一期一会の出会いから
取材にはいつも快く応じてくれる。まっすぐな眼差しと明快な言葉1つ1つが、主将としての貫禄を示しているようだった。ただ本人は、自身のそうした立ち位置をあまり自負していなかったらしい。主将の役を引き受けてからは仲間に助けられることが多かったと言う。キャプテンである自分よりも「チームのみんなが苦労したのかな」と思い返し、少しはにかんだ。競技に取り組む中でつかんだものは何だったのか。水球を通して飛躍した齋藤有寿(スポ=山形工)の4年間を振り返る。
水球を始めたのは小学4年の時。競技経験のある両親のもとで自然と興味が沸いた。最初はボールが取れず「わくわくした」のを覚えているという。元々水泳を習い、泳ぎは速かったが、スピードだけでは立ち行かない水球の魅力に取りつかれた。その後も練習に打ち込み、中学3年にはU18の日本代表に選出。そこでの出会いをきっかけにワセダを意識するようになる。日本代表での大会を終えた後も、まだまだその仲間たちとプレーしたいと思った齋藤。お世話になった選手たちがワセダに行くと聞いて、彼女はその背中を追いかけた
齋藤の力強いシュートは、チームを何度も救ってきた。
入学前からすでに国際大会の経験を積んでいた齋藤は、大学でもその実力を早々に発揮する。点取りのポジションを任されていたが、オールラウンドなプレーを持ち味に守備でもチームを支えた。学年が上がるごとにその存在感は高まっていく。昨年度に出場した日本学生選手権(インカレ)の準決勝では、互角の相手・日体大と対戦する。激しい競り合いの中、齋藤はチームの誰よりも得点を決め、勝利に貢献。この大会を準優勝で締めくくった。実はこのシーズン中、最上級生である4年が1人しかいなかったため、その1つ下の3年だった齋藤がチームのサポートに一役買っていた。インカレでの勝利は、彼女の支えがあったからかもしれない。彼女は水球の高い技術と共に、仲間から慕われる頼みの綱へと成長していた。
しかし、主将として迎えた今シーズンは納得のいく結果を出せないでいた。実力は持っているものの、接戦になると勝ち切ることができない。苦しい状況から抜け出せないまま、齋藤を含めた4年生の引退まで残り1か月となっていた。それでも齋藤はできることを考え、1つ1つをこなしていく。学生生活最後の大会である日本学生選手権に向けた練習では、今までやってきた戦術の再確認に加え、下級生の緊張をほぐすイメージングにも力を入れた。「笑って終わりたい」という思いを共有し、チームの結束力も高めていく。しかし、試合の1週間前にチームは再び難局に直面。齋藤が脳震盪(のうしんとう)を起こしたのだった。試合に向けて懸命に調整を続けていた中での出来事。不安が残る中で、大会を迎えることになった。
結果は初戦敗退。昨年の準優勝チームに1点差で敗れた。無理を通して試合に出場した齋藤。終了間際にカウンターを仕掛けるなど、最後まで主将としての意地を見せたが、それでも万全の状態でプレーできなかったことを悔やんだ。勝つこともできる試合だったからこそ、やりきれない思いもあっただろう。勝利に貢献できなかった申し訳なさがつのった。ただ、一緒に戦ってきた仲間との友情は、今後も消えることはない。この4年間を通して「本当に成長させてもらった」と、斎藤は強調する。昨シーズンは主将の立場にいる仲間を近くで支えていたが、自身が主将にならないと見えなかったこともあった。意見の発信の重要性を実感したのはその時。積極的に自分の思いを伝え、チームをまとめることに尽力した。ワセダは人数が少ないチームだったが、むしろそれは選手1人1人と向き合える良さでもある。ミーティングなどで話す機会を増やし、ぶつかりながらも選手との理解を深めた。チームを一途に思う齋藤の姿に、他のメンバーも大いに後押しされた。
ワセダの後輩たちにはもっと水球を楽しむ気持ちを大切にしてほしいと、齋藤は話す。結果を残すことが最終目標ではあるが、大学水球はそれ以上に信頼できる仲間と出会い、人としての成長が得られる場所。自身もチームと巡り合ったことで、プレースタイルからチームの捉え方、水球に対する思いまでも変わったという。「自分自身にうそをつかないプレーをしてほしい」と後輩にエールを送った。そして齋藤自身はワセダのOGが所属する稲泳会で競技を続けていく。来年には国民体育大会(国体)で女子水球が競技化。日本選手権優勝を目指すことに加え、国体で地元山形にも貢献していきたいと語った。これまで様々な困難にぶつかってきた齋藤。それでも仲間と共に乗り越え、決してひるむことはなかった。卒業後もその根気強さを武器に、目標に向かって突き進む。
(記事 佐鳥萌美、写真 井嶋梨砂子氏)