【特集】関カレ直前ルーキー特集『have great ambitions』ロングスプリント対談

陸上競技

 昨シーズン日本選手権リレー5連覇を果たした早大に、心強いルーキーが加わった。2016総体チャンピオンの小久保友裕(スポ1=愛知・桜丘)、同じく総体で6位入賞した伊東利来也(スポ1=千葉・成田)、2016日本高校生ランキング5位の村木渉真(スポ1=愛知・千種)の3人だ。早大の400メートルを盛り上げていくであろう3人が語る、競技に対する考えとは。

※この取材は5月19日に行われたものです。

「良い状態に仕上がっている」(伊東)

丁寧に質問に答える伊東

――きょうはオフということですが、どのように過ごされていましたか

小久保 3限まで授業に出て、そのあと買い物に出かけました。

伊東 僕も3限まで授業を受けて、来週試合があるのできょうは体を動かさないようにと映画を観ました。Amazonプライムビデオにあった『ワイルド・スピード』を観ました。

村木 僕も3限まで授業があって、僕は寮外生なので、きょうはいったん家に帰って散髪をしてからこちらに来ました。普段のオフの日は大体接骨院に行くなど、火水木で溜まった疲労を抜くように、できるだけ安静にしています。

――では、現時点でのご自身の調子はいかがでしょうか

小久保 僕はいま故障中でして、関カレ(関東学生対校選手権)後から復帰する予定です。(練習では)いまは流しやダッシュをしています。予定では学生個人(日本学生個人選手権)に出ることになっています。

伊東 僕はこの前治療院に行って疲労を抜いたので、来週試合があるのですが、いまは良い状態に仕上がっているという風には思います。

村木 僕も伊東と一緒で、試合に出場させていただくということで。疲労はまだ少し溜まっているのですが調子のほうは徐々に上がってきていると思います。

――大学に入ってから1カ月経ちました。大学生活には慣れましたか

小久保 当番があるのですが、やるべきことなので慣れてきました。

伊東 朝起きるのが苦手だったのですが、ここ来てから当番もあって結構朝起きるのに慣れました。前までは朝5時に起きるのも「早いな」と思っていたのですが、いまはそれも苦ではないので慣れてきたのかなと思います。

村木 僕は家族全員で(東京に)越してきたということもあって、いままでは家の中がドタバタしていたのですが、最近は落ち着いてきていろいろなものが安定したサイクルで回るようになってきたと思います。

――入寮したお二人に質問です。初の共同生活ということですが、いまはだれと相部屋ですか

小久保 僕は110メートル障害の金井直さん(スポ2=神奈川・橘)です。僕はあまり抵抗なく生活できています。

伊東 僕は110メートル障害の古谷拓夢さん(スポ3=神奈川・相洋)、800メートルの飯島陸斗さん(スポ2=茨城・緑岡)、同学年の森田(将平、スポ1=広島・修道)が同部屋です。僕は同学年ということもあって森田とよく話をしたりします。お互いどう競技に向き合っているかだったり、普通にどこか遊びに行こうだったり、いろいろなことを話します。

――競走部の先輩とは打ち解けましたか

伊東 上下関係の厳しさもあって、そこまで打ち解けられているのか…。フレンドリーに話すのは上下関係をしっかりするためにも良くないですが、練習に関する質問だとかはさせていただいています。

――では、同期のみなさんとは

村木 この3人ですと種目が同じということもあって、自分のフォームの話や他人の走りの話だとか、そういう話が多いですね。

「『何もない人間になるな』と言われた」(小久保)

高校時代の恩師とのエピソードを語る小久保

――では、初めにみなさんが陸上を始めたきっかけを教えてください

小久保 もともと陸上競技に興味を持っていて、中学に陸上部がなかったのですが高校にあったのでここでやってみようかなと思い、入部しました。中学のときは2年生まで野球をやっていて、3年生で辞めました。中学の担任の先生が陸上をやっていて、「高校になったら陸上をやってみろ」と言ってくれて、やってみることにしました。

――では野球をやっているときから足は速かったのでしょうか

小久保 いや、そんなに速くなかったです。

伊東 僕は中学から陸上を始めました。中学で部活を選ぶときに運動部に入ろうとは思っていたのですが、球技が苦手で剣道部と陸上部で迷って、親に相談したら陸上のほうがいいんじゃないかということで始めったのがきっかけです。

村木 僕は小学5年生の時に初めて陸上部に入りました。そのときは夏と冬で開催しているクラブが違っていて、それで陸上部に入りました。小6の時にリレーメンバーに選ばれて、そのあと陸上クラブに入りました。本格的に始めたのは小6のクラブに入ったときからですね。中学2年生の最後までは100、200メートルをやっていまして、そこで400メートルをやったときにそこそこのタイムが出ました。「だったら400をやってみないか」とクラブのコーチからお話があって、始めてみたらちょっとずつ成長してきたという感じです。

――いま種目のお話が少しありましたが、みなさんが400メートルを選んだ理由は

小久保 僕は高校時代の恩師にとりあえず走ってみろと言われて(400メートルを)走りました。そこでいいタイムが出たのでそこから延長で続けました。最初は砲丸投をしていました。

伊東 僕は中学2年生の夏休みの終わりくらいに、長い距離を走る練習が得意だったので、400をやっていた先輩から一回やってみないかと言われたのがきっかけです。

村木 僕が中学生のときに入っていた陸上クラブは親が主導で動かしていて、僕の母親が選手の振り分けをする係だったとき、100、200の枠が埋まっていて、ほぼ強制的に400に出されたことがきっかけです(笑)。

――では高校時代の競技生活を振り返ってみていかがでしょうか

小久保 高校の途中から陸上競技を始めたのですが、最初は本当にやる気がなくてそんなに部活にも顔を出していなかったのですが、高校で自分に道を示してくれる恩師に会うことができて、そこから真面目にやって結果が出て今の自分があります。高校の陸上競技は意味があったなと思います。

――その先生との印象的なエピソードはありますか

小久保 「何もない人間になるな」と言われました。僕はたいして取り柄がなかったのですが「取り柄がないよりある人間のほうが、魅力がある。お前の取り柄を陸上にしてみないか」と言われまして、そこから真剣に取り組みました。

伊東 僕は高校で陸上競技に真剣に取り組みたいと思って、千葉県でも強豪校と言われている成田高校に行ったのですが、その年のインターハイ(総体)、マイル(4×400メートルリレー)で成田高校の先輩が優勝したのを見て、ものすごくやる気が出て、この先輩に付いていくと思いました。先輩からの影響が大きかったです。

――ではご自身が高校3年になってからはいかがでしたか

伊東 4継(4×100メートルリレー)やマイルどちらでも3年生が僕だけのチームだったので、やはりそこで個人もリレーも勝ち切れなかったというか、満足いく結果を出せなかったなと高校を振り返ってみて思います。

村木 僕は高校は名古屋市の、県大会に残れるか残れないかくらいの県立高校に行きました。県立高校ですのでもちろん強い人がそんなにいるわけでもなくて、顧問も長距離の選手でして、メニューは短距離のブロック長が考えるというかたちでした。暗中模索の状態で、自分たちでやってきたという感じでした。大学は情報を教えてくれる環境に行きたいなということで、早大に行きました。自分たちで考える力が身についたのは大きかったかなと思います。

――大学との差はありますか

村木 そうですね、大学はコーチや監督、先輩が色々な情報をもってらっしゃって、それを教えてくださるのですが、高校はたまに行く合宿で少し教えてもらって、それを自分の中でしっかり消化しないと何も得られませんでした。情報量がかなり違うと思います。

――では高校の練習でご自身で工夫していたことは

村木 高校では僕が1人ポンと(実力が)出ていて、他が1秒2秒遅れてくるという感じで、練習中も1人が多かったのですが、できるだけ自分でも追い込めるようにメニューを組んで行こうと思っていました。

――そこからなぜ早大を進学先に決めたのでしょうか

小久保 僕の決め手はいま4年生の加藤修也選手(スポ4=静岡・浜名)の影響が大きかったです。僕のレースは後半型で、修也さんも中盤から後半にかけての伸びが力強いので、そのノウハウを早稲田大学で学びたいと思い、進学しました。

伊東 僕は、マイルリレーが強い学校と言えば早稲田大学だというのが僕の中でありました。そのイメージがついたのも高校2年生の時に日本選手権リレーで早稲田大学と同じ組で予選を走らせていただいたのですが、その時は圧倒されました。僕もレベルの高い学校で、速い先輩たちと本当に強いチームで切磋琢磨(せっさたくま)して頑張っていきたいなと思ったのが決め手です。

――ではやはり伊東選手はリレーに対する思い入れが強かったのですね

伊東 そうですね、高校のとき勝ち切れなかったのが心残りだったので。個人でもリレーでも勝ちたいなと言うのがありました。

 

村木 僕は先ほども申し上げたように情報量を求めたというのと、あと礒監督(礒繁雄監督、昭58教卒=栃木・大田原)の方からお声をかけてくださって。マイルが強いということもありましたし、強豪校には行きたかったので、いろいろな条件を秤にかけたとき一番そろっていた早稲田大学を選びました。

――ではその大学の条件の中に、スポーツ科学部というのは入っていましたか

村木 その点は結構悩みましたね。一応名古屋の方で大学を受験していわゆる一般ルートを通っていくのか、スポーツの道を選んで進んで行くのかは悩んだのですが、自分の好きなことをやりなさいと親からも応援してもらったので、だったら自分の好きなスポーツを学びながら競技に生かしていけるスポ科がいいかなと思いました。

――授業が始まって間もないとは思いますが、スポ科の授業はいかがでしょうか

村木 いままで触れてこなかった分野ばかりですので、分からないこともたくさんあったのですがやっと慣れてきて、いろいろと理解できてきたという感じですね。

小久保 高校のときはやってこなかった専門分野を学ぶということで、自分の競技に直結して関わることも多いので、スポ科の授業は自分にとっても意味のある講義だと思います。

伊東 僕はいままで勉強してこなかった分野ということもあってスポーツ科学って難しいなと思うこともあるんですが、勉強していく中でいままでの練習はこういう意味があったんだという、つながる感じがおもしろいと最近思いました。

――加藤選手に練習でアドバイスはもらったりしますか

小久保 フォームの確認をしてもらったり、練習メニュー一つ一つにしても僕は自己流でやってしまうところがあるのですが、「そこは違うんじゃないか」と指摘などを受けたりはします。

伊東 フォームの確認をしてもらっていろいろな指示を受けたり、あとはメニューを相談したりというのがあります。早大の練習は各自でメニューを決めることが多いのですが、慣れない練習に対する考えというのを教えてもらっていますね。

村木 2人も言ったようにフォームの確認をしてくださるのですが、修也さんはいろいろと1年生の面倒を見てくださっていて、それこそ普通の日常会話もしてくださいます。修也さんの方から打ち解けるようにしてくださっていて、生活面から陸上の細かい面までアドバイスしてくださっています。

――日常会話ということですが、どんなことを話されますか

村木 僕は直接話したわけではないのですが、映画の話を伊東がしたら合うのかなとは思います。

伊東 そうですね12月に合宿があったのですが、そのときは映画の話ではなかったのですが、同じ400メートルの宮川さん(智安、スポ2=埼玉・早大本庄)と哲学みたいな難しい話をしていました。僕にも振られたのですが全然分からなくて、みたいなこともありました。

――早大はリレーが強いということですが、その強い先輩と触れ合ってみていかがですか

小久保 勉強面でも競技面でも高校生と違い、独自で先を考え意識が高く、きょうの練習がどのように生かされるか考えたうえでメニューをしていて、高校生とは違う充実した考えを持っている集団なのかなと思います。

伊東 同じ練習でも一人一人考え方が違ったりするのですが、単純にみなさん競技レベルが高いので、いまは練習に付いていくので精いっぱいというのがあります。

村木 高校の時は基本的に自分が他の人より前にいる状態で前に人がいる練習をあまりしてこなかったのですが、早大は強豪校ですし大学生ですので、常に人が前にいる状態で走るので、そういうところに新鮮さを感じています。

「強い選手になりたい」(村木)

淡々と、しかし力強く質問に答えてくれた村木

――現時点でのご自身の走りの強みとは

小久保 僕は先ほども申し上げたように中盤から終盤にかけての粘り強さだと思っています。

伊東 僕はあまり調子を落とさない、コンスタントに記録を出せるのが強みだと思います。でもレースを見ると前半が強い、後半が強いというのがあまりないので、そこはやはり大学で自分の特色を見つけたいなと思います。

村木 高校までは後半で巻き返すレースをしていたのですが、このままでは戦えないと言われたので、前半の200メートルをかなり力を入れて走るようにしました。最後の200メートルがかなり垂れるようになってしまったのですが、そこで前半突っ込めるようになったというのは大きいかなと思います。

――逆に、現時点での課題は

小久保 僕は前半から中盤にかけてのスピードの乗り具合が誰から見ても悪いのでそこを改善していき、できるだけ中盤から後半にかけて加速をできたらいいなと思います。

伊東 僕は最近レースを走ってみて、ラスト50メートルくらいから大きな失速をしてしまいました。姿勢を保つことができない、体感がしっかりしていないのが原因かなと思います。筋力やフォームの見直しが重要なのかなと思います。

村木 僕は環境が変わってドタバタしていたこともあって、前半の200メートルは突っ込めるんですが、そのあと高校以上に持たなくなってしまって、ラスト100、110くらいから垂れてしまっているので、いかに最初の200を楽に入れるかを課題に練習しています。

――では、400メートルという競技の魅力とはなんでしょうか

小久保 400は僕の場合だと、距離を踏めば踏んだ分だけ伸びると思っているので、努力した分だけ結果が伴うのが魅力だと思います。

伊東 400だとここにいるように前半型や後半型といったレースパターンの選手がいるので、それだけおもしろいレースを観られるというのが魅力かなと思います。

村木 400メートルは100メートルの10秒ちょっととは違って、45、6秒と時間がかなりあるので、レース展開というものがいろいろあります。自分たちでいろいろ組み立てるやる側のおもしろさと、観る側の楽しさもあると思います。

――それぞれが早大に入学すると分かったときは

伊東 高校の時は同期でスプリントの選手が少なかったので、これだけ強い選手がいるということでリレーが楽しみで、あと練習でも切磋琢磨(せっさたくま)できるので、これからの4年間の大学生活が楽しみだと思いました。

――みなさんの学年は大学4年生の時に東京五輪を迎えます。それも踏まえて、将来のビジョンはありますか

小久保 僕は在学中に大きな大会に出られたらいいなと思います。とりあえずは日本選手権に出場できるように頑張ります。

伊東 ことしは大きい大会で決勝に残って、早大の対校戦でも活躍してチームに貢献したいというのがことしの目標です。4年後は東京五輪に出られたらなと思っています。

村木 僕は二人とは違って全国大会で入賞とかしたことがないので、一歩遅れているのですが、中学では東海大会にすら行けなかった状態から高校で一歩ずつ段階を踏んで上がっていったので、まずは全国大会で入賞する目標を果たしていって、4年後の東京五輪まで上げていきたいです。

――早大は現在日本選手権リレー5連覇中です。同じ400メートルブロックとしていかがでしょうか

小久保 やはり伝統もありますし、6連覇は目標です。自分たちの代でそれを途切れさせてはいけないと思うので、しっかり継続して連覇を来年につなげていけたらいいと思います。

伊東 小久保と同じで、連覇でプレッシャーはあるのですがこれを途切れさせてはいけないと思います。短長の修也さんや石田さん(石田裕介主将、スポ4=千葉・市船橋)たちとチームで優勝することに意味があると思うので、ことしも頑張りたいと思います。

村木 もちろん6連覇しなくてはいけないと思うのですが、気負いすぎる癖があるので、自分がやれることをしっかりやっていけるようにしていきたいです。

――では直近に迫った関カレへの意気込みを

伊東 やはり得点を取るのが一番の目標ですね。

村木 僕は今シーズンに入ってタイムがまだ出ていないので、そこをちゃんとしていくということと、やはり入賞が目標です。

――では最後に、早大での4年間の目標をお願いします

小久保 ケガをしない。

一同 (笑)。もうしてるじゃん(笑)。

伊東 僕はこの4年間で人として成長していきたいと思います。競技面以外も、1人の社会人として自立できるようにしていきたいです。

村木 僕は安定した記録を出せる選手ではなかったのでそういうところをちゃんとしつつタイムをどんどん上げていって。高校のときは花火みたいなのを1発上げて終わってしまったので、そのタイムを安定させる、強い選手になりたいと思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 鎌田理沙)

最後は3人でガッツポーズを作ってくれました!

◆小久保友裕(こくぼ・ともひろ)(※写真中央)

171センチ。61キロ。愛知・桜丘高校出身。スポーツ科学部1年。自己記録:400メートル46秒67。口数が少なく一見クールな印象の小久保選手。しかし周囲に言動を突っ込まれるなど、同期の間では早くも愛されキャラのようです。そんな素顔と打って変わって、レースでは後半の力強い伸びが持ち味です!

◆伊東利来也(いとう・りくや)(※写真左)

168センチ。64キロ。千葉・成田高校出身。スポーツ科学部1年。自己記録:400メートル47秒33。オフの時間は体を休ませつつ楽しめることから、映画を観ることが多いと語ってくれた伊東選手。関カレでは溜まったパワーを十二分に発揮してくれることでしょう!

◆村木渉真(村木・しょうま)(※写真右)

167センチ。59キロ。愛知・千種高校出身。スポーツ科学部1年。47秒07。指導者がいない高校の陸上部で、自分で考え練習をしてきたという村木選手。その鍛えられた思考と行動力で、大学でも記録を狙って行きます!