【連載】『令和3年度卒業記念特集』第58回 樋爪吾朗/水球

水球男子

『紳士であれ』を胸に

 『紳士であれ』。これは、早稲田大学水泳部に伝承されている言葉である。

 2021年8月28日。早稲田大学水泳部水球部門男子主将、樋爪吾朗(スポ=埼玉栄)は最後の早慶戦に臨んだ。「入学した年から2連敗していたこともあり、絶対に通算成績で負け越したくないと思っていた」。結果は10-18。現実は非情だった。しかし試合後、樋爪は悔しさをこらえ、凛としてプールサイドに立っていた。

早慶戦での樋爪

 高校水球界では強豪として有名な、埼玉栄高出身の樋爪。そんな樋爪が進学先に選んだのは早大だった。その理由は環境面にある。「選手主体で考え行動ができ、寮生活で集団生活も学ぶことができる。そして入学当初から試合に出場するチャンスがあった」。その言葉通り、樋爪は1年生ながらすぐに出場機会をつかんだ。しかし、「大学水球に慣れていないという言い訳を作り、消極的なプレーをすることが多かった」。自慢の攻撃力は鳴りを潜め、思うようなシーズンを過ごすことはできなかった。

 学年が上がり、樋爪の契機となったのは世代別代表に選出されたこと。「海外での試合に出場した自信と、同級生や周りの人が活躍している姿が活力になり、自分もチームを引っ張らないといけないという気持ちは増していった」。自身のプレーヤーとしての自信と、早大を背負う責任を深めていく中で、立ちはだかったのは未知のウイルス。それでも樋爪は折れなかった。「人がやらない時にいかに地道にやることが大切だと考えていた」。そんな懸命な姿勢が実を結び、早大は躍進を遂げる。樋爪は田中要(令3スポ卒=埼玉・秀明英光)と、爆発的な攻撃力を持った両サイドを形成し、チームを日本学生選手権3位、日本選手権4位に導いた。

試合前練習でシュートを放つ樋爪

 コロナ禍に振り回されながらも輝かしい成績を残した3年目をへて、樋爪は主将に就任。目指したチーム像は、「これまで以上に各部員がチームに貢献する組織」。それはまさに、樋爪が早大への進学を決める要因となった環境そのものだった。そしてチームは『至高』というスローガンの下、『①関東学生リーグ(リーグ戦)2位、②早慶戦優勝、③日本学生選手権(インカレ)決勝進出、④日本選手権4位』という目標を掲げた。そして、樋爪にとって最後となる早大でのシーズンが幕を開けた。

 まずは初夏に行われたリーグ戦。早大は初戦こそものにしたものの、2戦目で慶大と引き分けると、3戦目には初黒星。1勝1敗1分で予選リーグを突破し臨んだ準決勝では、日体大に差を見せつけられ大敗。惜しくも4位に終わり、目標には届かなかった。
 次は8月に行われた早慶戦。リーグ戦では引き分けに終わったことで、勝利を渇望していたのは相手も同じだった。慶大の勢いに押され、第1ピリオドで大量失点。その後も流れを取り戻せず、ライバルの前に屈した。
 9月に行われたインカレでは、1、2回戦は大勝を収めたが、準決勝で筑波大に1点差で敗戦。ここもあと一歩というところで、目標達成とはならなかった。
 そして日本選手権最終予選会を勝ち抜き、迎えた最後にして最高の大舞台、日本選手権。早大は、東京五輪日本代表を8人擁する社会人チーム・Kingfisher74と初戦で激突。結果は7-33と昨年覇者に大きく水をあけられ、樋爪体制での2021年の戦いは終わりを告げた。

リーグ戦での樋爪

 目標に手が届かなかったことに対する思いを樋爪に尋ねると、「主将として不甲斐ない気持ちでいっぱい」と打ち明けた。しかし樋爪は続けた。「結果は実らなかったが、この過程は間違いではない」。心からそう思えるのは、『紳士であれ』という言葉を胸に、4年間チームと、そして大学水球と向き合い続けたから。
 チームを率いる杉山哲也監督(平21年卒=埼玉・伊奈学園総合)が「練習に対しストイックで後輩の模範となる最上級生」と評したことが、何よりもその証拠だろう。

 4月からは一般企業に就職するという樋爪。「負けず嫌い、実直に努力するという樋爪吾朗という人物像を作ったのは間違いなくこの水球人生16年間」。水球と過ごす日々に別れを告げ、樋爪の人生の『第2ピリオド』が、今始まる。

(記事、写真 長村光氏)