水泳部は支えになる居場所だった
牧野紘子(教4=東京・東大付中教高)に水泳部(以下、WUST)とはどのような存在だったかを尋ねると、「自信をつけてくれて、後輩も寄ってきたり先輩も声かけをしたりと結果が良くなくてもみんなが支えてくれる、あったかい場所」と答えてくれた。東京五輪を目指し、同時にWUSTで過ごす中で牧野は人としても成長した。さらなる目標へと進む牧野の4年間に迫った。
高校生ながら2017年に世界選手権の日本代表にも選ばれたほどの実力者である牧野が早大への進学を決めた理由は二つある。一つは、当時早大に在籍していた、渡辺一平(平31スポ卒=現トヨタ自動車)と渡部香生子(平31スポ卒=現USM)の二人と共に戦うことができるから。もう一つは、自身が目標としている東京五輪へのサポート体制が充実していることがあったからだ。高校時代からクラブチームにも所属しており、競技面では苦しむことはなかったが、学業面では水泳との両立に苦しむこともあった。
4年生のインカレで出場した200メートルバタフライ
2年生の時には韓国・光州で行われた世界選手権で再び日本選手団の一人に選ばれる。本来は専門外である100メートルバタフライでは自己ベストを記録したが、200メートルバタフライは不本意な結果に終わった。この時を「100メートルが良かったのと200メートルが悔しかったので、両方の気持ちを味わえたのは大きかった」と振り返る。さらに4×100リレーでは決勝に進出し、決勝ならではの雰囲気や演出を経験することができた。
このように東京五輪への道を歩んで行った牧野だったが、新型コロナウイルスの感染が拡大すると牧野は悩み苦しむことが多くなる。クラブチームに所属していたために自身は泳げる環境にはあった。だからこそ、「自分は泳いでいいのだろうか。」と泳ぐ意味を、そして自分を見失ってしまう。それでも秋に目標を再び「東京五輪出場」に定めて気持ちを立て直した。この時期について現在の牧野は、「そういう時間もあってよかったのかな。」と振り返っている。
また、2021年の牧野はWUST競泳部門で重要な役割を任されていた。女子主将である。牧野のようにクラブチームで練習している人と早大の中で練習している人に分かれているWUSTをまとめるため、「人の立場になって気持ちや状況を考える方が得意な性格」を生かし、選手たちの細かいサポートを行った。そして、主将という牧野自身も常日頃からチームを考えるようになった。
牧野の大学における水泳生活の集大成となったのが、日本学生選手権である。個人200メートルバタフライでは銅メダルを獲得。そして、女子8継では第一泳者として2位でつなぐと、残りの3人が激しい首位争いを繰り広げ、結局WUSTとしては久しぶりの2位でフィニッシュ。「泳いだのは4人だったのですが応援してくれた選手含めて一つになって泳げた結果」とこの結果を振り返った。
「色々な経験をさせてもらえた。」と早大での4年間を振り返った牧野。早大を卒業した後も競技を続ける。次の目標は2年後のパリ五輪。これまでの経験を糧に、牧野は新たな夢へと進んでいく。
(記事 芦沢拓海、写真 小山亜美)