思いをつなげ!『箱根0区』の戦い

陸上競技

 いよいよ東京箱根間往復大学駅伝(箱根)まで、あと2日に迫った大晦日。16人のエントリーに外れた選手たちが、毎年恒例の1万メートルのタイムトライアル、通称『漢祭り』に挑んだ。練習の成果を試す部内タイムトライアルではあるが、熱い走りを見せて、箱根のメンバーにエールを送るため、『箱根0区』とも位置づけられる。さらにエントリーから外れてしまった4年生にとっては早大競走部の引退レース。多くのOBやエントリーメンバーが見つめる中、各選手は並々ならぬ思いでスタートラインに立った。

4年生としてレースをつくった高橋広

 スタートの号砲とともに、まず先頭でレースをけん引したのは4年生の高橋広夢(スポ4=東京・東大付)。前回の箱根でケガの山本修平駅伝主将(スポ4=愛知・時習館)に代わり、山の5区を力走し、総合4位に貢献。さらに関東学生対校選手権では三千メートル障害で表彰台に登った実績を持つが、秋以降に調子を崩し、惜しくもエントリーから外れてしまった。その高橋広が「4年生として、下級生を前半から行けるところまで引っ張る」と4年間の思いをぶつける積極的な走りを展開。

 中盤に差し掛かると、中村駿介(社3=愛知・岡崎城西)が高橋広に代わり前へ出る。一時はリードを奪うが、ルーキーの石田康幸(商1=静岡・浜松日体)と4年生の山田侑矢(スポ4=三重・伊勢)がそれに食らいついてみせる。山田侑は昨年、箱根のメンバー入りを果たした選手。一般入試で入学しながら着実に力をつけ、いわゆる叩きあげの代表格として注目を集めた。今季はケガに苦しんだ山田だったが、最後のレースは持ち味の粘りで上位を伺う。そして終盤、石田が後退する中村駿をとらえ、トップを独走。そのまま1着でゴールを果たした。続いて山田侑が粘りを見せ、中村駿をかわし2着。高橋広は4着で、もう一人の4年生徳留駿(法4=埼玉・早大本庄)も最後まで走りきった。

2着でゴールした山田侑

 優勝した石田の見事なスパートはもちろんだが、レースを引っ張ったり、苦しいところでの粘りを見せたりと4年生の意地も垣間見えた今回のレース。「箱根で勝ちたいという気持ちは走れなくなってもある。それをきょうのレースで伝えたいと思っていた」(山田侑)というチームを支え続けてきた4年生のエールは、エントリーメンバーに伝わったに違いない。エントリーを外れた4年生が最後にチームを盛り上げる、伝統の『漢祭り』。ことしも熱き思いという名のタスキを新春の大一番に、つないだ。

(記事 石丸諒、写真 目良夕貴、加藤万理子)

漢祭りに出場した4年生。左から徳留、高橋広、山田侑

結果

石田康幸(商1=静岡・浜松日体) 30分10秒(1着)

山田侑矢(スポ4=三重・伊勢)  30分24秒(2着)

箱田幸寛(スポ2=広島・世羅)  30分27秒(3着)

高橋広夢(スポ4=東京・東大付) 30分30秒(4着)

中村駿介(社3=愛知・岡崎城西) 30分46秒(5着)

※結果は非公式。上位5名まで掲載致します。

コメント

髙橋広夢(スポ4=東大付)

――きょうのレースへの意気込みは

最後の年にもう一度東京箱根間往復大学駅伝(箱根)を走りたかったのですが、16人のメンバーから漏れてしまったということで、体調はあまり良くはありませんでしたが、4年生として箱根を走るメンバーに少しでも勢い与えられるように、漢祭りを走る下級生を前半から行けるところまで引っ張ってあとは粘ろうという思いでした。

――その前半引っ張っていましたがそのときはどういった気持ちだったのでしょうか

とにかく引っ張ることだけに集中していました。できれば5キロまで引っ張りたかったです。

――中盤から遅れてしまいましたが、周りからの声援は大きかったのではないでしょうか

これが僕にとっての引退レースとなりましたが、仲間たちが応援してくれたり、いままで応援してくださった方々がわざわざ見に来てくださったりして、何度も心が折れそうになったのですが、それが追い風となって最後まで走り抜くことができて本当に幸せでした。

――そういう意味ではきょうの自分への評価は

最後勝って終わりたかったです。でも自分がやるべきことはやったので後悔はありません。

――ワセダの一員としては最後のレースはいかがでしたか

入学したときは本当に弱くて、相楽豊長距離コーチ(平15人卒=福島・安積)コーチや渡辺康幸駅伝監督(平8人卒=千葉・市船橋)からキツい言葉を頂いたこともありましたが、4年間この部でやらせてもらえて、最後こういったかたちで終ることができて本当に良かったと思います。

――4年間で一番思い出に残っていることは

やはりきょねんの箱根です。陸上始めてから箱根を走ることが夢だったので、それが叶ったときは本当に嬉しかったです。

――集中練習には参加していたのでしょうか

最初だけ参加していました。上尾シティマラソンの辺りから走ってもバテたり、頭痛やめまいが出てきて、血液検査したら貧血になっていました。集中練習に混ざりつつ、抜けつつとやれる練習だけをこなすかたちでした。

――箱根メンバーへ一言お願いします

渡辺監督を胴上げしたいという気持ちは僕らも同じで、精いっぱいサポートしたいと思うので、メンバーには自信を持って駆け抜けてほしいです。

――次のステージでの目標を教えてください

社会人になって陸上競技はやりませんが、今度は競技をサポートしていく側で、大会の企画などで関わっていきたいと思っています。陸上だけでなく、もっと日本のスポーツ界全体が盛り上がっていけるような仕事をしていきたいと思います。

徳留駿(法4=埼玉・早大本庄)

――引退レースを終えて、お気持ちはいかがですか

とりあえずやり切ったかなという感じです。

――今シーズンはどのような一年を過ごしていましたか

この1年間はいままで10年やってきた競技生活の中で一番きつい年になったんですけど、大学に入った時から同期たちと総合優勝しようと言ってきたので、それに向けてとにかく全力でやってきました。

――きょうのレースにはどのような走りをしようと思って臨みましたか

調子は間違いなく良くなかったのですが、それでも陸上生活の締めくくりとしていま自分ができる走りをしっかりしようと思って走りました。

――たくさん声援も飛び交っていましたが、どのような思いで走っていましたか

最後はOBの方とかワセダのアカデミーの方とかも来てくれてすごくうれしかったです。

――レース後、田口大貴選手(スポ4=秋田)からねぎらいの言葉をかけられているシーンが印象的でしたが、徳留選手にとって同期はどのような存在でしたか

自分は苦しい時期が多かったので辞めようかなと考えた時もあったんですけど、とにかく同期が好きだったので、同期と一緒に最後までやりたいという思いでここまで来られました。

――きょうでWのユニフォームを着て走るのは最後となりましたが、思い入れはありましたか

高校からワセダで走っていてユニフォームもすごく好きだったので、悲しいといえば悲しいですけど、最後までしっかり競走部員としてできたことはすごく幸せでした。

――チームとしてはいよいよ箱根を迎えます

いままでチームとして総合優勝を目標にやってきたので、それだけを狙ってみんなには頑張ってもらいたいと思っています。

――高校からの後輩である柳利幸選手(教3=埼玉・早大本庄)にはどのような走りをしてほしいですか

柳は後輩なので期待していますし、できれば区間賞、とにかく総合優勝に導く走りをしてほしいなと思います。

――同期である4年生にはどのような走りを期待しますか

やはり4年間一緒にやってきた同期なので、心の底から応援しています。頑張ってほしいですね。

――最後に自身の競技生活を振り返って、一言お願いします

とにかくあっという間だったけどすごく充実した競技生活だったなと感じていて、この競技生活の苦しかったことはこれからの人生に生きてくると思うので、本当にやってきて良かったなと思っています。

山田侑矢(スポ4=三重・伊勢)

――最後のレースだと思いますが、いかがでしたか

これまでのやってきたことが全部できたと思います。

――これまでやってきたこととは

始め、入ったときは全く実力もなくて、箱根は夢の世界でした。それがだんだん
目標になってきて。きょねんメンバー入りをして、ことしこそはという気持ちでずっとや
ってきました。自分的には大分力もついてきたと思っていましたが、メンバー落ちしてし
まい、きょうの最後のレースでこれまで箱根に向けて努力してきたことを出そうと思って
やってきました。

――「ことしこそは」と思ってやってきた1年だと思いますが、1年を振り返
っていかがですか

練習ではこの四年間で一番良い練習をできていたと思います。ですが試合で繋がらな
いことが多くて。その結果16人のメンバーに入れませんでした。だからこそ、このレー
スで四年間やってきたことを全部出そうと思っていました。この一年間うまくいったかと
言われたら、うまく入っていなかったのですが、ただ、力的にはついて練習はできていた
ので。この1年間は後悔とかはなくて。やることは全てできたと思います。

――ケガはあったのでしょうか

昨年、箱根駅伝のメンバーに入ってからケガをしてしまいました。そこからはありま
せんでしたが、中学生からやってきて、ケガ自体が初めてだったので。取り戻すのが少し
大変でしたね。

――ことしの集中練習はいかがでしたか

きょねんはケガもあり、うまくできないこともありましたが、ことしの集中練習はそ
れなりに良い感じでできました。だからこそ、きょうも自信を持って走ることができまし
た。

――勝ちに行くレースをしたいと部員日記に書いてありましたができましたか

そうですね。狙っていたよりも少し早くのスパートになってしまいましたが、自分が
勝つためのレースができたと思います。ただ、石田(康幸、商1=静岡・浜松日体)の方が力があったので優勝を譲るかた
ちになってしまいました。

――この1年間、寮長も務められたと思いますがいかがでしたか

僕的には寮で厳しくするというより、グラウンドで気合を入れてやっている分、寮は
リラックスする場にしたいという気持ちがありました。これまでできなかった経験ができ
たので良かったです。

――これから競技は続けられますか

競技としては続けません。趣味程度に続けていければと思います。ただ、母親が走っ
ていることもあって、色んな試合に誘われて、5月くらいまで予定が埋まっています。

――箱根までサポートとしてチームに携わると思います。どのようなアプローチをしたいですか

僕が走れなくなってしまった舞台ですが、箱根で勝ちたいという気持ちは走れなくなってもあります。そういったことをきょうのレースでも伝えたいと思っていました。これから後はしっかりとサポートして優勝できたらなと思います。

石田康幸(商1=静岡・浜松日体)

――漢祭り優勝おめでとうございます。いまのお気持ちを聞かせてください

箱根の16人のメンバーから外れてしまったので、自分が貢献できるのはサポートと、この漢祭りで走るからにはちゃんと良い走りをすることでした。箱根に出る選手に少しでも良い刺激を与えられるようにすることしか自分にできることはなかったので、とにかくそのことを意識していて、優勝というかたちで少しでも力になれたのかなと思います。

――きょうのレースはどのような気持ちで臨みましたか

やはり優勝するというのと、あと大会記録が30分07秒というのがあったので。いままで10キロ以上のレースでうまくいっていなかったので、これを機にしっかり大会記録で優勝して、自分の中で良いきっかけになるようにしたいなという気持ちでレースに臨みました。

――最終的なタイムを教えてください

30分10秒で大会記録には届かなかったので、そこはちょっと反省しているところがあります。

――きょうはどのようなレース展開を考えていましたか

五千メートルの持ちタイムで(中村)駿介さん(社3=愛知・岡崎城西)や(高橋)広夢さんが14分1ケタで力があるので、その先輩方が引っ張っていくと思っていたので、8000メートルまでしっかりと付いてラスト2000メートルで出てスパートしようと考えていました。

――走ってみて、きょうのご自身の良かったところや課題などはいかがでしたか

前半にいつも硬くなってしまうんですが、きょうはリラックスしてうまく走れたので、そこは自分の中で良かったなと思います。でも、一人になってからペースを上げられずに大会記録も逃したというのが、やはり16人のメンバーに入れなかった理由の1つかなというのがあるので。次の箱根、2年生になった時には、ちゃんと練習でも前に出て引っ張ったりして力を付けて、来年はこの舞台ではなく箱根の舞台でしっかり活躍できるようにと考えています。

――箱根の16人のメンバーから漏れてしまったことについては、やはり悔しい気持ちが大きかったですか

そうですね。出雲全日本大学選抜駅伝や全日本大学駅伝対校選手権(全日本)はエントリーはされたんですけど補欠というかたちで走れずに、そこでも悔しい思いをして。箱根こそはしっかりとエントリーして、もっとメンバー争いに絡みたいなという気持ちでいたのですが、やはり全日本が終わってから調子が上がるどころか落ちてしまって。うまく走れずに、集中練習もだいぶ練習で離れてしまいました。そういった空回りというか、うまくいかなかった部分があるので、ただ集中練習は最後までやるにはやったので、この経験を来年につなげて頑張りたいと思います。

――初めての集中練習はいかがでしたか

一番最初の30キロ走でいきなり膝を痛めてしまって。そこから1週間だけポイント練習を飛ばしてまた合流したんですけど、体が付いていかないというか。やはり走る量がいままでと全然違ったので、本当に陸上をやってきた中で一番きつい4週間でした。

――これから箱根を走るメンバーにはどのようなことを期待したいですか

練習などを一緒にやってきて、本当に強い先輩方ばかりなので、絶対に優勝してくれると信じています。やはり渡辺さんが最後というのもあるので優勝するという気持ちで、自分も走ることはできないですけど、しっかり選手と同じ気持ちで戦っていきたいです。同級生でも走る人が居るので、そいつにしっかりと走ってもらって、また来年は同級生でもちゃんと高め合って思いを一つに頑張っていきます。

――きょう走り終えて、箱根を走るメンバーなど周りの方には何か声を掛けられましたか

まだまだいけるだろうみたいな感じのことを言われました。箱根のメンバーからしたら、もっともっと大会記録を出してという人も結構多いと思うので、そういった面では物足りないなと。

――石田選手の康幸という名前の由来は渡辺監督だとお聞きしましたが、その渡辺監督が最後ということについてはいかがですか

やはり渡辺監督がワセダで監督をやっているというのは、自分の中でワセダを選んだ理由の大きな一つなので、やはり渡辺さんが居なくなってしまうのは本当に寂しいですし残念ですけど、この1年間しっかりと指導していただいたのでそれを少しでも生かして、来年渡辺さんがここに居なくてもしっかりと活躍を伝えられるような走りをしていきたいです。

――きょうは大晦日ですが、2014年を振り返ってどのような年でしたか

大学に入学して、ベストも何も出せなくてうまくいかないことばかりでしたけど、着実に精神的にも走る力自体も付いたと思うので。土台を作ってきたので、来年からは飛躍してしっかりと主力になれるようにしたいです。納得はいっていないですけど、良い1年だったとは思います。

――改めて2015年の抱負をお願いします

来年からは2年生ということで後輩も入ってきますし、上級生へのつながる1年なので結果を出して主力になれるように頑張りたいと思います!