがありました。
――周りからの反響もあったのではないでしょうか
あんまりなかったです(笑) 。
――ユニバーシアードで仲良くなったり、同部屋だった選手はいますか
部屋がその中で個室にさらに別れていて、その大きい部屋がトラックとフィールドに分かれていたのでトラックのメンバーとは仲良くなりました。
――まだ連絡もされているのでしょうか
今度またご飯に行こうと。
――ユニバーシアードの目標はありましたか
メダルですね。3位以内に入りたかったです。
――会場について、驚いたこと大変だったこと、日本との違いはありましたか
運営の仕方も違くて。雨が降っていて雷も鳴りだしたので運営の人がアップ会場に来て「競技開始が45分遅れます」と言われて。45分間座っていたんですけど、その後に「やっぱりやります」 となりました。アップしてないので「できない」と言ったんですけど、ダメだと言われて(笑)。結局、1本だけ走ってほぼアップ無しでレースしたこともありました。あと、招集場所から控室に行くんですけど、そこがすごく寒くて。服を全然用意してなくて、震えながら競技場に向かうような感じでした。あとはあまり変わらなかったです。
――レース内容の質問に移りますが、まず予選を振り返っていかがですか
隣のレーンにバジ選手(バーイ、ハンガリー)というすごい速い選手がいて、その人に着いていこうと思ってました。スタートで遅れないようにして、自分の中でレースをつくって。たぶん3台目で前に出られるだろうとは思っていたんですけど、そこからどういう風に着いていけるかという感じでした。予選なので着順を取れればいいかなと思っていたので、そこまで考えていなかったです。
――準決勝では向かい風で13秒79ということでしたがそこはいかがですか
雨の話が準決勝の話だったんですけど、こんな状況になったことがなかったので決勝は無理だろうと思いましたが、やるしかないと思っていました。アクシデントのあった中でマイナス2.0の風で13秒79だったので、あのレースは自分の中で評価できるというか、初めての海外のレースでそういうのがあった中で走れたのはよかったです。
――決勝に進みましたがその時の気持ちは
金井(大旺、法大)と一緒に残ったんですけど、ユニバーシアードで日本が決勝に2人残ったことが初めてだったらしくて嬉しかったです。
――では決勝を振り返っていかがですか
右隣に金井がいて、左にバジ選手がいて、気になってしまいました。思いっきり走ればいいかなと思ったんですけど、力みが出たというか、もう少し冷静にやれていれば狙えたんじゃないかなという感じですね。
――5位の入賞というのは悔しい結果だったんでしょうか
決勝に残ったことは自分の中で評価できることなんですけど、そこでメダルを取れないことはまだ甘かったのかなと思いました。弱かったです。
――金井選手は4位でしたが、そちらに関しては
金井には今シーズン1回しか勝ててなかったので勝ちたかったです。
――金井選手といつも隣のレーンを走っている印象です
悪意がありますよね(笑)。僕はすごく左に寄ってしまう癖があって、金井は右に寄ってしまうので、左側に来たときに2人でお互いにスタブロ(スターティングブロック)を寄せようという話はしています。
――ユニバーシアードを経て成長した部分はありますか
準決勝のレースの中で走れたということは自信になっていて。国内ではないことなので、そういう状況でも走れたならば、国内でいい条件の中で走れるなという自信になりました。
――逆に痛感した課題はありましたか
海外の選手って、ハードリングの技術が日本とは違うというか。日本てハードルの振り下ろしが遅いというか、空中で溜めて早く下ろすということが日本のハードルなんですけど、海外は上げたら振り下ろすということで空中での時間が短くて、そういうのはまだできないですし、その辺は海外との違いですし、僕の課題だと思います。
――では次に日本学生対校選手権(全カレ)のお話をうかがいます。110メートル障害の3本のレースは振り返るといかがでしたか
全カレはすごく意気込んではいたんですけど、なかなか調子が上がってこない部分があって。予選はまあよかったんですけど、準決勝から自分の中で動きがぎくしゃくしているというか、あんまり動いていないなというのがありました。決勝も動きにまとまりがなくて全然ダメなレースになってしまって。ユニバで5位に入れたのですが、日本で、しかも学生の中で4番なのでそれは周りの評価としてもよくないですし、僕としても全然ダメだなというのを感じたレースでした。
――ハードルブロックとしても不完全燃焼の結果だったと思います
そうですね。ことしは僕が『日本一のハードルブロック』ということを目指してやってきたのですが、僕がチームにいない時間が多くて金井(直、スポ2=神奈川・市橘)と古谷をしっかり見ることができませんでした。試合の中でも僕が自分のレースだけでいっぱいいっぱいになってしまって。もっとちゃんと見てやりたかったなという後悔がありますね。
――古谷選手は決勝で転倒してしまいましたが、レース後に何か声をかけられましたか
僕も何回もハードルの試合でこけたことがあるんですけどそのたびにゴールすらできない悔しさがあって。『日本一のハードルブロック』を目指している上で僕自身悔しい思いもありました。でも古谷は僕と違って来年もありますし、あいつはたぶん今までこけたことがないと思うんですけど、「今回転倒したことというのは来年にもつながるからこの思いを忘れない方がいいよ」という話をした気がします。
――4×100メートルリレー(4継)はいかがでしたか
4継では僕は3走を走らせていただいたんですけど2、3走のところでバトンが流れてしまって。チームを引っ張らないといけない4年生のところでミスが出てしまったというのは僕ら4年生の責任で、今までやってきたことがダメだったということだと思います。失敗して初めて、ワセダでリレーを走るってこういうことなんだなというのがわかりました。悔しい結果でしたね。
――では続いて先日の国体でのお話に移らせていただきます。3位入賞されましたがいかがでしたか
地元国体だったので、地元の声援というのがすごくあったんですけどそれが逆にプレッシャーに感じてしまった部分もあって。予選は動きが硬くなってしまって、何とか(タイムの)プラス2で拾われたかたちだったんですけど、決勝は「もう走るだけだ、気持ちよく走ればいいかな」と。そう思った瞬間にその声援がプレッシャーじゃなくて力になりました。
――決勝でのタイムは追い風参考ながら自己ベストに迫るものでした
追い風がすごく吹いていたので、もうちょっとタイムが出てもよかったかなと思っています。そこはやっぱり風がある中で動きをまとめきれない自分の弱さだなと思います。
――ユニバーシアードで日本を背負ったあとに、国体では地元愛媛を背負われましたね
そうですね(笑)。正直JAPANより愛媛県の方がプレッシャーがありましたね。何年も前から僕自身も(愛媛での国体開催を)意識していたので。ここで絶対入賞しないといけない、3番以内に絶対入らないといけないと思っていたので、最低限の目標を達成できて少しホッとしたところはあります。
「ワセダに最後の恩返しができたら」
――では次に大学での4年間を振り返っていただきたいと思います。早大競走部で過ごした4年間はどのような時間でしたか
入部したときはこの厳しい環境でやっていけるのかなという不安もありました。1、2年生の頃は全然勝負もできなかったですし、高校のときより自分のことを自分で管理することが多くなって、いつ何をしたらいいのかというのが全然わからなくて適当に過ごしていた時期もあったんです。そういう中で先生とか先輩にいろいろ言われたりしても、その時は全然響かなかったというか何も思いませんでした。でも3年生になってから「来年で終わりだし、絶対に結果を出したいな」と頑張っていこうとしていた矢先に冬季練習でケガをしてしまって。「あぁもうなんかダメかな」と思った時期もありました。そのケガが治ってからの復帰戦でも転倒して失格という結果になってしまったので、陸上はもう辞めた方がいいんじゃないかなとも思ったんです。でも自分の中で本当に最後の試合にする予定で、本当に最後にするという気持ちで、国体予選に向けて本気で練習をしたらそこで1年半ぶりくらいにベストが出て。そのときに親とか高校の顧問の先生とか、わざわざ応援に来てくれていた高校の先輩や後輩の親御さんたちとか、その人たちが全員すごく喜んでくれて。先生(礒繁雄監督、昭58教卒=栃木・大田原)には正直ちょっと見放されていたのかなという部分もあったんですけど、結果報告をしたら先生もすごく喜んでくれて。そのときに「あぁこういうことのために陸上をやっていたんだな」と思いました。だったらちゃんと結果を出さないといけないと思ったので、その年は全カレで決勝に残ることができましたし。3年の冬季は頑張りましたね。
――ことし1年間は特に飛躍の年だったと思いますが、どんな1年でしたか
良い意味でも悪い意味でも疲れた1年でしたね。ことしは自分の競技だけじゃなくてチームも見ないといけなかったですし、その中で自分も強くないといけないというプレッシャーもありました。でもそういうのが逆に僕にとってもよかったかなと思う部分もあったりして。本当にいろいろな人に支えられた1年だったかなと思います、ことしは特に。
――これまで4年間一緒にやってきた同期の皆さんはどのような存在ですか
1、2年生のころは競技場以外でしか関わらないというか、陸上に対してはそんなに真面目じゃなかったかなと思います。基本的にみんな何というか不真面目なので(笑)。まとまりはそんなになかったんですけど、本気で言ったら本気で返してくれるメンバーではありましたね。
――普段から遊びに行ったりされますか
1、2年生のころは遊びに行っていたんですけど、最近は全然行っていないですね。何でだろう(笑)。
――これから『日本一のハードルブロック』達成に向けて必要なこと、後輩の皆さんに期待することは何でしょうか
速くなってもらうのが1番なんですけど、その前にワセダを背負えるようになってほしいですね。自分が速くなるだけだったらワセダじゃなくてもいいと思うので。
――石田裕選手はどのような存在でしたか
これ正直に言っていいのかな…(笑)。話しても無表情だし、正直仲もよくなかったんです本当に。1年生のときは喧嘩も言い合いもしていましたし。でも僕は本当に結果が出なかったんですけど、石田は2年生くらいから対校戦でも結果を出していて、正直僕としては悔しい思いがありました。同じ学年で石田は結果を出しているのに、僕は何もできないなと思ったりとか。3年で幹部を決めるときも石田を推す人が多かったんですけど、僕は嫌いだったので(笑)、「こいつにやらせたくねーよ」と思ったりもしました。でも(主将に)なったらなったで、本人もたぶん自分の欠点を自覚していてそこをしっかり直してチームをまとめていこうという気持ちがすごく見えたので、僕もそれをしっかり支えないといけないなという思いになりました。そうなったことで話すことも多くなりましたし、すごく信頼できるキャプテンになってくれたなという思いがあります。去年は大事なところで失敗することが多かったんですけど、ことしは大事なところで結果を出していますし、世界陸上(世界選手権)にも出場していますし、背中で語る主将という意味でも信頼していますね。
――卒業後の進路は決まっていますか
競技は続けたいですね。でもそれ以外はまだ決まっていないです。
――では目前に迫った日本選手権リレーについてのお話をうかがいます。まず目標を教えてください
優勝を狙いたいです。優勝は現実的に難しいと思うんですけど、僕らが4年生としてチームを強くできなかった分、最後の最後に結果を残して示しをつけたいという部分もありますし。やっぱり優勝して、後輩に顔向けできるようにしたいです。
――そのためにどのような練習をされていますか
4×100メートルリレーはバトンもあるんですけど、基本的には個人の走力が大きく影響すると思うので、今はバトンよりも各個人がどういうレースをしていくのかというのを考えています。でもチームの100メートルの平均が他チームより遅くても勝つのが、『リレーのワセダ』だと思うので、そうなってくるとバトンで差をつけないといけないですし、たぶんこれからの時期はバトンの練習が増えてくると思います。そういう練習はチーム全体で集中してやっていきたいです。
――意識しているチームやライバルになりそうなチームはありますか
大学だと全カレ優勝の中大、あとは東洋大。社会人だとNTNとかですかね。そういうチームがいる中でまずは表彰台を狙っていきたいなと思います。
――エンジを着る最後のレースになると思います。何か特別な思いはありますか
僕個人としてはことし結果を残すことができたんですけど、エンジを着たときに力を出せないというのがあったので、最後の最後にリレーで結果を出してワセダに最後の恩返しができたらなと思います。
――では最後に応援してくれる方へメッセージをお願いします
早稲田大学にいるというだけで応援してくれる方もいますし、この前の国体ではそうじゃなくても親や高校や中学の同期、親戚などすごく応援してくれている人もいるというのを感じました。僕が陸上を頑張る理由というのが、100パーセントではないにしてもそういう人たちへの恩返しという部分が大きいので、しっかり走ってそういう感謝の気持ちを伝えたいです。
――ありがとうございました!
(取材・編集 太田萌枝、平松史帆)
同期の石田裕選手と『W』ポーズをしていただきました!
◆野本周成(のもと・しゅうせい)(※写真左)
1995(平7)年10月25日生まれ。185センチ。愛媛・八幡浜出身。スポーツ科学部4年。自己記録:110メートル障害13秒62。ことし大躍進を遂げた野本選手。対談後の写真撮影で石田裕選手と初めて2人で写真を撮ったそうです。最後の日本選手権リレーではマイルの石田主将とともに、4継チームを引っ張ってくれることでしょう。