支え、支えられ
「誰かに相談することが苦手で何でも自分で解決しようとする性格だった」――。そんな松岡美有(スポ=埼玉・秀明英光)が主将になって学んだことは「人を頼る大切さ」だった。主将としては部員が伸び伸びプレーできることを第一に考えキーパーとしてはゴールを守り続け、一年間チームを牽引してきた。その周りには常に松岡を支えるチームメートの存在があった。卒業を控えた今、誰からも愛される主将であった松岡のこれまでを振り返る。
水球との出会いは中学校の部活動見学だった。「全国大会出場を目指している」と聞き、「勝つ経験をしてみたい」と思った松岡は入部を決意した。高校も水球部の強豪校へ進み、ちょうどその頃現在のポジションであるゴールキーパーに転向した。「初めは複雑な気持ちだったが、盛り上げ役であるゴールキーパーは自分に合っていると思うようになった」と振り返った。そんな松岡が早大を目指した理由は練習環境にあった。選手主体という点や部員数が少ない分、選手一人一人を大切にする点に魅力を感じた。
チームメートへパスを出そうとする松岡
しかし入部当初は、早大のいい面として捉えていた選手主体という環境に馴染めずにいた。先輩とのレベルの差を痛感する中で、練習中自らの意見を言うことはためらわれた。しかしそんな時、「選手一人一人を大切にする」というもう一つの早大水球部の強みが松岡を変えた。松岡の周りには、常に気にかけてくれる先輩やゴールキーパー専門のコーチがいない中、自ら勉強し技術向上をサポートしてくれた保見万里監督(平16年教卒)らの存在があった。恵まれた環境の中で練習を重ねるにつれてだんだん自分の意見も言えるようになっていったという。
松岡の入部当初からチームの目標として「日本学生選手権(インカレ)優勝」を掲げてきたが1年時は3位、2年時では2位とあと少しのところで優勝を逃してきた。代表経験のある選手を要すなど、自信があった3年時はまさかの初戦敗退。悔しさがにじんだ。その結果を受け、主将に就き迎えたラストイヤーでは練習量を増やす工夫をした。技術的に前の代より劣っているという自覚があり、中心だった選手が数多く卒業したことから「今まで通りのままでは強くなれない」と考えた。インカレ優勝という目標を達成すべく、主将としてチームづくりにも力を注いだ。横だけでなく縦のつながりも大切にするよう心がけ、部員全員が意見を言い合えるチームをつくりあげた。松岡は主将としてチームを強くするため、常に積極的に行動を起こした。
念願の優勝に向けて臨んだ最後のインカレは、くしくも4位で幕を閉じた。「練習した成果が出せなかった」と語るよう満足のいく結果は残せなかった。だからこそ後輩たちへ「言い合えるチームをつくり、もっと上を目指してほしい」とエールを送った。松岡は卒業後もOGが所属する稲泳会で水球を続けていくつもりだという。再び、コート内の「最後の要」としてチームを鼓舞する姿が見られることを待ち遠しく思う。
(記事 飯塚茜、写真 佐鳥萌美)