初志貫徹
「本当に良い一年だった」。村上雅弥(スポ4=香川・坂出)は最後の一年をこのように振り返る。「大好きな水泳」と向き合い続けた、その競技人生を追った。
4年生時のインカレ 50メートル自由形に出場した村上
水泳を始めたきっかけは、幼稚園の時に参加したスイミングスクールの無料体験だった。「水と遊ぶ感覚」に楽しさを覚え、本格的に水泳を始めた。その後、小学4年生で自由形を専門とし、高校ではインターハイに出場。卒業後は早稲田大学にスポーツ推薦で入学した。多くのオリンピック選手を輩出するほどの名門であること、そして、その後自身の指導者となる小島毅コーチ(福岡大卒=香川・高松工芸)をはじめとしたコーチ陣の考え方にも惹かれるものを感じ、村上は早大の門をたたいた。
大学入学後、生活環境の変化に翻弄されることとなる。練習内容の変化はもちろん、寮生活を始めたことが大きなターニングポイントとなった。先輩と部屋や生活を共にすることに加え、下級生ならではの仕事をこなしていく日々。競技では1年目からインカレ出場を果たしたものの、全体の12位という結果に終わり、悔しさを味わった。
「次は絶対に表彰台に登ってやる」。強い気持ちを持ち迎えた2年目では、水を捉えるための動作(スカーリング)の技術向上に力を入れた。さらに、ウエイトトレーニングでより力をつけたことで、徐々にタイムを縮めていった。すると、目標としていたインカレでは、自己ベストを更新して念願のメダルを獲得。悔しさを晴らした万感の表彰台となった。
このまま調子を上げ、東京五輪選考会では更なるベストをたたき出したい――。そう考えていた矢先のことだった。新型コロナウイルスの影響で東京五輪の延期が決定。さらに2カ月間も練習が中断し、モチベーションを保つことが難しくなってしまった。「初めてメンタル面で参ってしまった」。目標を見失った気持ちに折り合いをつけられない状況が続いていた。
そんな中、新4年生としての体制がスタートすると、村上は主将としてチームをまとめる立場になった。「誰が主将になってもいいじゃないか」という言葉通り、村上は全ての部員が活躍する、あらゆる個性を生かしたチーム作りを進めた。中でも、休養時間を多く設けることで過度な疲労によるけがを回避する練習日程を導入した。自分らしさを尊重することと同時に、チームメイトが安心して練習に取り組むための環境づくりを行ったのである。一方で、多様な個性に寄り添ったチーム作りに難しさも感じていた。『インカレ優勝』という高い目標に向けて皆が努力していても、その価値観は様々だ。「同期とぶつかることもあったが、逆に助けられたこともあった」。同期や後輩、さらに女子主将である牧野紘子(教4=東京・東大付中教校)の声掛けにも支えられながら、主将として新しいチームの形を作っていったのだ。
そして迎えた最後のインカレ。個人種目としては「自分のオリジナルを表現できる」と評した50メートル自由形一本で勝負をした。主将としての重圧を感じながらスタート台に登ったが、レースでは自己ベストを更新する泳ぎを披露。試行錯誤の中でチームが形をつかみ、自身も「人生で最高」と呼べるレースを展開することができた。さらに、日本短水路選手権では主将としての重圧を払拭し、「自分らしい水泳」で集大成を迎えることができた。4月からは競技を引退し、社会人としての生活がスタートする。「自分の個性や良さを生かしていきたい」。WUSTで過ごした日々を胸に、村上は新たな道を歩みだす。
(記事、写真 小山亜美)