七転八起
徳永美子(スポ=福岡・希望が丘)の人生において、常に卓球は中心にある。初めてラケット握ったのは3歳の時。地域のスポーツ教室がきっかけであった。「サッカーとか野球だとボールが飛んできて怖いけど、卓球なら怖くない」と、怖がりな少女が選んだのは卓球。はじめはただ真似ているだけであった卓球も、気づけば20年目に突入している。何度名を轟(とどろ)かせただろう。ただ、決して順風満帆ではなかった。困苦もあった。徳永のミスが敗北につながった試合もあった。徳永の競技人生は、むしろ「七転八起」だろう。
ワセダの女子卓球を支えてきた2本の屋台骨。4年間のリーグ戦では、70もの勝利の数を積み上げた。徳永・阿部組、強力コンビの胸に輝き続けたアイコニックな「W」の文字。ただ、徳永・阿部が同じユニフォームを着るのは大学が初ではなかった。中学生の2人がかつて袖を通した「SHITENNNOHJI」。阿部と出会い、阿部に立ちふさがり、阿部と共に勝利を収めてきた。主将の期待が高まるのも、当然この二人。五分五分の票の中、徳永は「私だったら全体を見ながら押し上げていくいいチームをつくれる」と自分を推薦する。こうして、チームの命運は徳永に託された。
大学最後となる全日本選手権ではベスト8に食い込んだ徳永(左)・阿部(右)組
しかし、主将になった徳永にのしかかるのは実績を出さねばならないというプレッシャー。リーグ戦で積み上げてきた勝利が、早大卓球部を追われる者としていた。「楽しくやりながら、あまり抱え込まずに勝利を狙おう」。決して勝つことを放棄したわけではない。いかに緊張を取り除きつつ勝てるチームを作り上げるか。自分を推薦した時に宣言したとおり、チームの雰囲気を見て下した判断だった。部員がより己を知るため、自己分析も積極化した。部員たちに週間の技術目標をボードに書き込ませ、努力を可視化する。それが功を奏したのだろう。「W」の軍団は、春季関東学生リーグ・全日本大学総合選手権(団体の部)・秋季関東学生リーグの3度優勝をつかみ取った。だからこそ心残りだと徳永が語ること。「負けを知らない」。注意はしていたものの、緩みが出た。秋季関東学生リーグも、「相手に負けがあったから優勝できたこと」と手厳しい評価を下す。
徳永はこの先、活躍の舞台を社会人に移す。これまで以上に戦績が求められる戦場に徳永が掲げる目標。全日本選手権でのシングルス入賞である。これまでの試合で、1回もシングルスで優勝できていない徳永は、初優勝の実現を目標に定めた。そしてもう一つ、卓球とは別の「やりたいこと」。障がい者スポーツの支援である。もっとも、そのためには資格を取らなければならず、加えてそのための実習時間も必要になってくる。両者とも楽な道のりではないが、徳永はその道を選択した。これまでも、努力を積み重ねてきた。困苦の先に道を開いてきた。そう、徳永の人生はまさに。
「七転八起」。
(記事 伊東穂高、写真 吉田寛人氏)