【連載】『令和3年度卒業記念特集』第15回 五十嵐史弥/卓球

卓球男子

『日本人初』の挑戦

 卓球イタリアリーグ。そこに日本人で初めて参戦したのは、五十嵐史弥(スポ=石川・遊学館)だった。早大では、新型コロナウイルスの感染拡大やケガを乗り越え、最後の1年間は主将としてチームをまとめた。日本とイタリア、2カ国を舞台に『強さ』を追い続けた4年間を終え、「早稲田に入って良かった」という五十嵐。その挑戦を振り返る。

 高校時代から早大に進学したいと考えていた五十嵐。入学後からすぐに試合に出場するようになり、下級生ながらチームの中心選手となっていた。順調に滑り出した早大での卓球人生だったが、新型コロナウイルスが広がると状況は一変。3年時には、進もうとしていた実業団が採用を控えることを決定し、就職先が目の前で消えた。その中でがむしゃらに練習を続けていると、今度はケガをしてしまう。当時のことを、五十嵐は4年間で一番辛かった思い出として語る。それでも、持ち前の「そんなに悩まない楽観的」な性格もあり、「今できる最大限をやろう」と考えることで気持ちを保ってきた。

 フォアハンドを放つ五十嵐

 そして、主将になって迎えたラストイヤー。以前は試合や遠征、外部での練習があり、五十嵐が早大の練習場で過ごす時間は長くなかった。それもあって自分が主将になって良いのか悩んだこともある。しかし、「主将をやるなら練習場に行ってチームのことを考える」と決意し、外部の練習を断ることも増えた。さらに、部員たちの声を聞き、その意見を取り入れるようにしたという。チームのことを第一に考え、自身の行動を変化させた五十嵐。その結果、「うまくチームをまとめられたという実感がある」と話す。

 主将として挑んだ全日本大学総合選手権をベスト8で終えた後、五十嵐はイタリアへ渡った。新型コロナウイルスに就職先を奪われ、進路に迷う中で決意したのがイタリアリーグへの挑戦だった。中学時代の恩師がドイツのプロチームで監督を務めている関係で、海外のチーム情報をもらうことができた。その中で、日本人選手が参戦したことのないイタリアリーグを選んだのは、「自分が最初にやるというのがいい」と思ったからだ。コミュニケーションに不安はあったが、レベルの高いリーグということもあり、「もっと強くなれるのかな」という向上心も原動力となった。

 インカレでガッツポーズを見せる五十嵐

 イタリアから帰国後には、全日本選手権に出場。混合ダブルスではベスト8となり、五十嵐は「4年間やってきて今が一番強い」と、自分の成長を感じていた。現在は進路先も見つかり、卒業後も卓球を続けられることが決まっている。さらに強くなるために、今後はTリーグやイタリアリーグを含め、様々な環境に飛び込んでいくつもりだ。「五輪で活躍できる選手になりたい」。その最終目標に向けて、これからも五十嵐の挑戦は続く。

(記事 是津直子、写真 鬼頭遥南)