【連載】『令和3年度卒業記念特集』第5回 杉田栞/庭球

庭球女子


全身全霊を注いだ4年間

 「いろいろな思いが口に出てしまった」と杉田栞(社=埼玉・山村学園)は卒部式で自らの苦しかった思いを語った。それは大学4年間で部活をやりきったからこそ言える言葉であった。それもそうだろう。なかなかプレーでチームを引っ張ることができず、団体戦ではサポートの立ち回り。2年生の時には王座の連覇が途絶えるというつらい経験もした。主将としてもレギュラーの気持ちに寄り添いきれているのかという不安がつきまとった。それでもチームの精神的支柱として言葉で部員たちを鼓舞し続けた杉田。同期や後輩にも助けられながらチームを再び浮上させ、王座奪還を目指して戦った。その中で杉田は人間的にもさらに大きく成長していった。

 5歳の頃に兄や両親の影響でテニスを始めた杉田は高校時代は団体戦のレギュラーとして大会にも出場し、選手として活躍した。しかし全国大会では団体戦のベスト8が最高戦績であり、早大については「敷居が高すぎて自分が目指せる大学ではないだろう」と思っていたという。それでも家族に背中を押されたことや、勧誘してくれたOGに気にかけてもらえたことなどから、早大でやりたいという思いが強くなり受験を決意。受験勉強を経て見事早大への進学を決めた。

 入学後は想像以上のきつい生活が待っていた。朝早くから夜遅くまで1年生がこなさなければならない仕事に奔走する日々が続く。そのような中で迎えた春の早慶対抗試合(早慶戦)では必死にサポートとして頑張ったが、「サポートがひどすぎる」と先輩たちには泣かれて怒られた。そこから日本一の庭球部に所属する一員として考え方を改めたが、全日本大学対抗王座決定試合(王座)では、ボーラーをやる中でそれが遅すぎるとまた先輩に怒られた。「ただこなせばいいという感じで思ってしまっていた」と反省した杉田は、決勝戦で王座優勝したいという先輩たちの思いに応えようと必死になってボーラーなどのサポートをこなした。そして見事チームは王座13連覇を達成。先輩たちに「力になったよ」と声をかけられ、サポートの仕事が「チームのためにつながっていた」と思えた。

4年間で様々な経験をした杉田

 2年生になると実力と実績を兼ね備えた後輩たちが数多く入ってきた。自分たちは試合に出られない中、新入生たちがレギュラーとして選ばれていくのを見て頼もしかった半面、情けなくなり、気持ちが落ち込んでしまった。それでも春関で高校からの後輩の足立理帆(社3=埼玉・山村学園)とのペアでインカレ出場にあと1歩及ばずに敗れると、「もうちょっと私が引っ張れていれば」といった思いがこみ上げる。「後輩の前で示しのつかない行動とか言動とかテニスの姿勢とかをやっていたら本当にダメだ」ともう一度スイッチを入れ直した。

 杉田が2年生の時の秋。女子部の王座連覇が途絶えてしまった。流れが悪い中で苦しい戦いが続き、最終戦の結果で関東3位が確定。王座の連覇どころか王座出場すらも叶わなかった。泣き崩れる部員もいる中、杉田は「言葉にならないような感情」だったという。4年間日本一を取り続けて終わるという入学前の想像は打ち砕かれ、もう一度日本一を取りたいと思わせられるような衝撃的な出来事だった。

 3年生になると新型コロナウイルスの影響で王座の中止が決まった。1個上の代の王座奪還への挑戦権は奪われてしまったのである。しばらく部として不安定な状態が続いたが、4年生の最後の団体戦として早慶戦の開催が決まると、再びそこに向けて切り替えた。杉田にとって1個上の代はチームに対する思いがとにかく熱く、責任感など先輩として完成していた代だったという。そのような時には厳しく、時には優しく接してくれた後輩思いの先輩たちとの最後の団体戦を戦った。3年になりベンチコーチなどのサポートも与えられ、やりがいを感じつつ、結果的には負けてしまったが「最後に早慶戦があっていっしょに戦えて良かった」と思えた。そして代交代となり王座奪還のバトンを受け取った。

 杉田が主将になった時は部内にけがや体調不良が多く、テニスを満足にできていない部員が多かった。そのような状態からチームを立て直すため、「自分が一番パワフルに常にコートに立って言葉とか姿勢とかそういう面で引っ張るしかない」という思いでチームの先頭に立つ。試合に出ている選手たちの気持ちがわかりきれていないのではないかという不安もあったが、ポジティブに楽しく絶対にどんな状況でも諦めないということを言い続け、ネガティブになりがちだった部員たちを前向きにさせた。そうしてチャレンジャーとして挑んだ春の早慶戦では下馬評を覆して3年ぶりの早慶戦勝利。「いつもの練習よりみんな本当に輝いていた」と精神的な要因で慶大に勝てたことで、改めて王座に向けてのチームとしての指針が固まった。夏には杉田は1年生以来となるインカレ予選に出場。ひと花咲かせたいという思いで練習を重ねてきて、春関では初の本戦での勝利を挙げるなど実力を身に付けてきていたが、目標のインカレ本戦出場は果たせなかった。チームにいい影響を与えたかった杉田はこの結果に悔しさがあふれた。

王座決勝で敗れた選手たちを労わった杉田

 王座出場校決定トーナメントではコロナ禍での特別ルールとして会場に入れる人数に制限があり、早大の強みであるチーム力を十分に発揮しきれない環境だった。その中でも全員でできる練習で雰囲気を高めて、本番に臨んだ。そしてチャレンジャーとして挑んだ準決勝の筑波大戦。「勝ちたいという気持ちが全員出た」とチーム一体となって、どちらに転ぶかわからない試合を制して3年ぶりの王座出場を決めた。しかし、決勝の早慶戦では差を痛感させられる敗戦。そこからの3週間の練習で一人一人のレベルアップや気持ちの強さ、現地に行ける少ない人数のサポート力の底上げをしなければならなかった。「最後の最後に4年間で一番きつかったんじゃないか」という3週間を乗り越えて、王座では決勝で再び慶大に挑戦。しかし、チーム力という早大の強みを十分に活かすことができない環境で、全力でプレーしたものの結果は0―5の完敗だった。「やっぱり負けるとどうしても悔しい」。やりきったものの悔いはぬぐいきれなかったが、王座奪還のバトンを後輩たちに託した。

 杉田の4年間を振り返るとまさに苦難の連続であった。そのような中でも「ばかみたいに笑い合えるような同期」や「まっすぐで熱くて一生懸命な後輩たち」に支えられ、この4年間を走りきることができた。その中で「人間的にたくさん変われた4年間だった」というように責任感が生まれ、引っ張る立場としての経験も養った。今後は趣味としてテニスを続けつつテニスで生まれた人脈も大切にしていきたいという杉田。早稲田での経験がこれからの杉田の人生できっと活きる時が来るであろう。

(記事・写真 山床啓太)