進化の先に
また一人、偉大な選手がワセダから巣立つ。大島祐哉(スポ=京都・東山)、その卓越した実力でチームに勝利をもたらし続けた男だ。世界で活躍するようになっても、大学の団体戦に出場することにこだわり続けた絶対的エース。その胸には、ワセダに対する強い思いがあった。
小学校2年生で始めた卓球だったが、真剣に取り組み始めたのは中学生のとき。地元・京都の強豪、東山高校の練習に誘われるようになってからだ。京都で卓球をやる者にとって、東山高校は特別な場所だった。ワセダに進学したいと思ったきっかけも東山高校だったという。卒業生に、ワセダに入学して活躍していた選手がいたのだ。高校1年生のころから、自分も同じようにワセダで活躍したいと考えていた大島。念願かなって入部した早大卓球部では、高校までとは違って自分で練習時間やメニューを決めるようになる。自主的に、ストイックに練習をするようになったことが、力を伸ばしていく上でプラスに働いた。
ワセダの勝利のために戦い続けた大島
大学入学後、大島はめきめきと頭角を現し始める。学生の大会で圧倒的な存在感を示していた大島は、2年次にナショナルチームの候補生となってトップレベルの選手たちと共に練習を続けた。そして4年次には、ついに日本代表として世界選手権に出場。しかし、国際大会で戦う機会が増えるにつれ、部活との両立に悩むことも多くなった。実際に、大学のリーグ戦には出場しないナショナルチームの選手も少なくない。それでも大島が常にワセダの団体戦を優先してきたのは、根底に「ワセダに育ててもらった」という思いがあるからだ。「ナショナルチームに入れたのはワセダにいたから。どんなにハードスケジュールでも、自分が団体戦で勝つことでチームを勝たせないといけない」。ワセダに恩返しをしたい、ただその一心だった。
ワセダのエースとしての自覚を持ち始めたのは3年生になってからだ。自分たちの代が主力として戦うようになり、単複でチームに勝ち星を持って帰らなければならないという責任感が芽生えてきた。そんな大島にとって、エースとは「チームみんなに応援される人」。部活の練習を留守にすることが多かったからこそ、ただ強いだけのエースにはなりたくなかった。部員に信頼され、「大島が勝ったら勢いに乗れる」と言われるのが本当のエースだと考えたのだ。時間があれば、下級生と打ち合ってコミュニケーションを図る。世界の舞台で得たものを、チームに還元していく。大島が見つけた恩返しのかたちだった。
この4年間、ワセダの選手として日本一に輝くことはできなかった。もちろん悔しい思いはある。それでも、「苦しいときもみんなで励まし合うことができたし、みんなの支えがなければ日本代表としてやることはできなかった。本当に楽しい4年間だった」とチームへの感謝を口にした。卒業後もプロとして卓球を続ける大島は、「一番厳しい道を選んだのは自分。研究されてくる中でも成長を止めず、進化していかなくてはならない」と覚悟を決める。その目が見据える場所はただ一つ、2020年の東京五輪だ。「東京だけを夢見てやっていきたい」――。進化の先には、日の丸を背負って五輪の舞台で輝く大島の姿があるはずだ。
(記事 熊木玲佳、写真 豊田光司氏)